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「本当なのか」
僕はそう訊いた。
「本当に、銀夜がそんなことをしたのか」
「本当かどうかは分かりません。あくまでも噂話ですから」
白絵はそう答えると、友達の“噂話”とやらを詳しく解説してくれた。
白絵の友人は昨夜、犬の散歩で河川敷を通りかかった所、数十人の不良同士が激しく争ってるのを目撃したらしい。
「とてもびっくりしたって言ってました。何しろ生で喧嘩を見るの初めてだったそうで。でもすっごくドキドキしたそうです」
「『クローズ』を視聴することをオススメするよ。それで、続きは?」
「あ、あたしは『ドロップ』の方が……じゃない。えーっと、そこに銀ちゃんとよく似た人を見たっていうんです」
「よく似た? 不確かだな。本当に他人の空似かもしれないじゃないか」
「それはないそうですよ」
「……どうして言い切れる?」
「あたしは信じてないんですが、長い銀髪をしてたらしいんです。ニット帽とマスクをしてたし、暗かったから顔はよく見えなかったそうですけど。でも、日本人で銀髪って珍しいでしょ?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。単に白髪なだけかもしれないし」
「あ、そっか」
「他に確証はないのかよ。裏づけみたいなものは?」
「あたしに聞かれても。逆に訊きますけど、部長は本当に銀ちゃんだと思うんですか?」
白絵は険しい顔で尋ねてきた。
僕は正直なところを言った。
「僕には分からないよ」
「部長……」
「僕はその現場にいたわけでもないし、銀夜の家族や恋人でもない。昨夜の銀夜の行動なんて知ったことじゃないよ」
「そんな言い方って……あ、すみません。でも、部長は銀ちゃんと一番親しい人ですから、何か知ってるんじゃないかって思ったんです」
「知らないよ」
僕はキッパリと言った。
「でも、これだけは知ってる。銀夜はそういうやつじゃない。一度誓った約束は死んでも守る人間だ。だから、僕は信じてる。銀夜はやってないってね」
僕はそう言い残すと、白絵を残して自分の教室へと向かった。
何も言わないが、白絵の顔は希望と哀しみが入り混じったような、複雑な表情だった。そして、それは僕も同じだっただろう。
まったく、世話のかかるメイドだ。
そう心の中で呟くと、二年A組の教室に入った。
まだ早朝の為か空席が多い中だというのに、その人物は姿勢よく椅子に座って予習をしていた。陽光のせいか彼女の美貌は、閃光が煌いているようにも見えた。周囲の女生徒と比べても、一段上の容姿に思える。しかし、その生徒達がほとんど来ていないのはラッキーだった。内緒話にはちょうどいい。僕はまっすぐに進むと、彼女の前に立った。
「おはよう、恭子」
彼女は手にしていた教科書から眼を離し、僕を見つめた。
「ああ、おはよう、空」
彼女の面差しに、よりいっそうの輝きが加わった。
「訊きたいことがあるんだけど、ちょっといいかな?」
それだけ言えば伝わったようだ。彼女は黙って頷くと席を立った。
雑談や世間話をしている生徒達から離れるように教室を出て、僕らは誰もいない新聞部の部室へと向かった。完全なる防音とは言いがたいが、それでも十分だ。僕はテーブルに着くと、同じように椅子に座った恭子に昨日の銀夜と金城のやり取りを説明した。
話してる間、恭子は瞬きすらせず、僕の言うことに耳を傾けていた。銀夜が五人もの不良を一瞬で打ち負かしたことを言っても、「そうか」と小さく相槌を打っただけだった。
明らかに反応が違ったのは、銀夜がお姉さんを殺したと金城に脅迫されたことを話した時だった。
「……信じられん」
眼を見開いて、しきりに驚いている。
「僕も信じてるわけじゃないよ」
僕は言った。
「でも、銀夜の様子は普通じゃなかった。何かあるはずなんだ」
銀夜が金城に脅されていたこと。
不良グループの交戦に銀夜が関わっていること。
この二つが無関係とは思えないのだ。
「最悪の場合、もしかしたら……」
僕は、そこで言葉を切った。恭子は黙ったまま先を待っている。言わなくても続きは分かっているとは思うが。踏ん切りをつけるためにも、僕は言った。
「銀夜は、お姉さんの死に関わっているのかもしれない」
「いや、悪いがそれはありえない」
恭子は佇まいを直して言った。
先ほどまでの驚嘆していた顔が、凛々しく変わる。
「ありえないって、どういうこと? 詳しく説明してくれる?」
「うむ。私が中学の頃だが、銀夜の姉君は交通事故に合われて亡くなったのだ。当時そのニュースを訊いた時は心臓が止まるほど驚いたよ」
「交通事故ってことは、車にはねられたってことか」
「そうだ。もっとも私が知っていることは、断片的なことに過ぎない。公に出来ない裏情報もあるのかもしれない。しかし、殺人であることは考えられないのだ」
「どうして?」
「完全なる不注意だからだ。銀夜の姉君は青信号にも関わらず、運転中の車の前に突然飛び出した。避けようがなかった。目撃者の証言があるのだ。間違いはない。警察の調べでは、銀夜の姉君が日ごろの習い事で疲労が溜まっていた為、安全確認を怠っていたのだろうということと、遺書がないため自殺の可能性は低いということだ」
恭子は一息ついた。
「これで分かったか? 銀夜が犯人ならば、その時に露見しているはずなのだ。もちろん運転手の過失でもない。その証拠に、加害者は無罪判決を受けている」
「ということは、完璧に事故ってことか」
「もし殺人だったなら、それこそ重大事件になっている。なにしろ、美月家の跡取りが死んだのだからな」
「うーん……」
唸っている僕に、また恭子は話しかけた。
「昨夜の真相を知りたいなら、放課後また部室へと足を運ぶがよい。緒方先生から部員全員に話があるそうだ」
「緒方先生が? それってもしかして、銀夜について?」
「さてな。私は何も訊いておらぬ」
それきりだった。僕らは図書室にいる時のように、口をつぐんでいた。
やがて、ベルが鳴った。もうすぐ朝のホームルームが始まる。
「じゃあ、教室に戻ろうか」
そう言うと、恭子は閉口したまま腰を上げた。
部室の鍵を閉める時、ふと気になったことを聞いてみた。
「ねえ、恭子は昨夜の件、本当に銀夜がやったと思う?」
彼女の返事は、簡素だった。
「私には分からぬ。知っているのは本人だけだ」
「……そっか。そうだね」
それだけ訊くと、僕らは部室を後にした。