32 憂麒
※人によっては不愉快となる表現が含まれます。
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咆哮。血飛沫。鈴の音。紫の光が、途絶える。拭っても拭っても消えない血糊は、水溜まりが広がるように私を取り囲む。
何も無い空間だった。まるで始まりのあの場所みたいに。そこに残像のように切り替わる様々な記憶の欠片が、胸を揺さぶる。
どれも、嫌な思い出たちだった。
(どうして)
「どうして、救えないのかな。いつも誰かを犠牲にしちゃう。本当は、誰にも死んで欲しくなんかないのに」
私の声だった。
いつの間にか、制服を着た少女が座り込んでいる。その姿には見覚えがあった。
ううん、見覚えなんてものじゃない。
─────私だ。
もう一人の私が、ナハトチュンの亡骸を抱いていた。その首から下は、何処にもない。頭だけを大事そうに抱えて、すすり泣いている。
「痛かったよね、ごめんね」
応えはない。当然だ。舜くんに斬り殺された。洞窟には亡骸すら残らなかった。
(でも、私が殺したのと同じだ)
ナハトチュンは私のせいで死んだ。私がナハトチュンに命令したのだ。逆らえずに戦うしか無かったナハトチュンは何も悪くない。舜くんだって、やらなければやられていた。邑長さんを守る為、自分の命のためには仕方がなかった。
「本当にそうなのかな」
もう一人の私がこちらを見上げた。真っ赤に燃えた瞳だった。
涙をためて濡れた瞳の中で、刺すような炎が映りこんだ私を飲み込む。
「本当に、仕方が無いことだった?」
「なに、言って……」
私は声に出していない。
それなのに彼女は私の胸の内を覗いたように言い当てた。
「ナハトチュンは死にたくなかったよ。痛かったよ」
「でも舜くん達が危なかったから」
「そんなの関係ない。ナハトちゃんになんて説明するの?ネリは?可愛がってたんだもん、きっと傷付くよね」
「っでも……!」
「私が、責任を取るべきじゃない?」
その手には、舜くんが持っていた刀が握られている。いつの間に取り出したのか。
それを首筋に添えると、にやりと微笑む。
「可愛がられていた獣と誰にも必要とされていない小娘、どちらの命の方が大切かなんて。手に取るように分かるよね?」
切っ先が、薄皮を裂いて血の塊がぷっくりと膨らむ。
「──ねえ、神子が、神子こそが死ぬべきでしょう?」
「やめろ。ミコは必要だ」
私の声じゃない。私が止めるよりも早く、真っ赤な瞳の少女の腕を掴んだ人がいた。
漆黒の裾に、銀色の刺繍。麒麟のシンボル。
ユーゴさんだった。
普段あまり変わることの無い表情は今、怒りに燃えている。
「ユーゴ、さん」
「目を離すとすぐこうだ。どうしてお前は学ばない」
私に向けて言ったのだと、一拍遅れて理解した。
私とそっくりの少女から刀を奪うと、遠くへと投げ捨てる。ぽちゃんと音がして、刀が地面の中へと沈んでいった。
(飲み込まれた?)
骸になっていたはずのナハトチュンは、その腕の中にはいない。
「っ離せ!憂麒……!」
「──え?」
「卑小なお前なんかよりも、大切だ。俺が強く求めるなら文句が無いのか?命の重さを、よりによってお前が語るな」
後ろから抱えるようにユーゴさんに取り押さえられたもう一人の私が、喚き散らしながら暴れている。
その腕に噛み付かれても、眉一つ動かさない。
後ずさりながら少女を引き摺るユーゴさんは、私からその子を離そうとしているように見えた。
───いいや、憂麒さんと呼ばれたその人。
(どうして今まで名前が出なかったんだろう?)
えーちゃんの設定で、必ず文字のある人物や単語は自動で変換されているはずなのに。この少女の言葉で初めて、ユーゴさんに漢字が当てはめられた。この国では、漢字とは呼ばれていないのだけれど。
「いつの間に巣食った。ここはお前の居場所では無い。出ていけ」
「嫌よ、アタシと神子は同じだもの」
「違う。神子はお前にはならない」
「なるわ。きっとそうなる、だって大切な物のためには、なんだって投げ出したくなるもの」
戸惑う私を尻目に、二人の言い争いはヒートアップしていく。化けの皮が剥がれたように、私の振りをしていた少女が、本性を剥き出しにしていく。
私にそっくりだった顔は歪み、まるで別人だ。
私がしたことの無いような悪い笑顔を浮かべて、上げたことも無い過激な言葉で彼を激昂させる。
二人の間で繰り広げられる口論には入る隙がない。知らないことばかりだから。
私とこの子が一緒とは、どういう意味なんだろう。
(この子も、神子なの?)
「憂麒さん、あの……」
「その名前は違う、俺の物じゃない」
憂麒さん。そう呼んだ私を射抜くような黄金の瞳が睨む。今までに会話したことのあるユーゴさんと、雰囲気が違う。
姿形はまったく同じなのに、何かが決定的に違うのだ。
心の声が、これはユーゴさんとは違うと訴える。
「憂麒!憂麒!憂麒!憂麒はお前しかいないじゃない!どうしてそれまで捨てようとするの?そんなにアイツが恋しい?名前だけでも守ろうと必死になっている癖に。欠片になっても図々しい男、それだからアイツは」
「黙れ」
自分のものでは無いと吐き捨てた憂麒さんを挑発するように、少女が何度も憂麒と叫んだ。
(アイツ?)
首を強く絞めるように憂麒と呼ばれた男の腕の拘束が強くなる。それでも尚、私とそっくりな容姿をしたその子は、恍惚とした表情で私の方へと腕を伸ばした。
「天にも嫌われて、大好きな王にも捨てられて、可哀想ね。早く堕ちてきなさい。地上はこんなにも心地よいのに。きっとそのうち神子にも見放されるわ」
「厄災の分際で天を愚弄するな。貴様に何がわかる」
「分かるわよ。天命なんかクソ喰らえだってことが。だから忌み嫌ってる厄災と同じ場所に閉じ込められてるんでしょう?」
「貴様……!」
ぷつんと、憂麒さんの糸が切れたのが分かった。
ビリビリとした気迫が肌を刺す。きっとこれは、殺気だ。
今にも絞め殺さんとばかりに憂麒さんは少女を強く引き寄せる。じたばたと暴れる下半身は、確実に憂麒さんを痛め付けるように蹴った。ぐりぐりと踵で憂麒さんの足を踏みつけると、甲高い笑い声を響かせる。
先程噛み付いたばかりの腕に指先を突き刺すと、憂麒さんの顔が苦しそうに歪む。
「アハハ。アハハハハ……!麒麟が神獣なんて嘘。ただの獣じゃない。アタシを殺せば、アンタも同じよ」
「黙れ、黙れ……!」
「憂麒さん!やめてください!」
気付けば、走り出していた。
苦悶の表情で黙れと叫び続ける憂麒さんは、明らかに様子がおかしい。
はっとしたように私を掴もうとする手を押し退け、揉み合う二人に、その勢いのまま体当たりをする。雪崩のように少女も憂麒さんも後ろへ倒れた。その上に、私も覆い被さる。
「はぁ。神子、私」
目の前に、うっとりとした私の顔がある。血のように赤い目。そこに映る私は、恐怖とも戸惑いとも取れない顔をしている。
顔を両手で包まれて、額同士が合わさった。
「アタシはずっとそばに居る。貴女が死なないように守ってあげる。だからアタシを殺さないで。貴女が死んだら全部終わっちゃう」
憂麒さんを罵っていた時とは打って変わって優しい声だった。鈴を転がしたような透明な声でその人は私を惑わす。
その頭を、憂麒さんが鷲づかんだ。
長い髪を引っ張られても、私から目を離そうとしない。痛みを感じていないようだった。
違う。
(私のことしか、みてないんだ)
「神子、俺以外信じるな」
「憂麒さん」
「……どうして、その名で呼ぶ」
「だって、この子が」
そう呼んだから。
二の句が告げない。憂麒さんの前髪で隠された輪郭から、雫が伝っていたから。
涙が少女の髪に触れると、狼煙を上げて、その姿が消えた。
悔しそうな顔が、目に焼き付く。
「約束よ」と最後に口が動いた。
けれどそれ以上に、憂麒さんの涙が私の胸をどうしようもなく締め付けた。
この人は、どうしてこんなに悲しそうなんだろう。
「この呼び方、そんなに嫌でしたか?ごめんなさい。直ぐに戻しますから」
「いい。お前はそう呼べ」
「え?」
「もう殆ど忘れられた。死んだ名だ」
「死んだ、名前?」
思い当たる人物がいた。
南䧻ちゃんだ。もう奪われた名だと言っていた。
「南䧻ちゃんと同じなの?」
「南䧻は死んでいない。奪われただけだ」
「じゃあどうしてユーゴさんは」
「もう終わらせてくれ。神子」
堂々巡りだ。こんなの、会話になってすらない。
私の問いに、見当違いなことばかり言う。
そもそも、おかしい。ユーゴさんは私をミコと呼ぶ。
このユーゴさんにそっくりの青年は私を神子としか呼ばない。
背伸びをして、その顔に触れると、憂麒さんが屈んで私の手に触れた。
とても冷たい。体温が感じられない。
(ああ、わかった)
ユーゴさんとこの人の違い。ユーゴさんとこの人は、鏡のように正反対なんだ。
ユーゴさんが隠しているのは顔の右側だけれど、この人は左側を覆うように前髪がおりている。
ユーゴさんは微笑まないけど、この人は見ているこちらが泣きそうな笑みを向けてくる。
ユーゴさんじゃない。
「あれを呼ぶな。必要になれば麒麟を呼べ。必ず助けになる」
「あれ?」
「お前の形を盗んだ厄災。あれはお前の弱みにつけ込んで食うつもりだ」
「あの子が、厄災?」
厄災って、なんだろう。良くないものだということしか分からない。困惑する私を置いてけぼりにして、憂麒さんは長い髪の下の頬に私の手を連れていく。
ざらざらとしていた。皮膚の感触にしては、滑らかではない。
(なんて顔で、私を見るんだろう)
まるで彼の恋人にでもなった気分だ。
大切でしょうがない。愛しいものに触れる手つきで私に語りかけてくる。
この人は、誰。
勘違いしそうになる。
邪な考えを遮るために、あえて嫌がっていたはずの名前を呼んでいた。
「……憂麒さん」
憂麒さんの目が見開かれる。
泣き止んだのに、また瞳を湿らせると噛み締めるように熱い息を吐いた。
「ああ。……ああ」
「憂麒さん?憂麒さんなんですね」
「そうだ。お前には敵わない……いつまでも」
蕩けるような甘い笑顔で額を合わせたと思うと、グッと体が離された。
「神子、王を選べ。その為にお前も俺もいる」
またこれだ。泣き止んだと思ったら、口癖になった天命とやらを繰り返す。祈るように、憂麒さんは目を閉じた。
物理的な距離だけでなく、心まで離されたように寂しくなる。これ以上踏み込むことを許されていない。
少しでも彼に近付きたくて、ほんの少しの好奇心で、その長い前髪の下を覗きたくなった。触れることを許してくれたのだ。あと少しくらい、良いだろう。
そっと前髪をかきあげる。
「神子」と咎めるように呼ばれるが、憂麒さんは私に何をされるのか悟っているようだった。諦めたようなため息が零される。
「え……」
長く伸ばされた前髪は、きめ細やかな肌の境界線だった。前髪で隠されていたその場所は酷い火傷を負ったように爛れ、目を逸らしたくなる。
何よりも、その左目が普通では無かった。
どこまでも深淵だ。
(目が、無い)
瞬きを繰り返す場所。本来であれば月のような黄金が輝くその場所は真っ黒で、何も見えない。
「怖いか?」
問いには、答えられなかった。
だって、優しい月が、足りない。
左目のある筈の場所。そこには、何も無かった。




