その5
招かれたお茶の席で、コリンは叔父の言葉を口の中で転がした。
あの後機嫌を損ねた伯父はふいっと姿を消してしまったが、どこに行ったかはコリンにも簡単に想像ができる。コリンの父であるセヴァランに文句を言いに行ったに違いない。
伯父と父は何故ああも仲良しなのだろうか。
友人など持たないコリンには父と伯父との関係は実に複雑なものに感じられる。顔を合わせれば嫌味や下らぬ文句を並べ続けるというのに、顔を合わせないという選択はしない。しかし、貿易についてであれば彼等は争いながらもその決断を誤ることはない――概ね。
――それは誰が得なの。
それはまさにコリン自身が抱えている謎だった。
勿論相手は貴族であるから、父にとって商談の幅を広げたいという思惑が無いとは言い難い。だが、相手は男爵家。
労働階級の娘であるコリンが言うべきではないが、たかが男爵家だ。
伯爵でもなく、侯爵家でもない。王家とは血のつながりは期待できないし、おそらく何百年もさかのぼることは無い。たかがこの百年の中で、何かしらの功績を持って受勲したものだろう。
――言ってしまえば、金で買えないものでは無い。
金で処理できることであれば、セヴァランはとうに処理していることだろう。
そして何より、相手は長男外。コリンとの婚姻により、男爵令息という現在の立場も失ってしまう。まったく貴族ではなくなるのだ。
利用価値など欠片もない。政略結婚などという言葉を使うのもおこがましいほどだ。
この青年と姻戚を結んだところで商会に何の利ももたらしてはくれないように見える。逆に考えたところで、貴族ではなく労働階級の娘――しかも跡取りでもない娘を妻に求めたところで相手にとっても利益があるとは思えない。
むしろ自らを貶める結果となるのは目に見えているだろうに。
「コリン嬢」
掛けられた言葉に、はっと息をつく。
「何かありましたか?」
やんわりとした口調で問われる。相手の話もろくに聴かず、考え事をしていたことにコリンは恥じ入るように瞳を伏せ、そっと首を振った。
「何か心配事でもあるなら、どうか聞かせて欲しい。頼りないかもしれないけれど、あなたの夫になる男ですから」
そういう青年は、確かに頼りない。
きっぱりと言う台詞も、どこか馴染みの無い印象だ。
「そういえば、港にヴィスヴァイヤの商船団が戻ったようですね。弟君ですか?」
どうにか話題を探そうとする様子は好ましいといえるが、無理が見える。わざとらしいといえばいいだろうか。
コリンは淡々と「いえ、戻ったのは叔父です」と応えた。
「ああ、確か――コリンさんに面差しが似た青年ですよね?」
「色彩は似ておりますが、身長はだいぶ違います」
コリンはひたりとその視線をあげ、自らの婚約者候補である青年をじっくりと見つめた。
男爵家の青年というだけあってその身なりは華美なものではないが上質のものを使っている。クラバットは絹地。細かい刺繍が施されているが、あの手はおそらく抱えの針子のものだろう。中央に止められたピンの宝石は瑪瑙。それほど高価なものではないが、昼間のこういった場にそぐわないものでは無い。
シャツを縁取るレースもクラバットの作者と同じと思わせる。細かい模様が似ているのだ。
単品で売買するのであれば割高にし、セットで販売するのであれば少しばかり値を下げてもいい。だが、いかにも高値がつくというものでは決してない。
総じて考えれば――
「できれば、家族にも紹介していただきたいなーっと……
もちろん、まだ……候補でしかない身ですが」
まさかコリンが自分の衣装について一つづつ品定めをし、挙句値段まで考えているとは知らない青年は勝手に喋りながら自ら照れるように慌てて訂正を入れる。
そう、ウイセラにコリンは婚約者といったが、この話はまだそこまで煮詰まってはいなかった。
だからこそ、コリンは不可解でしょうがないのだ。
父に「結婚しなさい」と言葉をむけられれば、コリンは「はい」と嫁げる。
そこには何の疑問もない。父が命令した。それだけで嫁ぐことがコリンにはできる。父の命令が絶対だというつもりは無い。だが、こと結婚というものに対してのコリンの認識はその程度のものでしかなかった。
大陸一ともいわれる貿易商家の家に生まれ、コリンは十六年の間に自らのなかに定めたもの。それはヴィスヴァイヤの為に最大限のことをする。
この場合の最大限と言えば、その身をもって商会に最大の利益をもたらすことだ。自分の身が最高値を示す婚姻こそがまさにコリンの誇りともいえた。
貴族に嫁ぐことで利益となりえるのであればそれは喜びだ。
だが、この婚姻にはそういったものが無い。政略結婚とは名ばかりな婚姻に、正直コリンは失望し、戸惑っていた。
それでも父に「嫁げ」といわれれば「喜んで」嫁ぐ心積もりはある。
何の疑念も抱かずに頭を垂れて「はい」と応える。
だが父は「どうだい? 考えてごらん」というのだ。
こうしてみていてもこの青年に価値を見出すことは難しい。
男性の美醜についてコリンはあまり考えたことは無い。ウイセラの顔立ちは整っているし、弟のウィニシュはほんの数年前まで「天使のような」と形容までされていた。その二人と並べて面前の青年がどうという感慨も湧きはしない。
だがまったく興味がないわけではない。
これは退屈な日常に降って湧いた新しい遊戯。いや、戦争。
――これは挑戦。
コリンは面前の青年に適当に受け答えしながら、心の中で静かに胸に炎がともるのを感じていた。
これは、この男の真価を図れという、父からの挑戦だ。
一見して凡庸と思われるこの青年が、実はダイヤの原石なのかもしれない。それをコリンが見分けることができるのか。それこそが父が示した挑戦に違いない。
コリンは不敵な笑みをたたえて婚約者候補の男と対時する。
コリン・クローバイエの辞書に敵前逃亡などはない。
子供の時に破り捨てたのだ。
もう二度と無様な敗北などしない。
コリンは口元に作り物めいた笑みを刻み付けて面前の男を見つめた。
未来の夫となる筈の――獲物を。