礫砂の花
ひとつの街、多くの人を救ったテリルとガニスたち。旅は続く。遠い記憶の中に、人々の明日の希望。しかしそれはどこにあるのだろう。
人間は 現在の自分を拒絶する 唯一の生き物である
人間の奥底には 生きる意味を 「死に物狂い」で 知りたがる願望が
激しく 鳴り響いている
――カミュ
ローバーが何度目かのエンジンストップで、完全に動かなくなった。
ボンネットを開け、中をガチャガチャいじっていたガニスがスパナをエンジンに叩きつける。
「このクソったれのポンコツが。こんなとこでぶっ壊れやがった」
「ここまで連れてきてくれたこいつに、感謝の言葉はないのか?」
テリルは自然とそういう言葉が出るらしい。それは批判めいた、というより諭すような言い方だ。普段のガニスの性格なら、取っ組み合いになるところだが、テリル相手だとそうもいかない。第一、勝てるかさえわからないのだ。
「ちっ」
ガニスは舌打ちをすると、装備や荷物をまとめはじめる。ここからは徒歩だ。レイナ軍曹とレナード大佐もそれぞれ荷物を持つ。
「お前は何も持たんのか」
ガニスが怒鳴る。もちろんさっきのお返しのつもりだ。
「荷物を持つ、という定義なら、あたしは何百倍も荷物を持っている計算になる。それ以上ということならお前に質量の何たるかを教えなければならない。見た目という感覚器官で言っているのなら、それの是正について話し合わなければならないが」
「何言ってるかわからんが、その肩にぶら下げているへんてこな銃以外に、お前が持ってるものってないだろう?仲間なんだから少しは助け合おうって気持ち、ないのかてめえには」
「殺傷権を持つものを、いつから仲間と定義するようになったんだ。それに手は開けておかないと急な対応ができない」
そうだった。テリルはわれわれをいつでも殺せる。躊躇なく、だ。おまけにアトラスというバイオノイドは、われわれを殺したくてうずうずしている。いまは極北にある機械都市『クロック』に行くという目的がテリルにあり、それにわれわれが同行する、ということがテリルに面白いことだと思われている。われわれはそんな理由で生かされているだけなのだ。
ガニスはテリルに対して芽生えた感情がなんなのか、わからなくなった。一番近い答えとして、恐怖への憧れ、のようなものかも知れないと漠然と考えていた。
テリルは車の中から四角いザックを取り出し、背負った。本当にこいつの行動はわけがわからない、とガニスは思う。いま、荷物を持たないと言っただろうに?
「クッキーは持つ。あたしが食べるからだ」
ガニスはまた頭の中を読まれた気がした。
「そっちのでかい兄さんは持たんのか?」
「ワタシハ ショクリョウヲ ヒツヨウト シナイ」
「あーそうかよ」
「アトラス、そこの機械を持ってやれ。高周波発生装置はこいつらには必要だろ」
「ヤレヤレ」
段々と人間の思考に近づいてきやがる、とガニスはこの大きなバイオノイドに思った。
砂礫の丘を越えると崩壊したビル群がみえた。かつて都市があったようだ。
ガニスたち4人と1体はそこへ向かって歩く。そこを今夜の寝床にするつもりだ。
「レイナ、反応は?」
「ないわ。機械も虫も」
「あの高いビルに籠ろう」
崩壊があまり進んでいないビルによじ登る。日が暮れてきた。
レイナは軍用コッヘルに水を入れバーナーで湯を沸かすと、なかにドライフードを入れる。やがてシチューの香りが漂う。腹が、鳴る。ガニスと大佐が来てそれぞれ器を出す。テリルとバイオノイドは朽ちた窓辺に腰掛け、外を見ている。
「へんね。テリルが真っ先に来ると思ったのに」
「人間は過去に食べたことのあるものを記憶する。味はもちろんだが、形、色、におい、もだ。何かの拍子で記憶が失われて行っても、最後まで残るのは匂いの記憶なのだ。これは生死に直結するからだ」
大佐が、寂しそうに言った。
「食ったことねえのか。やれやれ。おい、お姫様。お食事だ。早く来い」
ガニスは窓の側にいるテリルに言った。
4人で向かい合いながら食事をする。むかし見た光景だとレイナは思った。
ある、寒い朝、それは訪れた。レイナがまだ5歳の時だった。核爆発。遠い外国のことだと思っていた。こんな田舎にそんなもので攻撃されるなんてありえないと父は言っていたのに。それからこの星はずうっと冬のままになった。家畜は死に、農作物は育たない。人がどんどん死んでいった。
4人の食卓はそれでも続いていた。食べるものは減ったけど、生きていくには充分だった。父はいつも笑っていた。こんな時だからこそ、と言っていた。母は優しかった。レイナの食べこぼしを笑顔で拭いた。姉は陽気だった。強くて美しい姉だった。レイナはいつも憧れていた。
田舎にも軍隊がどんどん通るようになってくる。軍用の車両やトラックが何台も家の前を通って行った。
しかし行くだけで、帰ってくる車両や兵士はいなかった。窓から父が外をのぞく時だけ、父の顔から笑いが消える。やがて通る車両も兵士もいなくなった。
ある、寒い朝、それは訪れた。最初は小さな、やがて大きな虫たち。生き残っていた人たちを次々と襲い、食べた。人々は戦ったが、数が多すぎた。人々は家を閉め、窓をふさぎ、隙間を埋めた。レイナの家は建築技師だった父が作ったコンクリート製の頑丈なもので、虫は入ってこられなかったが、他の家は次々と襲われていった。やがて人の声もしなくなった。4人の食卓は続いていたが、いよいよ食べるものが少なくなった。
ついに食べる物がなくなった。父は外に出ようとした。出て、街の中央にあるマーケットに行くという。ついこの間まで、母と姉で行った、大きなセルフマーケットだ。レジが何台もあり、レイナはチョコレートとキャンディーをたくさん買ってもらった。姉はシナモンとかドライフルーツとかお菓子作りの材料を仕入れている。母はいつも、まったくもう、という顔をしながら、優しい笑みを絶やさなかった。そんな家族は必死に反対した。外に出れば虫に襲われる。でも知っていた。襲われなくてもやがて餓死する。
父は出て行った。車がものすごいスピードで走っていった。レイナたちは泣いた。長い時間が過ぎた気がした。やがて父の車が戻ってくると、家の前で止まる。たくさんの荷物を抱えた父が帰ってきた。その夜、レイナは久しぶりにお腹がいっぱいになった。
食料がまた尽きた。父はまた行こうとした。今度は誰も止めなかった。一度人間はうま味を味わうと、危険を忘れてしまう。いや、考えないようになってしまうのだ。気をつけて、と母とキスする父。レイナも姉もキスをした。それが父とする最後のキスだった。
母が外に行くと言い出した。レイナと姉は泣いて止めた。だが、生きるためには外へ出なければならない。一緒に行くと言ったが、足手まといになると、姉に止められた。父のときと同じように抱いてキスをした。そしてそれが母との最期になった。
姉が外に出るといいだした。レイナはキチガイのように泣き叫び反対した。だが姉はその美しい顔をレイナにつけて、お願い、とだけ言って出て行った。誰も帰ってこない家に、ひとりポツンといた。どれくらい時間が経ったろう。もう、意識が朦朧としていた。死んじゃう前に、好きな音楽をかけて、聞きながら死のうと思った。予備バッテリーに繋いであったアンプにプレーヤーをつないだ。大きな音だ。普段やったら怒られるな、とレイナは可笑しくなった。少しずつ眠くなった。
ある、寒い朝、それは訪れた。武装した兵士がドアを壊し入ってきたのだ。寝ているレイナを起こし、水を飲ませてくれた。そしてゼリーを。世の中にこれほど美味しいものが、いや、味などほとんどわからず無我夢中で飲み込んだ。兵士が呆れている。やがて装甲車に乗せられ難民キャンプに連れていかれた。
あれから成長して軍に入った。街を守る仕事だったが、特殊な任務にも就かされた。すでに陥落した都市や街にヘリで降下し、物資を運んでくる仕事だ。虫やノーマンと呼ばれるヒューマノイド、そしてある時は人間とも戦わなくてはならなかった。レイナには兵士としての素質が充分あった。やがてレナード大佐の部下となり、さまざまな特殊作戦を経験した。それからあの家には行っていない。どこにあるのかも忘れていた。
「何を思い出してる?」
ガニスが聞いてきた。スプーンを持つ手が止まっていたのだ。
テリルは何も言わない。きっと頭の中を見られているはずなのに。こんな記憶じゃ、何か言う価値もないのかも知れないとレイナは悲しくなった。大事な父や母や姉の記憶。わたしが死んだら、だれがこの記憶を受け継いでくれるのか?だれがわたしのことを覚えていてくれるのか?そんなことを考えるうちに、食事は終わった。テリルは最後まで口をきかなかった。
「そろそろ出発だ」
朝になり、装備をまとめ、地上に降りた。何も変わらない景色。再び歩きはじめる。いくつもの街の残骸を通り過ぎた。
いくつ目かの残骸でレイナはハッとした。見たことのある景色だ。街らしき中央にマーケットのような建物の跡がある。知っている。ここはあたしがいた街だ。この通りを真っ直ぐ行った角を曲がったところに家があったはずだ。レイナは走り出した。みんなもわけもわからず走り出したレイナのあとを追った。テリルは相変わらず何も言わなかった。
家があった。頑丈なせいで、いまもボロボロだがあった。恐る恐る家の中に入ると、あの朝と何も変わっていなかった。急に涙が出て来た。他のみんなは家のなかには入ってこなかった。
「どうしちまったんだ、レイナのヤツ」
「われわれが知らないだけで、彼女にも辛いことがあるんだろう」
ガニスに大佐がそう言っているのを、黙ってテリルは聞いていた。
街を出て、少し元気を取り戻したレイナは先頭をしっかりと歩いている。砂礫が音を立てる。粒が粗い。虫たちにまだこなされてないのだ。
いきなりレイナの足元が崩れた。「あっ」とレイナが叫び声をあげる。穴が開いてレイナが引っ張り込まれる。虫の足が見えた。
「ちきしょう、このやろう」
「まて、撃つなっ。レイナに当たるっ」
ライフルを構えたガニスに大佐が叫ぶ。
「アトラス、シュート」
バイオノイドのガレットが見当違いなところを撃つと、そこから気味の悪い虫が這いだしてきて、死んだ。
テリルは砂礫を掘り出した。
「まだ引き込まれたばかりだ。助かるかもしれない」
バイオノイドはあたりを警戒しているようだ。ときおりガレットを撃っている。
ガニスと大佐も砂礫を掘る。掘り続けるしかない。何分経った?もう窒息する時間だ。テリルは続けている。何分?いや、もう相当時間は経ったはずだ。もういい。もうダメだ。もう死んだんだ。
「やめよう。無駄だ」
ガニスがうなだれる。大佐は続けているが、次第に緩慢になる。
「なにが無駄なんだ?どうしてそう言い切れる?あきらめるのか?なかまなんだろ?」
テリルは掘りながら言った。
「もうダメなんだよ。いくら掘っても。あいつはもう生きちゃいねえんだよ」
「そうやってお前はまた人を殺すのか?」
「レイナを殺してなんかない」
「死にそうになってるやつを助けないのは、殺すってことだろ」
「もう無理だ。もう死んでるんだ。レイナはおまえと違って普通の人間なんだよ。見殺しじゃない。助けられなかっただけだ」
「同じことだ。だがレイナはソルジャーだ。そしてなにより家族の分も生きなきゃならないんだ。そんな奴が死ぬわけない」
「なにいってるんだ、おまえは」
もくもくと掘り続けるテリルの目から涙がこぼれた。
ガニスはそれを見た瞬間、電流が走ったように感じた。
軍用のスコップでテリルと同じところをキチガイのように掘る。掘って掘って掘って。
ガラッと穴が開いた。死に物狂いでガニスが穴を広げる。レイナが横たわっているのが見える。
「うおおおお」
ガニスが喚きながら堀開けると、中に飛び込んでいった。
虫の巣穴のようだ。レイナはまだ息をしている。大佐がロープをたらす。大佐とテリルとそしてバイオノイドがガニスたちを引き上げた。レイナは気を失っていたが無傷だった。ガニスが揺さぶって起こす。目を開けたレイナに水を飲ませる。
レイナは思い出した。あの、寒い朝のこと。兵士が水を飲ませてくれた、あの日のことを。
ガニスはテリルに振り向くと、しっかりと頭を下げた。
「すまなかった。あのままだったらレイナは死んでいた。ありがとう、掘り続けてくれて」
「そいつの記憶に足りないものがあるからな。だから死なせるわけにはいかなかった」
足りないものとテリルはいった?何だろう?レイナは考えた。
「そりゃなんだ、いったい。レイナの記憶に足りないものって」
ガニスが不思議そうに聞いた。
テリルはずうっと北の方を向き、言った。
「希望、という記憶だ。『クロック』にはそれがある」
希望。人類が忘れていた言葉。本当にあるのか?そんなものが?この星にまだ。
テリルの後ろ姿は、果てしない大地を踏みしめる、まるで何かだ。それがガニスには言い表せない。ただ、花のようだとガニスは思った。すべての答えがその『クロック』にあるのか?希望があるのか?行けばそれがわかるのだろうか?
まだ、道は遠い。
希望。パンドラに最後に残っていたもの。それを探しに行く?このさき、さまざまな危険があっても。