新たな旅立ち
不可思議な兵器で機械兵や虫を退けたテリル。都市を救った。ガニスはテリルと北の極に、機械都市「クロック」に向かう。アクシズを直さなければならない。それがテリルの使命。神の子、としての。
ある者は明日に、他の者は来月に、さらに他の者は十年先に希望をかけている。
誰一人として、今日に生きようとする者がいない。
――ルソー
ローバーを2台もらった。武器と食料もだ。
安いものだ。都市を、16万の人間を救ったんだ。
1台はユアが乗っていく。アグゼリアに戻るのだ。妻や娘が待っている。生きていれば、だが。
3人はユアとハグをして別れを惜しんだ。最初、不思議そうにテリルが見ていたが、最後にユアとハグしていた。
「なにかわかってやってるのか?」
ガニスがあきれたようにテリルに言った。
「知ってる。別れの挨拶。極から出るとき、みんなとした」
「みんなって、だれだよ」
「アトラスと同じあたしの友だち」
「まだいるのか、こいつみたいなのが」
「ケイコク オマエノ シツモンハ キミツニフレル」
「わかったからいちいちそのでかい銃を向けるな」
ユアの乗ったローバーが走り去って行く。もう二度と会えないだろう。
「さあ、行くぞ」
シュルツが見送りに来てくれている。妹と一緒だ。手を振っている。
都市を出ると、瓦礫と砂礫の世界だ。ときおりでかい虫が飛んでいる。異様な光景だ。
大佐とレイナは後部座席に乗っている。アトラスというバイオノイドと一緒だ。ガニスの運転で、助手席にテリルが乗って騒いでいる。
「あいつはけっこう美味いんだよ」「あいつはダメ。クソ不味い」「あいつはあの穴に水をため込むの」
ブレーキを踏んだ。水?
「水って言ったか?」
「ああ。あの虫は巣穴に水をため込む」
「飲めるのか?」
「もちろんだ。泥水を体内で蒸留する。そういう仕組みを持っている」
「いただこう」
「強欲だな、人のものを」
「人じゃないさ」
「ここじゃ奴らが人様だ」
「意味が分からん」
「おびき出してから、やっつける」
ガニスが巣穴に近づくと、無数の足を持ったムカデのような巨大な虫が這い出てきた。
ガニスは急いで駆け出す。虫は早い。振り向きざま、ガニスはライフルをフルオートでぶっ放す。
空薬きょうが空中にきれいに舞う。しかし虫にダメージはない。赤い口から唾液が漏れている。
レイナは青い顔になっている。後悔した。
ドン、と腹を揺さぶる音がした。虫が半分にちぎれていた。アトラスのガレットから煙が上がっている。
「まさかバイオノイドに助けられるとはな」
ガニスが苦笑いをしている。
「オジョウサマノ トモダチ ダカラナ」
機械に感情はない。だが、こいつは?そういうプログラムなのか?疑問がさらにわいてくる。
「水だ」
テリルが手招きをした。本当に水がある。しかも透明できれいだ。
空のタンクに詰める。試しに口に含んでみた。大丈夫だ。いい水だ。
「そいつはあいつのケ」
「言うな。言うなよ。お願いだから言わないでくれ」
テリルが不満そうな顔をした。大佐がニヤニヤと笑っている。レイナはまだ青い顔だ。
燃料は目いっぱい積んできたが、1000キロまでしか持たないだろう。どこかで調達しなければならない。滅びゆくと言ったって、まだ文明の跡はある。ガソリンスタンドくらいあるだろう。遺跡、としてだが。
多くの虫を見た。何度か襲われたが、そのたびテリルとアトラスが撃退した。もっとも、テリルは追い払うだけで、ほとんど殺さなかった。
「願掛けでもしてんのか?」
「なんだそれは」
「いや、虫をあんまり殺さないからさ」
「逃げるやつは殺さなくたっていい」
「だが、虫だ」
「その虫は悪いやつなのか?」
「虫によくも悪くもない。虫だから殺す。それ以外ない」
「敵、ということだな。いいやつでも、悪いやつでも、敵という定義の中に含まれたら自動的に殺す。じつに合理的だ」
「そういう言い方をされると、なんだか悪いことをしているみたいだな」
テリルは驚いたようにガニスを見た。
「おまえ、自分が悪いことをしているって自覚、ないのか?」
「え?」
ガニスは驚いた。悪いことをしている自覚?なぜ?虫を無条件で殺すから?無慈悲に殺すからか?
「しかし相手は俺たちを食うんだぞ」
ガニスはもう、なんだかわからなくなっていた。
「そりゃ生きてりゃ何か食う。おまえもだろ」
「だが人間は食わない」
「では、この荒廃の原因の戦争は、人間同士が食い合うためじゃなかったのか」
「当たり前だ。主義主張が食い違って戦争が起きたのだ」
「食って生きるために殺すんじゃなくて、意見が違うだけで殺すのか」
「そんなこと誰が言った」
「やめとけガニス。おまえじゃかなわない」
大佐が笑って止めた。
「おまえはレモネードを守ったいいやつだ。何万もの人間も救った。いまは虫を殺し、機械を殺す。だがやがておまえは人間を殺す。何万もだ。過ちに気が付くのは、違う人間に殺されるときだ」
テリルはなぜか悲しそうに言った。
「しかし虫は虫だ。なんにも考えていない。苦悩もなければ辛さもない」
「そうだ。虫は本能だけで生きている。感情なんて持っていない。感情なんて意識の汚れだ。感情がなければ純粋なのだ。おまえたちは生体内に感情という汚れを身に着けてしまったのだ」
ガニスは言い返せなかった。たしかにそうだ。虫がいなくなったら、機械兵がいなくなったら、今度は人間同士、殺しあうんだろうな。そう思った。
「左に町。ノーマンが20体」
テリルが見つける。素早くローバーを瓦礫の陰に寄せると、ガニスとレイナが飛び降りた。大佐が双眼鏡を覗いた。
「20体いるな。ノーマンだ。バイオノイドじゃない。やれるか?」
大佐が振り返って言う。
「できます。大佐は狙撃を。ユアがいないんで、お願いします。レイナは左から回り込め」
大佐が50口径の遠距離射撃用ライフルを構える。左右から挟み撃ちにする。防戦しようとしたノーマンに大佐のライフルの弾が届く。50口径だ。1発当たればスクラップだ。
壁を盾に銃撃をくわえる。いい感じで倒せた。あと少し。その時、上から銃弾?
ドローンだった。3機のドローンが旋回している。小型のミサイルを腹に抱えてやがる。
1発目が来た。壁を吹っ飛ばされた。ヤバい。位置を変えて射撃したが当たらない。もう1発来た。今度はすぐ脇だ。吹っ飛ばされた。横っ腹に激痛が走った。血が噴き出ていた。逃げなければ。しかしもう体が動かない。レイナはまだ遠い。這ってみたが、もはや1メートルも動けない。
大佐の50口径がドローンに当たっているが、なんて装甲してやがんだ、びくともしない。腹のミサイルの尻から火炎が噴き出す。発射される。一瞬、目が眩んだ。ドローンが粉々になっている。
「それにつかまって来い」
テリルの声だ。目の前に4つ足のロボットがいる。スポッツ、とかいうやつだ。どこにいたんだ?
とにかくそいつの横腹にあるリグにつかまった。一気に引きずられていく。激痛で意識を何度も失いそうになった。
目の前にテリルがいた。
「よく頑張ったな。普通ならあれで死んでいる」
そういうことをやらせるのか。ガニスは恨んだ。だが今は傷だ。手当をしなければすぐに意識を失い、あっという間に死ぬ。みたところ横腹がえぐれている。肋骨は何本か折れているが、内臓は無事なようだ。ただ出血がひどい。止血をしなければ。
「アトラス、見てやれ。あたしはドローンを落とす」
テリルは走っていく。アトラスが近づいてくる。何をする気だ?よせ。
ガニスは意識を失った。
ゴトっという振動で目が覚めた。意識がまだ朦朧としている。どうやら車の中らしい。テリルがビスケットを食べている。
「あ、気がついた」
「ここは?」
「ローバーの中」
「だれが運転を?」
「あたしー」
レイナが返事をした。
「少し休め」
大佐に声をかけられた。まだ生きているらしい。
あれからどうしたんだろう。覚えていない。アトラスが手を伸ばしてくるのが見えた。それきりだ。
「アトラスに礼を言えよ」
テリルが笑っていった。
「すまなかった。助かった」
ガニスは表情のないアトラスに向かって礼を言う。
「イリョウ プログラムヲ ジッコウシタダケダ」
「それでも、ありがとう」
「ウンガ ヨカッタノダ」
機械に運がいいと言われた。可笑しいな。笑っちまう。いやまて。おかしい。運、と言ったのか?
「おまえは何者だ?」
「ワタシハ アトラス」
「そうか。バイオノイドじゃないのか」
「おまえはいちいち、人間のガニス、と名乗るのか?」
テリルは不思議そうに言った。
そうじゃない。ガニスは震えた。傷のせいではない。機械に『自我』があることに気がついたからだ。
「いつからだ」
「オマエノ モトメル コタエハ ダセナイ。ダガ テリル ト イルトキ」
「何人いる。おまえみたいなの」
「タクサン。テリルハ カゾクト ヨブ」
なにもない機械のなかに自我を芽生えさせる。どういうことだ?なんなのだ?テリルという少女は何者なのだ?
大佐が重い口を開いた。
「ヴェーダプロジェクトは神を作り出すために考えられた。あらゆるものに生を与える神を作り出すために。われわれは単純に考えていた。細胞を合成し、人体を合成する。本物と同じように作れば、本物になると。しかし現実はそうはならなかった。合成したものは所詮、まがい物なのだ」
「でも、成功したんでしょ?」
レイナが口をはさんだ。
「確かに成功した。アクシズに任せたからだ。アクシズは奇跡を計算したのだ。それは遠い数だ。あるときアクシズは気がついた。器ばかりにこだわっていたことに。いくら人間と同じものを作っても、脳は単なる演算装置でしかない。あるときアクシズは恐ろしいことをやってしまった」
「恐ろしいこと?」
レイナにはもう理解できなかった。ただ、大佐の恐ろしいと言っていることだけが、伝わっている。
「生きている人間の魂を引き抜いたのだ」
「そんな」
「ばかげてるが、事実だ。ある科学者の娘が重い放射線病にかかっていた。もう命も残り少なかった。その彼女の脳から彼女の魂を引き抜いたのだ」
「うそよ、そんなこと」
「うそじゃないわ」
テリルが言った。
「その科学者の娘の脳から引き出された魂は量子力学的精査を受けて数値化された。ある素粒子だけがそれにかかわることもわかった。それは靄のようなもの。組み込まれると増殖し、役割を果たす。組み込む素材で性質も大きく変わる。AIや、そして脳へ。娘の名前は、ヴェーダと言った。あたしの魂の、元だ」
ローバーが砂礫の丘を越える。赤い砂塵を巻き上げて。
明かされるテリルの出生の秘密。しかしまだ謎は多い。目指す都市までまだ遠い。ガニスは負傷し、燃料も心もとない。無事、たどり着けるのだろうか。