4 オリガのいらだち 魔法の問題
「―――いよいよ、嬢ちゃんも”不審人物”って感じだな」
前と同じように、書類だらけの机に座りながら、ランクルは唸った。
「…まったくだ。まさか、本当に使えるとは思わなかった。使いモノには、ならんがな」
オリガは、肩をすくめた。その顔は相変わらず端正だったが、眉間にひどいシワが寄っていた。それはまぶしい夕日だけが、原因ではない。
ハンターギルド長の部屋で、オリガとランクルは向き合っていた。ランクルは座り、オリガはその前で立っている。日はだいぶ傾き、ランクルの後ろで窓の色が、赤から青に変わっていく。
その光を背に受けながら、ランクルは椅子をきしませた。
「―――ハンターへの道は遠そうだが、嬢ちゃんがいてくれると助かるっちゃ、助かるな。城崩しの野郎、あれ以来、少しは働けるようになったんだ」
「…そうか。いきなり、あいつに抱きついたりと、妙なやつだと思ったんだが、少しは働けるのか?」
「ああ…。ヴァン・ラニを五匹、一人でつぶしたよ」
ランクルの感嘆したような言葉に、オリガは目を見開いた。
「アレを? 本当か?」
「ああ、大したもんだ。『ザンビエ城落としの物語』は、伊達じゃなかったってことだな。ロッシ達に、いろいろ聞いて回ってるらしいが、ずいぶん働いてるよ。それはそうと、わざわざ会いに来るなんざ、一体どうしたってんだ?」
「…ああ、あいつの要件だ」
オリガは、どこか、のどにモノがつかえたような、釈然としない表情を浮かべた。
「―――”晴嵐”が、無事かどうか、知りたいそうだ。昨日、手紙を書いたが、まだ返事が来ない」
「手紙? 何で、嬢ちゃんが”晴嵐”の心配をするんだよ?」
「知らん。だが、あいつは、そう言っているんだ。それで、少し聞きたいこともあって、私が来たんだ。それでどうだ、奴は無事なのか?」
「無事も無事だよ。弓の腕が良いんだ。今日もこっち側に立って、出てくる奴に片っ端から撃ち込んでる。ほかの見張りも、ずいぶん楽だろうよ」
「…そうか」
オリガは考えるように、アゴに指を添えた。
「あいつからの手紙が、”晴嵐”に、届いていないということは、ないのか?」
「壁の内側のコトを書かなきゃ、手紙ぐらいは、そのまますぐに検閲を通っちまうだろうが。なんでだよ?」
「ああ、その筈なんだがな。まだ、返事が来ていない。あいつが言うには、すぐに返事が欲しいモノだそうだ―――見張りの合間でも、書けるはずだ」
「”晴嵐”が、すぐ返事をよこすのか?」
「…そのはずらしい」
オリガは、渋い顔で、答えた。
―――確認できますか?
そう言われ、送り出されたはいいが、自分より格上のハンター、なぜわざわざ心配する必要があるのか。
結局、その部分は、聞けなかった。
ランクルが机に頬杖をつき、唸った。
「―――なあ、ずっと気になってるんだがよ。いったい、あの”嬢ちゃん”と、”晴嵐”、”城崩し”ってのは、一体、どういう関係なんだ?」
「―――それは、私が一番知りたい」
オリガは、なんとか、舌打ちをこらえた。
ナギサに聞かされたことを考えるだけでイライラした。そして、ナギサの話を聞けば聞くほど、そのイライラは増していく。
ギュッと、その、こぶしが、握られた。
最初は、奇妙な小娘だった。それが今度は任務の救出対象になり、次は”城崩し”に泣いて抱きつかれ、指示まで出し始める。そうかと思えば高い威力の魔法を―――それも、オリガでも数回できればいいという規模の魔法を―――昼前からさっきまで―――何発も練習に使い、疲れさえ見せない。
今日まで、やり方も分からなかったのに、だ。
そして、こんどは、”晴嵐”の二つ名をとる腕利きが、返事を返さないと心配し始める始末。
ワケありなんだ、と、本人はいうが、それを話さないのもイラだたしい。ワケがあるならあるで、最初からそう言えば良いモノを、何から何までごまかそうとする。任務を受けている身で、いまさら、どうこうしようなど、考える筈もないモノを…。
考えているうちに、どんどんオリガの眉間のシワが深くなる。
ランクルが肩をすくめた。
「お前の、おせっかい焼きは、今に始まったことじゃないがな。あんまり、やり過ぎんなよ?」
「―――わかっている」
「そんな、おっかねえ顔されて言われても、説得力ねえな。オリガよぉ、あんまり嬢ちゃん、イジメんなよ。それで、何か用事とか言ってなかったか?」
「ああ、そうだったな…」
険しくなっていた表情を、一つ、呼吸をして元に戻す。
じっと、ランクルの顔を見据えた。
「―――失礼を承知で、確認したい。…誰か、あいつに監視を着けていないか?」
ランクルの目が、一瞬で鋭くなる。
「…どういうことだ?」
オリガは調べるように、じっとその目を見返した。
「―――今日、イリサに言われたんだが、どうもあいつをツケているやつが、いるらしい。心当たりがないか?」
ランクルが、その目を見返した。
ぴくりと、片目が細められる。
「馬鹿言っちゃいけねぇ。そんな妙なマネはしねぇよ。ヒトの顔に泥を塗るつもりはねぇよ」
オリガと、ランクルの視線が、ぶつかった。
「―――すまない」
やがて、オリガが目を伏せた。
ランクルは椅子にもたれた。クイッと、見下ろすようにその顔を斜に構えた。
「―――まあ、まったく気にしてない、といやぁ、ウソになるがな。どうしたってんだ?」
「…イリサが言うには、どうも、あいつといると、どこからか、視線を感じるらしい」
「イリサの奴が、そういうのが得意なのは分かるけどな、さすがにうちじゃねえよ」
ランクルの答えを聞き、オリガは、少しだけ唸った。
「―――どうしても、気になってな。森の中でも、気配がしたそうだ」
「”魔女”でも出たんじゃねえのか?」
おかしげに言うランクルに、オリガは、ただ肩をすくめた。
「…まあ、冗談で済むようなことなら、私も構わないのだが、あいつが、あいつだからな」
「一応、雇い主だろう? 不審人物だからって、いい加減、名前で呼んでやったらどうだ?」
それにも、オリガは肩をすくめることで答える。
ランクルが呆れたように息をついた。
「―――ま、お前の好きだ。勝手にやんな。とりあえず、お前がちゃんと護衛してるようで安心したよ。でもよ、お前がここにいて、嬢ちゃんは平気なのか?」
オリガは黙ってうなずいた。
「―――いま、フィーデル殿の店だ」
「…じゃあ、安心だな」
二人は、うなずきあい、いくつか世間話をして別れた。
オリガは太守館を出た。
夜のクレスヴィルは、活気に満ちている。赤い空は、青みを含んだ黒へと変わり、煌々と酒場の窓に灯りが満ちる。外出を許されたハンターたちが、酒を酌み交わしていた。
オリガはそれを眺めながら、魔石屋に向かって、街の中に消えていった。
そのころ、ナギサは困っていた。
一度宿に戻り、手紙が来ていなかったので、オリガに確認しに行ってもらったのだ。それから、相談をしに、もう一度来た。そこまでは、良かった。
フィーデルの店、そのカウンターの中、なぜかナギサは、そのフィーデルの膝に、乗せられていた。
「…そろそろ、離してもらっていいですか?」
「ダメよ。これ、読めなくなっちゃうでしょう?」
そう言って、甘ったるい臭いさせながら、上機嫌に顔を寄せてくる。
ナギサは、さっきからニコニコ笑いつづけている顔から逃れようと、もがいていた。なぜか、一緒に来たイリサは助けてくれる気配も見せない。いい加減足がしびれるか痛くなっているはずなのに、フィーデルは抱きしめたまま離さない。ナギサは、ドア横の壁に、さっきからもたれたままのイリサを見た。
「イリサさん、助けてください」
「―――無理よ」
壁に寄りかかったまま、イリサは諦めたような表情だ。
ふん、と、鼻を鳴らす。
「…フィーデルさんに本気出されて、逃げられた奴なんかいないんだから。その人、クレスヴィルじゃ、一番の魔法使いよ。たぶん、身体強化もしてるし、私は怪我したくないもん」
「あらま、褒めすぎよ、イリサちゃん」
ニッコニッコ、どこまでも機嫌よくフィーデルは笑いかける。
ナギサは首をひねって、そのフィーデルを見上げた。
「―――魔法に詳しいとは、聞いていたんですけど?」
「そうよ、知り尽くしてるからこそ、強いの。ナギサちゃんにも、さっきから教えてあげてるじゃないの?」
「気が散っちゃって、それどころじゃありません。おろしてください」
もがくナギサを、フィーデルはどういう体の動きなのか、うまい具合にいなし、決して逃がそうとしない。ナギサは、とうとう、あきらめた。
「―――最初から、聞いていいですか?」
「ええ、どうぞ。何回でも教えてあげるわ」
甘ったるい臭いが、さっきから鼻をつく。ナギサは、小さく、その臭いから逃れるように、ため息をついた。
「…魔法が飛ばなくて、しかも、ほとんど使い物ならないんですが、なんとかなりませんか?」
「たしかに問題よねぇ…?」
まともに、話を聞いているのか分からない。
フィーデルはその話を聞いてから、さっきから笑い通しだ。
―――ナギサは、たしかに、魔法は使えた。
ただ問題があった。それは、ほとんど、使えないモノだったのだ。
”火”は出せた。それも、ほとんど太陽のような代物で、熱量は十分。少し経つと爆発する。威力は高い。しかし、出るだけなのだ。その動きは、それこそ運動会の大玉だった。
他にも三つ。試したが、どれも似たようなものだった。水も、大きな水球みたいなモノが出て転がる。風は、しつこい台風みたいなものができた。雷を出すと、光の玉みたいなものが、のそのそと進んでいく。もともと練習は必要らしいが、それにしても、目標に当てるには程遠い。
「でも、スゴいわねぇ。まだ扱い慣れていない今が、それぐらいの威力だとすると、慣れてくればどのくらいになるやら…、楽しみねぇ」
「―――私は、楽し、んでる、どころじゃ、ないん、です。頬ずりするのを、やめてください」
「イ、ヤ、よ。しかも、その威力が落ちてくれない、と…」
「…そうなんです」
フィーデルの顔は、ほとんど化粧をしていないらしい。
やたらスベスベする肌の感触から逃れようと、四苦八苦しながら、ため息もついた。
ナギサの”魔法”は、威力が落ちてくれない。ハンターの要、その獲物までふっとばしかねないほど、強力なのだ。
どれも小さなクレーターを作る程度の威力があるのだ。そこから、さらに威力を絞ろうとすると、今度は、あの壁を魔力が通らない。なぜなのか、魔法に関する本でもあればと聞いて、フィーデルが出してきたものは、あまり当てにならなかった。さっきからフィーデルの説明が、唯一の手がかりだ。
壁になっているのは、魔石。それ、そのものらしい。
フィーデルが頬に指を当て、考えるように上を向いた。さっきから魔法について書かれた本を読んでいるのはナギサばかり。フィーデルはなんとかナギサをかまい倒そうとしていた。
「―――さっき、練るのだけやって見せてもらったけど、問題なくできてるわ。たぶん、出すのが難しいのは、石との相性のせいね」
「えっと、あんまり、相性とかはないと聞いてたんで、す、が…」
「そ、ん、な、に嫌がらないでよぅ。初心者用、白っぽい奴だとほとんど、ただの石みたいなものだからね。たぶん、ナギサちゃんだと、あっちくらいの奴じゃないと、使いものにならないわ」
フィーデルは、今朝、ナギサたちが見たのとは反対側、黒っぽい魔石がある方の棚を指さした。
「ちょっと、フィーデルさん! あれ、黒石じゃない!」
「そうよぉ、たぶん、あれなら問題ないわよ。わたしが使ってるのと、おそろいね?」
フィーデルの、ニコニコのあまり、だらしなくなってきた顔から目をそらしたナギサは、驚いた表情のイリサに目を向けた。手だけは、なんとか、フィーデルを防いでいた。
「…何か、問題が、あるん、ですか?」
「本当に、必死ねぇ。―――そりゃね、黒石って、出しずらいのもあるけど、そもそも扱いが危険で、加減が難しいの。下手をすると、魔力、全部もってかれるのよ。それこそ、気絶するか、死んじゃうわ」
「―――すごく危ない?」
「そうよ。フィーデルさん、あいては初心者よ?」
「知ってるわよぉ。大丈夫。わたしだって、最初は怖かったけど、きっとすぐ慣れるわ」
ニマニマ。
もはや、そんな顔になったフィーデルは、こともなげに言う。ナギサは考え込んでしまった。
いくらなんでも、死ぬような危険は避けたい。
そんなナギサの頭の中を知ってか知らずか、フィーデルが耳元に口を寄せた。
「大丈夫。私を信じて使ってごらんなさい。きっとうまくいくわ」
ナギサは、恐る恐る、フィーデルの顔を見た。相変わらずだらしがないが、ウソをついているようにも見えない。少なくとも、使えるようにはなるかもしれない。試して、みるべきかもしれない。
ナギサは、うなずいた。
「―――分かりました。試してみます」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、特別に、金貨一枚で良いわよ。私からのサービス」
「…フィーデルさん、朝、安くならないって言わなかった?」
「あれはあれ、これはこれよ。ナギサちゃんが、魔法を使えるようになるんだもの。安いもんじゃないの?」
フィーデルの弁明は、実にあっけらかんとしていた。
イリサは、攻める気力もなくしたらしい。力の無い目でナギサを見つめる。
「―――まあ、よかったわね。とりあえず、明日からそれで練習してみたら?」
「…ええ、そうします。ああ、オリガさん! アメリ君はどうでしたか?」
ドアが開き、オリガが姿を現した。一瞬、ナギサの状況を見て、良い気味と思ったらしい。少し表情が緩んだ。
「別に、問題はないそうだ―――それにしても、楽しそうだな」
「こっちは大変なんです。ほら、もう私たち、帰りますから、離してください」
「えー、もうちょっと、ゆっくりしていけば良いじゃない。お茶くらい出すわよ?」
ナギサは断固として断り、何やらもっと濃い青色の魔石を受け取ると、フィーデルの店を後にした。
大通りは、お祭り騒ぎになっている。出店が出て、酒や食べ物を売り始めていた。どこから人が集まったのか、大通りは人でごみごみしている。
ナギサはうなだれ、くたくたになった足取りでその大通りを歩いていった。その両脇をオリガとイリサが、はさむような形で進む。しばらく屋台を見ていたオリガが、ナギサに声をかけてきた。
「―――なにか、食べないのか?」
「え?」
言われたナギサは顔を上げた。あたりでは、屋台が何か美味しそうなモノを焼いている。美味しそうだとは思う、思うのだが、空腹を感じない。ナギサは立ち止まり、オリガを見上げた。イリサは、少し離れたところを歩いていて、どこか遠くを見るように歩いていた。
「…なにか、食べますか?」
「いや、私たちは、宿で昼食を済ませたからいいのだが、お前、昼は食べていなかったんじゃないか?」
「あー、そうでしたっけ?」
「…まだ、何か黙っているな?」
オリガの鋭い目が、じっとナギサを見下ろす。
ナギサは、アハハと、苦笑いを浮かべた。やっぱり、いろいろと不審に思われていた。
それは、十分予想できていたのだ。たぶん、今の自分は不審人物として、しっかりマークされているだろう。そこで、これを言った場合、たぶん、それはいや増すに違いない。
「すみません。ワケありなんです」
ナギサは、ごまかした。
それを聞いたオリガは、隠すこともなく、鋭く舌を鳴らした。
「…まあ、分かり切った答えではあるな」
「すみません。ちょっと、言えそうもないことなので」
「まあ、良いだろう。だがな―――」
オリガの腕がナギサに向かって伸びたように見えた。
一瞬、ナギサは身をすくめた。
しかし、その手は、ナギサの横を素通りする。
何が起きたのか分からず、ナギサはパチクリと瞬きした。
グイッと、オリガが手を引っ張ると、もう一本、ナギサの後ろから太い手が伸びてきた。
「お前が、何を黙っていようが、私は構、わん!」
「いだ!!」
引っ張っていた手をオリガが、ひねり上げる。
今度は、男の上半身が、ナギサの横に倒れ込んだ。
腕をひねり上げられ、男は痛みにもがいている。
「―――私は、お前を守るのが、任務だ。私が、決めたことだ。別に、お前が何をしようと構わんさ。だが、少なくとも、私がそう思っているということぐらいは、知っておけ!」
まるで八つ当たりでもするように、オリガは、男の腕を投げるようにして離した。
ナギサはただ口を半開きにしていた。それがパクパクと動き出す。
「―――なにが、どうしたんでしょう?」
「…スリだ。お前の腰の袋が、魅力的なのだろう」
痛みに悶えるその男を仁王立ちで見下ろしたオリガは言った。
キッと、ナギサを睨む。
「―――それで、少しは、理解したか?」
じっと、オリガに見つめられ、ナギサは視線をさまよわせた。
頭の中で、オリガの言葉を咀嚼する。それを、しっかりと、飲み込む。
やがて、ため息をついた。
「…検討させてもらいます」
オリガが不満そうに、ふん、と、言ったのが聞こえた。
誰かが、警吏呼ぶ声が、クレスヴィルの夜に響き渡った。




