8 部下の安全 ハンターについて
―――ボブがいる!
その男を見たとき、ナギサが最初に抱いた感想だった。
男はずんずんと、こちらに向かって歩いてくる。歩き方もそっくりだった。街ゆく人々が、その男のために道をゆずる。蟹股の、威圧するような歩き方。
だが、その男は赤いエリザの家から出てきていて、しかも、ずいぶんと重装備だった。
腰には剣を佩いてるし、鎧姿だ。実際のボブは、エプロン姿のことが多いし、ときどき店に来店する、強盗に向かって、ショットガンを構えるほうが得意だった。
「―――ボブは、いないんだよなぁ」
ナギサは、ぽつりとつぶやいた。
その男はずんずんとこちらに来る。うめき声が聞こえ、見ればロックフォールが青い顔をしていた。
オリガが、進み出た。
「ランクル殿。いま戻った」
「戻ったんなら、さっさと報告に気やがれってんだ!」
やってきた男、ランクルはオリガの言葉にうなずいた。ナギサたち六人の前まで来ると、それぞれの顔を睨むように、一渡り見渡す。その顔を見て、ナギサは少しがっかりした。ランクルは、あんまりボブに似ていなかったのだ。
ランクルは、日に焼けた大男だった。白髪になった頭が、横を除いてきれいに頭のてっぺんまでハゲ上がっている。顔はシワが深く、歳は食っているだろう。
ナギサのところで、その視線が止まる。じろじろと見て、首を傾げ、そのげじげじ眉毛をピコンと上げた。
「この嬢ちゃんが、例の嬢ちゃんか?」
―――ドラ声の響き。声は似ている。せめて、ボブ、と、一声かけてみたいものだ。
まあ、その前にあいさつをしておく必要があるだろう。
ナギサはぺこりとお辞儀をした。
「はじめまして、ナギサと申します。お騒がせしてしまったようで、すみませんでした」
「―――ふん、礼儀はできてるな。まあ、無事ならよかった」
―――ぶっきらぼうな口調は、まさにボブだ!
ナギサがひそかな感動にうちふるえていると、ランクルの金壺眼がロックフォールに向けられた。
唸るような声が、その口から漏れた。
「…ちったぁ、マシな面になったな。おい! 少しは働けるんだろうな!?」
「はい!」
ビシリと、ロックフォールが姿勢を正す。ランクルはそれを見て、満足そうにうなずいた。すぐにでも走って行けとか言いそうだ。
ナギサが割って入った。
「あのー、少し、よろしいでしょうか?」
右手を上げ、ちょっと申し訳なさそうに話しかける。ギョロリと、ランクルが、ナギサを見据えた。
「…なんだ、嬢ちゃん?」
「実は、こちらの、オリガさん、イリサさん、グラスさん、ロッシさんたちに、私の護衛もしていただくことになったんです。そうですよね、ロックフォール君?」
「―――あ、そうです。それで、公式の許可をいただけないかと、お話しようと思っていたところで…」
尻すぼみになる声。なんだか、またヨレヨレとしてきた。やっぱり元が、もとだからか、いまいちだ。
ナギサが、後で何とかさせようと思っていると、ちらりとランクルが、そのナギサを見た。しばらくその視線が固定され、何か考えるようにそのゲジ眉が眉間に寄せられる。
そして、ため息をついた。
「ったく! 護衛が要るようなガキを、こんなところに連れてくるんじゃねぇよ! ッ馬鹿野郎がっ!!」
「すみません!」
ロックフォールがあわてて頭を下げる。ナギサはフォローに回った。
「いえ、ロックフォール君は悪くないんです。ただ私が無理を言って、ついてきただけなんです。彼の責任というわけではないんです」
ランクルの、さらに開きかけた口が、途中で閉じられた。
それでも、渋い表情で、ナギサに言った。
「嬢ちゃん、ここがどこだか、わかってるのか?」
「はい。実は、ここがこんな事態になっているとは知らなかったものですから、すぐに出ていくつもりだったんです。それがこんなことになってしまって…」
しおらしいナギサの言葉に、ランクルは再び開きかけた口を、もう一度閉じる。
ブチブチといった。
「ったく…。情報ぐらい、”冒険者”の、はしくれなら、集めとけよな…」
「返す言葉もございません。ご迷惑をおかけしました」
そう言って、ナギサは、丁寧に頭を下げた。
ロックフォールは、それを救われたような表情で見ている。
ランクルは、腕を組んで、バツが悪そうな表情だ。しばらく、その眉毛が頭のてっぺんに届きそうなほど持ち上げられていた。周りにいた通行人も、再び繰り広げられる珍しい光景に、興味シンシンだった。
―――チッ!
舌打ちの音。
「―――しょうがねぇなぁ。嬢ちゃん、みっともねぇから、頭上げろ」
ナギサは、恐る恐る、顔を上げた。
ランクルがそのシワの深い顔に、難しい表情を浮かべている。吐き出したいけど飲み込みたい。そんな微妙な表情だった。
ランクルが言った。
「…分かった。公式の認定は出してやるから、その辺で勘弁してくれ。見られてんだよ」
ナギサたちのいる広場は、にぎやかだった。酒場に宿屋に武器屋、飯屋もある。今は昼時。飯屋は繁盛していた。人々が広場に集まっている。そのど真ん中に、ナギサたちは、いた。
周りでは、人々が顔を寄せ合い、ひそひそと、ささやきをかわしていた。
―――ちょっと、ランクルさん、何やってんの?
―――なんかあの娘のこと怒鳴りつけてたよ?
―――アレ、さっきの娘だろ?
―――えー、こんな往来で頭下げさせるか?
出店や、人の多い広場が、非常に気まずい空気だ。
ナギサが顔を上げると、ランクルは渋い顔で言った。
「ったく、俺のメンツがねぇじゃねえかよ」
「あ、すみません、そこまで考えてなかったです」
「だから、下げんじゃねえ!」
ナギサをもう一度怒鳴りつけ、さらに周りの印象を悪くした後、ランクルは八つ当たりのようにオリガたちを睨みつけた。
「…お前らの方は、話が決まってるのか?」
「…ああ、いや、まだだ」
そう言って、睨まれたオリガたちは目を見合わせる。
それを見ていたランクルが、怒った牛のように鼻を鳴らした。
鋭い舌打ちを、ひとつ。
「チッ! じゃあ、オリガと、イリサがやれ。あとの二人は、さっさと戻ってこい」
クイッと、親指を上げて、館の方を示す。
さっきから痛そうに首をさすっていたロッシが声を上げた。
「おいおい、そりゃあないぜ、ランクルのおっさん! せっかく外の空気が吸えると思ってたのによぉ…。だいたい、報酬の配分はどうすんだよ?」
「どうせ、そんなことだろうと思ったよ。仕事だ。こっちで稼げ。テメーらだったら、何の問題もないだろうが…」
「いや、しかしですね。ナギサ君は、この街どころか、旅も初めてなようでして…」
グラスの弁明の言葉に、ランクルが目を丸くする。ナギサにその見開いた目を向けた。
それに応えるように、ナギサは照れたように、はにかんだ。
「…はい。お恥ずかしい話なんですが、その通りでして…」
ナギサの、もじもじとした言葉を聞いて、しばらく、ポカリと口を開けていたランクルが、がくりと肩を落とした。大きなため息が聞こえた。
苦痛に満ちた目を、ナギサに向ける。
「だがなぁ、嬢ちゃん。ここも、いま大変なんだよ。とにかく手が欲しいんだ」
「はい、それは分かっています。少し待ってください。ロックフォール君、ちょっと…」
ナギサは、手振りでロックフォールをかがませると、ゴニョゴニョと話し始めた。ランクルは、それを見て首を傾げている。さっきもそうだが、なんだ、君? ロックフォールを君?
大男と少女は、しばらくのあいだ顔を寄せて話し合っていた。ロックフォールは少女の言ったことに、素直にうなずき、はい、はいと返事をしている。
やがて、少女はランクルに向き合った。
「はい、オリガさんと、イリサさんのお二人で結構です。ただ、報酬は支払わせてください。キャンセル料です」
「オイオイ、お嬢ちゃん! 休みの口実、取り上げてくれるなよぉ」
ロッシがあわてるようにして言うと、ナギサは、にこりと笑った。
すすすっとその身をロッシ達に寄せる。
「その代わりと言っては何ですが、実は、彼、いろいろと気弱な所がありまして―――」
「はぁ?」
少女にいきなり身を寄せられ、しかも、その話の内容に、ロッシが怪訝な表情になる。ナギサの表情をうかがっても、ウソをついているようには見えない。ナギサはニコニコと笑い続けていた。
「―――それで、実は彼にいろいろと教えてあげてほしいんです」
「だって、あれ、”城崩し”…」
「…そうなんですけど、いろいろと世間知らずといいますか、戦バカと言いますか。なんだか、こういう事態に慣れていないようなので、いろいろと動揺しているようなんですよ。それで、見ていてあげてほしいんです。彼に死なれてしまうと、いろいろと困るんです。大変なのは重々承知していますが、お願いできませんか? 足手まといには、ならない筈ですので」
そう言って、目に申し訳なさそうな色を浮かべながら、小首をかしげて見せる。
ロッシとグラスは顔を見合わせた。そして二人して、ランクルを見る。そのギョロ目は、さっさと行けと語っていた。
しばらく、悩むように唸っていたがロッシは、頭をガシガシと掻くと、ため息をついた。
「ったく、しょうがねえなぁ…、せっかく、休めると思ったのによぉ…」
「…まあ、仕方がないか。残念だが、報酬もあるのではね―――」
グラスが、やれやれというように首を振った。そして”城崩し”を見上げる。
「では”城崩し”さん、ナギサ君の依頼ですし、これから、あー、お願いしま、す?」
「ああ、こちらこそ、よろしく…」
顔を赤くして、答えるロックフォール。恥ずかしいかもしれないが、とりあえず、当面は安心していられるだろう。
ナギサは、それを聞きながら、自分の成果に満足して、うなずいていた。
そして、考えてもいた。
―――いい加減、話し方を何とかさせないとな。
頼り甲斐がある大男というキャラクターは、いくらなんでも六条の性格には無理がある。これが片付いたら、とりあえず、ゲームじゃないんだから、話し方だけでも、元に戻させよう。
そんなことを、ナギサは、一人決意していた。
”嬢ちゃん”と、三人の話し合いが終わった。
ことの成り行きを見ていたランクルは、頃合いと見て、話しかけた。
「終わったか?」
その声に、ナギサは応えてうなずくと、満足の笑顔で答えた。
「はい、お待たせしました。もう大丈夫です」
コキッと、首を鳴らして、なんだかなぁとつぶやくと、ランクルは、ひげを生やした顎を振って、館の入り口を指した。
「―――じゃあ、ロッシとグラスは行け。報告は、オリガたちから聞く。おい、ロックフォール! 休憩時間は、もう終わってるんだ! もう他の連中は出て言ってるぞ!!」
「分かりました!」
びしっと姿勢をただし、(敬礼までして)ロックフォールは、駆け足で館に向かって言った。その背中に、ナギサはあわてて呼びかけた。
「三日後! また門のところにいるからね!」
「はい!」
ナギサの声に、返事が返ってきた。たぶん、大丈夫だろう。
そのあとから、ロッシがやれやれと肩をすくめて、歩きだす。
「じゃあ、またね」
グラスがナギサに一声かけて、そのあとを追った。
とりあえず、六条の方は、ひと段落だ。二人も付けておけば、取り合えずはなんとかなるだろう。
ナギサが胸をなでおろしていると、ランクルがナギサを見下ろした。
「嬢ちゃん、あいつには感謝しておけよ? ずいぶんと心配してたみたいだからな」
「ええ、それはもちろんです。ボ…、いえ、ランクルさん」
ランクルはいぶかしげにピクリと眉を上げたが、そのまま黙りこんだ。腕を組んで、しばらく、仁王立ちで黙りこむ。ナギサは、じっと、観察されているのがわかった。
やがて、重々しく口を開いた。
「…嬢ちゃん。ちょっと話があるんだ。ついてきてくれ。オリガたちも、一緒に来い。報告も聞きたい」
クイッと、もう一度、アゴで大きな屋敷を示し、その大きな背中を向けて歩き始める。
その報告をするため、オリガとイリサが歩を進めた。
そんな三人を見ながら、ナギサは首を傾げていた。こっちが話を聞きたいくらいなのに、なんの話があるんだ?
そんな疑問を浮かべていても、足は勝手に進んでくれない。仕方なく、ナギサはランクルについて行った。赤い屋敷の扉をくぐり、オリガたちと肩を並べ、その中へと入っていった。
広場では、さっきの娘は、どうしたんだろうかという話で持ちきりだった。近くにいたならまだしも、飯屋の窓からでは何を言っているのかは聞こえない。
ハンターギルドの長に連れて行かれた娘の、運命や、いかに。
そんな感じのウワサ話が、尾ヒレ背ビレをつけながら、勝手に、街中を泳ぎだしていた。
―――初めて、”ギルド”の中に歩を進めたナギサの感想は、こうだった。
「会社だ…」
あんまり時間はたっていないはずだが、とにかく、懐かしさを覚えた。
会社のオフィス、それにカウンターがついている。それがナギサが初めて見た”ギルド”だった。
そこには大部屋が広がっていた。横にも奥にも、とにかく広い。一階は丸々つぶしているし、たぶん、巨大な外壁の一部まで、部屋がめり込んでいるのだろう。外観はレンガ造り、中は、年季の入った木造だ。
カウンターの奥。そこでは、ちょうどナギサの会社と同じように、チームごとに机を並べていて、書類仕事をやるときの、例の無表情な顔の職員たちが座っている。ときどき、顔をしかめるのは何か、不備か、記入漏れでも見つけたんだろう。羽ペンのカリカリ言う音が、部屋中で聞こえている。
―――なんか、でっかい水晶玉だな。
さらに、大きな水晶玉まで置かれている。職員が、その横に置かれた大きな黒い板に、こちらもペンで字を書いていた。そんな奥と、入り口ホールを仕切るように、一直線の、見事な一枚板のカウンターが置かれている。
カウンターの天井には、何枚も看板が掛けられていて、それぞれのチームが、何の担当だか、わかるようになっていた。それぞれが”行商ギルド”や”ハンターギルド”、”傭兵ギルド”などを掲げている。なぜか、”芸術ギルド”なるモノまであった。あんまり繁盛していない。ただ、それにしても、
―――『文字』、読めるんだなぁ。
看板の時に気付いたし、もう何があっても驚かない。紫式部が書いてたような、ウネウネした迷路のような文字が、スラスラ読める。便利なのは間違いないが、日常では感じない疲れがたまる。あきらめ、とも、言うんだろう。大部屋のざわめきが煩わしい。カリカリ言う音が、それに輪をかける。
見れば”ハンターギルド”のところが、やはり、一番混んでいた。イライラした表情で、オリガのような格好の人々が並んで、ブツブツ文句を言っていた。閑散とした”傭兵ギルド”の担当は、明らかに営業向きではない顔だ。ガラが悪いとは、まさにこういうモノを言うんだろうな。
―――あ、睨まれた。
そこから目をそらして、丸テーブルと椅子の並んだ、手前の広い待合ホールを、ランクルに従って奥へと向かう。カウンターの向こう側、チームごとの机、その奥にも、まだ部屋が並んでいた。”ハンター”、”行商”、”芸術”など、ドアごとに、プレートが貼りつけられた部屋。
ランクルは、”ハンター”の部屋に入った。オリガたちがそれに続き、ナギサもそれに続く。ずいぶん重そうなドアが、バタンと閉まった。
ドアの中は、せまい部屋だった。元は広かったんだろうが、とてもせまくるしく感じる。防音でもしているのか、とても静かな部屋だ。少なくとも、外の音は聞こえない。
部屋を進んだところに、部屋をせまくしている原因の、彫刻をほどこした、イギリス家具のような大きな机がでんと置かれていた。その机は、書類まみれになっていて、余計にせまくるしく感じる。紙束が、ドスンという感じで山積みになり、そして溢れかえっていた。何となく、水谷チーフ(現代的な部長)が、偲ばれる。彼女の机は、いつもあんな感じだった。
その机の奥。レンガがむき出しの壁には、ドアほどの大きさの窓があって、『トルメンティアの森』が映っている。黄色い鳥が、草原の緑に映えていた。
ランクルは、腰に刷いて剣を鞘ごと抜くと、その体に見合った大きさの椅子を引き出し、どっかりと腰を下ろした。鎧と、椅子のきしむキーキーという音が、何ともイヤだった。
オリガとイリサは、その机の前に並んで立つ。
どうすればいいのか分からなかったので、ナギサも、それにならった。
まず、オリガが言った。
「ランクル殿、まずは報告してしまいたいのだが、いいか?」
「―――相変わらず、きったない部屋ねぇ」
「…イリサ、余計な御世話だ。―――ああ、オリガ。そうしてくれ」
ランクルが手で促すと、オリガが姿勢を正した。
「やはり、”ダンジョン”の調子は、相変わらずだ。今までにないほどに、活性化している。今も活発に魔物を作り出している。まだ、不活化の兆しは見えなかった」
その持ち前のハスキーな声で、静かな部屋の中、オリガはハキハキと説明していく。他にも、どこの地点で何を(バーリスなんかを)見たなど、一つ一つを丁寧に報告していく。その合間あいまに、イリサの、のんきな声がはさまる。しかし、余計な言葉は一切ない。
ナギサは感心して聞いていた。
黙って言うことを聞いてるな、とは思っていたが、二人とも、根は真面目な性質らしい。それは軍隊報告のように、どの言葉も正確で断定的だ。たぶん、実際に目で見て確認をとったんだろう。それにしても、”ダンジョン”が活性化って、どういう意味だろうか? その前に、確認しないといけないこともある。
オリガたちの報告が終わるのを見計らって、ナギサは、手を挙げてみた。たしかな情報を言っているのは分かったが、はっきり言って、話の半分も付いていけなかった。窓の外で、黄色い鳥が、ミミズっぽいモノを見つけて、食べていた。つるりと、麺のように飲み込むと、また餌を探して歩き始める。
ランクルが、ナギサの、その上げられた手を見て、眉間にしわを寄せた。
「なんだ、嬢ちゃん?」
「報告も終わったようですし、さっそくで悪いんですが、”ギルド”について、お聞きしたいんです。よろしいでしょうか?」
ランクルは、オリガを見た。オリガが、ナギサを見下ろした。横に並ぶとよくわかるが、頭一つ分くらい、背が高かった。ずいぶん、縮んだなぁ。
感慨にふけっているナギサに向かって、オリガは言った。
「何が聞きたい?」
「えーと、ですね。すぐに必要なのは、”ハンター”のなり方です。あれ? なれますよね?」
なぜか、オリガも、イリサも、ランクルも、驚愕の表情を浮かべている。それがだんだん、呆れの表情に変わっていく。
イリサが信じられないという表情で、言った。
「―――本気なの?」
「いやぁ、本気というよりも、ならないといけないといいますか、そんな状態なんです。彼、ロックフォール君と、アメリ君に会わないといけないので」
「でもお金なら、さっき、もらったじゃない」
そう言って、ナギサが腰に、マントで隠すようにぶら下げている革袋を指差した。ランクルが何だという表情を浮かべている。オリガが説明し始めると、ランクルのアゴが外れた。
ナギサは、苦笑を浮かべて頬を掻いた。
「―――いえ、実際に会わないと、片付かないタイプの問題なんです。あれ、ひょっとして、”ハンター”にならなくても、会えます?」
淡い希望を込めてつぶやいた言葉に、イリサは首を横に振った。
「無理ね。本当は、『壁』のことは”太守”の管轄なの。非常時だからハンターを入れてるのよ。『ギルドカード』がないと、入れないわ。どっちにしたって”太守”本人も忙しいから会えないし、”晴嵐”は、塔の方にいるはずでしょ? あっちは見張りを兼ねてるから、余計よ」
「イリサの言うとおりだ」
オリガが引き継ぐように言った。じっと、ナギサを見据える。その目に、何となくギラリとするものが光っていた。
「そもそも、お前は戦えまい。それで、”ハンター”になって、どうするつもりだ?」
「―――そうかもしれません。ですが、一応、お聞きしたいんです。答えて、いただけますか?」
ナギサはニコリと、いつもの笑みで、それに応えた。
ギラギラ、ニコニコ。二つの表情は、しばらくのあいだ、向き合っていた。
しばらくの無言。
やがて、オリガのため息の音が、その部屋で聞こえた。
「…まあ、いい。これが、今回の任務だからな」
「ありがとうございます」
笑顔のまま、ナギサは礼を言った。オリガがひとつ息をつく。
「―――”ハンター”になるには、というか、”ギルド”に所属するには、それぞれの”ギルド長”の許可がいる。つまり、お前がここで”ハンター”になるには、クレスヴィルの”ハンターギルド長”、ランクル殿の許可が必要だ」
「それだけですか?」
思っていた以上に、シンプルな条件。正直、拍子抜けだ。
オリガは、ナギサの言葉に、うなずいて、言った。
「もちろん、そうだ。実績さえあればな」
「具体的には?」
「何ともいえん。ギルド長が認めれば、それまでだ」
そう言って、ランクルを見る。渋るように、ランクルが口を開けた。
「…まあ、ちゃんと魔物を狩れるってんなら、文句はねえよ」
それを聞いたナギサは、アゴに指を添えた。
実績が必要―――シンプルゆえに、難しい条件だった。
少なくとも、ローフォレ一匹、なんとか倒したくらいでは、実績のうちにならないだろう。
最悪、ロックフォールが言うところの、金の力で何とかしようかと思っていたが、ランクルの表情を見る限り、そんなことで籠絡されるような人物には見えない。たぶん、ロックフォールの任務を受けたのも、それだけが理由ではなかったはずだ。
文字通り、実績が必要。
しばらくのあいだ、ナギサは黙っていた。オリガが、それでもやる気があるのか、と、試すような表情でナギサを見下ろしている。何の音も聞こえない。
少しして、ナギサは顔を上げた。
「―――分かりました」
ナギサは言った。相変わらず、考え込むような顔だった。
「…実績が、あればいいんですよね?」
オリガがいぶかしげに、片方の眉を上げた。
「本気で、やる気なのか?」
「はい。どうなるか分かりませんが、努力はしてみようかと…」
まあ、体は丈夫なのだ。意外と、何とかなるかもしれない。いい加減、この体のことが聞きたいし、どちらにしても、彼女がどうしているのか、把握しておいた方がいい。連絡はつくようにするつもりだが、直接会うに越したことはない。それに、ロックフォールは、問い詰めても口を割るかどうかわからなかった。あれで、意外と頑固なのだ。
「―――いずれ、お世話になると思います。よろしくお願いします」
「…まあ、こっちは、人手が増える分には、構わねえんだけどな―――」
釈然ともしない。そんな感じで、ランクルは鼻から、息をふきだした。
ナギサも、正直、心もとないが、ゲームの時なら魔法も使えた。ひょっとしたら、まだ使えるかもしれない。カラんでくる奴らは、たいてい、これで対処していたのだ。使い方さえ分かれば、案外、いっちょ前になれるかもしれない。
ナギサが、ひそかな、希望的観測にふけっていると、ランクルが改まった咳ばらいをした。
「ちょっと、いいか?」
そう言って、書類の山から、一枚の紙を抜きだす。確認するようにちらりと目を落とし、ナギサに向き直った。
「なんでしょうか?」
ナギサは答えた。ランクルの聞きたいことの時間だ。
―――ああ。
ランクルは渋い表情で言い、もう一度、書類を見る。ナギサは、それの動作を、よく知っていた。ランクルは、何かの、重要な書類を書きたいらしい。
紙の山から、埋まっていた羽ペンを引っこ抜く。ランクルは、言った。
「”贖罪の騎士団”の連中について、聞かせてほしい」