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小生の夢一夜

作者: 青木一郎
掲載日:2013/12/07

「おばあちゃん、大丈夫ですか」


 梅雨の時期、夕方の駅構内、階段前で重たい荷物を持ち上げようとうろうろしている老婆に、紺の学生服を着た少年は声をかけた。


「ああ、大じょぶたい、よかとよ」


 小柄な老婆は口をもごもごさせながら手を振った。老婆は階段を上ろうと足を踏み出したが、すぐにふらついたので、少年はあわてて駆け寄った。


小生(しょうせい)が持ちますよ」


 少年は満面の笑みを浮かべ、老婆に手を差し伸べる。老婆は少し迷った後、感謝の言葉を述べながら荷物を少年に渡した。二人で階段を上りつつ、彼は老婆へ話しかける。


「階段の上り下りの際、ご老人の方々は関節の可動域が制限されていて危ないのです。言うなれば、すべりの悪くなったふすまでしょうか。ぐっと力を入れないと開かないでしょう?」

「ほんにこの年んなると身体のあちこちがうまく動かなくての。娘夫婦に面倒見てもらうのがつらくて」

「ある程度はしかたない部分もありますが、無理せず身体を動かしていくことが大切です。まだまだ元気でいらしてくださいね」


 少年と老婆は階段を上りきる。少年が老婆に荷物を渡すと、彼女は感謝の意を伝えた。


 少年はそれを聞き、もじもじと顔を赤くしながらつぶやいた。


「ええ……それでは……もしこの後お時間あるようでしたら、小生と一緒にお茶でもいかがですか? おばあちゃんのこともっと知りたいな、と。できれば、住所、名前、電話番号も教えてもらい、下の名前で呼び合って手をつなぎ合う仲なんかに……」


 その時、少年はふと顔を上げると、数十メートル先の改札口に一人の少女を発見した。黄色のレインコートに身を包む。ふわふわカールした茶色の髪の毛を振り回し、誰かを探しているようだった。


 少年の顔が一瞬で青くなる。


「げっ、聡子(さとこ)さん!」


 次の瞬間、少女と目が合う。彼女の表情がみるみるうちに引きつり、悪鬼のような形相になった。少女は足のばねをきかせ、勢いよく少年に向けて駆けてきた。


「お、おばあちゃん、また今度ね」


 老婆がにこにこして手を振ってくれたのを見届け、少年は階段を走り下りていった。






「この浮気者!」

 少女が少年の顔を見て、吐くように言った。少年はただいま便座の上で正座をさせられれている。必死の抵抗むなしく、捕まってしまい、耳を引っ張られながらトイレに連れてこられたのだ。


 臭いうえに狭い大便用の個室の中で、二人は互いの息づかいが聞こえるほどに近づいている。にらめっこは、もはや三十分以上続いていた。


「あの、聡子さん。ここは男子トイレです。場所を変えた方がよいんじゃ?」


 少年は顔を上げ、おそるおそる少女を見上げた。リスのしっぽのようにカールした茶色の髪は赤いカチューシャで束ねられ、肌はみずみずしく弾力がある白色。背丈は百六十センチほどであり、年は十六ぐらいである。黄色のレインコートを全身にまとい、子供用の長靴を履いていた。


 右手には柄の折れた傘。


「そんなことどうだっていい。久瀬っていうバカにお仕置きしないとなの。傘を届けに来たら、許婚(いいなずけ)が地下鉄でナンパしている私の身にもなってみて。しかも相手は私の何倍も年寄り、信じられないこのクズ。いったいこれで何回目よ」

「タイム! あのおばあちゃんのどこが不服だっていうんです。繊細な鹿のように震える小柄な体、年季の入ったしわのある顔、つぶらな瞳、菩薩のごとき温和な表情、百日眺めていても飽きませんね」

「うるさいうるさい!」


 少女は傘で久瀬の顔面を何度も殴りつけた。打撃を食らい、久瀬は便座の上から床のタイルへ倒れこんだ。


「あんたには、私っていう運命の人が決まっているの。口応えは許さない」

「勘違いしないでほしい、小生は聡子さんのことも好きです。君はいつかきっと世界で一番かわいいおばあちゃんになる気がします」


 聡子は黙り込むと、赤い長靴で少年を踏みつけた。冷たい目で少年を見下しながら、

「地獄に落ちろ」

 とつぶやいた。少年を殴り続けて壊れた傘を、ちゃぷちゃぷと便器の中へ浸す。


 久瀬は顔を恐怖でゆがませる。


「聡子さん、何をするつもりでいらっしゃる?」

「何って、いまから許婚の口にこれをぶちこむの」


 久瀬は悲鳴とも泣き声ともつかない声を上げた。


 




 ラッシュアワーを過ぎ、人通りの少なくなった駅の構内で久瀬はベンチに座っている。風に吹かれた紙屑が目の前を転がっていくのを眺めつつ、深いため息をついた。


「はあ、聡子さんは乱暴すぎる。もう少し大目に見てくれてもよいのに」


 久瀬は今日一日家に入らせませんと宣告を受けた。今日は駅の中で新聞紙に身をくるみベンチの上で眠るしかないだろう。


「せめて聡子さんがあと五十歳年を取っていたならば、小生はわき目も振らずに君を愛すだろうに」


 久瀬の目から見たら、聡子は美しい老婆になる素質を持っている。みずみずしく張りのある肌は、年を経ることで乾き、縮み、厳かな陰影を帯びるだろう。カールした茶髪は色と弾力性を失い、真っ白い雪のようなストレートに生まれ変わるはずだ。腰は曲がり、背骨はつぶれ、今より小さい体つきになる。洋服より、モンペの似合う女性になる。


 杖を突きながら彼女が歩く姿を想像すると、久瀬は思わず自分がハアハア身をよじらせていることに気付いた。


「いけない、恋人をだしにあれこれ妄想してしまうとは。他人が見たら、小生は変態だと誤解されてしまう」


 学生服の袖でよだれを拭いつつ、久瀬はポケットから一冊の手帳を取り出した。


「今の気持ちを詩に残そう」


 久瀬は鉛筆を動かしていった。




 ああ麗しのわが恋人

 君は野に咲く一輪の花

 いつしか眠り花は枯れ

 小生は隣で愛をささやく



「よし」

 満足げにつぶやき、久瀬は手帳をポケットにしまっていった。そのとき、彼は後ろから肩をたたかれた。


「あのちょっといいでしょうか?」


 女の子の声であった。久瀬は振り向く。


 ベンチの後ろには、ローマ調の白い衣を着た女の子が立っていた。目は青く、ロングの髪は金色である。頭上には、厳かに光るリングが飛んでいた。背中からは白い翼が生えている。背丈はベンチより少し低く、年は五歳ほどに見えた。


「どうしたんです、かわいい恰好したお嬢ちゃん。仮想パーティに行くところ?」


 異様な外見にさほど()()されず、久瀬は答えた。女の子は(かぶり)を振る。


「いえ、私はあなたの願いをかなえるために天界から遣わされた天使です」

「天使さん……? いったいどうして小生なんかのところに?」

「実はこのたび世界創生一ポコ年記念事業で、天使たちが人々の願いをかなえているのです。私がダーツで行き先を決めていたら、あなたの顔にブスリと白羽の矢が当たったわけです」


 少し縁起の悪いダーツだと久瀬は思った。


「一ポコとはなんでしょう」

「一億や、一兆の親戚だと思ってください。ゼロがたくさんつくので、日本語では表現しきれません」


 天使は事務的な口調でつらつらと述べていく。顔つきは丸く、白い衣からはみ出た手足もまだ幼さを残しプクプクしている。押せば跳ね返りそうな弾力を持つ(やわ)肌。金色のロングヘアは背の白翼にかかり、麗しい光沢を放つ。


「聞くところ、あなたは恋人をおばあちゃんに変えたいようですね。それならこんなのがあります」


 天使はそでをいじると中から砂時計を取り出した。容器の上下に砂があるが、重力に従った落ちてはいない。


「これを恋人の枕の上で逆さにすると、砂が完全に落ちます。すると、あらふしぎ、恋人はおばあちゃんに変わっています。効果は一日だけ、翌日には元通り。使ってみますか?」


 久瀬は砂時計を受け取って眺め回す。


「効果は確かなんですか」

「はい」


 久瀬の頭の中にめくるめくバラ色生活が浮かんできた。愛しの聡子はかわいらしいおばあちゃんとなり、自分はその横で彼女を介護して過ごすのだ。食事を作ったり、落語劇場へデートしたり、寺院を回り仏像の前で愛をささやきあうのだ。


「ああ……ふふん」

「キモチワルイ声を出さないでください」


 天使は久瀬から少し距離を取る。


「それでは承諾ということでよいですね」

「いえ、いろいろ考えたのですが、やはり小生はこれを使うことができません」


 久瀬は天使に近づくと砂時計を返した。


「どうしてです? あなたの願いではなかったのですか」

 

 天使は透き通る青い瞳を回し、不思議そうに尋ねた。


「小生は聡子さんが好きです。そして、彼女は加齢するにつれ、いっそう素敵な女性になると確信しております。ただ、この道具を使うのは筋違いだと思うのです」


 久瀬はにこやかにほほ笑みながら言った。


「加齢とは、積み重なる年月の中で自然と刻まれていくものです。つまりは体験の蓄積と言ってもよいでしょう。その体験の中には、聡子さんが自分の顔に化粧をしたり、きれいな洋服を着たりすることが必ず含まれます。小生は化粧や洋服に興味はありませんが、きれいであろうと努力する聡子さんを見るのは好きです」


 そう言うと、久瀬はポエム手帳をポケットから取り出した。


「体験が積もり、いずれ聡子さんは気づきます。人間はいつまでも若い外見を保てない。おそらく彼女はそれを嘆くでしょう。その時、小生はこの手帳を見せ、彼女に愛をささやくのです。人間の価値は、本当の輝きは、外見でなく中身だと聡子さんにそっと教えるのです」


 天使はいまだ納得できないように首を回していたが、おもむろにうなずいた。


「了解しました。それでは別の願いをかなえましょう」


 天使は首もとから一つの鍵を取り出した。久瀬はその鍵に見覚えがある。


「それは小生の家の鍵ではありませんか」

「ご名答。これをあなたにあげるので、どうぞ家に帰ってください。聡子さんはあなたが風邪を引きやしまいかと心配しているようです」


 天使は鍵を久瀬に渡すと、淡い光の泡に包まれ消えてしまった。


 その後、久瀬は無事に自宅へ入ることができた。

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