前編
猫ノ目獣と愛猫のミケの付き合いは長い。獣は小学校一年の時にミケと出会い、高校生になった今年から数えれば、既に10年になろうとしている。獣にも小、中、高と友達はいるが、ミケ程長く、親密に付き合っている奴はいないだろう。一緒の寝床で眠ったり、朝になると起こしてくれるミケは兄弟のいない獣からすれば、雌であるミケは姉か、妹のような存在同然であった。
この日も長かったテスト期間がようやく終わり、昼前に学校から戻ってきた獣は、家のリビングに置かれたソファに腰を降ろし、獣の元にやってきたミケを抱きしめていた。嬉しそうに眼を細めるミケに癒されつつ、チラッと窓に目をやると、外はどんよりと曇り、春の冷たい雨はシトシトと雨粒を落としていた。午前帰りが出来た上、明日からテスト休みだというのに突然降ってきた雨。獣は雨の降る庭を見ながら、膝元で転がるミケの頭を撫でた。自然とため息が出てくる。
(ああ、こんな雨じゃ外に出る気しないなあ……)
獣はミケの首元に手を当て、ゴロゴロと小刻みに指を動かした。こういう時は愛猫のミケと遊ぶのに限る。黒と茶のまだら色の毛をしたミケは膝元で顔を上げて一言、「うにゃ」と鳴くと、獣にのっそりと体を預けるように擦り寄せてきた。
ああ、なんて可愛いんだ。
獣はそのしぐさだけで、テストの疲れがほうっと外に出ていくような感覚を覚えた。
獣はソファに体を沈め、ミケも獣の体に身を沈めた。両親は仕事で家にはおらず、家の中は獣とミケだけの空間となっていた。雨音がパラパラ音を立て、獣とミケのいるリビングは、心地よい静けさに覆われていた。
「あ、そうだミケ。今週は耳掃除まだしてなかったね。暇だし、今やろうか」
獣はミケの背中を掻きながら言うと、ミケは嬉しそうに「にゃ♪」と短く鳴いて獣の膝から飛び降りた。これから獣が綿棒を取りに行くのを知っているので、獣から降りたのだ。獣はソファからのっそりと腰を上げると、隣の部屋へと移動した。ミケが足下をウロウロとついてくる。獣は戸棚の薬箱の中にある綿棒を数本取り出すと、再びソファに戻って腰をおろした。そのタイミングを見計らったかのように、獣が腰かけた瞬間にミケはピョンと獣の膝に飛び乗ると、獣が耳掃除し易い様、体をべたっと腹ばいに倒れた。
ミケは耳掃除が大好きだ。獣がなにもしていない時は常にというくらいねだってくる。獣もミケの耳のケアのため、一週間に一度は必ず行うのだが、やり始めると、ミケは少なくとも一時間は獣の膝に居座り続ける。おまけに、やっている最中にミケが寝てしまうと無下に起こすことも出来ず、半日ずっとそのままってことも珍しくなかった。
ミケが獣の膝に体を預けると、首に巻かれた赤い首輪からチリンと、小さく鈴の音が響いた。獣がミケに合った年、獣のお小遣いで買った首輪だ。時々手入れはしているのだが、帯の赤色は薄くなり、鈴は僅かに錆を浮き上がらせていた。
思えばもうすぐミケの誕生日だ。誕生日といっても、獣の家に来た日の事なのだが。
「丁度買い替え時かな」
「にゃ?」
獣がぼそっと呟いたのが聞こえた様で、ミケは倒した顔を獣に向けて短く鳴いた。獣は「なんでもないよ~」と優しくミケに言うと、ミケの背中をゴシゴシと撫でる。するとミケは気持ちよさそうに喉を鳴らし、顎を獣の膝にくっつけてくてっとなった。
「じゃあ始めるよ」
獣は手に持った綿棒を、ミケの耳の中に入れようと背中を曲げた、その時、
PRrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!
獣のポケットからケ―タイの音が鳴り響いた。静かな部屋に突然響き渡った音に獣はドキッと体を震わせた。獣の動きにつられて、ミケも思わず膝から飛び降りてしまった。
「だ、誰から?」
獣はそう呟くとポケットからケ―タイを取り出した。液晶画面には友達の名前が映し出されている。高校に入ってから出来た友達だ。
「もしもし?」
獣が話しかけると、ケ―タイから雑音が混じった声が聞こえてきた。
―『あ、猫ノ目?お前今何処にいる?』
「どうしたの?」
―『今さ、テストが終わったことを祝して皆でカラオケ行こうって話になってんだけどよ、お前も来る?』
「カラオケ?」
獣はチラッと窓の外を見た。雨はまだ降っていたが、大分弱まりさっきよりも強く降ってはいない。外出するならさほど問題にはならないが、
―『クラスの女子もくるぞ。ほら、お前が気になっている犬飼さんも来るってさ』
友達のその一言で、獣の心はグラっと傾く。犬飼さんは今、獣が気になっているクラスメイトだ。犬飼さんが来るのなら多少嫌いな雨が降っていても―と獣が思っていると、
「にゃああ~」
いつの間にソファに乗ったのか、ミケがこちらを見て低く鳴いていた。先程の幸せそうな顔とは違い、獲物を狙う時の、ネコ科独特の鋭い目で獣を睨んでいる。その足下には耳掃除しようとしていた綿棒が転がっていた。
「行くな行くな。私の耳掃除があるだろ?」と獣に言っているようだ。
獣もミケの心を察したか、ゴクリと唾を飲みこんだ。
ミケを取るか付き合いを取るか……獣はしばらく口を閉じて考えた。そして、
「分かった。行くよ。何処で待ち合わせ?」
「!!!?」
獣はカラオケを選んだ。その瞬間、ミケの目がカッと見開いたのを見てしまった。その目に獣は驚き、喉から小さく声が漏れた。
―『猫ノ目?どうした?』
「い、いやなんでもないよ。それで、集まる場所は?」
それから獣は集合場所と時間を聞き、ケ―タイをポケットにしまった。そして、チラリと横を見ると、ミケが信じられないといった具合に目を開き、口をあんぐりと開けていた。
その表情に、獣は申し訳なさそうに謝った。
「み、ミケ……ごめんね。ちょっと用事が出来たからさ、耳掃除は明日にでも」
「ふにゃあああああああ~ッ!」
「いい訳なんか聞きたくないわ!」とでも言いたいのか、ミケは悲しそうに鳴きながら、ソファからおりてリビングを出て行ってしまった。ポツンと残された獣は、なんだか申し訳ない気持ちで胸が満たされた。
ミケは賢い猫だ。せっかく好きな耳掃除が中止になり、傷ついたのだろう。
(悪いことしちゃったな~)
獣はそう思いつつも、自分の部屋へ行き外出着に着替えた。着替えている途中、ドアの隙間から送られるミケの視線が嫌に痛かった。
(今日のご飯はミケの好きなツナ缶を使おうか)
そう獣は考えつつも、憧れの子とカラオケをする楽しさに期待を膨らますのであった。
「……フーッ!!」
※※※※※※※※※※※
カラオケの翌日。学校が休みである獣はいつものようにベッドの中でまどろんでいた。暗闇の中で、布団の心地よい感触を楽しんでいると、ふいに大きな声で呼ばれた。
「ジュウ!起きろ!!」
(……?なんだろう……)
獣はてっきり、母親が起こしに来たのかと考えた。だが母も今日は学校がないのは知っている筈だ。それにこの声は母のものではない。それに今耳に聞こえてくる声は、母よりも若々しく、聞いたことのない女性の声だ。
(え……?誰?)
目をぱっと開け、寝たまま首を動かして声の主を確かめる。目の中に急激に光が差し込み、目の前が白く輝いて見えた。獣は数瞬、眩しさに目を細めていたが、やがて光に慣れてくると視界がはっきりとしてきた。そして視界の中心に、
「起きたか。たわけめ」
一人の女の子が立っていた。
突然知らない女の子が目の前に現れ、獣は固まったまま女の子を見ていた。しばらくそのまま黙っていると、女の子は大声を出した。
「おい、こやつを寝床から出すのじゃ!!」
「「イエス。ボス」」
女の子が誰かに命令したかと思った瞬間、獣は何かに体を掴まれると、ものすごい勢いでベッドから引きずり出された。急な出来事に、獣は「おわああっ!」と思わず声を上げてしまった。自分の肩と足を片側ずつ、大きな体をした男二人に持ち上げられているのだ。
「なに!?なんなの!!?」
「何ではないにゃろう、ジュウ。いつも通り起こしてやったのじゃ」
獣は目が回りそうなほど混乱していたが、落ち着く間もなく、半ば投げられるように床に下ろされた。足から着地出来ず、床に打ちつけたお尻がビリビリと痺れる。そのおかげにもしたくはないが、先ほどまでの睡魔はどこかへ飛んで行った。
「いたたた……」
「目が覚めたかにゃ、ジュウ?」
頭の上から降りてきた声に、獣は顔を手で拭いながら女の子の方を見上げた。
最初に引き付けられたのは、丸く、くるりとした目であった。俗にいうネコ目。じっと獣を見てくる瞳には、鏡のように獣が映りそうである。短く、点々とパーマのかかった茶色の髪は、所々が逆立ち、毛先に黒色を混じらせている。日に焼けた健康そうな肌で活発的な印象を受けるのだが、その服装はそんな想像とは違う。
チョコレート色のドレスに、宝石が散りばめられた物を見に漬けており、どう見ても、お嬢様であった。
「え~と、どちら様……」
その時、獣ははたと気づいた。
ここは自分の部屋ではない。いつも起きると目に入る窓は明らかに豪華な造りになっていて、落ちた時は気付かなかったが、ゴツゴツしたフローリングの固さも絨毯で覆われている。猫のポスターが貼られていた白い壁は消え失せ、まるでゲームに出てくるお城の部屋みたく、奇麗な石で形作られていた。あっと思い獣は背後を見たが、やはりベッドもいつも自分が寝ているモノではなく、きらびやかな装飾が施されている。
「ってかここ何処なの!?」
「ふふん。驚いたかにょ、ジュウ。まあ、これでも妾の部屋と比べれば大したことはにゃいのだぞ」
疑問を投げかけても答えてくれそうにない目の前の女の子を、獣はジッと見た。先程から当たり前のように自分の名前を呼んでいるが、この娘と知り合った覚えもなければ、親戚にお嬢様がいるわけでもなく、頭の中の手帳から、思いつく人間関係を開いてみたが皆目見当がつかない。だが心の中ではなぜか、あまりにも非現実的なのに予想がついた。名前を尋ねようと口を開いた獣だったが、思っていたことが自然と口から出てきてしまった。
「ミケ?」
「ふふん。そうじゃよ?驚い……ん?」
得意げな顔を浮かべていた女の子は獣の言葉を聞くと一転、丸い目をもっと丸くして獣を見てきた。その反応に獣はきょとんとなってしまったが、女の子は隣にいる、獣をベッドから引きずり出した男たちを手まねきすると、獣に背を向けてボソボソと話し始めた。
「ちょ……妾今人間になっているにょね?猫じゃにゃいよね?」
「「イエス。ボス」」
「だったらなんで獣にバレたのじゃ!?普通はこちらが正体を明かすまで分からにゃいもんじゃろ!?」
「「イエス。ボス」」
獣に隠そうとしているらしいが、ぼそぼそと零れる女の子の声は獣には十分届いてくる。やがて女の子はクルリと獣の方へ向きなると、
「な、なななんで妾がミケだと思うのじゃ、ジュウ?」
「え、それじゃ……」
「妾は理由を聞いているのじゃッ!!いやまだ妾がミケだって決まったわけにゃないのじゃよ!?だって妾は今、人間だもの!!」
「今」ってことは人間じゃない時もあるのかな……
獣はふとそう思ったが、丸い瞳を左右へ泳がす女の子を見ると、そこはツッコまない方がいいかなと一人考えた。
「答えよ!!獣!!なんで妾がミケだと思うのじゃ!?」
「え、ええ~っと……まあ、なんだろうね、何でかな」
「何がじゃ!?」
獣は頭に手を当ててワシャワシャと髪を掻いた。気まずくなったり、考え事したりする時の獣の癖だ。確かに、目の前の女の子は自分が知っているミケの姿ではない。こんなに大きいし、喋っているし、ドレス着てるし、というか姿どころか種族もまるまる違うし。あまりに非現実的でファンタジック。しかし、獣にはなぜか、自分のその予想は合っていると確信があった。
「説明にならないと思うんだけど、」
「んにゃ?」
獣は一瞬間をおいて、
「いつも一緒にいたんだから、間違える筈がない。姿が違くても、君はミケだと思う」
獣はそう言い切ると、途端に恥ずかしさが込み上げてくるのが分かった。何を言ってるんだろう自分は。これで間違っていたらかなり間抜けではないか。だが獣の答えを聞いた女の子はというと、あうあうと口を半開きにいして目をぐるぐる回し、再び獣に背を向けて男たちを集めた。
「なに、なんじゃ?なにを急に言い出すのじゃ?あんなギザっぽいこと言う奴じゃないにょに」
「「イエス。ボス」」
「い、いい、いつも一緒にって……ニョホホホホ、間違える筈がないって……ンニャハハハ」
「「自惚れんな」」
「!!?」
男たちの言葉に獣も女の子も驚きつつ、女の子は獣の方に向き直った。口の端がピクピクと動いているのが獣の所からでも見てとれた。
「ふ、ふむ。さ、流石はジュウじゃな。まあ、確かに妾と長い間生活をしてきたのだから、このような姿でも気付くのは当たりまえじゃ」
「でさ、ホントにミケなの?」
獣が確認しようと尋ねた瞬間、女の子はカッと目を開くと足を獣の肩に押し当ててきた。さほど痛くないが、急な攻撃と座ったままの姿勢のため、獣の体は後ろに傾き、背中をベッドの端にぶつけてしまった。
「あいた」
あまり痛くはないのだが、ぶつかった時の反応で思わず声が出た。
女の子は足を獣の肩を踏みつけ、獣を見つめて大きな声を上げた。
「言葉を選ぶのじゃ、ジュウ。この世界ではお前のいる世界と違うのだぞ」
「ええ?」と聞き返した獣を余所に、「ふふふ、驚いてる驚いてる……」と口に出しつつにやける女の子は、獣を見下ろすように顎を上げた。
「ふふ、確かにジュウの思っておるように、妾はミケじゃよ。だがこの世界ではお前の知る只の猫のミケではないのじゃ。由緒正しきグリム家が長女、ミケ・エレオノール・フランヌ・ド・グリムなのじゃ!!」
女の子が獣にそう告げると後ろの方で男たちが太鼓を叩いて「デデーン!!」と音を鳴らした。あまりに突拍子のない事の連続に聞きたい事がたくさんある獣であったが、最初に何を聞けばいいか分からず声が出てこなかった。しばらくして一言、ポツリと出た。
「じゃあ、ミケなんだ?」
「うん。そうにゃ」
どうやら女の子がミケであることは間違いではなかった。
※※※※※※※※※※※
「……それじゃあ、ミケはこの世界ではお嬢様なんだ」
「ふふん。そういうことじゃ。すごいにゃろ?」
あれから獣のベッド(があったんだけど、今はすっかり豪華に……)に座り、ミケは終始得意げに、今獣のいる世界の事を話した。先程までいた二人の大男たちは、今は部屋にいない。床に座らせられた獣は、ミケの話を耳に入れつつ、頭の中で整理をし始めた。
まず、この世界は獣のいる世界とは別の世界であった。ミケの話ではアニメや漫画で見るようなモンスターとかはいないそうだが、魔法なんかはあるそうだ。ミケはそんな魔法を使う家の娘さんであるらしく、見たままであるがお嬢様であるというワケだ。
本人も魔法が使えるそうで、それで獣のいる世界とこっちの世界を行ったり来たりすることが出来るらしい。ミケは大まかな概要を説明し終えると、自分の使う魔法について喋り始めた。
「この魔法はじゃな。ジュウのいる世界へ行く時は人ではない別の生き物に変わるようになっておるのじゃ」
「なんで変わるの?」
獣は興味深げに尋ねた。
「人の姿で行き来すれば、あっち側の世界の人間に怪しまれるかもしれんであろう?万が一の事を考えて、あちらでは他の動物になって生活するんじゃ」
「へえ~」
「ふふふ、驚け驚け」
ミケは機嫌よさそうに微笑んだ。あまりにもファンタジーな設定に獣の頭はまだ付いていけてない感覚はあったが、そう説明されると逆に納得出来た。不明確なことは魔法で片づけられる。日頃ファンタジー小説を読みふけった賜物であろうか。
「だけどさ、ミケ」
「なんじゃ」
「ここがミケのいる世界だって事はいいんだけど、なんで僕までいるの?」
獣はミケに尋ねる。答えは大体予想がつくが。
「それは簡単じゃ。妾が連れてきたのにゃから」
「……まあ、うん」
予想ぴったりだ。
「そう、ここからが本題にゃよ、ジュウ」
ミケは自分が連れて来た事を告げるとバッとベッドから立ち上がり、腰に手を廻してゆっくりと窓へ歩み寄った。窓の外は別世界の風景が切り取っていて、獣の視界にも木々に芝生の明るい緑が遠くまで広がり、獣のいる所とは明らかに違った景色を映していた。
「ジュウ、妾はジュウの世界ではなんじゃ?」
「え?」
急に漠然とした質問を振られ、獣は少し考え込んだ。
「ね、猫?」
「猫は猫じゃよ!そうじゃにゃく!妾はジュウのなんじゃと聞いておるのじゃ!?」
「ペット?」
「そう、それ!!」
ミケはジュウの方を指差し元気よく声を上げた。その迫力に獣は思わずのけぞってしまう。
「これまでジュウとは縁もあって、猫としてジュウに飼われてじゃろ?」
「……う、うん」
「妾も時々こっちには帰ってきていたがにゃ。ま、まあジュウの世界も悪くないにょでな。気づけばもう10年も経とうとしておる」
「長いよね~」
今までの思い出がしみじみと蘇ってきて、二人の間にほんわりと、楽しかった記憶が蘇ってきた。家の中で過ごしている場面がほとんどなのであるが。そんなゆるりと流れ始めた空気を蹴散らすように、ミケはドンと足を踏みならした。
「だがしかあし、ジュウ!!最近たるんでおらぬか?」
「ええ!?」
ミケの指摘に獣は声を漏らす。
たるんでいるとはどういうことだろうか。
「ジュウの世界では良く言われておるじゃろ。飼い主というのはペットの面倒を最後まで見なければならんと」
「う、うん。うん?」
ミケの迫力に獣は押されて思わず頷いてしまうが、自分が肯定したことに疑問を感じた。
ミケが言いたい事はなんとなく分かる。つまり自分は、飼い主としてミケの面倒を見ていなかったと。そう言いたいらしい。だがこれまでの記憶を遡っても、獣には特別、ミケの世話で手を抜いたというモノはなかった。
餌は毎日二食、手作りのモノを与えていたし、水も用意していた。お風呂は時々出来なかったこともあるが、それはミケが逃げ出すのがいけないから言われる由縁はない。トイレの処理も獣が行っているし日頃のケアも……
「もしかして昨日、耳掃除しなかったことについて!?それが理由!?それとも昨日の夕食が遅かったコト?」
「違う、そんなことじゃ……」
「昨日は確かに僕が悪かったけど、代わりにミケの好きなツナ缶で夕食作ったじゃないか。ミケだって嬉しそうに食べてたし」
「そうそう、ツナにオカカとマヨネーズを和えたのをご飯に混ぜた奴♪あれは反則級の美味しさにゃ。シンプル・イズ・ザ・ベスト……って違うにゃ!!」
嬉しそうに語ったと思いきや、ミケはハッと気づいて獣に大声を上げた。どうやらミケが怒っているのはソコではないらしい。獣はまた考える。だが獣が身に覚えのある範囲では昨日の事しか挙げられない。答えが出そうにもないと察したか、ミケは口を開いた。
「ふん、どうせジュウには分からないじゃろうよ」
明らかに不機嫌そうに眼を細めながら、ミケは部屋中をトコトコと歩きまわりだす。そして獣の前で足を止めると、
「ジュウには分からんにゃろうが、今まで主の至らぬ点には目を瞑ってきたがここいらで我慢の限界がきたじゃ。どうもジュウには飼い主としての自覚が足りないと見える。そこで!」
「?」
「グリム家長女である妾が飼い主とは何たるかを直接教えこんでやるのにゃ。ジュウ、今から妾がお前の飼い主、お前は妾のペットじゃ」
「ええ~!?」
お姫様のペットというと、獣の頭には仮面を被り鞭を振るっているご主人様が想像された。それで叩かれるのが僕という事は……それはちょっと、絵的に不味い。
「ちょっと待ってよミケ。そんなことしなくても、お互い話せるんだから話し合いで解決しようよ。不満があるなら今言ってくれれば」
「シャ~~ラップにゃ!異論は認めんぞよ!と、とにかく!お前はここでは妾のペットなのじゃ!はい、決定!!」
さんざん喋っていたミケはここで話を止めると、「コレ!例のモノを!」と慌てるようにドアの方に声を掛けた。するとドアはガチャリと開き、例の大男たちが入ってきた。二人の手にはそれぞれ、なにか握られていた。
「な、なに?」
「お前は妾のペットなんじゃから、コレはつけとらんと」
男は握っていたモノをミケに渡すと、獣の元へと近寄ってきて、ベッドから引きずりだした時と同じく、片方ずつ獣の手足を押さえつけた。ミケは「ニョホホ♪」とほほ笑みながら、獣の首に手を廻して何かを取りつけた。
「み、ミケ。なにしてるの?やめてよ!それとこの人たちなに!?」
「双子のペディとチャムじゃ。こっちでは妾のボディガードをしているにゃ。大人していればジュウに危害を加えるつもりはないぞよ。のう?」
「「イエス。ボス」」
そう言葉を返す二人だが、獣を掴んでいる部分に力を込め過ぎているのか普通に痛い。獣は痛みから逃げようと体をよじるが、一層二人の込める力が増した。
しばらくして、ミケが手を首から離れた。横から抑えていたペディ&チャムたちも、獣を解放する。再び絨毯の上に放り投げられた獣の腰に衝撃が走った。痛む腰をさするのも程々に、獣は慌てて立ち上がると、首元に手を当てた。自分の肌とは異なる感触を覚え、首元に軽い圧迫感が広がる。首が動くたびにチリンチリンと金属音が部屋に鳴った。ここでも、獣には首に巻かれたモノが予想ついた。
「首輪ぁ!!?」
「そうじゃよ。嬉しいにゃろ?」
ミケは嬉しそうに言った。いつの間にか、ペディ&チャムのどちらかが手鏡を持って獣に向けていた。鏡に映る獣の首には、赤い色の鈴が付いた首輪が見えていた。
確かにペットといえば首輪かもしれないが、人間につけるのはどうだろうか?かなりアウトな気がするのだが。
獣は自分に巻かれた首輪を確認しようと、何度も手で触った。やはり首輪が巻かれてる。きつく締められていない筈なのだが、妙な息苦しさを感じた。
鏡を見ながら首輪をいじっていたが、ふと、この首輪に見覚えがあることに気づいた。
「これって……」
獣は鏡にグッと顔を近づけて首輪を睨んだ。大きさは違うものの、色や鈴など、獣がミケに着けたものと同じモノではないか。獣は鏡から目を外してミケを見た。
「こ、これで妾とお揃いじゃな。ニョホホ」
ミケはちょこちょこと獣に近づくと、すっとドレスの袖を捲った。左手首には古びた赤い猫の首輪がつけられていた。今の彼女の首には小さすぎるからだろうか。獣がミケの手首をジッと見ていると、ミケの顔が段々と赤く染まっていった。
「あ、あんまりみるにゃあ……」
恥ずかしさを含んだ声に、獣も思わずドキッと胸を高鳴らせる。
「自分から見せてきた癖に……」
「う、うるさいにゃ。ご主人さまに文句いうにゃじゃ……」
「「甘ったれんな」」
「「!!!!?」」
二人の間に流れ始めた空気を振り払うかのように、顔を近づけて発せられたペディ&チャムからの声に思わず二人は距離を離した。
よく見るとミケの顔は真っ赤に染まっている。首輪を見せることがそんなに恥ずかしかったのだろうか。
ミケはしどろもどろになりながら「こ、これ!主らは部屋からでるのじゃ!後は妾がするでの!!」と大声でペディ&チャムに言うと、二人の大男は「イエス。ボス」とだけ言った後、部屋を静かに退出していった。
寝室には、ミケと獣の二人だけが残った。ドアの閉まる音が消え、部屋の中が静かになったのを見計らったかのように、ミケは少し離れた獣の方を向いた。
「よ、よし。それじゃあ、今からジュウは妾のペットじゃぞ~ニャハハ」
不敵な笑みを浮かべたミケの顔が、獣にはいかにも悪だくみを考える悪の親玉に見えてきた。先程の甘い空気とは一変、何を言われるのかと獣の胸はドキドキと鳴りだした。
「そ、そうじゃなまずは、じゃあジュウ!」
ミケが何か思いついたように目を丸く開き、口を開いた。その時、ふと、獣の頭にある疑問が沸いた。
(なんだか僕が命令されるような感じになってるんだけど……)
「『耳掃除』をしろじゃ!!」
(ペットって命令されるものだっけ?)
獣のその疑問に答える者は、いつの間にかベッドに寝転がり、ペットが命令を実行するのを今かと待っていた。
どうも、ウサギです。
出来るだけ甘い作品を書いてみようかと試みた作品がこちらになりました。
感想頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします。