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「さて、どういうことか、わけを聞かせてもらおうか」
恭子は敢えてくだけた調子で言った。
「今日初めて会ったばかりの新入生と、くんずほぐれつの淫らな交わり。それも、大胆に部室でのご乱交のわけを。さぞご高潔な理由があるのだろう?」
めいっぱい皮肉を利かせると、恭子は僕の前の椅子に着席し、両手を組み合わせて質疑応答の構えを取った。絡み合わせた指をトントンと動かしてるのを見る限り、相当苛立っている。しらばっくれれば、しらばっくれるほど泥沼にハマるなこれは。いや、最初から手遅れなのかもしれないけど。
僕は覚悟を決めて、口を開いた。
「彼女さ、僕の――メイドになりたいんだって」
「なに?」
恭子はピクリと眉を動かした。
「メイドとは、下働きの女中のことか?」
「他にあったら教えてほしいな」
僕は肩をオーバーにすくめ、ため息をつきながら言った。
「少なくとも、ガールズバーみたいなところでオタク相手に接客してる、萌え萌えなウェートレスさんじゃないことは確かだよ」
そう説明すると、恭子は呆けたように、
「サッパリわからんな……」
と呟いた。
良い奴ではあるんだけど、見識が少し時代錯誤なのが玉に傷だ。食品メーカーの社長のご令嬢にして、周りが驚嘆するほどの美少女に当たるのだけど。しかし麗しい外見とは裏腹に、一度こうと決めたら絶対に曲げようとはしない頑迷固陋な一面を持っている。綺麗な花には棘があるとはよく言ったものだ。
まあ、綺麗じゃないのに棘だらけの花よりはマシなんだけど。
「それよりもさ」
僕は話題を変えた。
「恭子は彼女と面識があるんだって?」
恭子は一拍置いて頷く。
「面識というほどではないがな。二ヵ月前、私の両親が以前から親交のある人間を招き、自宅で社交界を開いたことがある。戸塚家と以前から交流の深かった美月家、その御息女である銀夜も参席したので、話をする機会があったのだ」
「その時にさ、僕のこと訊かれた?」
「訊かれたどころか」
恭子は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「いきなり亘理空というお人を知りませんかと尋ねられてな、鼻白みながらもよく知っていると答えたら、何から何まで、ありとあらゆる情報を訊かれたよ。出身校、趣味、女子の嗜好までな。それこそあらん限りのことをな」
「どうして?」
「さてな。気になって問うてみたのだが、『大恩あるお方だから是非お会いして礼を尽くしたいのです』としか言わなかった」
「大恩って、何のこと?」
「判らぬ。私が知ってることは以上だ」
恭子がそう答えると、後ろのドアが開かれた。
「まだ残っていたのか。感心だな」
そう言うと、彼女――緒方凛は、ニッコリ笑って中に入ってきた。
「緒方先生。お出でになられたんですか」
恭子が椅子から立ち上がって訊くと、緒方先生は意地悪そうに、
「これはこれは。お邪魔だったかな?」
彼女は僕らを交互に見回すと、大げさな素振りで言った。
「な、何を。私と空は『まだ』そういう関係では……」
まだ、をやたら強調しながら、恭子は顔を赤く染めた。
「ふふ、冗談だ」
緒方先生は頬を緩ませながら、奥の席にある椅子に腰かけた。僕と恭子も何となくそれに倣ってそれぞれの席に座った。
緒方先生といえば、指導熱心なことで有名で、「ゲリラ緒方」という悪意を込めた渾名で呼ばれ、一部の生徒からは敬遠されている。しかしこうして部活動をひたむきに牽引していく姿や、悩める生徒を献身的に救ってることから、それ以上の生徒から慕われている先生である。もちろん、僕もそうだ。
「新入部員が入ってきたらしいな?」
緒方先生は僕に向かって尋ねた。
「そう……ですね。はい」
「今日はもう帰ったのか?」
「ええ」
「そうか……やっていけそうだったか?」
僕は答えられなかった。
まさかメイドになりました、なんて言えないし、かといって銀夜のことを話せば、彼女の素性は緒方先生に確実に知られることになる。やはり、上手い説明の仕方が見つからない。
「ああ、彼女なら誠心誠意、部活動に励むと言い残しておりましたよ」
悩んでいたら、恭子が助け舟を出してくれた。
「おお、では脈はありそうだな?」
「それは……まだ、私からは何とも言いかねますが。緒方先生から美月銀夜と論じてみてください」
「美月……銀夜?」
恭子の言葉に、はっと緒方先生が驚いたような表情を見せた。
しかも良い驚き方ではない。
やめておけ。僕は自身を戒めながらも、
「緒方先生、銀夜のこと、知ってるんですか?」
と尋ねてみた。緒方先生は眉を潜め、
「中学時代のことだけだがな。あまり芳しくない噂だ」
「どんな?」
「不良、だったそうだ」
「ふ……りょう?」
「そうだ」
怪訝に聞き返す僕に緒方先生は答えた。
「しかも、県内で最も恐れられているゴロツキグループのトップに君臨していたらしい。毎年喧嘩による怪我人を数多く出している」
「銀夜が、元不良グループのトップ?」
「かなり荒れていたらしいぞ」
「というと?」
「周囲のチンピラに片っ端から喧嘩を挑んでいたらしい。相手は誰でもお構いなし。高校生だろうがヤクザ相手だろうが、敵が何人いようが。果敢に殴りこみに行って、その全てに打ち勝っている。そのハチャメチャなやり方と銀色の毛髪から、『シルバーブレット』と呼ばれていたそうだ」
「シルバーブレット……銀の弾丸ですか。狼男を倒すアイテムでしたっけ」
「……よく知ってるな。西洋の童話と違って、美月は実在する人間だがな。彼女のことは我々教師の間で相当問題に扱われた。ヤクザにまで手を出して何のお咎めもないのは、彼女の家柄が美月家であるおかげだ。美月といえば政財界に強い影響力を持ち、平教諭ごときでは満足のいく指導もできん。警察に人脈があるからお縄につくこともない。更正できたのが不思議なほどだ」
「更正したんですか」
「一年前、パッタリと不良グループとは手を切ったらしい。この学校に入学してからの素行は品行方正だそうだ」
緒方先生は複雑そうに言った。教師として不良生徒の更生にはかなり力を入れているのだろう。しかし、驚いたのは銀夜が元不良だった点だ。しかも、僕のメイドになりたいと言い出している。こんなことがあるのだろうか。
「本当に何もないのですか。例えば裏で悪さをしているとか」
恭子が訝しげに訊いた。
「私が知る限りでは、彼女自身は一度も問題を起こしてない」
「では……」
「ああ、言っておくが成績は至って優秀だそうだ。一年の担当教諭から聞いたのだが、授業態度も真面目で遅刻や欠席もまったくないそうだ」
恭子が訊くより先に、緒方先生は答えた。
「まあ、家業の問題もあるしな。何がきっかけかは判らんが、いい傾向だよ。学校で暴れられたらお手上げだからな。去年東京から赴任してきた校長は、はっきり言って頼りにならん。世間体のことしか頭にないし、生徒を上辺でしか見ない。先月も一人、髪を赤茶色に染めた二年の生徒を、話し合いもせず停学にさせてしまった」
校長の話はうっすらとだが訊いていた。東京ではやり手だったらしいが、生徒の教育よりも、学園の体裁を優先させるため評判はよくない。
「誰か、停学になったんですか?」
僕が尋ねると、緒方先生は口惜しそうに、
「東藤という女子生徒だ。悪ぶってはいるが、根っこまで不良ではなかった。なかったが、校長は問答無用で停学に追い込んだ」
髪を染めたぐらいでそこまでされるのか。
なんというか、度が過ぎてるな。
僕は何とも言えず嫌な気分になった。
「まあ、規定を守れないというのはそういうことだ」
恭子は僕の肩にポンと手を乗せた。
「気にしても仕方ない」
「……別に気にしてないさ」
「なら、いいのだが」
恭子は安心したように言った。
「すまん。湿っぽい話をしてしまったな」
そう言うと、緒方先生は立ち上がった。
「今日はもう、終わりにしよう。続きはまた明日な」
そのまま、入り口へと歩き出す。
「あ、そうだ」
緒方先生は急に振り返った。
「朱音は、元気にやってるか?」
その言葉は、僕の耳にやけに響いた。
「姉さんは、いつも元気ですよ」
僕は笑った。笑顔が引きつっていたかもしれない。
「そうか。学内でも名声が轟いていてな、小判鮫のごとく校長が各方面に自賛していたよ。県内でも極めて学力の高い大学にトップ合格し、入学式で学生代表の挨拶をしたとな。全て我が校の教育指導の賜物だと吹聴して回っているらしい。まったく、呆れ返るしたたかさだ」
「そうですか……」
僕は緒方先生の言葉を、僕はそわそわと聞いていた。
どう説明したらいいかわからないが。
じっとしていられないような、落ち着かない感覚だ。
「ああ、すまない。また妙な話をして。そうか、元気でやっているか。卒業した生徒が壮健でいることが、教師としてはとても嬉しい。それじゃあな。朱音によろしく伝えてくれ」
「……はい」
笑いながら返事をすると、緒方先生も表情を緩めながら出て行った。
恭子と二人、部室に取り残される。
恭子が口を開いた。
「私はまだ残るが、空はどうする?」
僕は言った。
「もう帰るよ」
「そうか。気をつけて帰るのだぞ……何かあったら必ず連絡しろ」
僕の眼をまっすぐ見ながら彼女は言った。
気遣ってくれているんだ。僕にはそれが、ありがたかった。
「うん、ありがとう。それじゃあね」
僕は一言挨拶すると、部室を出て一階の昇降口に降り、下駄箱から靴を取り出し帰ろうとした。そのときだった。
「ご主人様、お帰りになられますのね」
今一番訊きたくない声が後ろから聞こえてきた。
振り向くと、美月銀夜が優々たる微笑を向けていた。
僕の驚きの表情を介さずに彼女はこう言った。
「お供いたします。一緒に帰りましょう。ご主人様」