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まずは姉さんが、雷光のような右正拳を繰り出した。
それを前かがみになりかわす金城に、すかさず横蹴りで応酬しようとするが、惜しくも飛んで避けられる。
「甘いね」
金城は身体を捻り、落下の勢いをプラスして、凄まじい威力の飛び蹴りを姉さんの背中に食らわせた。
「あぐっ!」
苦しそうに姉さんは顔を歪ませる。
その隙に金城は、後ろから姉さんに裸絞めを仕掛けた。
金城の腕がまるで大蛇のように、姉さんの首を締め上げていく。
「がっ……あがっ」
脳への血流が止まってきたのか、段々姉さんの顔が赤くなってきた。
そして、手をダラリと下げ――。
「姉さん!!」
「!?」
姉さんは僕の声を聞くと、カッと目を見開いた。
そして、膝を一瞬曲げたかと思うと、勢い良く伸ばして上空に飛び上がった。金城を背負ったまま天井ギリギリまで跳ね上がると、今度は重力の法則に従い地面に降下した。姉さんはその際金城の腹に肘打ちを入れようとしたみたいだが、その前に金城は姉さんの首から手を離していた。
そのまま何事も無かったかの如く地面に着地する姉さんと金城。
二人共しばらく閉口しながら向かい合っていたが、先に姉さんが口を開いた。
「……卑怯な手しか使えないと思ってたけど……中々やるじゃない」
器官が圧迫され、呼吸がしにくくなっているのか、姉さんは息をついて喋りづらそうにしていた。対照的に金城は汗もかかず、表情ひとつ変えていない。その姿はまるで爬虫類のようだ、と思った。
「はん。降参するなら今の内だよ」
金城が嘲りながら答えた。
弱った獲物を前にする捕食者のように。
「その台詞、そっくりそのまま返すわ」
もう息を整えたのか、姉さんはハッキリとした口調で返した。
傍目には、姉さんに分が悪いと思えるだろう。いや、分が悪いというより、敗色濃厚とさえ言えるはずだ。しかし、僕にはそう思えなかった。なぜなら姉さんの眼に光は消えていなかったからだ。
「空」
急に名前を呼ばれ、僕はビクッと肩を震わせた。
見ると姉さんは振り返りながら笑っていた。
「姉さん……?」
「だいじょーぶ。私、絶対に勝つから」
そう言うと、姉さんは再び金城に向かって走り出した。
「はっ、この身の程知らずが!」
金城もまた駆け出す。
金城は突き出した二本の指で、姉さんの眼をえぐろうとしていた。普通の人間ならば、失明の恐怖から身動きすら出来ないところだ。しかし、姉さんはぎりぎりのところで目突きをかわし、逆に閃光の速さで上段蹴りを金城の顔に見舞った。凄まじい速度で金城は吹っ飛ばされる。
「ぐあっ!」
壁に勢い良く叩きつけられ金城はバランスを崩し倒れかけた。その間隙を縫って、姉さんは烈火のごとき素早さで金城の後ろを取り、脇腹に腕を回すと、クラッチをしながらいとも簡単に持ち上げた。そして後方に反り返りながら、金城の後頭部を地面に猛烈なスピードで叩きつけた。
「があっ……」
苦しそうに息を漏らしながら金城がダウンした。その姿を確認しながら、姉さんはそっと金城から距離を取った。金城はぜいぜいと肩で息をしながらも、何とか立ち上がっていた。しかし顔の端からは大量の血が流れ落ちていて、相当のダメージであることが窺える。
「どう? これでも私は身の程知らずかしら?」
姉さんは薄く笑って金城を挑発した。
「うっせ。まぐれ当たりでいい気になんな」
強がりを言う金城に、姉さんは更に追い討ちをかけた。
「今私がその気だったら、あんたは負けてたわ」
笑っていた金城の肩が止まる。
「このアタイが、アンタなんかに負けてたまるかよ。アタイは、この地区の頂点に立つ女なんだ」
「ええ、確かにあんたは強いわ。もしかしたら私よりもね。でもだからこそ、あんたは私に勝つことが出来ない」
姉さんは一拍置いた。
「弱かったらダメなの? 薄弱な人間は、ずっとオドオドして生きていかなきゃいけないの? 絶対的な強者に、ただ支配されていればいいとでも言うの? あんたたちは。
弱くたっていいじゃない。生まれた時には、誰だって弱いんだから。あんただってそうでしょ。負けない人間なんていないのよ。
私だってそう。空がいなければ、何もできない。でもね、それは弱さとは違う。なぜなら人間ってそういう生き物だから。分かる? 金城。あんたは自分一人が頂点に立てれば良いと思ってる。まわりの全てがその捨て駒だと思ってる。でも逆に言えば、それは手駒がいなければ一人で戦えないということ。情けないよね? そしてあんたは、それを認める勇気さえない。
つまり、あんたは最低で腰抜けで間抜けの卑怯者ということよ」
「うるせぇえええええええええええええええ!!」
工場中に響き渡るほどの咆哮を発しながら、金城は姉さんに向かって突進した。
「オラァ!!」
金城の右拳が姉さんを狙う。
「これで、最後よ!!」
姉さんも左ストレートで迎え撃つ。まるで稲妻が駆け抜けたようなスピードだった。
二人の拳が、交錯する。
「姉さあああああああああん!」
僕は大声で叫んだ。
結論から言うと、両者の打撃は相打ちだった。互いの拳は顔面にみっちりとめり込んでいる。しかし問題なのは、二人ともその状態のまま動かないことだった。
「まさか……姉さん!」
僕がそう声を発した時だった。
「ぐふっ!」
スローモーションのように、ゆっくりと金城が倒れた。
まるで、地面に吸い込まれるように。
姉さんは振り返ると、僕を見て微笑んだ。
「ね? 言ったとおりでしょ? お姉ちゃん、絶対に勝つって――」
「あっ」
僕は、足元がふらつき倒れそうになった姉さんの体を慌てて支えた。
腰を抱き抱えるようにして持つと、姉さんは赤く腫れあがった頬骨を触りながら笑った。
「あはは。久しぶりに真剣勝負したから疲れちゃった。我ながら格好悪いなあ……」
「そんなことないよ」
姉さんの言葉を、僕は即座に否定した。
「物凄く、格好良かったから」
というよりも、こんなボロボロになるまで戦ってくれたんだ、僕のために。格好悪いなんてこと、あるもんか。今僕にとって姉さんは、世界で一番頼れるヒーローだった。
「ありが、と……」
姉さんはそう言うと、目を閉じたまま動かなくなった。
どうやら、気を失ったらしい。
「ううっ……」
その時、低い呻き声が聞こえてきた。
「金城……」
見ると、意識を取り戻した金城が起き上がるところだった。
苦しそうに目を開け、金城は僕と姉さんを見比べながら言った。
「どうやら、負けちまったみたいだね」
僕は答える。
「第二ラウンド、やる?」
「いや、もういい」
金城は地面に座り込んだ。
「アタイ達ツッパリは、一度決着がついたらあだ討ちはしないんだ。だから、もうやんね。約束するよ。二度とアンタ達には手を出さないってね」
僕はじっと金城の眼を見つめた。金城もまた僕を真っ直ぐに見つめている。
とりあえず嘘はついてない、ということにしておこうか。
「東藤に、自首させることも忘れないでね」
「分かってるって。少しは信用しなよ」
「今までおたくらにされたことを考えると、信用なんてとても出来ないんだよ。だから、もう一つ約束してくれ。銀夜を不良グループに引き入れることはやめて、今後一切関わらないと」
「断る、って言ったら?」
「その時は、遠慮なく潰させてもらうよ。もちろん、おたくらが泣きを入れるまで」
脅しの台詞としては、何点ぐらいだろうか。大体、高かったとしてもそれはそれで嫌だが。
しかし金城は、素直に同意してくれた。
「ああ、別にいいよ。元々こうなっちゃアタイらもお終いだしね」
「最後にもう一つだけ、聞いておきたいことがあるんだけど」
僕がそう言うと、金城は真剣な面持ちで僕に向き直った。
「何だい?」
僕は、最も疑問に思っていたことを尋ねた。
「銀夜が、お姉さんを殺したという話の真相さ。隠さずに全てを教えてほしい」
そこまで言い終わると、金城は表情を硬くした。
さっきまでは嵐のように騒がしかった工場内に、また長い静寂が戻ってきた。
その静寂を、金城は破った。
「いいよ。ただし、何を聞いても驚くんじゃないよ」
金城はそう言うと、僕の返事を待った。もちろん、僕の返事はYESだ。
「じゃあ、教えてやるよ。あのね――」
金城は僕に、驚愕の事実を語った。