第53話 赤ずきん
第53話 赤ずきん
視点:ルルリ・ミカサギ
場所:クイーン王国 イクサの森
日時:2033年 4月4日 午後 5時15分
ルルリは見事、盗賊の隙を付いて、馬車から脱出に成功した。算数ドリルを解くよりも簡単だった。ルルリはあまり、頭の良い方ではないが……ママから「お前はやれば、できる子なんだよ」と励まされる程度にはまだ、見込みがあるのだと自画自賛する。
その自信の源になっていたのが、ルルリが今、身を隠している馬車内のモノを材料に制作した通称【ルルリ専用ボックス】である。
これは優れもの、ルルリ1個分を覆い隠し、機体(木箱)に二つの穴を空けることで視野を充分に確保。周囲が薄暗い森に溶け込むように小枝や若葉、枯れ葉でお洒落にコーディネート。これにより、森林の緑に溶け込める。盗賊の中に自分と同じ、鼻が利く獣人がいるかもしれない不安から、馬車内に食料として積み上げられていたウサギを失敬して、機体(木箱)に塗り付けてある。これによって、かなり、獣人の鼻もごまかせるはずだ。通常の獣人ならば、なんだ……小動物の死体の匂いか……くらいにしか思わないだろう。
この素晴らしい【ルルリ専用ボックス】には欠点がある。密閉された空間である為、非常に暑かった。比較的、人の暮らしやすい気候であるクイーン王国でなければ、ルルリは脱水症状を起こしていたかもしれない。
それがないのは、「天がルルリにママを助けろと言っているのです!」と張りきっていた。危険種動物や、盗賊の匂いを自慢の鼻で嗅ぎ分けて回避しつつ、ママを探す。ミカサギ家の家宝 ルルリのおうちのエルフストーン 修練真紅の飾りはママがいつも、大切に持っていた品だ。きっと、ママはこの辺りに監禁されているに違いない……。
Gのようにルルリは慎重に、木の影に隠れながら、木と木の合間を大胆に駆け抜けてゆく。こうしていけば、ママを見つけられると、勇者様の娘 イヴ様の力を借りなくとも、自分はできるんだ! と思っていた。
しかし……ルルリの希望は数分もしないうちに打ち砕かれた。そう、ここは狼さんのお家のテリトリーだった。
最初に気が付いたのは……ママ達 漁師がたまにバブルオ湖で殺人巨大魚 オーンルの犠牲になった人間の遺骸をオーンルの体内を引き裂いて取り出している時の鼻につく死臭だった。いや、それ以上に不快なイカ臭い匂いも混じっている。
ルルリ「この先に死体があるです……」
恐ろしかった……。その死体はママの死体かもしれない。
今までにあったはずの勇気が萎んでゆく……。
震える足を懸命に動かして、風に運ばれてきた匂いの下へ急ぐ。
右足を動かして。
左足を動かして。
しかし、危険種動物や盗賊の匂いを警戒して。
地獄が広がっていた……。薄暗い森にルルリと同じくらいの年齢の少女達が無惨にも全裸のまま、壊されていた。
そう、文字通り、壊されている。人間の所業ではない。一体、どんな狂人がこの常識外れの地獄を作り出せるのだろうか? 考えもつかない。
ルルリの7年の人生を振り返ってみても……物語の中でも……これ以上に酷い光景を見たことがない。
右乳首のない少女、左乳首のない少女、右腕がなくて骨が見える少女、頭のない女性器がある事から女児だと解る少女、髪の毛のない少女、両眼を抉られた少女、爪という爪を全て剥がされた少女、女性器を破壊された少女……。
ルルリ「あああ……ああああ……」
低い鳴き声? 呻き声のような声がルルリの口から自然と息と共に溢れる。酸素をルルリの体内に取り入れようとする。
しかし……ルルリの身体は拒絶し、吐き気を催す。
ルルリがママの手伝いで強烈な匂いのする村の集団漁場で魚の処理を手伝っていなければ、この場で吐いて一歩も動けなかったかもしれない。
身体の破損した少女達が山のように折り重なっている。絶叫を上げたのだろう、どの死体も大口を開いている。目のある死体は白目を向いてしまっている。
その死体の山にルルリには正体不明のホワイトソースがトッピングのように注がれていた。誰がこの所業をやった。その白が少女達の鮮血を少しずつ浸食して、不味そうなストロベリーソースに変わってゆく……。
冷静にそれを観察している自分がおかしい。
いや、足が重いだけだ。
そう気づいた時、ルルリは歩き出していた。
ルルリ「あああ……あああああ」
小石に足を引っ掛けてしまって、膝小僧を地面に激しく打ち付けた。鈍い痛みがルルリを襲う。泣きそうになった。
こんなことならば、自分の力を考えずに来るんじゃなかった。悔しいけど、ルルリだけでは……。
ルルリ「ままぁ……を……た……ずけ……られない」
それは顕然たる事実だった。もはや、ルルリにできることは早く、あれから逃げる。それだけだ。上手く逃げ切れなければ、あれの一員になる!
嫌だ! 早歩きに変わる。
鈍い痛みが続いている。血が流れているかもしれない。けど、そんなのどうでもいいとルルリは犬耳をセンサーにしても、”もう誰でも良い。独りは嫌だ!”と人間の匂いを探り始める。
緊張で常に尻尾が逆立っていることに今更ながら気が付いた。
こんな木箱に隠れていては、上手く身体を動かせられない。ルルリの判断は速かった。すぐにその場で【ルルリ専用ボックス】を破棄した。
涼しい空気のはずなのに、ルルリは武者震いをした。
自分はこの場から逃げ出せるだろうか? と疑問が頭にタコの吸盤の如く、離れない。
ルルリ「ああああ……だ、誰か、助けてなのです!」
縋るような言葉がルルリの口から溢れる。それはもう、理性というより、本能なのだと、森で歩く時は大声を出しては危険種動物に見つかって食べられてしまうよ、というママとのお約束を破った事実に言い訳をする。
右足で地面を蹴って。
左足で地面を蹴って。
開けた場所がある証の光が見える。あの光に飛び込んでいけば、ルルリは助かるんだ。そう感じて、微笑んだ。
気が付けば、嫌な死臭もしない。
足を止める。
湖が広がっていた。
草花が咲き乱れ、湖岸には幾つもの、漁業用やレジャー用の船が係留されていた。その係留されていた船の上で食事をしている男性がいる。
男性はこちらに気が付いて、一瞬、顔色を驚愕の色に染めるが……人懐こい笑顔に変わる。男性の身なりはかなり、しっかりとしたファッションで固めていた。
城下街では流行っているジーパンに、黒いレザーシャツに、赤いジャケットを羽織る異世界 地球スタイルだ。
金髪の髪をさっと、右手で掻き分けてから、男性はルルリに挨拶の意を込めて右手を挙げた。
それに対して、ルルリは妙に冷静になってしまって、ぺこりとその場でお辞儀をした。
金髪の男性「やぁ、お行儀の良いお嬢ちゃん。ここは禁止区域に指定されている我らがイヴ女王……」
そこで不自然に男性の言葉は止まる。
何なのだろうとルルリは首を傾げた。
男性は軽く咳をする。
ルルリ「助けて欲しいのです、お兄さん!」
ルルリは縋り付くように男性の赤いジャケットの裾を引っ張った。何度も、何度も、引っ張った。
金髪の男性「ああ、もちろんだよ。迷い込んだんだろう? ここはもう、既に女王が禁止区域に指定している。我々は盗賊団に気づかれないように一般人の格好でも戦える武術家をメインに結成された臨時の地方騎士隊だよ。普段は、別の地方騎士隊なんだよ。俺はマーク・リバー。君は?」
ルルリ「ルルリ。ルルリ・ミカサギです。宜しくです」
そう言って、ルルリは再び、マークにお辞儀をした。
マーク「君は日本人みたいだね。とは言っても、この国では珍しくない。みんな、勇者に陶酔している。勿論、その娘にもね。妹もそうだったよ」
ルルリ「そうなんですか。そうですよね、イヴ様に、イヴ女王様に憧れないリンテリア人はいないのです」
マーク「そう……ところでお腹、空いているだろう? その様子だとここまで走ってきたようだね。汗でびっしょりだよ」
マークに指摘されて気が付いたが、王家御用達のメイド服が汗で濡れているのに気が付いた。尋常ではない量だ。なんか、恥ずかしかった……。
その恥ずかしさを倍増してくれる! とルルリのお腹は叫ぶ。
マーク「豪快なお腹さんだね」
ルルリ「う……これは恥ずかしい」
マーク「良かったら、これ食べるかい? カツサンドだよ」
マークは持っていた弁当箱を開くと、ルルリに差し出す。まだ、カツサンドが4つ、残っていた。マークは2つしか食べていない。
良いんですか? と視線を向ける。
マーク「君のお腹が鳴って、氾濫に近い状況の危険種動物の群れに目をつけられたくない。目をつけられても、仲間が待機しているこの先の洞窟までなら、大丈夫だけどね」
ルルリ「良かった。助かるんですね……けど、ママが……」
手にした美味しそうなカツサンドを俯き、眺める。
カツの透明な肉汁が早く食べて、とルルリを誘惑している。
現金なモノで唾が口内に溢れる……。しかし、今はママのことだとルルリは我慢した。
マーク「生存者は全て、この先の洞窟に1度、集められることになっている。個々に森を脱出するのはちょっと、リスクがあるからね」
ルルリ「ママに会えるんですね!」
マーク「ああ、大丈夫。会えるさ。さぁ、それを食べて元気が出たら出発しようか」
ルルリ「うん」
そう、マークに返事してから、カツサンドを頬張る。
噛んだ瞬間、旨み成分が口内を満たした。
しかし、ルルリはこんなに美味しいお肉を知らない。なんだろう?
マーク「その肉かい? 秘密だよ。うちは実家が城下街で肉屋を営んでいてね。そこで拵えてもらったのさ。商売道具だから、味付けその他は秘密さ」
ルルリ「こんなに美味しいんです。文句ありません。ありがとうです!」
ルルリの頭の中はもう、既に城下街に帰ったら……どう、イヴ女王様に謝ろう。そんな悩みにシフトしていた。
マーク「ところで……君は太陽は好きかい?」
ルルリ「好きですよ。なんか、イヴ様の笑顔みたいに裏がないから大好きなのです。いつも、ルルリ達を照らしてくれますです」
マーク「……へぇ、そう。俺は嫌いだね。”あの小生意気なガキ”」
ルルリ「え? 何ですか。ルルリ、途中からカツサンドに夢中で聞いていませんでした。ごめんなさいです」
命の恩人になるかもしれないマークのお話を聞いてあげられなかった。ルルリの犬耳がしゅんと萎れた。
マークはそんなルルリの頭を優しく撫でてくれた。
マーク「良いんだ、些細な言葉だから。ああ、些細な」
視点 華井恵里
場所:クイーン王国 イクサの森
日時:2033年 4月4日 午後 5時25分
一連の茶番劇を私は人間では目視できない高度の上空から、童話の【赤ずきん】を読みながら横目で眺めていた。
実に私好みのいーちゃん虐め展開になってくれた。あの女の顔立ちが被るいーちゃんには苦しんでもらわないと……あの女はお兄ちゃんを私達、華井姉妹から奪っただけではなく、神の手先でもあるのだ。そんな女の娘とあらば、苦しんで、苦しんで、苦しんで、自分を責めて、責めて……死んでもらわなければならない。
しかし、いーちゃんの”正体”がそれを許さないだろう。
私よりも、私の子宮から産まれた”出来損ない”の方がいーちゃんに詳しい様子。さすが、異母姉妹。
恵里「ああ、いーちゃん。早くしないと、貴女の大切な赤ずきんは狼に食べられるわ」
黒い白衣のポケットに童話の【赤ずきん】を仕舞い、反対側のポケットから【死に至る病】を取り出す。
恵里「今回は高みの見物。いーちゃんが何処まで強くなったか? 気になるし。それにラスボスはゲーム初期の盗賊戦に顔を出したりはしないわ……」
尤も、出来損ないの……名前が思い出せない私の子宮から産まれたあれには到底及ばないと考えつつ、私は【死に至る病】を捲った。
さぁ、爽やかな陽気に包まれて、読書の春よ。




