10 上司として オリガの葛藤
ここに来る原因になった、セキュリティーの問題。違法データ、ハッキング。
それをやった、ハッカー”グレイ”。
「―――彼が、”トルメンティア”に、負けた?」
「そうです。ひどい目にあった、って、話です」
ロックフォールがうなずいた。
「ボスとの対戦は、レアイベントでした。実際、遭遇できた奴のほうが少ないんです。攻略本があったわけでもありませんしね…」
「そりゃあ、出せなかったろうしね」
現実世界をゲームにしている『フリー』ではなにが起こるか、本当にランダムだったはずだ。そんなモノが出せるわけがない。
「―――ですが、強いボスモンスターのウワサはあったんです。実際、今でもボスがボスとして機能してるダンジョンも残ってますから。それで、ある程度強くなってしまったキャラクターで、そういうのを狩るっていうのを目標にしてた連中もいるんです。レアアイテムが手に入ったりもしますからね」
「そりゃ、何億人も人がいれば、そういうのが好きだった人がいても、おかしくはないけどね…」
今でも考古学者はいるし、ミステリーを読むのが好きな人はあとを絶たない。
ならば、実際に、それを体験してみたいと思う人も、いるかもしれない。
「実際に、『フリー』のプレイヤーには、そういうのを目標にしていた人たちがいます。ひょっとすると…」
「”グレイ”も、そんな一人だったんじゃないかって?」
「ええ、実際に、彼は条件を解いて、”トルメンティア”と戦ってます。他の所でも同じようなことをしていたようですし、ネット上でウワサになっていました。終った後には、アバターは台無し、武器も使いものにならなくされてたそうです。あと、かなりのレアアイテムを無くしたそうですよ」
ナギサは考え込んだ。そこまでされたプレイヤーは、何を考えただろうか?
「―――ねえ、魔物は話さないっていうけどさ。私は、この通り話してるよね?」
「え? ええ、そうですね。そういえば」
「ねえ、ボスとの会話ってないモノなの? ほら、昔から、よくあるじゃないか『世界の半分をお前にやる』、とかいうの」
ロックフォールが首を傾げた。
「また、ずいぶん古い例えですね。いや、無いはずですよ。いままで、実際に戦ったボスで、会話をしたとかいう話はないですから。ああ、でも…」
ロックフォールが考え込むようにうつむいた。
「でも、なんだい?」
「…でも、全部のボスと会った奴はいませんからね。俺も、今までそういうのに参加して、二体だけです。『フリー』だと、キャラクターの個性も売り物になってましたし、ここは現実です。ひょっとすると、どんな奴がいても、おかしくありません」
ナギサはうなずいた。
「じゃあ、もし、彼が、そんなひどい目に会って、しかもその時、昔のゲームの魔王みたいな挑発をされたとしたらどうだろう?」
「え?」
「本物そっくりな―――少なくとも、ヘッドギアごしに見てもリアルな相手だよ?―――相手に、負けた。本気で”グレイ”が腹を立てて、ハッキングなんて手段に出ても、おかしくないんじゃないかい?」
「ああ…」
二人は、しばらくのあいだ、黙っていた。
ときどきドアの前を通る足音だけが、唯一の音となった。
やがて、ナギサは首を振った。
「―――まあ、彼のことは、今となっては、どうしようもない。今は、こっちの問題が優先だ。”トルメンティア”とのイベントっていうのは、どうすると起きたんだい?」
ナギサが聞くと、ロックフォールが、うんうん、うなりながら答えた。必死に記憶を探っているらしい。
「…詳しくは、分かりませんが、まず、『強制任務に参加する』のが、第一条件です」
「それって、いまの、この強制任務?」
「そうです。まず、この時点で、ほとんどの人が嫌がります」
ナギサが首をひねった。
「強制任務って、今みたいなのは、前からあったのかい?」
「もちろん、ありましたよ。そのあいだ、アバターをオートにして乗り切るっていうのが、対処のやり方でした。ゲームがほとんどできなくなるんで、強制イベントだけは、みんな避けてましたね」
ナギサはうなずいた。プレイヤーたちが、このイベントがあったとき、どうやって乗り切っていたのか、ずっと気になっていたのだ。
「…なるほどね。他の条件は?」
ナギサは先を促した。
「次が、『森狩り』です。ダンジョンの狩りだしを『何々狩り』っていうんですよ。森じゅうの魔物を倒せばいいっていうのが、本当の条件らしいですけど、次の条件のせいで、できないんですよ」
「三つ目の条件だね。それは?」
「一人でやらないといけないんです。正確に言えば、『パーティーを組んではいけない』です」
「…どういうことだい?」
ナギサの質問に、ロックフォールは首を振った。
「そのまんまの意味ですよ。それだけやれば、トルメンティアとの戦いに持っていける、っていうウワサです。当てになるか分かりません。なんでも、グレイの行動パターンを、わざわざ解析した奴がいたそうです。」
ロックフォールの言葉に、ナギサはうなった。なんでも好きなやつはいるものだが、そういうやつもいるらしい。自分のプリン好きは棚に上げた。
「―――それ、”トルメンティア”との戦いのことだけど、それって、終わると、何かあるのかい?」
「…さぁ、誰も戦って勝ったやつがいないんで、分かりません。だから、好きでは、やりたがらないんでしょうけど。とりあえず、強制任務は終わるんじゃないですかね? その異変のもとを取り除けば、いつも強制イベントは終わりましたし。ボスってダンジョンの根っこみたいなものでしょうから」
ふむ。
ナギサは唸った。なにか、引っ掛かるような気がするのだが、それがなんなのか分からない。
ロックフォールを見て、言った。
「君、”トルメンティア”と戦って、勝てる自信ある?」
「いや、やめておきたいですね。俺、もともと近接戦闘ですし、『魔女』なんて名乗ってるのを相手にしたくありませんよ」
―――死にかねないですし。
ロックフォールがお手上げという風に両手を上げた。
ナギサは小さく息をついた。
「…まあ、そうだよね。とりあえず、話は分かった。三日後の、森狩り、かな? その時に、何か問題が起きそうかな?」
「ボスの部屋まで、行かなければ、問題ないでしょう。ただ、何かの拍子に部屋から飛び出してくる奴もいるらしいですし…」
「…どうなるか、分からない?」
ロックフォールは、うなだれるように、うなずいた。
「ダンジョン内部は、アイテムがあったり、魔石が取れたり、貴重な素材もあるんで、ハンターのだれかが下手な刺激を与えかねませんし…」
「―――不安要素、ばっかりだね」
ナギサは腕を組みながら、うなった。
そんなところに、部下をやらなければいけないのは、何ともイヤだ。オリガたちもいくんだろうし…。
大きく、ため息をついた。
そして、決めた。
「―――私も早めに、魔法が使えるようにする。君たちのほうに、早目に合流しよう」
ロックフォールが目をむいた。
「いや、でも、リーダー…」
「ある意味で、それが私自身、一番落ち着けるんだよ。たぶん、戦力にはなるだろうしね」
「ですが…」
「壁の中に、入るわけじゃない。森の中に、入るんだ。別に兵隊にどうこう言われる筋合いのことじゃない。べつにハンターギルドに入ってないと、森に入れないわけでもない」
実際、ナギサは森に迷い込んだとき、誰にも、止められることはなかったのだ。そうでもしないと、実績も残せまい。
今と違いがあるわけじゃない。仕方なく行くか、自分から行くかの違いだけだ。
「だから、安心してていいよ。魔法なら、私自身、お手の物なはずなんだから…」
そう言われ、ロックフォールは、何も答えられなかった。何か言いたそうにはしているが、それでも、じっと口をつぐんでいる。
ナギサは、ニコリと笑い、ぐっと、お茶を飲みほした。
冷めたそれが、鼻に紅茶の香りが通り、のどを液体が通りぬける。それは、意外と美味しく感じられた。
オリガは、宿の自分の部屋で座っていた。
じっとうつむき、その両膝を見るような姿勢だった。その眉間には、くっきりとしわが刻まれている。
ナギサと、ロックフォール。二人だけの話し合いがしたいらしい。だから、席をはずした。
だが、いやな、モヤモヤするような何かが、胸の内に残った。まるで、子供のころ、仲間外れにされたような感覚。だが、あいつは、謝っても、いたではないか。
そんなモノで不機嫌になっている自分も、子供のようなものだ。だが、頭ではわかっていても、どうにかなるような類のモノでもない。
オリガは、テーブルに置いたカップを手に取り、口を着けた。このお茶も、あいつが―――元をたどれば、あいつの部下の金だが―――持っているのだ。
―――生活費は、こちらで持ちますので。
そう言って、あのバカなお人好しは、申し訳なさそうな表情を浮かべたのだ。
イリサとの相部屋だが、普通、雇ったハンターの生活費まで持つようなものじゃない。報酬は払っているのだから、あとは押しつけてしまえば良いようなモノなのだ。自分の失敗にしても、もっと理不尽なまでに怒っても良いはずなのに、それをしない。
これでは、借りばかりが、たまっていく。
しかも、なぜかあいつは、それでもいいか、とも、思わせるような性格なのだ。そして、それに寄りかかれたら、楽かもしれないと思ってしまっている。そんな自分がいるのにも、腹が立つ。イリサは、何か用事があるとかで、まだ戻ってきていない。
オリガが椅子で一人、じっと座っていると、ドアがノックされた。
「ナギサです。ちょっとお話がるんですが…?」
例のお人好しが、バカ丁寧なあいさつをよこしてきた。黙って入ってくればいいモノを。
「今、開ける」
オリガはカップを置いて立ち上がると、ドアのほうへと急いだ。
案の定、ドアの前で、ナギサが例の人の良さそうな笑みを浮かべて立っていた。
じっと、オリガを見上げている。
「…どうした?」
ナギサはしばらくのあいだ、思案するようにじっとしていた。
やがて、言った。
「…実は、あしたからの練習についてなんです」
「ああ、また、いつものように、あそこまで付いていけばいいのか?」
クレスヴィルから、一つ時ほど先、誰も人がよりつかない場所だった。モンスターも寄りつかない、オ赤で隠され、安全性もある場所。また明日から、あそこに行くものだと思った。
しかし、ナギサは首を振った。
「ああ、いえ。…明日からは、付いてこないで欲しいんです」
申し訳なさそうな言い方。オリガの目が、少し吊りあがった。
「…それは、今日のことがあったからか?」
ナギサは、黙ったまま首を振った。そうだろうとは、思っていた。おそらく、ロックフォールと話したことが原因だ。
じっと、ナギサを睨みつけた。
「…また、何か、私には言えないことか?」
「…そうなりますね」
相手は依頼主。本当は睨むのもおこがましい相手だ。だが、自分を止められない。
オリガは言った。
「…ついていくと、マズいのか?」
「…はい。すみません」
ナギサは申し訳なさそうな表情のまま、頭を下げる。
オリガは、ため息をついた。
「…わかった。明日から、付いていかないようにしよう」
「お願いします。あ、イリサさんは…?」
「まだ、帰ってきていない。あとで、私から伝えておこう」
「お願いします…」
そう言って、ナギサは部屋に戻っていった。見るとロックフォールが出迎え、話しながら、外へと二人で歩いていく。
オリガは椅子に戻った。
そして、胸の中のモヤモヤを流し込むように、一息にカップのお茶を飲む。口の中に、渋みが広がった。
「―――大丈夫なんですか?」
横を歩くロックフォールが、恐るおそる聞いてくる。
ナギサは迷うことなくうなずいた。
「しょうがないよ。ハンターが魔物に雇われてました、じゃ、オリガさんたちも立つ瀬がない。こういう形なら、何も知りませんでした、で、通るだろう。練習はできる限り、急ぎたい。隠し方の練習までしている時間はないからね」
ナギサはコキコキと、その細い首を鳴らした。
なんだか、ひどく肩が凝った気がする。
「―――それから、君もだ。私が言うのもなんだが、間違っても口を滑らせないようにね?」
「それは、分かってますよ。でも、リーダー…」
「何度も言わせない。私のことは、自分で何とかするから、今は自分のことを考えなさい」
また、クレスヴィルの鐘が鳴り始めた。
ナギサは、思わず舌を鳴らした。
「…あと三日か」
もうすぐ、ロックフォールの外出時間、三つ時が過ぎてしまう。
中天にあった日が傾き、街に影がさした。
まるでナギサを急かすように、クレスヴィルの鐘が、勢いよく鳴り続けていた。




