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レトロなアニメを観ていると、「嵐の前の静けさ」という言葉が出てくる。この時の出来事がきっかけで、よもやあんな事件に巻き込まれることになろうとは、と。嫌いな表現ではないが、回りくどいというか、もっとストレートに仕上げればいいのにな、と思う。今思い返すと、あの頃の僕は実に愚かだった。
今から話す騒動も、最初は実に穏やかな出だしからスタートした。そう、徐々に旋風のごとく僕らを巻き込んでいったのだった――――。
新聞部というと、どんなイメージを抱くだろうか。大抵は文化部というだけで楽な活動だと思われる。新聞部なら尚更日陰者という認識が強い。まあ、頭脳労働という点では間違っていないけれど。しかし元々新聞部の活動というのは、大衆に向けて的確な報道や賑やかニュースを伝えるのが目的なのだから、部活動自体は日陰の存在でいいじゃないか、と僕は思う。
何が言いたいのかというと、我が新聞部には部員が少ない。
今年三年生が引退したせいだが、それでも僕を含めて二人だけというのは流石にあんまりだろう。これでは記事を書き上げるどころか、どうやったら部員が増えるだろうと専ら探っているところだ。
こんな時、運動部にいればなあとつくづく思う。サッカー部やバスケ部なら、黙っていても人が入ってくる。しかし新聞部だとユニフォームを着て走り回ったりすることがないので、どうしても地味な部活だという烙印を押されてしまう。そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか、と我ながら泣きたくなってしまう。
なんにしろ、我が新聞部には部員が少なかった。
四月下旬、授業が終わった放課後に部室で一人、部員確保の為にああでもない、こうでもないと頭を悩ませるぐらい人がいない。
仕方がない。これも部長たる僕の責任なのだ。
といっても無理やり着任させられた、なんちゃって部長だけども。
「空、ちょっといいか?」
うんうんと苦悩していると、ふと声をかけられた。
空というのは僕の名前だ。亘理空。ありふれたネーミングだ。
「いいけど、どうかしたの? 恭子」
「……それがな」
彼女は何か言いずらそうに眉をひそめた。
戸塚恭子は僕と同じ二年生、刎頚の友にして、我が新聞部唯一の部員だ。熟練した空手の達人にして、成績優秀の文武両道。性格は質実剛健、容姿は大和撫子を彷彿とさせる楚々とした美しさの上、凛とした振る舞いを併せ持つ。しかし今は、その恭子の表情にかすかな影が差していた。
僕は胸騒ぎを感じて尋ねた。
「まさか、恭子までやめるとか言わないよね?」
「ば、馬鹿をいうなっ」
恭子が怒ったように答える。僕はほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。恭子にまでやめられたら、新聞部は廃部同様だもんね。まあ今でも二人しか部員はいないんだけど」
「そうではない。むしろ逆だ。入部希望者がやってきたぞ」
「本当に? よかったじゃないか。どういう人?」
「……それなのだがな」
彼女――戸塚恭子は言葉を詰まらせた。日本人形のように慎ましく美しい面様が、いびつに歪んでいる。
「……まさか、ヤクザの息子とか暴走族の親玉とか、そういう危険な方?」
「いや、素行は全く問題ない」
「それなら、いいんだけど」
そもそもヤクザの息子だとしても、僕に入部拒否する権限なんてないけど。
そういう管轄は顧問の緒方先生の領域だ。しかしあの先生は手厳しすぎて逆に困ってしまう。つまり、僕がフォローする羽目になることには変わりないのだ。
「まあ、とにかく査定してやってくれ」
恭子は振り向いて部室のドアに向けて声をかけた。
「おい、入ってまいれ!」
「承知いたしました」
愛くるしい声と共に、一人の少女がドアを開け入ってきた。
その人を見た途端、僕は驚きの声をあげた。
まるで絵本の中から飛び出してきたお姫様のようだった。銀色の髪は絹糸のように木目細かく、瞳は思わずドキドキするほどくっきりしていた。鼻は高くつんと上を向いている。三次元に存在していることが信じられないほどの美しさだった。
しかし、少女は幻影でもなんでもなく、入り口を通り僕の前まで歩いてきた。眼の前で見ると、より一層麗しさが強調される。
「空。何を見とれておる?」
恭子がきっと僕を睨んだ。
「あ……ああ」
僕は慌てて口を開いた。
「あの……入部希望者なんだって?」
入部希望どころか、お城で優美にお茶でも飲んでそうなイメージしかないが。ここに来たということは入部希望者ということで合っているのだろう。
彼女は答えた。
「その通りですわ、亘理空さま」
天使が喋ったら、こんな声をしているのだろう。
今すぐウグイス嬢にでもなれそうだ。
「えっと、ああ、うん」
僕は思い切り上擦った声で返事をした。自分で恥ずかしくなる。
「私は退室していよう」
恭子が言った。
「くれぐれも、間違いなど起こさぬようにな」
ぐっと顔を突き出しながら、恭子が言った。おそらく手を出したりするなよという意味だろうが、言われなくてもそんなことをする気はさらさらなかった。
「わかってるよ」
僕がそう言うと、恭子はホッとしたような顔つきに変わった。よかった、恭子は空手の達人だから、喧嘩になったらまず勝ち目はない。仮にそうなったとしたら、ありったけの力で――逃げるしかない。
「それでは。また後でな」
「うん。悪いね」
恭子は部室から去っていった。
「あの……」
残された少女が恐る恐る話しかけてきた。
「ああ、ごめん。とりあえず座って」
僕は椅子を彼女の前に置いた。
「ありがとうございます」
彼女は眩しいほどの笑顔で言うと腰掛けた。
「ところで」
僕は切り出した。
「名前を訊いてもいいかな?」
「申し遅れました」
彼女は丁寧にお辞儀をした。
「わたくし、一年B組の美月銀夜と申します」
そしてゆっくりと顔を上げた。
「以後、お見知りおきを」
「美月さんね」
「銀夜、とお呼びください」
「そう? じゃあ訊くけど……銀夜さんはどうして新聞部に入りたいの?」
「あなた様がいらっしゃるからです」
「はい?」
銀夜の言うことが判らず、僕は訊き返した。
「…………」
彼女は黙って椅子から立ち上がった。
そして床に三つ指を突き、深々と頭を下げた。
「え? 何してるの? 銀夜さん」
今思い返しても、この時の驚きはハッキリと記憶している。
彼女は綺麗な声で言った。
「わたくし、あなた様の下でメイドとして奉仕するために参りました。不束者ですが、よろしくお願い致します、ご主人様」