外伝~囚縛の子~
私の名前はラヴィナ・ヒューメイン。魔王城で奉仕をしている人族だ。
ここでは、人族領地から連れ去られてきた者は奴隷としての扱いを受ける。
そんな奴隷階級だった両親から生まれた私は、幼い頃から雑事をこなして城を駆け回る日々を送った。
のろま者だと鞭で打たれても、暖かく包み込んでくれる母親の元へ戻ればその傷は癒された。
強くたくましい教えをくれる父親の元へ戻れば、辛いと嘆く感情も鍛えられた。
不当な扱いを受けたとしても、大人から虐められたとしても十分に幸せだった。
しかし、心の支えであった両親が極刑にかけられ、私は咎人の娘となってしまった。その姓を捨てて両親の存在を無かったように振る舞うことしか許されない。
それでもどうにか立ち直れたのは、大好きな二人がつけてくれた『ラヴィナ』という名があったからだ。
それがどんな苦境でも私を癒し、その体を動かす勇気を与えてくれた。
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――ある臣たちは言った。
「奴隷階級の分際で!」
――ある女たちは言った。
「低俗の売女め!」
――ある男たちは言った。
「卑しい人族が!」
この魔王領地でその愛しい名前を呼んでくれる者はおらず、罵られる度にラヴィナはどんどん薄くなって消えていった。
それからずっと彼女は帰って来なかった。脱け殻の体を動かし続けて長い年月が過ぎ、私の心が完全に闇に溶けた頃。
空白だった玉座に新たな魔王が就任し、私にはある命令が下された。王付の下女たちの世話をするそれは、奴隷の身としては大変名誉な務めといえた。
魔王の姿を見る機会は何度かあった。いつも暗い顔をした貧弱そうな娘だ。
たとえ彼女が立派な王であろうとなかろうと、そんなことは私には関係がない。
両親を死に追いやった魔王を憎む私には、彼女を好きになれまいと思っていたからだ。
……あの日までは。
「ラヴィナさん」
廊下の清掃をしていると唐突に背後から声がしたが、私は自分が呼ばれているとは思わなかった。
何かあったかと振り返ると、そこには銀の髪をした少女が申し訳なさそうに体を縮めて立っている。
私は彼女が魔王であることにも一瞬、気付くことが出来なかった。少女にはそれほどまで存在感がなかったのだ。
「ま、魔王様。失礼致しました!」
不思議そうな表情をした小さな魔王の前に慌てて膝を折ると、彼女の声がかかる。
「すみません。名前、間違っていましたか?」
「いえ、私で御座います。――何の御用でしょうか」
「あ、あの。実は迷ってしまって……食事はどこで食べたらいいでしょうか?」
「はい。御案内致します」
私が立ち上がると、魔王はほっとしたように張りつめていた表情を緩める。
しかし、すぐに案内しようとした私に反して、彼女は動こうとしない。じっとこちらを見て困ったように眉を下げている。
「よく見かけるのに名前を知らなかったから、メイドの方に勝手に聞いてしまって。すみません、失礼でしたよね」
苦笑する魔王に私は戸惑いを隠しきれず、何も答えられない。
無礼なのはどう考えてもこちらの方だ。謝罪どころか、名前を呼ばれて嬉しいとまで感じているのに……。
「自己紹介させてください。私、『なんとぅり』っていいます」
名前が上手く聞き取れなくて、動揺していると、魔王が手を動かす。
――打たれる!
条件反射で身構えたが、彼女はその手をこちらへ差し出してきた。
その手をどうして良いものかと迷った。間を置いて、魔王は静かにそれを下ろす。
「えっと、ここの人は握手とかしないのかな……」
挨拶はまだしも、握手まで交わそうというのだろうか。その有り得ない状態に、私は困惑を通り越して混乱状態に陥る。
私はすぐさま、ひざまずいて許しを請うた。そのまま床に額を付けて懇願する。
「申し訳御座いません。無礼な振る舞いをどうか御許し下さい」
「ちょっと土下座なんてやめてください。許しますから、顔を上げてください!」
そっと頭を上げると、魔王のおろおろとして顔が見えた。
彼女は再び私に手を差し出してから口を開く。
「……ラヴィナさん。もし、良かったら私と友達になってくださいませんか?」
『ともだち』その聞き慣れない単語に疑念を抱く。魔王は何を言っているのだろう。
「メイドさんたちは、こう言っては失礼ですが不信感を抱く人ばかりで。ラヴィナさんはいい人みたいだし、良かったら」
そこで私は気が付いた。
見上げた彼女は、懐かしい母の面影を感じさせるような暖かな目をしている。
差し出されていた手にそっと触れると、涙が勝手に流れて落ちた。
「……そんなに嫌でした?」
「いいえ。違います」
いつも通りに気丈な表情を繕えず、私はその手を強く握り返すので精一杯だった。
その日の内に魔王の側仕えとなり、彼女のお世話をさせて頂くようになった。
そうして、初めて彼女自身を知ることとなる。
知れば知るほど、話せば話すほど彼女に惹かれていく自分に気付かされた。
――トリ様は心のこもった暖かなその声で、いつも私の名前を呼ぶ。
その度に私は闇の底から引きずり出され、まるで赤子が世に誕生するように光の世界へやってくる。
きっと、何度生まれてきても彼女は両腕を広げて歓迎してくれるに違いない。
「ラヴィナ」
そうして私の手を取り、誕生を祝福してくれるのだ。
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