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「――なんて、かっこつけたのはいいけど、真犯人についてまだ何も分かってないんだよなあ」


 僕はため息をつきながら家についた。

 ふと玄関先で腕時計を見てみる。午後七時。白絵と黒川は、まだ銀夜のために聞き込みを続けてるんだろうか。そんなことを考えながら三和土の前でかがみ、靴を脱いでるときだった。


「真犯人って何のこと?」


 いつの間にか姉さんが後ろから声をかけてきた。


 僕は振り返ると慌てて答えた。


「ね、姉さん……ただいま」


「おかえり。今日は帰りが遅れるなんて、聞いてないけど」


「ああ、新聞部でちょっとした会議があってね。そのせいだよ」


「嘘。私、緒方先生に連絡したけど、会議があるなんて聞いてないわ。それに空の顔、ものすごーく疲れてるわよ。そういえば真犯人がどうとかって言ったわよね。もしかして、また事件に巻き込まれてるの?」

 

「ちがうちがうちがう。全くもって違うよ」


 僕は首をぶんぶんぶんと横に振った。


「へえ~え。お姉ちゃんにむかって嘘つくんだあ。そかそか。これはお仕置きが必要かな~」


 ハイライトの消えた目で見つめながら姉さんが言う。

 このままだと貞操の危機を感じたので、

「そんなことよりもさ、僕お腹が空いちゃったな。姉さんの愛情がたっぷりこもった夕飯が早く食べたいんだけど」

 と、話をそらした。


 こんな子供だましに騙されるとは思えないけど……。


「お、おおおおおお姉ちゃんの愛情たっぷりの夕飯が食べたい!? 分かったわ空。下ごしらえは済んでるからすぐ作るね!」


 姉さんは簡単に騙されてくれた。

 まったく、我が姉ながら単純というかなんと言うか……。

 

 姉さんに腕を組まれ、不安定な歩き方でリビングに入った。

 僕が椅子に腰掛けると、姉さんはフライパンにサラダ油を入れて温めだす。


「チンゲン菜はオイスターソースにする? それともにんにくソース?」


「オイスターソースをたっぷりと」


 僕は姉さんの背中に向かって声をかけた。


「は~い」


 答えながら姉さんは卵を入れ大きく混ぜて、スクランブルエッグを作っていく。

 隣のガスコンロでは、琥珀色のスープが入った鍋がコトコト音を立てていた。


「先にこれ飲んでて。チンゲン菜はもう少しかかるから」


 姉さんは野菜スープが入ったマグカップを僕の前に置いて言った。

 にんじん、たまねぎ、じゃがいも、ウインナー、キャベツなどが、コンソメベースでバランスよく煮込まれている。


「ありがと。うん、この色合いは食欲をそそるね」


 僕はスープをすくって口に入れた。


「美味い。このウインナーいつもよりパリッとしてるよね?」


「燻製のに変えたの。キャベツと合うでしょ?」


 そう言いながら姉さんは豚肉と青梗菜を炒め、しんなりした所で卵を加えた。スナップを利かせながらフライパンを返していき、最後に調味料を合わせて皿に盛る。熟達した技術だった。


「流石姉さん。見事な腕前」


 僕はスープを啜りながら言った。ご機嫌な夕食のおかげでようやく人心地がついた感じだ。


「んふふ、ありがと。さ、出来たわよ」


 色とりどりのチンゲン菜炒めが置かれる。僕は箸を手にすると猛烈な勢いで食べ始めた。


「ごほっげほっ」


「ちょ、空、大丈夫?」


 途中で喉に詰まらせてしまい、姉さんに大慌てで水を持ってきてもらった。


「ふ~~~っ、ごめんね、姉さん」


「まったく、空ったらそそっかしいんだから」


 姉さんは笑って言った。


 夕飯を食べ終え、空になったテーブルの上で僕は息をついた。


「さあて……これからどうしようかな」


「だから、何を?」


 姉さんが耳ざとく聞き返す。


「やっぱり今日の空、変。奇妙。おかしい」


「まるで僕が精神に異常をきたしたみたいな言い方はやめてくれないかな。困ったことがあるのは本当だよ。でも、姉さんに頼ることじゃないから」


 最後のは、少し失言だったかもしれない。

 案の定、姉さんはなんとも言えず悲しそうな顔をした。


「どうしてそんなこと言うの? 私、空に何かした?」


 姉さんの眼は涙で潤んでいるようだった。

 僕の言葉がそんなに衝撃だったのか、唇をわなわなと震わせている。


「違うんだよ、姉さん」


 僕は首を振った。


「これは、僕たち新聞部の問題なんだよ。だから、姉さんの力を借りたら意味がないんだ」


 新聞部の問題、ね。

 僕は妙な居心地の悪さを感じて視線をあちこちに泳がせ、最終的には姉さんを見た。

 姉さんは昔から完璧だった。美人で頭も良くてスポーツも万能。それに引き換え僕は。

 いや、分かってはいた。どれだけ姉さんが僕に深い愛情を注いでいてくれたか。それは親愛の情を越えて恋愛感情にまで発展している。

 

 だからこそ、僕は姉さんという完璧な人間に嫉妬しているのだ。昨年、僕はとある出来事によって本当の親は別にいることを知ってしまった。

 姉さんとは血のつながりがないことも。

 これは僕にとって驚天動地だった。それまで姉さんは本当の家族だと思ってたし、自分が養子だったなどと疑いもしなかった。


 赤の他人にも関わらず、姉さんは情愛をもって僕に接してくれた。まあ愛情が少し重すぎるけど、基本的には僕も姉さんのことが好きなんだと思う。だけど僕は、姉さんを妬んでいた。それは姉さんを慕う気持ちと必ずセットでついてくる。それは汚く、意地の悪いものだとは知っている。なのにそんな想いを抱き続けているとしたら、僕は何て卑劣な人間なんだ、とも思っていた。


「――それは違うわ、空。あなたはそんなこと気にしなくていいの。私は空のお姉ちゃんなんだから」


 姉さんは僕の心境を見抜いたかのように、熱意を込めた眼で言った。


「姉さん……」


「私ね、小さい頃から弟が欲しかったんだ。だから、空がうちに来てくれた時嬉しくて仕方がなかった。ああ、夢が叶ったんだって」


 姉さんは、記憶の中の僕と、現在の僕を重ねるように言った。


「そんなに嬉しかったんだ」


「そりゃあもう。私がこの子を守らなきゃいけないって。空手を習ったり、お料理の手伝いしたり、お勉強したり。毎日必死に努力してた」


「努力って、姉さんが?」


 天才である姉さんにも、苦労などあったのだろうか。

 そんなことを思いながら聞いた。


「当たり前でしょ」


 姉さんは笑って答えた。


「全てはあなたの為。血は繋がってなくても、ふたりっきりの姉弟なんだから」


「姉弟……」


「姉弟。代わりなんていない。だから力になりたい。何も問題ないじゃない」


 姉さんは少し苦しそうな顔をして自分の首を軽く絞めた。


「逆に空は、私がピンチになっても助けてくれないの?」


「どうだろうね。その時になってみないと分からないよ」


「空らしい」


 姉さんは顔をほころばせた。しかしすぐに表情を引き締めた。


「……でも、ね。私には空は命よりも大切な存在。だから、たとえ空にとって迷惑でも、ほうっておけないの」


「迷惑だなんて、そんなことないよ。でも、姉さんを巻き込みたくないし……」


「誰にものを言ってるのよ、誰に。私は空のお姉ちゃんだよ? 空がおねしょした布団を干してあげたのも私なんだぞ」


「それ、いつの頃よ」


「えっと、六歳十ヶ月頃ね。あの頃の空も可愛かったなあ……」


 姉さんは恍惚の表情を浮かべていたが、ハッと我に返り、

「あ、ご、ごめんね。引いた?」


「いや……姉さんはやっぱり姉さんなんだなあと思って」


 僕は目を伏せて頭を掻いた。

 ちょっと感動してた自分が馬鹿みたいだ。


 だけど。


 僕は姉さんの言葉を反芻してみた。


――血は繋がってなくても、ふたりっきりの姉弟なんだから。


 確かにそうだ。

 近くにいすぎて、一番肝心なことを見落としていた、のかもしれない。

 

 僕は頭を上げると、姉さんに向き直った。


「それじゃあ話すよ。あのね」

 

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