高校生で、一人暮らししている俺のアルバイト生活(疲弊)5
レジの前に立っている女性を見た途端に身体中に電流が走る。同時に恐怖が俺を包み込んだ。
彼女の女神のような微笑み見せられれば、男であればどんな頼みごとだって叶えたくなるだろう。
しかし、俺からしたらその微笑みはいたずらな悪魔を連想させる。
一体何を考えているか分からないがこれだけは言える。
姫華先輩は俺で遊ぶつもりであると。
「あらあら、廉君奇遇ね。ここで働いてるの?」
「えぇ、まぁ。姫華先輩は本を買いに来たんですか?」
「私は綾ちゃんからメールで廉君がここで働いてるって教えてもらったから、廉君をからかーー廉君で遊ぼうと思って」
十秒前の発言を思い出してください。明らかな矛盾がありますよ。
あと言い直してますけど、殆ど改善されてません。
「姫華先輩。流石にやめてください。俺だって生活のために働いてるんですから。それに店長にも迷惑がかかるんで」
何かされる前に釘をさすと、シュンとする姫華先輩。
様子がおかしい。
「わ、私……本気で、言ってるつもりじゃ、ない、のに」
潤んだ瞳。許容量を超えた目尻からツーっと一筋の涙が溢れる。
待っていつもの調子なら絶対そんな反応しないじゃないですか。
「廉君、邪魔しちゃって、ごめん、なさい。せめてお店に貢献出来るように、一冊買って帰るから」
涙を必死に堪え、一瞬だけ笑顔を作ると口元を押さえて悲劇のヒロインさながらに立ち去った。
見ていたお客さんやバイトの先輩の視線が凄く痛い。
俺は悪くないよな!? …………よな?
「あーあ、れっちゃんが女の子泣かせたー。おねえちゃん悲しい」
またいつの間にか俺の背後にいた姉(自称)は深くため息を吐く。
「い、いや。そんな泣かせるつもりじゃ。それにいつもだったらあんな事で泣かーー」
「男らしくないなーれっちゃん」
今度はどこからともなく滝本さんが現れ、俺の肩に手を置いて首を横に振っている。
「滝本さんまで」
「れっちゃんは女心ってのは複雑なんだ。いつもってのはどうせ学校の中での話なんだろ? でも今はアルバイトをしているとは言えお互い個人的な時間だ。そうなれば心情だって少しは変わってるだろう。そんな中で仲の良い子に『邪魔だ!』って言われれば傷つくよ」
「いや、邪魔とまではーー」
「言い訳は結構。次あの子が来たらちゃんと謝るんだよ」
何故だか俺が悪者扱いだ。
しかし姫華先輩にあんな表情をさせたのは事実だ。
俺だってあんな顔をさせるつもりなんてなかった。
「分かりましたよ。ちゃんと謝ります」
「よろしい」
「あ、あの」
滝本さんの説教が終わったタイミングにおずおずとしている姫華先輩が宣言通り一冊の白い本を抱えて戻って来た。
美鶴さんと滝本さんの視線が俺にささる。
分かってますから。
「姫華先輩。その……さっき少しきつい言い方になってしまって、すいません!」
「あ、頭を上げて廉君! 私は気にしてないから」
頭を下げると、慌てている姫華先輩。
「いえ、そういうわけにはいきません。ちゃんと謝らないと」
「……なら、これをお願い」
俺に見える位置に買い求めの本が置かれた。
「私いつも店員の人に印刷がミスがないか数ページ確認してもらってるの。それをしてもらえる?」
頭を上げ姫華先輩と向かい合う。
その顔は優しく微笑み、悪意など全く感じ取れない。
「分かりました」
「うんうん。どうやら仲直り出来たみたいだねれっちゃん。女の子の要望には誠心誠意を持って応えるんだよ」
「もちろんです」
そう言って滝本さんは別の仕事があるのか、他の場所へと移る。
「れっちゃん。ファイト」
「いや、美鶴さんも戻りましょうよ」
「今はここを任されてる。その証拠に滝本さんに連れ去られてない」
その判断基準は普通おかしいのだが、その判断基準が俺の中では割と信憑性が高かいんだよなー。
「廉君まだかしら?」
「あ、すいません」
本を手に取りタイトルを確認する。
どうやら人間の体について詳しく書かれた本のようだ。
姫華先輩は医療関係の仕事に興味があるらしい。
この時期から医療の勉強なんてすごいな。
「あ、待って廉君。確認するのは三十五ページ目だけでいいから」
表紙を開こうとした瞬間ページ指定が加わった。
当然俺は首を傾げたくなる。
「わざわざページ指定してるんですか?」
「ええ、いつもそうよ。あと声を出して読んでもらってるの」
音読もか。
まぁやり方なんて人それぞれだし、姫華先輩の納得のいくやり方をしてあげよう。
「分かりました。えーっと、さんじゅうー、がページはーっと……」
ペラペラと本をめくる。
十……二十……三十、五はここか。
「……あの、姫華先輩。別のページでお願いします」
「どうしてかしら? ただ確認してもらうだけなのに……もしかして印刷ミスしてるの? 廉君はそんな商品を売りつけたいほど私が嫌いなの!?」
手で顔を覆った姫華先輩。
「何かしら?」「修羅場? 修羅場ってる?」「あの店員ひどいわね」「あんな美人をいじめるなんて」「いや、その前に印刷ミスしたやつ売ろうとするなんて」
また視線が突き刺さってる。それにヘイトもどんどん溜まってく。
違うんです皆さん。これには深い事情があるんです。
今開いてるページ何が書かれてるか知ってます? 性に関する事が事細かく書かれてるんですよ。
どうせこの内容声に出したら「何あの店員。セクハラ?」みたいな事を言いながら冷たい目を俺に注ぐでしょ!? 俺分かってるんですからね!
そもそもなんてピンポイントでこんなページをーー待てよ廉。一旦落ち着いて頭を冷やすんだ。
何かおかしくないか? この本はコミックスか? 違うだろ。
じゃあ何だ? 単行本だ。
コミックスは包装がされてるな。じゃあ単行本にも包装がされているのか?
答えはノーだ。紐で縛っているわけでもない。
店員に頼まなければ中身を確認する事は出来ないか?
答えはノーだ。お客さんが手に取って開く事が出来るし、店員はそれを止めるわけでもない。
じゃあここで整理しようじゃないか。
自分の目で印刷ミスを確認出来るにも関わらず、姫華先輩は俺に頼んだ。
加えてわざわざページを指定し、声に出すよう要望した。
そこから導き出されるのは……姫華先輩やってくれましたね。
いや、まだ早計だ。
もしかしたら俺の言葉に傷ついて早く退店しようとして焦ってたのかもしれない。
「…………ぷっ……」
はい黒確定。
手の奥から笑い声が漏れましたよ姫華先輩。
どうせ最初のあれも演技だったんですよね。いつものならあんな反応するはずないですもん。
全部ここまで俺を追い詰めるための布石だったんですね。
「あの、姫華先ぱーー」
「『女の子の要望には誠心誠意を持って応えるんだよ』。店長さんがそういってたわよね?」
覆っていた手が顔から離れると、奥からは無邪気な笑顔があった。
「廉君は『もちろんです』って答えたんだから私のお願い聞いてくれるのよね?」
「いや、それは……」
「別に私はいかがわしい本を持ってきたつもりはないんだから」
それはごもっともなのだが……
「ほられっちゃん大きな声を出して。読み始めはこのマスターべーー」
「分かってますから声に出さないでください」
クッソ。美鶴さんは姫華先輩側かよ!
「ほられっちゃん。おーん、どく。おーん、どく」
「おーん、どく。おーん、どく」
妙なリズムで小さく手を叩いて催促する姉(自称)と女王様。
もう諦めよう。そもそもこの本は真面目な本なんだ。恥ずかしくて読めない所なんてない!
深呼吸をしてから意を決して最初の文字を発音しようとした。
が、その瞬間二人の陽気なリズムはピタリと止まりぶれない視線を俺へと向けた。
「あの、そんな見られるとやりづらいんですが」
「気にしないで。私達はれっちゃんが恥ずかしがって可愛くなる所が見たいだけ」
「あら、店員さん話がわかりますね」
Sっ気のある二人が意気投合してしまった。
「さ、れっちゃん早く」
「お客さんが並んじゃうわよ」
それは困るので俺は心の準備が整ってない状態で音読を始めた。
「ま、マスタベーションは、せ、せせ生殖器に、刺、激をーー」
一体どれだけ時間が流れたのだろう。
実際は数分なのだろうが、辱めを受けている俺にとって数時間ぐらいに感じた。
ようやく読み終わり、顔を上げると満足そうな二人の顔がある。
「れっちゃん顔真っ赤」
「あらあら、廉君可愛い。じゃあ次はこの本を」
隠し持っていたもう一冊の本を渡された。
もう勘弁してください。誰か救いの手を。
「何してるんですか!」
颯爽と現れた眼鏡女子が姫華先輩から本を奪い取った。
俺は信じてたよ。神様ーーいや、女神様はいるって。
「あら、雫ちゃん奇遇ね」
「奇遇ですねじゃないです! 綾ちゃんからメールが届いて、もしかしたら廉に迷惑がかかってるんじゃないかと思えば案の定だし」
大きくため息を吐く雫。ご苦労様です。そして心からありがとう。
「それにしてもここがよく分かったわね。綾ちゃんのメールだと廉君がこの書店で働いてるとは書いてないはずなのに」
それってつまり、わざわざ俺をいじるために綾先輩から聞き出したんですね。
「私は廉から教えてもらっていたんです」
本当に良かった。たわいない話の中で聞かれたから答えたけど、あの時の俺グッジョブ!
「あらそう……うーん、流石に雫ちゃんに来られちゃったら退散するしかないわね」
おもむろに財布を取り出すとそっと三千円を出す。
「これで足りるわよね?」
本は一応買ってくれるんですね。
「流石にここまでして買わないは失礼だもの」
「勝手に心読まないでください」
本のバーコードを読み取り、お釣りと本を渡した。
「それじゃあまた来るわ」
心の底からもう来ないでほしいです!
ここに来ていいのは雫と水原先輩だけで充分ですから!
小鞠先輩も来てくれたら癒されるけど、それ以上に心をえぐられるし、綾先輩は暴走するし。
でもこの二人以上に姫華先輩には来てほしくない。
毎回毎回こんな羞恥プレイをさせられては心がもたない。
「あらあら〜、廉君そんなにも次を期待した顔されたら私困っちゃう」
どうやら感情がそのまま顔に出ていたらしく、ドSの先輩はうっとりした表情を浮かべて店外へ。
なにはともあれようやく平和が訪れた。
「大丈夫? すごく疲れてるみたいだけど」
雫は眉をハの字に垂らして俺の体を気遣ってくれている。
本当に出来た人だよ雫は。やっぱり嫁にするなら雫だな。
致命的な料理下手さえ治ればの話だが。
「ノープロブレム、モーマンタイ。助けてくれてありがとうな。後で何か奢るよ」
「い、いいわよそんなの!」
慌てて体の前で小さく両手を振って遠慮する。
「遠慮するなって」
「……なら、奢らなくていいからお願い聞いてくれる?」
お、雫がお願いなんて珍しいな。
いつも世話になっているんだ。お願いの一つや二つなんでも聞こうじゃないか。
「なんでも言ってくれ」
「本当!? じゃあ今度私の料理食べてくれる?」
屈託のない笑顔でそう言われた。
なんで俺は軽率な事を言ってしまったのだろう。
「いや、その……」
これには動揺を隠せない。
「……い、今のなし! 前に廉に迷惑をかけたのに何言ってるんだろ。廉が嫌がるのも無理ないよ。気にしないでね! あははっ……はは……」
雫さん。そんな悲しそうな顔をされたら胸が痛いです。
「れっちゃん」
弱っている俺にさらに横からのプレッシャーが。
「私が言いたい事分かるよね?」
分かってますよ。俺だって男なんですから。
女性を悲しませるような事はしたくありません。
「……雫。今度何か作って持ってきてくれ」
「……いい、の?」
まだ不安そうな雫。
ここは男らしくドンと。
「当たり前だ。雫だって頑張ってるんだ。少しでも力になれるなら喜んで引き受ける!」
「廉……ありがとう!」
眩しい笑顔を直視出来ず、視線をそらす。
「折角ここに来たんだし、料理の本買って帰るね」
雫は軽い足取りで小走り気味に料理コーナーへと向かった。
「れっちゃん。他の子ももちろんだけど、舞ちゃんとあの子は泣かせたらおねえちゃん許さないから」
「言われなくてもそうします。あとおねえちゃんって言うのやめてください。俺には可愛い妹しかいませんから」
取り敢えず今度胃薬と酔い止めを買っておこう。もちろん食前の。
そんな事を考えながら待っていると、何冊か料理雑誌を持ってきた雫の顔は嬉しそうだった。
こんだけ喜んでくれるなら胃の痛みぐらい耐えれーーいや、やっぱり無理かも。
支払いが済むと「またね」と言って退店していった。
残りの時間は平和的に進み、気がつけば閉店時間だ。
作業を済ませ、制服から私服に着替えて帰路につく。
出来れば明日は平和であってほしいと切に願う。
読んでくださりありがとうございます。
これにてアルバイト編の一日目が終わりました。
次は二日目のアルバイト風景です。さて、誰が来るのでしょうか。お楽しみください。
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