9 オリガの謝罪 魔女
ナギサはベッドの上で、ポカンと、ロックフォールの顔を見ていた。
その顔は冗談を言っている顔ではない。言っちゃったとでもいうような、バツの悪い表情。どうやら、本気らしい。
「―――”魔物”?」
「…はい」
ロックフォールが目をそらした。
ローフォレとか、ヴァン・ラニとか、バーリスとか言う謎の巨大生物。それと同じもの?
ナギサはまじまじと自分の手を見た。そういえば、爪が伸びた気がしない。
「―――おなか、空かないんだけど?」
「…え?」
ロックフォールの顔が引きつった。
「髪も切れないし…」
「あー…」
「…爪も伸びてない」
「えー…」
「ひょっとして、これ、そのせい?」
ロックフォールの顔が、ぴくぴくと痙攣していた。
じっと、ナギサがそれを見つめる。
「…他に、何か話せることは?」
ポカリと、表情が抜けおちた顔でじっとロックフォールを見る。
ロックフォールのいかつい顔に、だらだらと油汗が流れ始めた。
ナギサは、すっ、と顔を寄せた。その赤い瞳は、まばたきもせず、ただロックフォールを見つめている。
「…魔物ってさ、討伐対象だよね? それって、私も、含まれるのかな?」
「…はい」
ロックフォールが、ビクビクしながら、それでも、うなずいた。
ナギサは、ため息をついた。というか、なぜそんなことを黙ってた?
よりによって魔物。いろいろ言いたいことはあるが、これで、オリガたちに話せないことが、また一つ増えてしまった。というか、大丈夫なのか?
「…まあ、このことは、あとで、三人で、ゆっくり、話し合うとしよう。それより、体のことだ―――私が知ってる限り、ヒト型の魔物っていうのは、見たことがないんだけど、私がこうしてるってことは、いるんだよね?」
「ええ、と…、はい。います。ダンジョンなんかの、最奥のボスが、それです」
「…それって、アバターにできるの?」
ボスキャラクターがプレイヤー。すごい違和感がある。
ロックフォールは、うなずいた。
「いろいろ、出現条件はありますけど、できないことはありませんでした。その…、ヒト型の魔物って強いんですよ。いろんな意味で…」
「…戦い方は?」
ナギサはずっとロックフォールを見たままだった。そのまま、静かに聞いた。
ロックフォールは動けない。表情も動かないので、分かっているのか分からない。ナギサはもう一度言った。
「…そのボスたちは、どうやって戦うんだい?」
「…えー、と相手によります。変身して、襲ってくる奴もいれば、そのまま剣で戦ったり、あ、でもみんな魔法はバンバン使ってきますね」
ようやく再起動したのか、ロックフォールが唇だけ動かして答えた。
「魔石は?」
「あー、使ってないですね。たぶん、リーダーが普通に使えてたのって、そのせいじゃないかと…。あいつらも、手をかざして、バンバンやるんです。アメリの奴はフツーに持ってますし」
ふむ。
ナギサは顎に指を当て、しばらく考えるようにうつむいていた。
今までの努力はなんだったんだろう。
やがて、言った。
「誰かに、バレる危険って、ある?」
「あー、いや、ダンジョンボスって、ダンジョンの奥から出てこないモノなんですよ。だから、誰も魔物がこんなところをうろついてるなんて、考えないと思います。魔物も、ある程度の範囲から出られませんし、まず言葉を話しません。伝説になっちゃってるのもいますし…」
「…それに、街の中も、ずいぶんいろんな種族が混じってるしね」
街の様子からすれば、たしかに妙なのが一人いても、気にも止められないだろう。それだけ、見た目の違う―――深草色の髪だったり、牙があったり、目が光ったり―――いろいろな種族が住んでいる。でも、危険は冒せない。
ますます肩身が狭くなったのを感じて、大きな、ため息が出た。
「―――じゃあ、私は、ダンジョンボスの戦い方を、マネてみればいいのかな?」
「…そうなんじゃ、ないんですかねぇ。やってみて、できそうだな、とか、分からないんですか?」
「『フリー』だった時は、感覚なんてなかったからね。ヘッドギアをかぶって、あとは考えるだけだったし。これ、けっこう感覚頼みなんだよ。アメリ君のほうは、大丈夫かな?」
ナギサは窓の外に見える壁のほうを見て言った。
おそらく、アメリがいるであろう、太守館の上部の壁を見る。
ロックフォールが考え込むように腕を組んだ。
「いや、あいつは、心配無いでしょう。アメリですよ?」
「それは、そうなんだけどね、彼女、あれで突っ走りやすい性格してるから…」
上司を相手にモノ怖じしなかったり。
ナギサが、言いかけた時、ドアがノックされた。
二人で顔を見合わせ、口をつぐむ。
ナギサが言った。
「はーい」
「オリガだ。話がある。良いか?」
「どうぞぉ」
オリガが部屋に入ってきた。
その入ってきた姿を見て、ナギサは目をむく。
「どうしたんです? 鎧なんか着て…」
「…ナギサ」
何か思いつめた表情で、唐突に名前を呼ばれた。そういえば、黒いのに襲われた時も、そうだった気がする。
「なんです? 改まって…」
「私は、護衛の仕事を引き受けた。そうだな?」
「ええ、そうでしたけど…、それが何か?」
「私は、お前を守れなかった…」
「うん?」
そもそも、戦わせてほしいと言ったのは、自分だ。
ナギサがポカンとした表情を浮かべていると、オリガが腰を折り、頭を下げた。
「すまなかった…」
ナギサは、目をパチクリさせる。
しかし、あわてて言った。
「ちょっと、やめてくださいよ! ほら、頭上げてください!」
ベッドから起き上がり、あわててオリガのほうに駆け寄る。しかし、オリガはかたくなだった。なかなか頭を上げてくれない。
なんとか頭を上げさせ、椅子に座らせた。ロックフォールに言って、女将さんにお茶を頼ませた。
「ほら、とりあえず座って、落ち着いてください。謝ることはないんですよ。やらせて欲しいって言ったのは私ですし、勝手に転んだのも私です」
「しかしだな…」
「ああ、とりあえず、いったん、落ち着きましょう。女将さんがお茶を持ってくるまで、口を開かないでください」
ナギサは命令するように言った。ロックフォールが所在なさそうに、ドアの横に立っていた。
落ち込んでいるオリガをなだめながら、ナギサは女将が来るのを、心待ちにしていた。いつもの癖で、オリガの肩にをぽんぽん叩いていた。
やがて聞こえるノックの音。
「ああ、ロック…」
…フォール君、出て受け取ってくれ、と、いう言葉は、出せなかった。
それより早く、ミシェルが、勢いよくドアを開けた。
「はい、お持ちしましたよ!」
好奇心旺盛な目が部屋の中を飛び回る。
ナギサとオリガが餌食になった。
キラリと、ミシェルの目が光ったように見えた。
テーブルの上にお茶を置き、ミシェルは、とてもいい笑顔で出て行った。その口の端に浮かんだ楽しそうな笑みは、なかなか出せるものじゃない。突風のように、部屋から出て行った。
声をかけようと、口を開きかけていたのだが、それよりミシェルの動きのほうが速かった。
「…まあ、いい、あとで何とかしよう。ほら、オリガさん、お茶です。それを飲むまで、何にも言っちゃいけませんよ」
そう言い聞かせ、ナギサはポットからカップにお茶を注いだ。相変わらず黒いが、まあ、慣れてしまえば、飲めないものでもない。オリガは、カップを押し抱くように受け取った。
「…すまない」
「それは、もう良いですから。ああ、ヤケド、気をつけてください」
オリガは、うなずいて、一口飲む。
ナギサも一口飲んだ。フレーバーコーヒーとかいうのがあったなと思いだした。
「…すこしは、落ち着きましたか?」
オリガは、黙ってうなずいた。
ナギサはため息をついた。
「いきなり、どうしたんです?」
「…ロックフォールと、フィーデル殿が現れなかったら、失敗していた。さきほど、ギルドで集まりがあってな。そのとき、言われたんだ。実際、気も緩んでいた。すまない」
それで鎧か…。
また頭を下げようとするオリガをとめ、ナギサはため息をついた。
「―――むかしから、よく言われるんですよ。ほら、ロックフォール君。君からも、何か言ってあげて」
「ああ、はい。あー…」
ロックフォールは、恥ずかしそうに鼻さきを掻いた。
「…あんまり、気にしなくても、良いと思うぜ? リーダーは、よく言われるんだよ。一緒にいると力が抜けるってさ。だから、そうなったのもしょうがないし、それにほら、本人も気にすんな、っていてんだし、いいんじゃないか?」
会社で、ロックフォール、六条は、後輩がいなかった。たぶん、始めてこういうことを言うんじゃないだろうか。
慣れない体験のせいか、どこか恥ずかしそうに言うロックフォール。
ナギサも言った。
「そうですよ。気にしないでください。それに、私がこれから上手くやれるかもしれないって、糸口がつかめたところなんですよ。そんな暗い顔、しないでください」
ナギサが、慰めるようにいうと、ようやく、オリガが顔を上げた。あいかわらず、何か思いつめたような表情だった。
「…しかし、それでは」
「―――じゃあ、こうしましょう」
ナギサは提案した。自分の分のカップをとって、ベッドのすみに腰かける。
「これから、もう少し魔法の練習をして、一回、実地で試したいと思ってるんです。その時、危ないようでしたら、また助けてください。追加の依頼料は払いませんよ。それで、おあいこです」
それだけ言って、ナギサは自分のカップに口を着けた。あいかわらず、紅茶風味のコーヒーだった。ゴンザに聞いた話では、なんでも南のほうから取り寄せたお茶らしい。
オリガはまた、釈然としない様子で口を開きかけたが、まったく話を聞く様子の無いナギサに、また口を閉じる。
話がついた。
「…じゃあ、今日はもう休んで、明日から練習を再開しましょう」
ロックフォールとも話がしたいし、オリガには、いったん、退室願って。
ナギサが言いだそうとしたとき、オリガが、言いにくそうに、口を開く。
「…実は、そのことでも話があるんだ」
オリガは、三日後に森狩りがあること。自分がそれに参加できないか、ナギサに確認してくるように言われたことを伝えた。
ナギサは顔をしかめた。
「―――森狩りって、誰が参加するんですか?」
「…おそらくだが、手練は、ほぼ全員参加することになるだろう。ロックフォール、お前も、むこうに戻れば、話をされると思う」
ロックフォールが唸り声を上げた。
「…まいったな、大事になってきた」
「それって、アメリ君も、参加すると思いますか、オリガさん?」
ナギサが聞くと、オリガは少し考えるように、腕を組んだ。
「―――聞くかぎりでは、街のほうでも防衛線を張るつもりらしい。どちらに行くつもりか、私にはわからんな」
「…そうですか」
うまくすれば、アメリ君とも接触できるかと思ったんだけど。
「…まあ、仕方ありません。三日後ですね?」
「そうだ。それで…」
「ええ。まあ、その人数なら、たぶん危険は…、無いんですか?」
「…おそらく、な。確実には言えんが、間違いを起こす気もない」
オリガは決意に満ちた、強い口調で言った。よほど今回のことが堪えたらしい。
ナギサは、ふむ、と、うなった。
「…まあ、大丈夫ですよ? 宿でおとなしくしてますから」
「…あんなことを、言ったあとで、すまない。今回はギルド長自らの話なので、どうもな」
「かまいませんよ。ところで、それだけやってしまえば、強制任務は解除されますか?」
「わからん。ダンジョン内には入らないが、そのまわりを封鎖してしまうつもりだそうだ。だが、壁の話が絡まないなら、多少、規則がゆるくなるかもしれん」
それなら、アメリとも合流できるチャンスが増える。ナギサが喜んでいると、何か、ロックフォールが考え込むように唸っていた。
「…なあ、封鎖って、どうやるつもりだ?」
「ダンジョンまで魔物たちを狩りだし、そのあと、結界で封鎖してしまうつもりだそうだ。ときどき、ダンジョンの活性化では使われる手法だ」
「ここしばらく、やってたのか?」
「いや、ずいぶん久しぶりだろう。私も、クレスヴィルでは、久しぶりに聞いた話だ。ここ十年ほどで、二回目だったか」
ナギサがキョトンとしてオリガを見つめた。
「…あの、失礼なんですが、オリガさんって、おいくつなんですか?」
「三十八年は、生きているな」
オリガがあっさり答えると、ロックフォールが感心したように言った。
「”ダルク”で三十八か! それで、その強さとはねぇ」
「まだまだだ。族長から言われているよ」
ナギサは話についていけない。
ロックフォールを見上げた。
「…”ダルク”の三十八歳って、なんなの?」
「…リーダー、それも知らなかったんですか?」
ナギサはそっぽを向いた。だって、あのときは検案書が山積みだったんだよ。打ち合わせのことで、頭いっぱいだったし。
ロックフォールが呆れたようなため息をつくと、”ダルク”について説明した。
それによれば、”アルブ”族の中に、”ダルク”と、”リヨス”の二種類があるらしい。
アルブ族は長命で、魔力が高く、とくに”ダルク”は戦闘民族として有名なんだとか。
三十八歳というのは、アルブ族では、かけだし、だそうだ。
「―――そういえば、さっき、なにか、魔法の解決法が見つかったと言っていたが、お前の身元は、分かったのか?」
なんでもないことのように、オリガの視線がナギサに向いた。どうやら、非常に気づかってくれているらしい。
ナギサはとっさに笑顔を張り付けた。
「―――いやぁ、やり方が分かったんですよ。身元のほうは、ダメですね」
あはは。
オリガが一瞬、不審の目を向けた。だが、謝った手前か、それ以上は何も聞かなかった。
ナギサは胸の内でオリガに謝りながら、ロックフォールに顔を向けた。また、考え込むような表情になっていた。
「どうか、したのかい?」
ナギサが聞くと、ロックフォールが考え込むような目をナギサに向けた。一瞬、オリガを見た。
「…私は、席をはずそう」
視線の意味をくみ取って、オリガが立ちあがった。
参加許可の礼を言って、部屋を出た。
ナギサはオリガに謝った。
「…で、どうしたんだい?」
また、二人きりになった部屋で、ロックフォールはさっきから難しい表情を浮かべていた。何かを思いだそうとするようにガシガシと頭を掻く。
「―――いや、実は気になってることがありましてね。さっき、ヒト型の魔物について話しましたよね?」
「うん、最奥にいるとかいう、ボスでしょ?」
「…ええ。普通にやってたんじゃ、戦えないんですよ。いつもは、何か条件を満たさないと、そこ、最奥の部屋は開かないようになってるんです」
「条件?」
ナギサは首をかしげた。謎を解かないと、ボスの部屋の鍵が手に入らないとかいう、あれか?
「あそこ、トルメンティアの森のボスと戦うのにも、条件があるんですよ」
「バーリスだっけ? いや、あれは中ボスだったか。あれ、じゃあ、ボスって?」
「そのまんまです。魔女”トルメンティア”が、あそこのボスです」
「え?」
ナギサはマジマジとロックフォールの顔を見た。冗談を言っているようには見えない。
しかし、だ。
「…いや、でも、私の聞いた話だと、”トルメンティア”って、いないって話だったけど…」
「最初に、アメリの奴が説明したじゃないですか。あそこは、”トルメンティア”の住む森です。実際に、条件を満たして、”トルメンティア”と戦った奴もいます。掲示板じゃ、有名な話です」
「えぇ?」
「俺の知ってる話の通りなら、今回、その条件を満たします。リーダーの言っていたように、ゲームが現実なら、”トルメンティア”が出てきちゃいます。ああ! それであいつ…!!」
ロックフォールの顔が引きつった。
「あいつって、誰だい?」
知っている相手を呼ぶ言い方が引っ掛かる。
ロックフォールがうろたえながら言った。
「前に”トルメンティア”と戦って、負けた奴がいるって言いましたよね。リーダーも知ってるやつです」
「だれ?」
アメリと、六条、二人のほかに、『フリー』に没頭していた相手を、ナギサは知らない。会社の誰かか?
ナギサが首を傾げていると、ロックフォールが、その名前を口にした。
「―――『グレイ』です」




