第8話 悪夢と始まりの物語 Ⅰ 華井恵里と凪紗南イヴ
第8話 悪夢と始まりの物語 Ⅰ 華井恵里と凪紗南イヴ
視点:アイシャ・ローラント
場所:地球 旧世界 東京都 千代田区、地球 新世界 東京都 凪紗南市
日時:2033年 4月3日 午前 3時10分
暗い闇の中、私の知る小学生が威張ったような生意気可愛い声が聞こえる。いつもならば、その小動物な甘い声に頬が緩むのだが、激しい痛みを伴っているような吐息と一緒にそれは発せられていた。
私はキングサイズ5つ分のベッドから飛び起きる。
私とイヴの身体を包んでいた薄いシルクの掛け布団が宙を舞い、苦痛の表情を浮かべるイヴの左手のみを覆い隠す。
大量の汗の海は全裸のイヴの身体を中心に広がっていた。
心にある闇に足を掬われ、それでも息を吸おうと湿ったシーツを小さな手で決死に握りしめる。握りしめた白い手は指先に血が集まり、赤くなっていた。
イヴ「うぅぅうう…………お………お母様が燃え、燃えちゃうの。お父様?」
呻き声から擦れる息と一緒にか細い寝言が溢れた。
アイシャ「イヴ、イヴ! また、なのですね」
そう、また、だ。
一週間に二回~三回程、イヴは両親と永遠に別れた日の、それも、楽しかった時間を少し申し訳程度に付属された残酷な記憶を夢の中で体験し続けている。3歳の幼き日から今までずっと………。
薄暗い闇に乱れたイヴの銀色が輝いている。桜色の唇に銀糸が触れる。それを天から下ろされた唯一の命綱のようにイヴは噛みしめた。
銀と銀の間にぷくりっと、浅い桃色の山頂が望める。それが今にも壊れそうなほど、上下に揺れている。
それでも、イヴは目覚めない。目覚めることは許されないとばかりにこの夢は深く、深く、私が…………いや、私達がどんな手段を用いても覚醒を促せない。
歯がゆく思う。
私がしてあげられることは少ない。決定打にはなりえない。
苦しんでいるイヴを両腕で包み、素肌の胸元にイヴの顔を押しつける。私が、私がついているぞ! と心臓の鼓動でイヴの夢までその意志が伝うように。
イヴ「や、やめ、て。お父様を、か、かえ、して………」
アイシャ「イヴ、もう、それは終わったんだよ。遠い過去の出来事はもう、帰らない。そう、私と結論づけたでしょ。イヴがテスラ・リメンバーと蘇生魔法の先、限界の蘇生魔法を追求し終えてから、失敗してから」
ぎゅっと、イヴを抱きしめる。
もう、過去に囚われないで、と。
けれど、イヴの熱が私の熱に侵食される度に、私の華井恵里への憎しみが募ってゆく。イヴと出逢ってから数年間、華井恵里の起こしたテロ事件をニュースなどで耳にする。イヴの心が休まるはずがない。
イヴ「ど、ど、うし……えりりん」
アイシャ「そんな親しい名で呼ばないで。あれは………クズビッチ豚で充分」
私は震えるイヴの白銀の髪を整える。
それでも、イヴの震えは止まらず、恐怖のあまり、失禁した。
絡み合った太ももと、太ももが小水で濡れた。生暖かさがまだ、イヴは辛うじて今回も壊れずに”まだ”、ここに居ると証明してくれているような気がした。
私はいつものようにイヴを濡れていなかったシルクの掛け布団にくるむ。自分はネグリジェを身につけた。
腕時計型携帯電話で凪紗南未来天皇代理様にコールする。
視点 凪紗南イヴ
場所:??????
日時:??????
暗い闇の中、産まれたままの予だけが浮かんでいる。
悪夢がリピートする前の待ち時間を過ごす空間だ。
予の声と心の一部は身体の意志、心の一部とは無関係に絶望を紡いでいる。
イヴ「ど、ど、うし………えりりん」
えりりん、どうして幼なじみのお父様の幸福をぶち壊すの?
イヴ「ど、ど、うし………えりりん」
えりりん、どうしてお父様の元婚約者 ニルエの妹である貴女が幸福をぶち壊すの?
イヴ「ど、ど、うし………えりりん」
えりりん、どうして憧れのお兄ちゃんの幸福をぶち壊すの?
イヴ「ど、ど、うし………えりりん」
えりりん、どうして凪紗南天皇家の分家 華井家の人間である貴女が幸福をぶち壊すの?
イヴ「ど、ど、うし………えりりん」
えりりん、どうしてお母様に照り焼きハンバーガーの作り方を教えてくれた貴女が幸福をぶち壊すの?
イヴ「ど、ど、うし………えりりん」
えりりん、どうしていーちゃんのお父様とお母様を殺したの?
イヴ「ど、ど、うし………えりりん」
ねぇ、えりりん……。
ねぇ、えりりん…………。
ねぇ、えりりん、いーちゃんの魔法の師匠さんになってあげるって嘘なの?
光が差した。
さぁ、予の絶望の、悪夢の上映だ。
ポップコーンはない。
飲みものもない。
途中退席は許されない。
あまりの恐怖に股間から漏れた小水が暗闇の、底へ、底へ、と墜ち………生暖かい感触が太ももから足先まで伝う。
不思議と、小水の匂いはしない。
ああ、現実じゃないんだ。悪夢なんだ。
光が予を包んだ。
視点 凪紗南イヴ
場所:悪夢による過去の再現 異世界リンテリア クイーン王国 クイーン王国城下街
日時:悪夢による過去の再現 2021年7月7日 午後 5時45分
予はまた、この悪夢を見続けるだけの傍観者として過去にいる。自分の記憶が作り出した鮮明な罪悪の中にいる。
スキップをしてお母様に整えて貰った白銀の髪を激しく揺らす幼女が予の身体をすり抜けてゆく。
その幼女――――3歳児の頃の予が勝手に何処かに行かないように、優しい微笑みを浮かべる両親が手を繋いで防いでいた。それを知らずに両親の手を振り子の如く、予はぶらぶらとしていた。
予の両親は英雄だ。
何をやったのか? は教科書に必ず、書いてある。
一番、有名なのは――――
2017年 3月11日 凪紗南春明が古代遺跡 ナナル遺跡の装置を操作することにより、古代魔法 理の逆算と15000箇所の次元の空間が生じた。そして、理の逆算の魔法効果である治癒の力で地球の第3次世界大戦中に核ミサイルによって生じた放射能は浄化され、地上は人類が住める土地になる。それまでは地球の人々は地下国家を形成して暮らして、生活可能な地下国家の領土を求めて機械兵や軽量化した宇宙服などで戦争の続きをしていた。
15000箇所の次元の空間から地球の初期イデアが全て、異世界リンテリアのプリミティブイデアと混ざり合い、プリミティブイデアに生まれ変わった。その生まれ変わったプリミティブイデアの一部が異世界リンテリアに混ざり合い、イデア不足が解消され、異世界リンテリアの種は滅びを免れた。
結果、地球のプリミティブイデアの含まれた大気によって種は変質した。地球のあらゆる種はアナムネーシスの器という臓器を持つ存在になった。それは異世界 リンテリアの民と同じく魔法やSOULを使った技ができるような存在になることで、プリミティブイデアを変換したノエシスというエネルギーが生きるのに欠かせない存在になることでもあった。
メリット、デメリットはあったが、確かに勇者 凪紗南春明とクイーン王国の女王 リン・クイーンとその仲間達が争いの火種を両世界から取り除き、平和へと導いた。
当時の予はお父様を勇者様、お母様を魔法に長けた賢者様とだけ認識していた。
この日はもうすぐ、日程が決まるであろう15000箇所の次元の空間に設けたゲートの一般記念開放式典と共に行われる英雄の娘であり、日本の皇女であり、クイーン王国の姫である予のお披露目式の為に、予の衣装のデザイン決めにお父様の知り合いのデザイナーの洋服店 ゴシックを経営しているグラン・ロートビッチの処へ行った。その帰りだった。
幼女の予はひらひら、と舞うヴァンパイアの使い魔であったコウモリを模した紋章がデザインされたクイーン王国旗を捕ろうと、躍起になり始めた。
ぴょん、ぴょんと何度もジャンプして試す。
むぅーと頬を膨らませて、幼女の予はお父様に何で? と視線を向ける。
春明「うーん、いーちゃんは背が小さいから、ざっーと計算してみても不可能かな。まぁ、パパはいーちゃんが小さい方が可愛くて好きだな」
そう言ってお父様は幼女の予の頭を大きな手で優しく撫でた。ふくれ面だった幼女の予の顔がみるみるうちに、お日様笑顔に変わる。
アルビノである治癒魔法を使えない幼女の予の服装は腕には通常より長いオペラグローブ、黒いゴシックドレス、ハイニーソックスといった肌を隠した洋装だった。
幼女の予が被っている蒼薔薇が左右に飾ってある黒いベールの位置をお母様が直す。
幼女の予だった頃は気が付かなかったが、14歳の童顔のお母様の真剣な顔はしっかりと年には似合わない母性に溢れていたのだな、と気づかせてくれる。
自分の蒼い長髪が少しあらぬ方向に跳ねているのに気づかずに、子を優先しているのだから。
15歳になった今、解る。この年頃はファッションに夢中な子が多いのだ。予も少しは興味があるのだが…………基本、コーディネートはメイド長 リイーシャ・ローラントの役目なのだ。お仕事をとるわけにはいかないのだ。
記憶にあるお母様はのんびり屋さんだったから、ファッションに夢中という姿勢よりも純朴さメインの方が合っているのかもしれない。
それに…………。
お父様が「リンはしょうがないなぁー」と言いたげにお母様の髪を櫛でとかす。几帳面な学者肌のお父様とのんびり屋のお母様、こういうところが合っているから14歳と22歳の夫婦は成立していたのかもしれない。
リン「ありがとう、貴方」
春明「いいさ、僕にとってご褒美なんだからね」
いーちゃん「ありがとう、お母様ぁ!」
リン「いーちゃんは良い子ね。その年でちゃんと礼節を知っているのだから」
春明「全く、君の子とは思えないよ」
リン「ああぁ! 何を思いだしてますか、勇者様ぁぁあ。リンがファイアキャットの群れから逃げる途中で肥溜めに頭から突っ込んだドジですか。リンが自分のお城だと寝ぼけて宿屋の階段を踏み外したボケですか。リンがいーちゃんのベビーグッズを買いすぎて、未来ちゃんに説教された天然ですかぁああ。思い当たります、しっかり者のいーちゃんに相応しくない母親像がぁああ。いいえ、リンは立派な母親になるんです」
春明「あー、自分で自分を励ますのね。格好良く、僕が励まそうとスタンバイしていたのになぁ。でも、リン、そんなこと言って、いーちゃん用のマフラーを夏になっても編んでるよね?」
リン「うあわー、あれは失敗作 55号目ですぅ。のんびりさんじゃないですよ」
春明「僕も手伝おうか?」
リン「貴方がやると、リンより完璧に熟すんで嫌です。言ってましたよ? 英さんが。貴方のそういうとこが可愛げがないって」
春明「野郎に可愛げを求められても、なぁ。あ、いーちゃんは絶対に同性婚だから、ね」
多くの露店が並ぶうちのたこ焼き屋を眺めていた幼女の予が急に話しかけられて、首を傾げた。予の記憶ではたこ焼きの甘いソースの香りに涎を垂らしそうになっていたので、聞いていなかったはずだ。
そんな予をおいて、お母様が話し出す。
リン「それは自然の摂理よ。ロリロリないーちゃんには格好いい女性騎士タイプの女の子、ボケボケな天然さんな時に腹黒い? 女の子、勇者様の故郷のお家芸ツンデレ少女、自分を律している貴族少女、やる気のない無気力系女の子、本性棒読み仮面性格少女、エトセトラぁ、エトセトラぁ!」
春明「うん、百合ハーレムだね」
びしっと、両手と両手を繋ぎ合わせてくるっと、その場で一回転するお父様とお母様。
きゃきゃうふふ、と楽しそうな笑い声を夕ご飯の食材を購入する民が溢れる道中に響かせている。
成長した予は知っている。
真央『イヴ、あんたにこのアニメ【俺の妹がデレるわけがない】が何故、ヒットしたか。萌えの一つ デレ空間の極意を教えてあげるわ。勘違いしないでよね、この実地訓練は王族が民を知る為のレッスンなんだからね。あんたを思ってじゃなくて、あんたの民を心配してなんだから!』
そう、それから真央に教えてもらったのだ!
デレ空間とは、二人の愛が強すぎて周囲なんて気にしない甘い空間なのだ、と。皆がそれを等しく、実践すれば、世の中は平和になる、と。萌え(これがわからんが)? が世界を救うのだ! と。
しかし、民の笑顔が何故だか、硬直しているのだ。何故、なのだ?
ふむ、真央のいう萌え? は民の全てに友好的なコンテンツではないのか?
わからん。
わからんが楽しそうだという意見を思えただけでも予は成長しているのであろう。
一方、幼女の予は小指を口に含んでたこ焼き専用プレートでジュッと小刻みな音がして、その度に皿に盛られるたこ焼きを眺めていた。
このたこ焼きはお父様がクイーン王国に広めて、今では民のソウルフードになっている。
そんなものが目の前にあれば、幼女の予だってお腹が空く。
ぐぅー。
ほら、お腹の音がなった。
いーちゃん「お父様。いーちゃん、ぽんぽん、空いたぁ」
春明「そうかぁ、何か買って食べるか。ウーフェイの経営している蕎麦屋がこの先にあるなぁ。新メニューをこしらえたって風の噂で聞いたなぁ」
リン「それには及びません! ほら」
と、お母様が手提げバッグをお父様の眼前に掲げる。
リン「この中には、いーちゃんの大好きな照り焼きバーガーさんがいるのです、うわぁーぱちぱちぃ」
いーちゃん「うわぁーぱちぱちぃ」
お母様と幼女の予が照り焼きバーガーさんの降臨に拍手を送る。
とても、暖かい光景だ。
しかし、予は和めない。
イヴ「お母様、行っては駄目なのだぁ!」
お母様を止めるべく、お母様の右肩に触れようとしたが、通り抜けた。
転びそうになる。
すぐさま、体勢を整えてお父様の腕を掴もうとする。が、また…………通り抜ける。
こんなことをしても意味が無い。
これは過去の悪夢の記憶。予の脳が起こした蜃気楼なのだ。
落胆する予をおいて、親子は照り焼きバーガーを食べるべく、近場の公園に向かう。
そこが運命の分岐点とは知らずに。
しばらくすると、子ども達が帰宅して人っ子一人いない公園に着いた。
夏の風が湿った空気を親子に送る。その空気は嫌というほどに暑苦しく、夏の日常にありふれた要素だった。
その雰囲気を壊すように夕暮れの太陽を掻き消す漆黒の髪を保つ女性は立っていた。黒いローブを着込み、黒いフードを目深に被り、大鎌を胸に抱いていた。
女性を一言で表現するならば、静かな死神。妖精族のような善意的な魂のしらべの運び屋の事ではない。シリアルキラーの方の死神だ。
どうして、幼女の予はともかく、両親は気づかなかったのだろう。
目深に被ったフードが本人によって曝かれる。
腰まである黒い髪に、モデルのような整った顔つき。
この女性は、えりりんは、華井恵里は世界をカラス色の瞳で認識していない。何処か、遠い場所を見つめている。その存在が果てしなく遠い…………。計り知れない。
にもかかわらず、口元の笑みだけが現世に塗れているのだ。何か、人間的な欲に。
それはもう、この後、判明する。地獄の窯が開くのと同時に。
リン「えりりん♪ なに、なに、それ、日本のコスプレ」
華井恵里にお母様が駆け寄ってゆく。
春明「だせぇーぞ、それ。大学のコンパの見世物か? お兄ちゃん、悲しいなぁー。妹のセンスを疑うよぉ」
華井恵里にお父様が駆け寄ってゆく。
イヴ「やめて! いかないで! いくなぁああああ」
予が叫んでも、物語に観客は上がることはできない。
できるのはせいぜい、結末を席に大人しく座り、鑑賞することくらいだ。
淡いパープルの口紅で洗練された人の形をした破壊の女王が最初の破壊の宣言をする。
華井恵里「人が人たり得る根源って何だと思う? 春明君」
春明「なんだ、それ? 大学の講義? 哲学か?」
華井恵里「答えはね………」
華井恵里の突然の問答をよそにお母様に向かって、炎魔法が向けられる。
呻き声も上げることができずに、朱色の炎は一瞬でお母様を灰にし………それ以外何も残らなかった。
不思議なことにその炎はお母様以外に影響を及ぼすことなく、消滅した。周囲の温度さえ、上がらなかった。酸素さえ、消耗した感じもない。
予は何度見ても、その規格外の炎と、風に舞うお母様だった灰を見つめて…………身体の震えが止まらなくなる。
親しい人間を殺害したのに華井恵里の表情は変わらず、口元のみがほころびていて、頬の筋肉は無表情だ。
ただ、一言、破壊者は答えを告げる。
華井恵里「欲望よ」
お父様が幼女の予に駆け寄る前に、未だに予も知ることのできない謎の魔法 光の縄でお父様の両腕、両足を拘束する。
その光には人の体力を奪う効果があるのか? いや、あるのだろう。現にお父様はぐったりとしている。
華井恵里「春明君は人類の裏切り者。私は知ってるわ」
そうあっさりと事実を告げると、一瞬で、テレポートを使ったように幼女の予のそばに現れて、そのまま、幼女の予の脇腹を大鎌で深く切り裂いた。
いーちゃん「いやぁああああ!」
そんな悲痛な叫び声が数分前まで平和だった公園に響き渡る。
幼女の予は痛みに耐えきれずに、脇腹を押さえたまま、しゃがみ込む。
その頭に華井恵里は足を乗せた。ヒールのかかとが頭に食い込む。
幼女の予は泣き叫びながら、声にならない声を上げ続ける。
助けてやれないのに、目も背けることもできず、動いたら、華井恵里に殺される気がしてそんな訳ない悪夢のリアルさに心を砕かれる。
華井恵里「これが、神だって。いらないのよ、人の世に神様なんて不純物は、ね」
春明「恵里! お前!」
お父様は動こうと藻掻くが………動けば、動くほど、ぐったりしてゆく。片目が閉じたまま、華井恵里をただ、睨む。
華井恵里「リン女王があれでは」
宙に散らばる灰をふっーと息を吐いて、弄ぶ。
華井恵里「ご愁傷様、だけど――――」
幼女の予の頭に乗せたヒールのかかとの圧力を強める。
いーちゃん「お………父様ぁ……」
華井恵里「これはまだ、助かるんじゃない? 尤も、この――――って――――なんでしょう、おやおや、寝るなぁーよ、いーちゃん」
ぐったりした幼女の予に水魔法 ウォーターの水を頭からかける。
春明「貴様ぁ!」
華井恵里「人質だよ、お兄ちゃん。はい、お兄ちゃん、御姫様だっこ。姫じゃないけどね、春明君」
華井恵里はお父様を御姫様抱っこしてから、幼女の予の方に振り返りざまに声をかける。
華井恵里「今の私では、幼生のイヴの背後にいる少女神は殺せない。藪からドラゴンを引き当てたくはないの。憎みなさい、私を。そして、女ならば、愛しい者は自分で奪い返しなさい。尤も、貴女には無理。お兄ちゃんの良い部分が馬鹿女王の遺伝子でめちゃめちゃ」
この時の予は華井恵里の言葉を理解できなかった。ただ、悪夢に震えていた。
華井恵里がゆっくりと幼女の予に背を向けて歩き出す。
突然、周囲の民の生活音が予の耳に入ってくるようになった。
幼女の予にはこれを不思議と思える頭脳も、精神力もなかったのだろう。
おそらく、予達が公園に入ってくる前から、今の予でも解らない謎の魔法によって、周囲の音以外にも何かが遮断されていた。
おそらくは古代魔法の類い。
華井恵里「そうね、証明してあげる。私の遺伝子と、馬鹿女王の遺伝子、どちらが女として優れているのかを。面白いわね、それ。良いプラン」
どんどん、幼女の予と、華井恵里との距離は遠ざかってゆく。
お父様との距離も。
幼女の予は俯せになりながらも………顔だけは上げて、お父様の方に手を伸ばす。
小さな手は何も掴めずにただ、脇腹の大怪我による消耗で震えていた。
脇腹から小さな手の押さえを乗り越えて…………止め処なく、鮮血が流れ始める。
砂がゆっくりと朱色に染まる。
華井恵里「まだ、おねんねしない。教えてあげる。憎みやすいように。馬鹿女王を焼き殺した魔法だけど…………古代魔法 ドラグ マグマ。炎を極めた神の炎よ」
幼女の予は薄れゆく意識の中、お母様の仇が言う古代魔法の名を脳にたたき込む。
許せないと、涙と鼻水と頭から流れた血の混じった唾液を飲み込み、何かを言おうとした。
だが、その気力も無い。
喪失感が幼女の予を包んだ。
その絶望感が傍観者である予にも伝わる。それは予自身が12年前に感じたもう、両親に会えない絶望だった。この脇腹の傷の深さでは普通の人間は助からないと、幼女の予ですら理解していた。
華井恵里「目の焦点が合ってないね。おや、神だけではなく………そう、そう、そう、なるほど、理解できた。なら、人の意味は何? 腹が立つわね
」
その言葉と共に周囲の光景は闇に包まれた。
幼女の予が気を失ったのだ。
この先を見る悪夢の材料がない…………。
だが、違う悪夢はまだ、続く。




