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 僕はまず左側に置かれた銀夜の重箱を見つめた。


「……やっぱり美味しそうだな」


 銀夜のはお弁当というより、ハイグレードなホテルの御膳という言葉が似合う気がした。


「でも姉さんのも旨そうなんだよなあ」


 対して右側に置かれた姉さんの手作り弁当には、きめ細かく丁寧な工夫が施されている。手先が器用な姉さんは、料理もまたプロ級なのだ。僕の好きなにんにく醤油の唐揚げが入っているのも、ポイントが高い。しかし、がっつり系だけではなくて、小松菜とコーンのサラダや、ピーマンの牛肉炒めといった野菜系もあった。姉さんの信念として、僕の栄養バランスを最優先に考えているのだろう。細部のこだわりから、僕への愛情が伝わってくる気がした。


 どちらも凄く美味しそうだ。取捨選択が不可能なほどに。しかしどちらかを選ばなければならない。その事実が子泣き爺のように重く背中にのしかかってくる。

 僕は二人の顔をチラリとのぞき見た。姉さんの表情は自信に満ちた顔つきだった。いささかも焦燥が見られない。ふと眼が合うと、まるで陽が射したように明るく、僕の顔を見つめ返してきた。その表情は、自分の弁当を選べと仄めかしているようにも見えた。


 たまらず視線を移すと、銀夜も僕のことを見つめていた。彼女の方は、捨てられた子犬のような目だった。顎のあたりに手を当て、今にも泣きそうな表情をしている。これも精神に突き刺さる。選ばなかったらまるで銀夜を捨てたようになるだろう。


 ってなんだこの四面楚歌な状況は。


「でも、食べ慣れてるだけあって、姉さんの弁当は魅力的だなあ」


 僕がふと呟くと、

「でしょでしょ」

 姉さんが胸を張って誇らしげに言った。


「じゃあ、私のお弁当でいいのね、空?」


「うーん」


 僕は思案した末、最初の直感に任せることにした。


「そうだね。チョイスするとしたら、やっぱり姉さんの…………」


「ご主人様?」


 そこまで口にした瞬間、銀夜の体からドス黒いオーラが立つのを感じた。もちろん、姉さんのが良くて銀夜のがダメだというつもりはない。なので、そこまで深刻な意味で受け取らないと思ったのだが。


「どうされました、ご主人様。まさかとは思いますが、わたくしを裏切るおつもりではありませんよね? もしそうならば、ご主人様の一生心に残るような死に方をしてみせるだけですが」


 しかし、この子は深刻に受け取っちゃうタイプだったようだ。


「……や、やっぱり銀夜のほうが……」


「空?」


 そう言うと、今度は姉さんの顔が般若のような恐るべき形相になっていた。どっちの弁当を選ぶかというたわいのない話だったはずなのに、この二人はまるで紛争でもしているかのような真剣さだ。銀夜のを選ぶと姉さんは怒るだろうか。お仕置きを受けてしまうんだろうか。というよりも、僕はどうしてこんなに苦悶しなければならないんだろうか。


「空、もし私のを選ばなかったら……分かってるわよね?」


「あ、えーっと」


「ご主人様! わたくしの真心を無下にするのですか!?」


「――それは、だから――」

 

 二人の顔を代わる代わる見つめていると、ハッキリと分かった。やっぱり駄目だ。どっちかを選ぶなんて出来ない。僕はハーレム系アニメの主人公みたいな、優柔不断な奴を心底軽蔑していたというのに。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。本音と本心による、直線的な思考を持つ人間でありたいと常々思っていたというのに。


 今の僕には、ハーレムアニメの主人公みたいな態度しかとれずにいた。


「だったらさ、今は二人の弁当をいただくとして、とりあえず没収試合ってことにしない? 決着は日を改めてつければいいことなんだし」


 僕は二人をなだめるように言った。


「駄目、決着なら今つける」


 しかし、我が姉はきっぱりと撥ね付けた。


「わたくしもですわ。大体そんな曖昧な定めごとで、とりあえずこの場を切り抜けようという考え方は、わたくし達の愛に対して失礼ではないかと」


「う……」


 結構な的を得た指摘をされてしまった。

 すると、姉さんも銀夜の言葉に便乗しだした。


「あーっそれ分かる! 空ったらてんで意気地なしなんだもん。僕は姉さんを一番愛していますってハッキリ言えば全て丸く収まるのに」


「そうですわねえ。ご主人様ときたら、男性として積極性に少し欠けてらっしゃいますから。わたくしのことを誰よりも愛しているというのに、素直になれないのですわ。それにわたくしの重箱の方が、あんな地味で飾り気のない料理なんかより優れているというのに……」


「なんですって! あんたのなんてただ素材が豪勢なだけじゃない! 私のは心がこもっているのよ! 心が!!」


 銀夜の言葉に姉さんが過敏に反応する。

 僕は止めようと椅子から立ち上がったが、間に合わずに二人はもう向かい合っていた。

 睨み合う二人の間にバチバチと火花が散る。

 これぞ正にハーレム物の王道展開。


「……って、そんなお気楽なこと考えてる場合じゃないか」


 僕の呟きも、まるで聞こえなかったようだ。銀夜は姉さんに向かって口を開いた。


「わたくしと一戦交えようと言うのですか。よほど命がいらないと見えますね」


「なんで? どうして? まるで意味がわからないわね」


「わたくしが貴女に引導を渡すと言っているのです。ご主人様の姉君ということで多少は大目に見てきましたが、もう我慢なりません」


「ふーん、勝手に人の弟に手え出しておいて、よくそんな独りよがりなことが言えるわね。まあ、いいわ。我慢出来ないのは私も同じだし」


 姉さんがそう言うと、銀夜は姉さんに向かって走り出した。まるで稲妻のような速さだった。姉さんも迎え撃つ。僕には何も出来なかった。それは僕が瞬きする瞬間の出来事だったのだから。


「いくわよ! この泥棒猫メイド!」


 まず姉さんがパンチを繰り出した。正確に銀夜の顔を射抜いたように見えた。


「どこを狙っているのですか」


 しかし、それは銀夜の残像に過ぎなかった。

 そして素早く後ろを取ると回し蹴りを背中に食らわせた。


「あぐっ!」


「姉さん!」


 痛みに顔を歪めた姉さんが床に倒れこむ。その隙に銀夜が足を上げて勢いよく姉さんの頭に振り下ろしたが、その合間を縫って姉さんは瞬時に立ち上がっていた。再び向かい合って対立する姉さんと銀夜。数秒の後、動き出したのはほぼ同時だった。


 銀夜の左拳が姉さんの右頬を掠めると同時に、姉さんは右のハイキックを繰り出した。ガードはしたようだが衝撃で銀夜の体は壁際に吹っ飛ばされた。よろける銀夜の脇腹に姉さんは更に蹴りを入れようとする。すると銀夜は体を捻り、垂直に飛んでそれをかわした。そのまま背後をとられ、裏拳で応酬しようとする姉さんの頬に銀夜の左拳がヒットする。


 思わず我が眼を疑ったが、僕の目の前で繰り広げられているのは、美少女の打ち合いだった。互いに鳩尾や顎など、急所を狙っている。しかし、二人はそれを寸前でかわしていた。その熾烈さに、僕はポカンと口を開いたままだった。


 その後、激しい殴り合いが続いた。戦いにピリオドを打ったのは、昼休みが終わるチャイム音だった。その甲高い音が鳴った時、二人は互いの顔に拳を寸止めした状態で静止した。そして双方ゆっくりと拳を収める。

 

「もう少しでしたのに」


「本当だわ。あと十秒あればあんたの息の根を止められたのにね」


 銀夜の言葉に姉さんは落ち着き払って返した。


「うーん、せっかく空とラブラブなお昼休みを過ごそうと思って来たのに……もう、何で空ったらいつも私のいない間に変なのにまとわりつかれるのよ! いい加減に私と子作りして身を固めなさいよ! そうでしょ、空!?」


「最後のはちょっと許容しかねるけど、まあそうだね」

 

 プンプンと怒り心頭な姉さんに、僕はため息をつきながら答えた。


「じゃあ、詳しい経緯は空が帰ってきたらみっちり聞かせてもらうとして、決着はまた今度ね。美月銀夜さん?」


「よろしいのですか。次はこの程度では済ませませんよ」


「あなたこそ、墓石の用意でもしておくことね」


 姉さんはそう告げると、この場から立ち去っていった。嵐の後のように静まり返った生徒会室に残されたのは、ひっくり返ったテーブルや倒れた椅子などの、おびただしい戦いの爪跡と、ぐちゃぐちゃになってみる影もなくなった、僕が食べるはずの弁当箱だけだった。

 

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