女心と秋の空2
その地下牢は、予想に反して静まり返っていた。警備の兵士すらも見当たらないので、もしや遅かったかと心配になる。
「ウリ様、あちらを御覧ください。彼は人族のように見えますが」
一列に並んだ牢屋の奥の方に、人族のような男性が座り込んでいる。
他の牢屋には人影が無く、例の贄とは彼のことであろう。間に合って良かったと胸を撫で下ろした。
「あなたは人族ですね。大丈夫ですか? 無事ですか?」
そこへ近付いて、錆びた鉄格子を握る。彼は何も語らずにこちらを観察するように視線を動かした。その碧眼になんとなく馴染みがあるなと考えていると、ベイルがどこからか鍵束を持ってくる。
鍵穴にそれを差し込むと、鈍く高い耳に嫌な音を立てて牢屋の戸が開く。足を踏み入れると、彼は立ち上がってこちらを睨み付けてきた。
さきほど男性と思ったが、彼は私と同じぐらいの年齢のようだ。
彼は白色のロングコートを身に纏い、佇んでいるだけなのにとても絵になる姿だ。滑らかな肌色に黄金の髪が映え、まるで物語から出てきた王子様のようである。
こちらに対して「お前は何者だ」と言った彼の声は、表情と同じように凛としていて自信の強さが窺えた。
「初めまして、私は南島羽里といいます。しがない魔族の小娘です」
「はぁ? ナン、ナントゥリ?」
「……トリと呼んでください」
「そっちの男は人族か?」
「私はベイルと申します。しがない獣族です」
ベイルが軽く会釈をすると、王子は顔を強ばらせた。
「獣族か、魔族側だな。……で、お前たちがなぜ僕を助けようとする」
「このままじゃ生け贄にされるから、その前に逃がそうと思って……」
「よけいな事をするな。ここに囚われていればいずれ魔王にっ」
魔王と言われてつい尻尾がピクッと反応してしまった。それを見た王子は眉を寄せる。
「お前、奴を知っているんだな!」
「えあ、えっと、まぁ」
――知っているもなにも、私が魔王ですが。
私がその事実を隠そうと彼から視線を外すと、ベイルが彼に問いかける。
「貴方は魔王に会ってどうするのですか?」
「殺す!!」
殺気の籠った声で言われれてしまうと萎縮してしまう。本気の『殺す』なんて、最近はハーティにも言われてないと尻尾を巻いた。
「……お前たちをどうこうするつもりはない。奴に会わせて欲しいだけだ」
王子はこちらを怖がらせる気はないようだ。声のトーンを落としてゆっくり話す彼は、物騒なことを口走るけど悪い人じゃない気がする。
どうしようとベイルを見ると、彼は静かに首を横に振った。しかし、ここに置いていけば殺されてしまう。
「一緒に来てください。とりあえずここから離れましょう」
私は王子の手を取った。
三人で自室へ入ると、丁度ラヴィナが布を片手に清掃をしているところであった。
「まぁ、トリ様。ご機嫌いかがですか?」
「ああ、ラヴィナ。ちょうど良かった」
ラヴィナに今までの経緯を簡単に説明すると、彼女は王子を見てから頬に指を当てて考え込む仕草を始める。
その時、部屋の扉が叩かれてハーティが顔を出した。
「おう。どうしたお前ら、勢揃いで」
彼はそう言うと欠伸をしながらガシガシと頭を掻く。髪はぼさぼさで表情も虚ろなので昼寝でもしていたのだろう。
「あ、ハーティも協力してよ……って、わわっ!」
私が言い終わる前に、王子に思い切り突き飛ばされた。体制を崩して転びそうになったが、ベイルが体を支えてくれたので倒れずにすむ。
王子はというと、ハーティの胸ぐらに掴みかかっている。
「お前、こんなところでなにやってんだよ!」
それに対してハーティは「アルビレオか……」と呟いた。私は驚いて声を上げる。
「えっ、二人は知り合いなの!?」
その問いかけを無視して王子はまたもや叫ぶ。
「――突然いなくなりやがって。どれだけ心配したと思ってるんだよ!」
今にもハーティに殴りかかりそうな彼の剣幕を見て、ベイルが仲裁に入るように二人の間に入った。
私もたまらず声を上げる。
「ちょっとちょっと。落ち着いて説明してよ」
そう眉を寄せると、ハーティは困ったような表情を浮かべる。王子の頭にその大きな手を置くと、ようやく口を開いた。
「こいつはアルビレオ・レティド。――まぁ、俺の息子なんだ」
――むすこっ!? 子供!? ハーティが親!?
混乱して二人を交互に見る。王子、改めアルビレオは端麗な顔立ちであるが、確かにハーティとも顔の造形は似ている気がする。
彼らに視線を行ったり来たりさせていると、アルビレオは再び闘争心に火がついたように叫び出した。
「親父、ミーティア姉さんと僕をほったらかして、三年間も何してやがった!」
「まぁまぁ、落ち着けって」
ラヴィナもベイルも絶句して、言い争う彼らを眺めていた。
ハーティが嬉しそうにアルビレオの頭をよしよしと撫でると、彼はすかさずそれを振り払う。
「やめろよ、僕はもう子供じゃないんだ。そんなことより、何で魔王城なんかにいるのか説明しろ!」
「ああ、話すと長くなるんだが……。いろいろと職を探してたら、賊に追いかけられて、必死で魔族領地に逃げたらお次は迷っちまって。そこで、そこの魔族のお嬢さんに助けられて、借りを返そうと働いているのさ。なぁ、トリ」
ハーティは口から出任せを言っている。私が不審な目を向けると、彼はニコリと微笑んで頷いた。
よく分からないが親子間の問題なので、ひとまず黙っていることにする。静かに口をつぐんでいると、アルビレオが眉間に皺を寄せた。
「なんだよ、それ」
「急にいなくなって悪かった。ごめん、この通りだ」
ハーティが苦渋の表情で手を顔の前で合わせると、アルビレオは大きなため息をつく。
「僕はいいけど、姉さんにはちゃんと謝れよ」
「ああ、分かった」
ハーティは今まで見たこともないような穏やかな顔をしている。
私がラヴィナに「どうしたらいい?」という視線を向けると、彼女は口を開く。
「あのう。水を差すようで悪いのですが、アルビレオ様は魔王退治にいらしたのでよろしいのですね?」
「そうだ。お前らって奴の下っ端じゃないのか」
アルビレオがそう言った時、ハーティが大袈裟に手を打ち鳴らした。
「――ああ、アル! お前長旅で汚れてるだろ。この部屋な、でっかい浴槽あるんだぞ。入れば?」
「いや、いいって、なんで魔窟で湯浴みなんかするんだよっ!」
ハーティは嫌がる息子を無理やり浴室の扉へ引っ張って行ってしまう。取り残された私たちはただ呆然とそれを見送った。
アルビレオが本当に湯浴みをしているらしいので何やら事情がありそうなハーティの話を聞くことにした。
「お前たちがいろいろと言いたいことがあるのは分かるが耐えてくれ。あと、俺が勇者だってことは秘密にしてほしい」
「なんで?」
「トリ、お前が魔王だってことも黙ってた方がいい。あいつは説得してさっさと家に帰らせるから、頼むよ」
ハーティは必死に手を合わせて頭を下げた。
彼のこんな姿は初めて見る。そう考えていると、ベイルがヒールブーツを鳴らして前に出た。
「簡易でいいので説明を求めます。彼は勇者の真似事をしている。ウリ様に危険が及ぶ可能性が無いとは言い切れない」
彼が聞きたかったことを言ってくれたので、この場は任せることにする。私は何だか胸が詰まって言葉が出てこない。
ハーティは腕を組んで考え込んだが、やがて口を開いた。
++++++
――それはグレイト・ハーティド・レティドが勇者になる前の話。今から三年前のことだという。
ある日、ハーティが庭の手入れをしていると、突然空から何かが落ちてきた。
それは地面に突き刺さると怪しげな輝きを放つ。美しい白鞘に魅了されるように、彼はその剣を手にした。
軽い気持ちでそれを持ち帰ったのだが、異変はすぐに現れた。
夜に夢の中で背に羽の生えた奇妙な女が、剣を持ちながら現れたのだ。
――選ばれし者よ。この聖剣で赴きなさい。救うのが使命だ――。
それからというもの、女は何度も夢中に姿を見せては同じことを唱え続けた。
ハーティもかなり悩んだがそのうち神経質気味になり始めると、覚悟を決めるしかないと決断したそうだ。
娘も息子も十分立派に育ち、手も掛からなくなった頃合いで、金を置いて人知れず旅に出た。
そうすると自然と人助けをする機会も多くなり、人族領地で『聖剣の勇者が現れた』と噂になるようになった。
それは瞬く間に領地を越えて広がると、やがて人々に支持されるようになる。そうして、魔王城へと赴く決意をしたのだ。
++++++
私は静かに考えを巡らせた。彼は出会った頃のような暗い表情をして言葉を続ける。
「俺が言うと親馬鹿みたいだけど、息子は努力家でな。人族なのに魔法まで使いこなす。俺よりよっぽど勇者に相応しいんだ。だからこそ言えなかった」
私にはそれがどれほど大変なのか分からないが、ベイルが嘆声を上げたのできっと凄いことなのだろう。
ラヴィナが口を開く。
「……ではハーティ様は、アルビレオ様をどう説得させるおつもりなのですか?」
そんな厳しい意見を投げかけると、ハーティは苦笑した。
「もう嘘だらけだ。どうにか誤魔化すよ」
それを聞いて煮え切らない思いを抱く。もしも私がハーティの子供で、親に嘘で丸め込まれるなんて嫌だ。
それでも彼に、「何も言わないでくれ」と先に釘を刺された。どうにも先ほどから気分が悪い。どうしてだろうと胸に手をやった。