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「…………」
銀夜の様子は、思ったよりも平然としていた。感情が乏しい眼で、僕を見ている。先にメールしていたこともあって、心積もりが決まっていたのかもしれない。しかしその表情は、どこか非人間的に見えた。
「どうして……」
搾り出すように、銀夜が声を発した。
「どうして、分かったのですか?」
僕は答える。
「僕と姉さんは昨夜、金城達不良グループと戦ったんだ」
「逸海と?」
「そう。僕はただやられっぱなしだったけどね。でも、姉さんの活躍もあって、何とか倒すことが出来たんだ。その時、金城から君の過去は全て聞いた。だから、銀夜がお姉さんを殺したという事実も知ってるのさ」
僕は少し眼を伏せながらも続けた。
「いや、お姉さんを死に追いやった、と言った方が正しいのかな?」
僕は顔を上げながら、銀夜の表情を窺った。
彼女の表情は、泣きたいような、泣けないような、そんな面持ちだった。
やはり来なければよかった、と心底後悔した。僕には、これ以上彼女の心の傷をえぐるような真似は出来ない。
「それも……少し違うな。君のお姉さんは、自ら死を選んだんだ。だから、君に責任はないんだけど……」
重苦しい空気が、辺りを包んでいた。でも、僕は彼女にどうしても聞きたいことがある。それを聞かないうちには、帰るわけにはいかなかった。
「ご主人様……わたくし――」
その時、これまで表情の無かった彼女に、ハッキリと悲愴の色が浮かんだ。
「違うんです……違うんです!」
彼女は、泣き崩れてしまった。両手で自分の顔を覆い、嗚咽を繰り返してきた。その姿は、自らの非を認めた罪人であるかのようだった。
「わたくしが、お姉さまを殺したんです」
数分間泣き続けてようやく彼女は落ち着いてきたようだった。椅子に座った銀夜は、向かいの席に腰掛けた僕にとうとうと過去を語り始めた。
「お姉さま――美月輪廻は頭脳明晰、容姿端麗、文武両道と、わたくしなど比較にならないほど非凡なお方でした。わたくしがどんなに努力をしても、その差を越えることなど出来ませんでした。お父様やお母様はお姉さまばかりに期待をかけて、わたくしのことなど見向きもしてくれませんでした。
最初はお姉さまに期待がかかる分、わたくしは自由を満喫できる……と思っておりました。良家ゆえに、多少の厳しさはありますけど。お姉さまに比べれば、遥かに普通の学生生活を送れていたと言えるでしょう。でも、そのうち……。お姉さまが忌まわしく思えてきたのです。お姉さまさえいなければ、お父様もお母様も、周りの人たちも、わたくしのことを見てくれる、と。
もちろん、そのようなことをお姉さまに言ったりはしませんでした。しかし、聡明な輪廻お姉さまのことですから、わたくしの心の内など簡単に見透かしていたに違いありません。お姉さまがどれほどの尽力をしてそれほどの信用を得たのか、考えもしなかったのです。そしてわたくしは、お姉さまなんていなくなってしまえばいいとまで、憎むようになってしまったのです。
そんな折、事件は起こりました。なんとお姉さまが交通事故に合われてしまったのです。わたくしは頭の中が真っ白になりました。わたくしがあんなことさえ考えなければ。利発なお姉さまが、不注意で事故にあうなど考えられません。自殺であることは間違いありませんでした。わたくしが直接手を下したわけではありません。だからこそ、わたくしにはお姉さまの死に責任があるのです。その時からわたくしは、死んでしまいたいほど悲嘆に暮れておりました。
ですが、悲劇はそこで終わらなかったのです。今までお姉さまだけに向けられていた期待が、そっくりそのままわたくしに降りかかることになったのです。このことにも、わたくしは深い衝撃を受けました。まさか、自分が美月家の当主になるなど、思ってもいませんでしたもの。それからの日々は、正に地獄というべき過酷な毎日でした。美月家を継ぐため、朝から晩まで自由などなく、心身共にボロボロの状態まで追い込まれていきました。それからの経緯は、ご主人様も知ってる通りでございます」
銀夜は、まるで懺悔のように辛そうに告白をした。
何てことだ。僕は愕然としていた。
僕が姉さんに対して嫉妬していたように、銀夜もまたお姉さんのことを妬んでいた。銀夜は自分と同じだったのだ。いや、人は誰しも同じなのかもしれない。
愚かなことだ。だけど、その愚かなことに、誰も気づきもしない。
「それで……」
どう声をかければいいか、分からなかった。でも今は、彼女の心の闇を全て吐き出させてやること。それが良いように思えてならなかった。
「不良に走ったんだね? そして、僕と出会った」
僕が尋ねると、銀夜は蚊の泣くような小さな声で答えた。
「……ご主人様は、見つけてくださったのです」
「見つけた? 何を?」
予想外の返事に、僕は思わず聞き返してしまった。
「わたくしの進むべき道を。荒んで闘争に明け暮れていたわたくしに。戦うこと以外の道を教えてくださいました」
「……最後に、一つだけ教えてくれ。君がお姉さんを殺したわけじゃないのに、金城の言うことを素直に聞いていたのは何故だ?」
僕の問いかけに、銀夜はすぐ答えなかった。
しかし、しばらくすると口を開いて、
「……逸海は、わたくしと同じでしたから……」
銀夜が答えてくれたのは、それだけだった。
「同じ? 同じってどういう――」
僕が再度聞き返そうとした時だった。
「ご主人様っ」
銀夜は急に椅子から立ち上がると、僕に抱きついてきた。
不意に押し倒され、椅子から転げ落ちる形になる。
僕の胸元に顔をうずめ、銀髪から香る甘い匂いが鼻をくすぐった。
「銀……夜?」
「わたくしには、もうご主人様しかいません。もうわたくしは一人です。お姉さまは死に、お父様もお母様も、学校のみんなも、誰も本当のわたくしを知ってくれない。知ろうともしてくれない。わたくしには、ご主人様だけなんです」
銀夜は痛いほど僕の胴に回す腕の力を強めた。
「ご主人様が望むなら、わたくし何でもします。メイドでも、奴隷でも、ペットでも。物扱いでも構いません。性処理の道具でいいですから、わたくしをお傍に置いてくださいませ……」
銀夜は僕にしがみついたまま泣きじゃくっていた。彼女の小ぶりな肩が、涙と共に揺れていた。
その魅惑さに、思わずぞくっとした。その姿は、あまりにも美しすぎたからだ。銀夜の言うとおり、欲望の赴くままに、彼女をメチャクチャにしたい、とさえ思ってしまった。意図したものではないのだろうが、彼女はどうしようもなく人を惹きつける魅力に溢れている。
金城達があれほど銀夜に執着したのも、ひょっとしてこれが原因ではないだろうか。ふと、そんな気がした。
だとしたら――彼女は、危険だ。
「か……帰るよ」
僕は何とかそれだけ言葉を搾り出した。
「これ以上一緒にいるのは、お互いの為にならない。もう新聞部を辞めようが学校を辞めようが、金城の仲間になろうが止めはしないよ。君の人生だ。僕がどうこうではなく君自身で考えて、君自身で結論を出してくれ」
「あ……」
銀夜の腕を解いて、僕は部屋を出て行った。追いかけてくるかとも思ったが、銀夜は付いてこなかった。
これでいいんだ。僕は急いで屋敷を後にした。
「ふう……」
美月邸を出て数メートルほどしてから、歩道の脇で僕はため息をついた。
もしかして、勿体無いことをしたのではないか。そんなことを考えてる自分が、どうしようもなく穢れているように思えた。
「ところで」
僕は電柱に向かって話しかけた。いや、正確には電柱の後ろに隠れている人物に、だ。
「そろそろ出てきたらどうだい。金城逸海」
もし勘違いだったらどうしよう、とドキドキしながら言ってみた。
「アハハ。バレてたみたいだね」
しかし僕の心配は杞憂に終わったようだ。
電柱から影が一本伸びてきた。案の定、放課後から僕を尾行していたのは金城だった。彼女は太ももが剝き出しのショートパンツに、肩を大きく露出した赤いキャミソールを着ている。昨夜のダメージだろうか。頬に大きめのガーゼを貼りながら、僕に笑いかけている。
「へえ……」
僕はその姿を見て声を漏らした。
「ん? どうかした?」
金城はポカンとしたように聞き返した。
「昨日姉さんとあれだけ派手な戦いをしたのに、その程度の怪我で済んでるなんて。意外だね」
「ま、これでもツッパリのアタマ張ってるしね。そんなことよか」
金城はそう言うと、ずいっと僕の前に歩み出た。香水の甘い匂いが鼻をつく。驚いた僕が後ろに下がるよりも先に、彼女は僕の手を掴みながら言った。
「アンタに話があるんだ。今からちょいとツラ貸しなよ」