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 またしても思うのだが、どうしてこうなるのだろうか。どうにも形容しがたい感情が浮かんでくる。隣で腕を組みながら歩く彼女――嬉しそうな笑顔を肩に乗せる銀夜を見ていると。

 長かった冬は終わりを告げ、季節は春に移ろいでいた。桜の花びらが風に飛ばされ、街を行き交う。しかし道路を歩く足取りが重い。どうにも憂鬱な気分だった。理由はハッキリしていた。銀夜だ。僕は思い切って尋ねてみた。


「ねえ、銀夜」


「なんでございましょう、ご主人様」


「そのご主人様っていうの。他の呼び方にできない?」


 そう提案すると、彼女は暫時俯き、考える素振りを見せた。


 白銀の髪はそよ風に撫でられ、静かに泳いでいる。

 綺麗だ。彫り物のように深い顔立ちと相まって、絵画のようにも見える。こんな子が不良だったなんて、やはり信じられない。


 やがて彼女は顔を上げた。


「他の呼び方ですか。ご主人様、ではお嫌なのですか?」


「娯楽でメイドをはべらす金持ちのひひジジイみたいだ。もっと別なのがいい」


「でも、ご主人様はご主人様ですし。では、『旦那様』ではいかがでしょうか」


「道楽好きな昭和の上流階級みたいでやだ」


「では、親方様では?」


「……全部持ち上げる敬称ばっかりだね」


「むう」


 僕がそう言うと、銀夜は少しむっとしたように言った。


「だって、わたくしはメイドですし。やはりご主人様しかありえません。メイドは主人を敬うべきですから」


「なんだかくすぐったくなるな。もっとフランクに喋ってくれていいよ」


「嫌です」


「嫌なのかよ。なに、人を持ち上げる癖でもあるの?」


「そういったことではありません。ご主人様にのみでございます」


 銀夜はムキになって言い返した。


「ご主人様はわたくしのこと、お嫌いなのですか?」


「え?」


「わたくしからご主人様と呼ばれることが、そんなにも苦痛でございますか」


「そんな……ことはないけど。そっちこそ気を遣ってるんじゃないの? 無理して僕を崇めなくてもいいんだよ」


「無理などではありません」


 銀夜はキッパリと言い切った。


「むしろ、ご主人様に奉仕できることがわたくしの喜びでございます。ご主人様のメイドでいることが、わたくしにとってこれ以上ない幸福なのですから」


「なんだかなあ」


 僕は呆気にとられながら言った。


「僕が言うことじゃないかもしれないけどさ。自分の器を自分で決めない方ががいいよ」


「そのようなことはございません」


 銀夜は躍起になって反論する。


「ご主人様のメイドになることは、わたくしの夢でございます」


 ゆっくりと通学路を銀夜と二人で歩く。陽は大分傾いていた。銀夜の自宅がどこにあるかは知らないが、適当に家の近くまでは送ってやろうと思った。

 人通りの少ない横道に入ったときだった。僕らの前に影が差したのは。


「よお」


 その人物は僕らに向かって声をかけてきた。


 背丈は銀夜より少し高いくらいだった。つまり僕と同じくらいで、眼に悪いくらい眩しい金髪が特徴的だった。吊り眼で気が強そうだが、見た目は銀夜に勝るとも劣らないほど整った容貌をしている。うちとは違う学校の制服を着て、ブラウスの上のボタンは二つ目まで外し、袖はまくっていて、チェック柄のスカートは屈んだら見えそうなほどのミニだった。


「逸海……?」


 銀夜が驚いたように言った。なんだ、銀夜の知り合いか。


「この人、銀夜のお友達?」


「見りゃわかんだろ。アンタこそ何、銀夜のコレ?」


 彼女は小指を立てて下卑た笑いを僕に向けてきた。


「別に、そんなんじゃないよ」


「は? 腕組んで歩いてたジャン」


 彼女は僕の顔を覗き込みながら突っかかってきた。というか、僕と銀夜がそういう関係なのかということに何でこだわるんだろうか。


「どうなんだよ。てかもう懇ろしちゃってんの?」


「急に何言ってんだよ」


「知らねえの? ウブだねえ……男と女がホテルでヤることさ。まさか今時手を繋ぐだけってこたぁないだろ?」


「やめなさい逸海!」


 今まで黙っていた銀夜が、怒りを露にして怒鳴った。


「もうわたくしには干渉しないよう言ったはずです」


「んなことは知ったこっちゃねーよ。つか、何ムキになってんの?」


「わたくしに言う分には何を言ってもかまいませんが、ご主人様に対しての非礼は許しません」


「アンタ、何カマトトぶってんだよ。終いにゃマジでヤッちゃうよ?」

 

 逸海と呼ばれた女が銀夜に詰め寄ってきた。

 今日三度目だが、どうしてこうなるんだ? 僕はため息をついた。


「もしもし? お二人さん?」


 二人は一斉に僕の方を向いた。


「こんなところでケンカしたってさあ、人がいっぱい集まってくるだけだよ。そしたら二人にとっても厄介なことにしかならないよ」


「うるせーな。アンタには関係ないジャン」


「関係ないからって街中で小競り合いしてるのを見過ごす趣味はないな。こう見えても僕は正義を愛する者なんでね」


「うるせーって言ってんだよ?」


 相手はあまり虫の居所がよくなさそうだった。俗な言いかたをしたらキレてるらしい。ならば、僕だって暴力とは違う方法でキレるまでだ。


「街中で喧嘩したら傷害罪の罪に問われるんだよ? 知らないの?」


 さっきのお返しをしたつもりだったが、相手を更に怒らせる結果になってしまったらしい。


「ブッ殺す!」


 彼女が僕に向かって殴りかかろうとしたとき。


「そこまでにしなさい。逸海」


 銀夜が、彼女の動きを制止するように言った。


「温厚なわたくしでも、我慢の限界というものがあります。明日までにあなたを社会的に抹消させてもよろしいのですよ?」


「あぁん?」


「それが嫌なら、ご主人様から離れなさい」


「……チッ」


 彼女は舌打ちしながら拳を収めた。


「まあ、いいわ。こんなひょろい男殴って務所入りなんていい笑いもんだし」


 彼女は僕へと向き直った。


「ねえ。アンタ、名前は?」


「美宝高校二年の亘理空。そっちは?」


「アタイ?」


 彼女は楽しそうにほくそ笑んだ。


「君の名前。教えてくれないかな?」


「アタイは金城逸海(きんじょういつみ)。銀夜とは中学時代の同級生さ」


「金城ね。銀夜とは、今は何の関わりもないのか?」


「はん。そんなことまで言う義理はねーよ」


 自己紹介も終わって少しは友好的になるかと思いきや、金城の態度は軽薄なままだった。


「まあ、いいけどね」


 僕は肩をすくめた。


「どう見ても仲睦まじい関係じゃなさそうだし」


「わかってんジャン。別に知られても不都合はないけどね。アタイには」


「銀夜が元不良だったってこと?」


「!?」


 僕がそう言うと、銀夜は肩をビクリとさせ、金城は怪しく眼を光らせた。

 やはり、銀夜は元不良ってことで間違いなさそうだ。


「一つ言っておくけど、僕と銀夜は今日部活を通して知り合った関係なんだ。当然君の言うような関係にあるわけでもない。銀夜が不良だというのも、知り合いから聞いた、只の噂話みたいなものさ」


「噂? マジウケんだけど」


「マジ」は本気、「ウケる」は笑えるの意味、つまり本気で笑えるという意味なのだろう。なんとなく真面目な学園生活を送っていると、こういう俗な話し方に違和感を覚える。


「何人も病院送りにしてきてるし。語られてんのはむしろ氷山の一角だし」


「へーそうなんだ」


 僕は棒読みで言った。


「そんな怖い不良が、今はこんなにちゃんとしてるんだ」


「ああ、不甲斐ないことにね」


 金城は嘲るように言った。


「かつてのシルバーブレットも、男にゃ弱いってことさ」


「逸海!」


 銀夜が金城にたしなめるように言った。


「ご主人様とはそんな不純な関係ではありません。それに、わたくしはあなたとは袂を別ったのだから、もうこれ以上つきまとわないで!」


「アンタさ、それで本当に縁が切れたと思ってんの?」


「何が言いたいの?」


「さあ、それはアンタが一番よくわかってるはずジャン」


「……今日はもう帰って。お願いだから」


「わかったよ」


 言いながら、金城はきびすを返した。


「でも、これだけは言っとくよ」


 彼女は途中で振り向くと、

「大事なカレシを巻き込みたくなかったら、アタイのグループに入ることだね。でなかったら、そいつがどうなっても知らないよ」


 冷ややかに言い残すと、金城は去っていった。


「ご、ご主人様……」


 銀夜は、か細い声で僕に話しかけた。


「ん?」


「も、申し訳ありません。今まで黙ってて」


「何のこと?」


「わたくしが不良だったことです。礼儀正しい真面目な優等生の如く振舞っていただけに、このような過去を知られて、さぞ嫌悪したことでございましょう?」


 銀夜はおずおずと、上目遣いに僕を見ながら言った。


「別に気にしないよ」


「……はい?」


 視線をまっすぐ受け止めながら答える。


「誰にだって知られたくない過去の一つや二つ、あるもんさ」


「あ、あう……」


 そう言うと、彼女は頬を赤らめて俯きだした。

 なんだか、苛めてるようで気が引けるな。


「まあ、そういうわけでさ。気にしない気にしない」


「……あう♪」


 銀色の艶々な髪を梳くように撫でてあげると、彼女は気持ちよさそうな吐息を漏らした。「あう」というのは彼女の口癖だろうか?


 

 ひとしきりして落ち着くと、彼女とは分かれ道でバイバイを告げた。


「ご主人様。また明日」


「うん、じゃあね」


 彼女の後姿が見えなくなるタイミングに合わせて、僕は深くため息をついた。


「……今日はどっと疲れたな」


 そう一人ごちると、僕は帰路へとついた。 

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