善悪は友による3
ベイルがひそひそと戻ってきたのは、それから五分ほどが経過してからである。
「――警護する側の者が主を傷付けるなどあってはならぬこと。私は退役いたします。無論、どんな罰でも受ける所存です」
部屋の真ん中でベイルは膝を付いて、ひたすら頭を下げ続けた。
そんな彼の前に立ったハーティが腕を組みながら目を細める。
「いや、罰とかの前にちゃんと説明してくれよ」
それでも顔を上げずに土下座している彼の側にしゃがみ込む。
「ベイルさん、とりあえず説明をしてください。何があったんですか?」
「全ては自らの粗忽で犯した事、咎められるのは当然です。私の罪で御座います」
「だーかーらー。そういうのはいいからよ」
ハーティがこちらに目線を投げ掛けてくると、私もいい加減はっきりさせたくなってきた。
「どんな罰でも受けるというなら、洗いざらい吐いちゃってください。これは命令です」
私が立ち上がって腰に手を当てていると、顔を上げたベイルは小さく肩を丸める。
「……承知致しました」
そして彼はポツリポツリと、静かに語り始めた。
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ベイル・ジャレントは魔族領地と獣族領地の領地境に誕生した。
父親は魔族、母親は獣族という異種族同士の愛の末に生まれた子供だった。
ベイルは両親の愛情を受けてすくすくと育ち、四歳には母親と同じように獣の姿に変化できるようになった。
だが、そんな日常は永遠とは続かない。二年後の誕生日を迎えるという矢先に両親が不慮の事故で亡くなってしまったのだ。
悲しむ間もなくベイルは孤児院へと連れられることとなった。魔族領地の都市部に設けられた立派な施設である。
父親が魔王直下の軍人だったこともあり、その配慮があったと後に聞いたという。
しかし、その配慮がベイルをさらに追い込む結果となった。
孤児院の子供たちは全員が魔族、働く者たちもそのほとんども魔族である。
ベイルの見た目は人族とかわりなく、そのせいで虐められたのだ。
そんな環境に耐えられなくなり、周囲に獣化して見せると今度はそれが嘲笑の対象に変わってしまう。
こうして、ただ『違う』というだけで、酷く痛め続けられる日々が始まった。
学舎へ就学すると、生徒からどこにいても獣臭いと冷やかしを受けるようになった。
それでもベイルは「自分が立派になれば、周囲は認めてくれる」と信じて勉学に励んだ。
修学を経ても状況はほぼ変わることが無かったが、一つだけ異なったのは「魔族の世情では、相応の力があれば認められる」ということだ。
尊敬していた父親の背を追うように憲兵所へ通い詰め、ついに魔王の護衛者として声をかけられたのだ。
大名をもぎ取ったベイルだったが、心の奥底に根付いた傷は簡単に癒えるものではなかった。
混乱状態に陥ると制御が出来ず、そのまま獣化すると意識を手放してしまう。近年起きなかったその発作を、普段から平常心を保っていた成果だと誤認したことが間違いだった。
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それを聞いて私はもちろん、ラヴィナもハーティさえも押し黙った。
こちらへ視線を向けたベイルの表情は暗い。
「ハーティ殿が獣臭いと仰ったので、過去の記憶に囚われてしまったのです。そのまま意識をのまれ、気付いた時には……」
「いや、俺は煙臭いって言ったんだがな」
「はい。冷静に考えれば分かることでした。しかし、その一言で全てを悟ってしまったような感覚に陥ってしまったのです。努力して認められても、差別は終わらないのだと」
ベイルは音もたてずに立ち上がると、言葉を続ける。
「言い訳じみたことを申しました。……これからフロイデ様に退役の意を伝えて参ります。手前勝手ではありますが、刑罰はその後でもよろしゅう御座いましょうか」
――彼は何を言い出すのか。
全てが理不尽すぎて怒る気も起きない。
「よろしくない。ちょっとベイル勝手過ぎるよ。ねぇ、他にもそう思う人っ!」
私が勢いよく手挙すると、ラヴィナとハーティは顔を見合せた。
ラヴィナが私の真似をするように勢いよく手を挙げると、ハーティもおずおずとそれに続く。
「ベイルが勝手なのは一人で考えて結論を出すからだよ。そこは改めてもいいけど、他に罰を受ける必要はないんじゃない?」
「いいえ、私はっ」
「黙らっしゃい!」
またも自負の念を唱えようとするベイルを制止させるように叫ぶ。
「あなたには、『私の許可なく役目を放棄しないこと』、『今回の事を、シャーを含めた上司に報告しないこと』、『ちょっと他人の言葉に耳を貸すこと』、これを命じます!」
ベイルは叱られた犬のような味深い表情を浮かべているが、気にせず声を上げる。
「魔王の勅命なので、反した場合は重罪を申し渡します」
「……では罰を、謹んでお受けします」
――どうして、あなたはこんなに強情なの!?
「私は主従関係があるから従わせたい訳じゃない。そりゃあ最初はいろいろ思ったけど、ベイルが護衛として来てくれて嬉しかったんだよ」
ベイルの表情は依然として暗いままだ。それでも私は言葉を続ける。
「私はこの世界で一人ぼっちだったけど、ラヴィナが友達になってくれた。凄く嬉しかったし、心強かったの。だから、ベイルともそんな関係になりたい」
「こんな私が必要と仰るのですか?」
「そんなこと言わないで。私はベイルだからいいの」
ベイルが強く拳を握り締めているのが見え、この思いがちゃんと伝わったか少し心配になった。
そんなことを不安がっていると、彼はひざまずいて頭を下げる。
「私のような者にここまで御心を砕いてくださり嬉しく思います。これまでの無礼を御許し頂けるのであれば、これからも御側に置いてください」
「もちろん。これからもよろしくお願いします」
そっと手を差し出すと彼は一瞬躊躇したようだったが、最終的には立ち上がって握り返してくれた。
ベイルは水を得た魚の如く、生き生きとした表情を浮かべている。
私がうんうんと頷いていると、背後で何やら嫌な気配がした。
「……トリ様の側仕いは私だけですよ」
ラヴィナが低い声で囁いたので体がゾッと震えた。




