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第零話「ドゥアト」


朝が嫌いだ。今日も生きないといけない。


昼が嫌いだ。会いたくも無い人間と日がな一日顔をつき合わせなければいけない。


夜が嫌いだ。暗い部屋に聞き飽きた音楽。また朝が来る恐怖。



『────により─政府は──国内の人口の著しい減少に─対策──』


あぁ、また朝だ。

半ばうんざりした様子で母の作った朝食を食べる。静寂を紛らわす為のテレビを観るでも聞くでもなく支度をして無言で家を出た。


学校。

なぜこんな所に居なくてはいけないのだろう。よく大人は「社会に出る為の訓練であり、若いうちにしか得難いものを得る為に」などと宣うが、これが社会の縮図であると言うのなら社会など塵の掃き溜めだ。


「孝之、ちょっと」

今日が始まって初めて名前を呼ばれる。

けど、これは。




放課後のトイレで「友人」達に呼び出されるのはもはや日課である。「友人」達は「僕」で遊ぶ。

ごみ箱の中身を頭から被せ、汚水を浴びせ罵詈雑言を。いつからだ。覚えていないがいつの間にか日課になったこの「遊び」は、とっくに周知のものだ。誰も助けてくれないと思わなかったことはない。だがそれを周囲に「悲劇ぶって」と言われるようになってからはそれすら感じなくなった。


「遊び」から解放されて、ぐしゃぐしゃの制服をどう片付けるか考えながら歩いていると、ふと視界に大人の足にしても大きなカッターシューズが入り込んだ。思わずうつむいた顔を上げたら、目を疑った。


高校生である自分でも仰け反る程の長身、陽に透ける朝靄のような髪、青い瞳、そして何より現代の日本に…いや、世界ですら似つかわしくない古臭いスーツを着た男が何か話したげに目の前に立っていた。



(やばい、外国の?人だ。道とか聞かれても答えられないよ…)


そう考えるや否や男は

「はじめまして。木下孝之君。」

と、流暢な日本語で孝之の名を呼んだ。

「─え?」

内心自分の個人情報を持った外国人に話しかけられたら、誰だって警戒する。持ち合わせた劣等感もあり、思わず目を逸らした。すると男は

「あ!怪しい者ではありません!僕は『人口管理局』特務課特区のニコラス=フーリエと言います!」とたたみかけるように口早に言った。



──怪し過ぎる。




「人口管理局って…何ですか?」

恐る恐る聞くと「ニコラス」と名乗った男はパッと笑顔になる。

「『人口管理局』は世界中の人口減少や激増に歯止めを掛ける為の政府機関です!最近ニュースとかでも取り上げているようですが…ご存知ないですか?」


─そう言えば、今朝テレビで人口がどうのとか言ってたような…


「…それで、僕に何の用で?」

そう聞くとニコラスは少し憂いた顔になり

「木下孝之君、君は今『死にたい』と思っていませんか?」

刹那の逡巡に呼吸が止まる。

「──そ…んなこと──」

誰かに言われた事で急に陰影を増す感情だった。するとニコラスは

「そこで僕の仕事です。君の『死にたい』気持ちを取り除きに来たんです。」


目の前の、何時もの自分の周囲の光景から逸脱した風貌の男は、何を言っているのか。あるいはこのみすぼらしい格好をした自分をふざけた気持ちで貶めたいのか。

だけどその男からは、何か「異なる」ものを感じた。見てくれからではない。


「──どうやって?」


こんな事を聞いて何になる。だけど、聞かずにいられずにぽろりと口から言葉が出た。

するとニコラスは


「何故、死にたいと思ったのですか?」


───ああ。

彼も同じだ。今までの親や教師の放つ第一声、「何故」。

沸々と込み上げる怒りとも悲しみとも落胆とも取れない感情を抑え、なんとか次の言葉を絞り出した。


「…理由が、ないと、いけないんですか?」


「理由があるはずですよね?」

彼はまるで明日の天気でも尋ねるかの様な語調で続けた。

「理由がなければ人は生きたいと思うのが普通です。ならその理由を無くせば良いですよね?」


──この男は馬鹿だ。自分とは多分果ての果てまで分かり合えない。先程から抑えていた感情がこぼれ出す。


「……っ、それが、出来ないから!僕は死にたいんだ!!」


それでも視界の彼は淡々と言う。


「では、あなたの『死にたい』気持ちは変えられないのですか?」

「そうだ!僕はもう死ぬしか無いんだ!」


風が冷たい。そういえば、普段通るこの道、車はおろか目の前の男以外人一人居ない。その男も、孝之の言葉に何の色も見せず言葉を紡ぐ。


「それではこちらの『自殺受諾書』にお名前を戴けますか?」


男の言葉に耳を疑う。


「自殺受諾書?」


「そうです。この書類を以て君を正式に『自殺』させます。」


さっきまで僕を生かそうとしていた人間の言葉とは思えない。戸惑いを隠せずにいるとニコラスはこう続けた。


「やっぱり死ぬのは怖いでしょう?」


──まるで今までの自分全てを否定された気になった。悔しい、悔しい──僕が死ぬなら僕を虐めて来たあいつも、あいつも、あいつも。みんなみんな、───死ねばいい。


そこから先は何時もの無感情な自分は消えた。慟哭と共に男の手にした紙に自分の名前を書いた。

殴り書きされた自分の名前。

すると背後から特段冷たい風を感じ振り向く。同時に、怒りで自分がおかしくなってしまったと錯覚した。


自分の周りは道路とビル群。それが偽物に見える程の大きさの、形すら定かではない真っ黒な靄。それらに目や大きな口が付いている。

するとニコラスがまるで見慣れたものを見るように

「出たな…やー大きいなー。」


─玄関に虫でも出た様な感想に対して孝之はがくがく震えた。

死ぬ。殺される。これに殺されることが『自殺』なのか?


「これがなんだか判りますか?君の『死にたい』気持ちですよ。」


「……死っ…こ…れが?」


「僕らは“これら”を『ドゥアト』と呼びます。これらは人の死にたい気持ちから生まれて死にたい原因もろとも滅ぼします。これの退治が、僕らの仕事です。」


次から次に入ってくる知らない情報にただただ言葉を失うばかりだった。ただ、繋ぎ合わせた情報から、なんとか導き出した一言。


「………これを……?」



それを聞いたニコラスはにっと笑って見せ、言葉無くして「大丈夫」と孝之に伝えた。

そしてニコラスはおどろおどろしい呻き声を上げる靄に何か──玩具の様な小さな銃を向け、引き金を引いた。ドラマのように雷鳴のような音など出ずに、大きな靄が歪んで行き、やがて呻きながら消えた。


───なんともあっけなく、孝之から生まれた『ドゥアト』は跡形も無く消え、いつの間にか道路に車が走り、人が歩き出していた。一つおかしな点は道を歩く人々が誰も道にへたり込んだ孝之と、手を差し伸べるニコラスに気付かない事だ。

「もう大丈夫ですよ」

そう言って孝之を立ち上がらせ、学校から既によれよれだった孝之の制服を引っ張っていた。眼前に起こった出来事に唖然としていて忘れていた。

「えっ…いっ、今……?」

慌てふためく自分にニコラスは微笑んで見せる。どれほど練習すればそんな柔らかに微笑みかけられるのかと思う程に、ニコラスの笑顔には安心感があった。


「君の死にたいは確かに君と、君のお友達を殺す力がありました。──自分だけ楽になるのは簡単です。委ねてしまえばいい。ですがそれをしてしまうと思考するにも能わない『死』になる。…今の君は、どうですか?」


そう言われて初めて先程までの呪わしい気持ちが、薄らいでいることに気がついた。ニコラスは何やら空中を舞う煌めく蝶のような物体にぶつぶつと話しかけている。孝之は自分でも恐ろしく聡く感じた。


別れの時だ。


ほんの数十分、もっと短いかもしれない。だけど何故だか彼──ニコラスを忘れたくなかった。これでお終いにしたくなくて口をついて出た言葉だった。


「あのっ、僕…僕も、誰かに…貴方みたいに…」


まごついている間にニコラスが消えてしまうのではないか──現れた時のように唐突に。そう思うと余計に言葉が出なくてもどかしかった。するとニコラスは


「いつか君にしか出来ない、尊いことがありますよ。例えどんなことでも、君が大事に思う事が。」


「…っ、貴方に…貴方みたいな強いひとに、絶対になってみせます!」


こんな事、言わない方が良かっただろうか。だって、自分でも覚えてない間、泣いた事なんてなかったのに。初対面の人の前で無様な姿を晒して。


それでも。


別れ際の、ニコラスの笑顔が今でも僕を元気付ける。あの泣きそうな笑顔。それでもまた会えると思った。






朝が嫌いだ。今日も変わらない一日が始まる。

だけど今朝は早く起きた。家から少し歩いた小高い丘に腰を下ろして、朝靄にけぶるビル群を眺めた。


───今日は一番に教室に入ろう。

「ここ」から始まる何かがあると思った。



────end───

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