28 種明かし
「ぎゃああああああああ!!!」
「ははははは!面白いだろ!」
叩きつけるような強風と波飛沫で、叫び声しか上げられない。楽しそうに振り返った舜くんには悪いが、面白いとは思えない速度だった。
舟にしがみつくのがやっとで、止めてと声をかける余裕もない。
舜くんがズルをしようと言って取り出してきたのは、小舟だった。木で出来ていて、多少細長いが、造りは頑丈に見える。私と舜くん、それから二人分の荷物を入れると窮屈になるくらいのコンパクトさだ。
草の影に隠されていたそれは、舜くんが東から乗ってきたものらしい。
これで時短が出来ると言われて乗り込んだが最後、悪夢のジェットコースターが始まった。何か不思議な力を使って急スピードで水上を進む小舟は、もはや弾丸だ。その中にいる私の三半規管は勿論耐えられるわけが無い。
そもそも、普通の舟ですら船酔いを起こす人もいるというのに、不安定な小舟で、物凄いスピードを出されれば当然、慣れていないものは酔うわけで。
小舟がスピードを落とす頃には髪を乱して舟底へ、へたり込むしか気力が無かった。
対して舜くんは気持ちよさそうに濡れた頭を振っている。犬みたいなことをする人だ。
「悪い、つい気分が乗りすぎた」
「乗りすぎだよ……落とされるかと思った」
「馬鹿言うな。死んでも落とさない」
腕を引っ張られ、舟に背を預けるように体を起こす。舟の後ろについたままだった舜くんがようやく隣へと移動してきた。
大きな川の真ん中には、私達の乗った小さな舟しか見えない。遠い川岸も、人影どころか動物の気配すらしなかった。
(首飾りのおかげかな?)
オールのような板もあったが、結局一度も使われることがなかった。舟を川に浮かべて乗り込んでからずっと、出っ張りに引っ掛けられたまま、放置されている。
ここから先は、川の流れに身を任せるらしい。夜風もある。追い風が小舟をゆったりと目的地へと運んでくれる。
「運が良いな。今日は一度も妖怪に出くわさずに済んだ」
「最初は川を使わないって言ってたよね。そんなに、川には妖怪がいるの?」
「孔朱の川は直接天法山から流れる水だ。その穢れのなさに魚や動物が寄り付きやすい。するとそれを食べに来る妖怪が集まる。だから国境を越えるまでは舟に乗るつもりは無かったんだ。でもユウと歩いてても一匹も遭遇しないし、行けるだろうと思って使った」
舜くんが使ったと言うのは、以前ナハトちゃんの教えてくれた法術の一種だ。人には生まれた時から属する能力があり、舜くんは風がそれだったと言う。小さな頃から修行を重ねたので、ややこしい呪文の羅列や儀式も道具も必要ない程にようやくなれたらしい。それでも長時間は使えない。だから使い時を見極める為に歩いてきた。
疲労を隠せない私に申し訳なさそうに告げた舜くんを責めるつもりは毛頭無い。
たった一日で迎えに来れたのも、法術で舟を飛ばしてきたからだ、と舜くんは言った。徒歩で陸路を進めば長いが、水の上を、それも凄い速度で進めば確かに直ぐに迎えに来れたろう。なんでも、邑から返事を送ったのは今日では無いらしく、ナハトチュン二号───ナハトちゃんのペットは沢山いる───に手紙を渡して見送ったのは一昨日程だったそうだ。一号と二号はいつの間に入れ替わっていたのだろうか。こつんと服の上からナハトチュンが収まっている妖玉をつつくと、静電気が胸に走った。不服らしい。
(一人になる時間がないから、もう少しだけ我慢して)
そう念じると、ナハトチュンが大人しくなる。
妖玉にいる間は私の感情がよく伝わるようで、ちょっとでも気に入らないことを考えるといたずらに静電気を流されるので困ったものだ。
なんにせよ、入れ替わっていたナハトチュンは普通に飛んで国を渡り、私達に便りをくれた。そこでタイムラグがあったわけだ。
ナハトちゃんは引きこもりだ。最近の人間のことを知らなくてもおかしくない。
ナハトちゃんは法術を使う人間は少ないと言っていたがもうそんなことは無いらしい。効率が良くなり無駄が省かれ使いこなされる。
今では、法術は人々の生活に根付き、次第に能力を開化させる者も増えたという。
それで生活がしやすくなれるなら、良いんじゃないかというのが私の率直な感想だ。
(超能力がみんな使える世界って、やっぱりちょっと羨ましいかも)
みんながみんなでは無いらしいが、舜くんを見ている限りそう妖怪の妖力との違いが分からない。
「そうなんだ。東州……じゃないや。えっと、舜くんのいる国の川は安全なの?」
「いいや。最悪だ。昔の東州、……今の慧国な?ずっと昔の四神が、慧国を荒らして身を隠したって噂のせいで、妖怪も怯えて慧国の水場にはあんま近寄らないんだ。特に天法山のそばの湖はデカくて、珍しい植物や魚も取れるって言うのに、その噂のせいで生き物は近付けなくて困ってるよ」
旅支度をしてくれていたネリには感謝しなければ。鞄の中には、私の着ていた制服や貰ったばかりの衣服の他に何日分もの食料が詰まっていた。私が好んで食べていたものが多く、そこにネリの情を感じる。
猪熊の干し肉もあったので、舜くんに分けると、「お前のじいちゃん何者だよ」と疑われたので、隠居したけど昔は凄かったらしいと出来る限り濁して伝える。納得はいっていないようだが、干し肉を口に突っ込むと追及の声は止んだ。
(やっぱり美味しいものには勝てないよね)
話を続けようと、私も咀嚼を終えると舜くんに続いた。
「四神が国を荒らしたの?」
「そう。四神が。俺達が生まれるよりもずっとずっと昔の話。ほとんど伝説みたいなものだけど、事実邑の周りには妖怪が来ないおかげで身を潜める場所が確保出来たんだ。だから多分、本当の話なんだろうな」
「悪さをする四神もいるんだ……」
「四神は良い行いしかしないと思ってたか?……ユウの服は、孔朱の服だな。朱を好んで着るのは朱雀贔屓の孔朱の民に多い」
「うん。これは孔朱の人達のお下がりなの。孔朱の四神、朱雀は悪さをしないの?」
袖を広げると、朱く染められた模様が水面の光を浴びていっそう映えた。
これは朱雀をイメージしていたのか。ネリも朱雀に憧れを抱いていた。それが里の人間の影響だとしたら納得が行く。
確かに朱雀の身につけていた衣服はこれに似ていた。それも孔朱の伝統服なのかと思い込んでいたが、どうやら逆だったらしい。朱雀の衣服を真似たのが、今の孔朱の流行りなのだ。
色にも四神が関連してくるとは思いもよらなかった。この国々は、想像以上に四神や妖怪という存在が身近なんだ。
特に色の入っていない身なりの舜くんは、どの神も信仰していない口ぶりだった。それにしては、この話を引き伸ばす。
「噂では、良い奴だと思う。悪さをしたとか聞いた事無いし。あんまり姿を見せないんで余計に神格化されてるってのもあると思うけど」
「そっか」
朱雀も誤解されていたりするのだろうか。そう思って朱雀の噂を聞くと、悪い物は無いという。
ほっとした。あんなにも心優しい朱雀が、悪い四神だと一括りにされていなくて良かった。胸をなで下ろした私を見て、干し肉を食べ終えた舜くんが、問いかける。
「ユウは、朱雀が好きか?四神が好きか?」
感情の分かりにくい声色だった。舜くんは常に笑顔を浮かべているが、時々それが胡散臭く見えてしまう時がある。何が、と言われるとはっきりとした答えは出ないが、予感がするのだ。
これは本当じゃないという、漠然とした不安が。だから舜くんに怯え、挙動不審になってしまう。
訳が分からなかった。こんなにも人当たりが良さそうな少年に恐怖を感じた理由が。
「朱雀は、優しいと思う。他の四神は分からない」
素直に答える。朱雀しか、四神に出会ったことは無い。正確には、白虎という四神に一度遭遇しているが一瞬のことだったし、会話も出来ない四神だった。
会話を交えて、触れたことのある四神は朱雀しかいない。その朱雀は、得体の知れない私に文字を教え、傷を癒してくれた。そして、絶対に守ると言ってくれた。
そのおかげで今こうして生き延びて舜くんと東、いいや、今は慧という国だったか。慧国に向かっているところだ。
たったそれだけの交流でも、優しい少年なのだと分かる。もう朱雀には恐怖を感じない。好きか嫌いかではなく、優しいと思う。
他の四神に関していえば、知らないので分からない。
それが私の答えだった。
「そっか。そうだよな。普通四神なんか見たことも無い、知ってもいないのに信仰するやつばっかだから、なんか安心した。ユウは、ちゃんと考えを持ってるやつなんだ」
舜くんは、嬉しそうに笑った。
「私が?」
「そうだ。生まれてから一度も見たことの無い妖怪を信仰するなんて変な話だと思わないか?」
「私は、確かに盲目的に信仰しろと言われたら出来ないけど。でも、何を信じたいかは人それぞれ自由でいいと思う」
「……ユウは変わってる。普通俺の話を聞いたやつは怒るか、強く同意されるか二択だぞ。まあ、怒るやつが大半だけど。どちらも選ばない人間はユウが初めてだ」
「舜くんは、四神のことが嫌いって言ってるように聞こえたから。でも、嫌いって言われるのはイヤじゃない?」
「どうしてそう思う?」
「なんとなく。そう見えたから」
感覚の話ばかりして、どちらとも言えない答えばかりだす自分の優柔不断な所は自覚していた。けれど、そう直感したのだから、しょうがない。
舜くんは国を荒らしたという四神の話をする時は怒りをぐっと抑えているような迫力があった。けれどその一方で、朱雀の話をする時は、仲の良い隣人の噂話をするように好意的にも見えた。相反する感情を同じ笑顔の下で持っているのではないかと思った。
そう上手く答えられなかった私に、舜くんが意表を突く。
「そうか。そう見えたのか。じゃあ、ミコの言う通りだろうな」
「……ッ!それ、どうして」
咄嗟に身構えた私に、舜くんがあっさりと触れてくる。ナハトチュンは動かない。
「里の女の子、ミコって名前でユウの事呼んでた。俺は聞かなかったことにしてやるけど、気を付けろよ。伝説がどうとかでその名前は厄介だぞ」
「うん、知ってる」
やはり舜くんはなんの害も無い人間だ。私がモヤモヤした疑惑を抱いても意味が無いだろう。
迂闊だった過去の自分を責めても何も始まらない。聞かなかったことにするという舜くんの言葉に甘えて、頷いた。
「でも、良い名前だ。俺は神子とか詳しく知らないけど。お前に似合ってると思う」
「……ありがとう」
────ミコ。それ以外、私を形取る名前は有り得ない。
心のどこかでそう訴える私がいた。




