外伝~伝承の息子~
アルビレオ・レティド、それが僕の名だ。
昔、まだ自分が幼かった頃、母親がよく古い話を聞かせてくれた。
それは専ら、勇者が活躍する伝承である。
――苦しむ人民を助けて周り、悪の根を討つ。
そんな勇者に、ずっと憧れていた。僕は病弱だった母親を守りたい一心で、本物の勇者になりたいと夢見ていたのだ。
それは九歳の時、愛しい母親がついに帰らぬ人となってしまった。墓標の前で父親が泣き崩れた姿を見て、何を犠牲にしても夢を実現させることを誓った。
それからは日々、勉強することだけに勤しんだ。
村の他家に行っては本を読み漁っては叱られ、細い体を鍛えようと夜に家の周りを走り回って近所の者に保護されたりすることもあった。
そうしたことを繰り返していると、徐々に父親が笑顔を見せてくれるようになって僕のやる気はさらに加速した。
十二歳になると近所の人に僕らを預けて父親が泊まりがけで出稼ぎに出るようになり、姉と二人で過ごす機会も増えた。
社交的で友の多い姉とは対照的に、僕は親しい者もつくらないで目標に向かって邁進を続けていた。
家は裕福とは言えなかったが、僕が「精霊語と魔法を覚えたい」というと、父親は値が張る書物をお金をかき集めて贈ってくれた。
とても嬉しくて、精霊文字でも書かれたそれらを三日かけて読破した。同時に魔法の使い方を覚えると、その魅力にのめり込んだ。
複数の魔法を習得する頃になると、「本当に勇者なんかになれるのか?」と疑惑を持って僕をからかっていた二人もそれを応援してくれるようになっていた。
父親が何かを思い悩んだ様子であることはなんとなくは感じていたが、お互い口には出さなかった。
疲れているのだろうとは思っていたが、好き勝手していた僕にはどうして良いか分からなかったのだ。
そんな父親が突然、金を置いていなくなったのは僕が十四歳の時だ。姉は幼馴染みで年上の男との婚約を報告しようとその帰りを待っていたが、それからとうとう二年が経過してしまった。
姉夫婦と共に暮らしていた僕は、外で労働をして旅の資金を貯め、引き止める姉を半ば強引に無視して家を出立した。
旅には長い時間がかかることもちゃんと理解している。僕が目指すのは魔族領地にあるという魔王城だからだ。
いまだに誰も成し得ない、魔王を倒す決意をしていたのである。
魔王の不評は酷いものだ。歴史上、表立って狩り取られていた竜族ほどではないが、人族が誘拐されて奴隷にされたり、殺されたりすることは今も珍しいことではない。
しかし、人族だってそれを知っていて罪を犯す者もいる。
――苦しい生活を変えようと我が子を人買いに売る者がいる。
――魔族の要求に、隣人の娘を身内の代わりにさらって差し出す者がいる。
この世は荒れているのだ。
だから、僕が魔王を倒して世界を変えるんだ。
全ては人族を虐げる頂点にいる悪のせいだと、この時は信じて疑わなかった。
魔王城で初めて魔王に会った時、僕はまだその少女が仇敵である事実に気付かなかった。
僕を助けたいというその姿は、明らかに魔族のものである。彼女に手を掴まれた時、何とも言い難い嫌な感情に支配された。
魔族だから全て悪い者じゃないことは理解していたけど、それでも彼女を本当に信用していいのか確信が持てなかった。
僕が魔法を放った時、父親が魔王を庇うとは考えも及ばなかった。それどころか、魔王と仲良くしている姿を見せられて困惑したほどだ。
そして、女とベイルがその主を取り合っているのを見て、僕は幼い頃に義兄と姉を取り合ったことを思い出してしまった。
魔族、いや魔王も僕らと変わりないんだと思い知らされた気分だった。
そんな魔王が牢で僕の手を掴んだあの時、純粋に僕を「助けたい」と思って行動したのだとようやく分かったのだ。
だからといって、疑心が晴れた訳ではない。
でも、もしかしたら彼女はこの世を変えられるかも知れない。
そう感じたからこそ、僕は少女に世界を託したのだ。
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