その1
予約制のカフェの二階席。
明るい鳶色の髪を頭の右と左でリボンでとめた愛らしい少女は、口の中にボンボンを放り込む。
とろりと蕩けるチョコの中から砕かれたナッツが歯ごたえを与えて実に美味しい一品だった。
ちらりとのぞく赤い舌先。
ふんわりとしたシフォンのドレスに包まれた体は未だ幼く、レースの揺れるスカートの裾から覗く赤い靴は綺麗に磨きぬかれていた。
「女狐、って感じ」
「……」
「さすが金と暇をもてあます悪女」
「……」
「見てよ、あの不敵な笑み。相手の男が自分にひれ伏すのは当然って顔!
性悪よ、アレは」
その辛らつな言葉を吐き出すのは、薄い桃色の小さな愛らしい唇。
どこからそんな単語を拾ってくるのか、まったく理解しがたい程に稚く愛らしい少女だった。
「エイシー、ぼくはどうしてこんなとこにいるんだろう?」
他人事のように呟きながら、彼女と同じテーブルの反対側に座り肩を落として居心地悪そうにしている青年はか細い声で呟いていた。
「だってあたし一人じゃこんなとこ来れないんだもの」
十三歳は立派な淑女だというのに、この店の人間はそれを認めない。
仕方なしに、エイシー――エイシェルはすぐ上の姉の自称弟子であるフレリックを連れてこの店を訪れたのだ。
だが、連れて来たくもない保護者まで用意したというのに、完全予約制だとつっぱねる店員にエイシェルは傲慢な口調を叩き付けた。
「私が乗ってきた馬車の紋章が見えないのかしら?」
冷ややかに十三歳の娘が言えば、支配人が飛んできて特別にと二階席へと通してくれた。
紋章を見せれば誰もが怯む。だがそれはエイシェルの能力ではないことが理解できるから、エイシェルはいつだってふんっと鼻を鳴らして憤慨するのだ。
いつか、エイシェル一個人を前に数多の男をひれ伏せさせるのが目標だ。
数多の男達をひれ伏せて嫣然と微笑みを浮かべる自分は誰よりも美しいだろう。
「それに、あんただって獲物を見て損はないでしょ?」
「――」
「あたし、負ける気はないの。
リーファはやる気がないみたいだけれど、そのぶん弟子であるあんたが尽力すればいいじゃない?」
「でも……」
「あんただってたまにはいいとこ見せないと!
リーファに惚れ直してもらえるかもしれないわよ? もしかしたら結婚だって意識してくれるかも。アルにだってあんたが結構使えるって思わせれば、リーファをあんたにくれるかもしんないじゃない」
――かぁっと、青年の頬が染まる。
リーファ。
リファリアはフレリックの師匠だが、一応――恋人という関係であるとフレリックは自認している。
口付けを交わしたこともあるし、それ以上のことも。時々……そう、時々だけれどリファリアの寝室に招かれることだってある。恋人だとは思っているけれど、どうにもリーファは淡白で、甘い夜を過ごした翌日にはけろりとしていつもとかわらずフレリックをこき使う。そんなだから未だに周りには恋人同士として認めてもらえない。
「惚れ直してくれる、かな?」
どう想像を逞しくしても、師匠がフレリックに熱っぽい視線を向けてくれることはない。
「まー、リーファは普通の乙女とは違うから断言はできないけれど、心象はいいんじゃないかしら? つまりこれって、善行でしょ?」
「善行なのかな?」
「まぁ、どうでもいいけどね?」
たきつけておいて適当に返すエイシェルに、フレリックは顔をしかめた。
元々フレリックの為でないことは承知しているが、さすがにあんまりだ。
「とにかく、あたしはやるわよ?
それでクロイシェンのオーダードレスを買ってもらうの。レースがたっぷり使われた最高級品よ。あたしに相応しいと思わない?」
きらきらと瞳を煌かせる少女は実に愛らしく無邪気だ。
年相応にドレスに夢を馳せている。
「この縁組、綺麗さっぱり消滅させてみせるわ」
だが、その少女の口から吐き出される言葉は到底愛らしいものでは無い。
フレリックは疲れたような吐息を落とした。
――女狐。
――金と暇をもてあます悪女。
フレリックにもそんな風に思う相手がいる。
面前のエイシェルだ。
弱冠十三歳だというのに、どうしてどうしてその言葉がこれほどぴたりと当てはまる少女も珍しい。
綺麗で可愛いものが大好きで、自分がどれだけすぐれた美貌の持ち主であるのかを熟知している。
すでに幾つもの縁談が舞い込んでいるのだが、彼女はそのどれにも満足していない。
遊ぶことが大好きで退屈が大嫌い。
セイフェリング侯爵家の末の娘。
フレリックは「見なさいってば」というエイシェルの言葉に、仕方なくそれまで視線を向けなかった階下へと意識を向けた。
興味が無いといえば嘘になる。
――この大陸で一・二を争うといわれる貿易会社の娘。
地位はなくとも金という最大の武器を持ち、貴族とのコネクション欲しさに男爵家の息子に取り入ろうという女性。
いや、この婚姻を推し進めているのはおそらく父親なのだろう。
いくら大きな貿易会社といったところで、その内情などあまり知りはしないが――ヴィスヴァイヤに娘がいるという話は聞いたことが無かった。あのアルファレスでさえ怪訝な顔をしつつざっと調べなければならなかった程で、最終的にはじき出された結果は病弱な娘はほぼ寝たきりで、厄介者という扱いであったようだ。
その厄介者も、結婚という駒として引き出されたのだ。
聞いただけで胸が悪くなるような話だ。
その縁談をぶち壊すという話を持ち出し、アルファレスは微笑んだ。
「勝者にはぼくから何でも好きなものを進呈しよう」
当然のようにエイシェルは喜んだし、長女のクロレアも退屈しのぎになりそうねと微笑んだ。
次女のリファリアだけはあまり気が乗らない様子で「暇ができたらね」とあっさりと手を振った。
――だからこそ、フレリックはこの場に引き出されているのだ。
「ほら、日当たりの良いあの席よ」
示された場所、そこに座る一人の少女の姿に――フレリックは危うく「あ」と言葉を漏らしてしまいそうになった。
それを慌てて喉の奥でおし留める。
「――綺麗な、人だね」
「女狐ってそういうものなのよ」
「……」
「傲慢そうでしょ?」
エイシェルが続ける言葉をフレリックは流した。
――お茶、飲みます?
道具屋の片隅で、置かれたケトルを軽く持ち上げたのは、確かに彼女だった。