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遊戯  作者: たまさ。
アイリッサ・ハディント
57/72

その3

 アイリッサと知り合った時の記憶は無い。

物心ついたときから、アイリッサは存在していた為だ。

ただ、何故存在していたかと言えば、コリンの母親であるアリシェイラの知り合いであったのだという。アリシェイラとアイリッサといえば年齢も離れている為どうして知り合ったのかまでは生憎と判らない。

 キドニカの社交の場で顔を合わせていたのか、もっと個人的なことであったのか。

 今更「どうしてあなたは居るの?」と尋ねることでもないだろう。

アイリッサはコリンにとって物心つく頃にはすでに存在していた――そういう女性だ。

 コリンとの年齢差は十二歳。実はウイセラよりも年上なのだが、おっとりとしたその外見は二十歳前後に見えなくもない。おそらく気取らぬその性格もそう見せるのに一役買っているのだろう。


 彼女の外見的特長で判りやすいのはその眼鏡だ。

外見の美醜を気にして女性で眼鏡をかけるものは滅多にないが、アイリッサはいつだって黒縁の大きな眼鏡をかけている。そして、更に結い上げる程に髪を伸ばすのが一般的なキドニカでも異質なのはその短髪。

 淡い栗色の髪は見事に首筋で切られ、ふわふわとゆるいカーヴを描いて揺れている。もともとそうであった訳ではなく、結婚するまではさすがにアイリッサも髪を伸ばしていたものだが、結婚し、ヴィスヴァイヤから船を贈られてしばらくたった頃に彼女はばっさりと髪を切り落とした。

「船旅に長髪は邪魔。べたべたするし、水は貴重だからそうそう洗えないし。手入れが面倒だから」というのがその理由であったが、さすがに彼女の夫であるウイセラは開いた口を閉ざし、また開いてを繰り返して言葉を失っていた。

 その時抗議しなかったのは、ひとえに婚姻の上での条件である「お互いのことに必要以上に干渉しない」という言葉がずしりと重くのしかかっていた為なのか、あまりのことに言うべき言葉が出てこなかったのか。


「ごきげんよう。コリン」

 アイリッサは帽子を外し、にっこりと微笑んだ。

以前アイリッサと体面したのはいつだったかと思えば、どうも季節を一つ二つ簡単に過ごしているような気がする。一旦船で航海にでると彼女はなかなかこちらに戻ることもなく世界中のありとあらゆる女性的な装飾品などを探求に走っているのだ。

「叔母さま、お元気そうで良かった」

「コリンも相変わらずのようね」

 アイリッサは苦笑し、コリンの体を優しく一旦抱きしめると柔らかな頬と頬を押し当ててくすくすと笑った。

「何か良いものが見つかりましたか?」

「今回は毛織物がとても気に入ったの。民族的な文様が刻まれた毛織物の衣装よ。ただ、こればかりは場所を選ぶわね。キドニカやこちらのように気温が中途半端なところでは売れないでしょうし――もっと寒い地方に運んでうるつもりよ」

 つまり今回の寄航もさほど長居するつもりは無いのだろう。

コリンはこくりとうなずいたが、アイリッサはさっさと席について「それより」と声音を変えた。

 コリンが以前手紙で知らせた事柄について問われるのかと思えば、アイリッサは少しだけ眉間に皺を寄せながら持ってきた小さな袋を示した。

「コリン、最近こういったものを目にしたことは無いかしら?」

 アイリッサは言いながら、女中が用意したばかりの紅茶のカップを持ち上げ、ことりとテーブルの端に置いた。

 そうして残されたティーソーサーの上にざらりと袋の中身をぶちまける。

それは指先にわずかに引っかかる感触を思わせる金色の粉粒で、コリンは素直に口にした。

「もちろん、あります」

「――そう、では貴女が騙されていないと良いのだけれど」

 生真面目な口調で言うアイリッサの言葉に、コリンは小首をかしげて相手の言葉を促した。

「騙される?」

「砂金に見えるけれど、残念ながら砂金じゃないの。

これ……熱しても溶けないのよ」

 アイリッサは生真面目な口調で言いながら、その物体を自らの指でつまんでさらさらとティーソーサーに落としてみせた。

 コリンがちらりと横にいるリアンに視線を向ければ、リアンも硬い表情でじっとそれを見つめている。

「出先で二回、遭遇していて――一回目は騙されたことに気付くのが遅れたの。取引としては胡椒との取引で、恥ずかしながら船員を数名解雇せざるを得なかった。ただの詐欺に引っかかったものと思ったけれど、二度目があるとは思ってなかったわ」

「二度目はどうしたのです?」

「もちろん、その場で溶かしたの。溶解温度が高いから苦労したけれど、途中で相手が顔色を代えていくので覿面だった。でもこの方法は難しいわ。いちいち溶解温度まであげるのに時間が掛かるし燃料もそれに耐えうる容器も簡単なことじゃない。

でもね、困ったことに南方ではコレが結構出回っていたみたい。今、ちょっとした騒ぎになっているけれど――その様子ではこちらにはまだ入って来てないみたいね?」

 入って来ていない。

そう、言えるだろうか?

コリンはじっとその砂金もどきを見つめながら「リアン」と自らの片腕の名を呼んだ。

「金庫にある砂金を全て調べなさい」

「はい、ただちに」

 一礼して出て行くリアンを見送り苦笑するアイリッサに、コリンは淡々と口にした。

「溶けないとおっしゃいましたね」

「ええ、溶けない」

「でも――混ざるかもしれませんね」

「そう……それが一番、怖いわ」


 純粋に贋物だけであるなら判るだろう。

問題は――金塊の中に混ぜられてしまっていた場合だ。


***


 黴臭さが目立つ雑貨店で「これはいったいどういう用途に使われるのだろうか」という怪しげな缶をまんじりと眺めているアルファレス・セイフェリングはおそらく店主にとっては歓迎できかねる客であろう。

――ぴたりと来ない日が続いていた。

いっそ平和でのんびりとした日々が戻っていたのだが、数日前にふらりと思い出したように訪れ、それ以来毎日の日課とでもいうように顔を出し、本人はおそらく隠しているつもりなのかもしれないが、会話のどこかに「彼女は今日もう顔を出しただろうか」と忍ばせている。

生憎と言葉をいくら変えようともちっとも忍んでいないので店主であるテサとしてはほほえましいような、この男は大丈夫なのであろうかいう疑問の間で微妙に困っていた。

 彼女こと店の常連客のお嬢ちゃん目当てで来訪していると思うのだが、一応毎日「本当にそれは必要なのか?」という商品を一点二点購入もしてくれるので文句も言いづらい。

「そういえば――最近あのお茶は注文されたりしたのかな?」

 ふとそんな言葉をふられ、テサは「どのお茶です?」と問い返した。なんとなく思い当たる節はあるが、間違ってしまっては困る。ただ、おそらく間違っているとしても十パーセント未満の確率であろうが。

「あー、先月ぼくが買い占めたお茶だよ。

短絡的に買い占めてしまったけれど、好きな人は困ったんじゃないかなって思ってね」

――件のお茶はいわゆる粉茶なのだが、先月確かに彼は買い占めた。

 このお店では毎日違うお茶をお客様に提供するようにしていて、購入もできるようになっている。そのお茶に関してはテサも孫娘と一緒に味見をしたが、二人ともはっきりと断言できた。

「これは売れないねー」と、孫娘は渋い顔をしてこっそりと残った茶を流していたのを知っている。もったいないとはさすがのテサも口にできなかった。テサ自身、一口で降参してしまったのだから。

 だがそのお茶もダースで購入してしまっていた。こればかりは仕方ない。赤字を覚悟していたというのに、テサにとって幸運であったのは、こんなけったいなものを購入する人間が――二人もいた。

 一人はいつも楽器の手入れ用のグリスやら細かい螺子らと不思議なものを注文してくるお嬢ちゃん。そしてもう一人が彼、アルファレス・セイフェリングだ。

 お嬢ちゃんが一缶だけ購入してくれたのに対し、なんと彼は残っている在庫を全て購入してくれた。貴族様とはいえなんとも奇特な人であろう。

 実にありがたいのだが、正直言って……邪魔である。

「大丈夫ですよ。注文はあれ以来ありませんし」

「でも彼女は――売れたのは一缶だけだったんじゃないのかな? ぼくの手元には九缶しかないし。ここで試飲に一缶、買われたのが一缶、それで先日ぼく達が飲んだ時にも一缶あけていただろう?」

 そう、実質上アルファレスが購入しなければ、売り上げは一缶であった。

「さすがにそろそろ買いに来ると思うんだけどな」

 ぼそりと――おそらく独り言で呟かれた言葉に確かにとテサはふむとちいさく相槌を打った。

 そろそろお嬢ちゃんから注文が来るかもしれないが……今から仕入れておいたほうがいいだろうか。いやいや、だが物はあのお茶なのだ。注文が入ってから仕入れたほうがいい気がする。

「坊ちゃんはあれだけ購入なさったんならまだ在庫ありますでしょ?」

 仕入れを頭にちらつかせて言えば、アルファレスは苦笑した。

「うちはね。人にあげたりもしたけれど、まだあと五缶はある」

「そんなにお飲みなさいましたか?」

「一缶はパッケージがあいているけど、三缶は話の種に人にあげたんだ。珍しい品だしね、皆喜んでくれたよ」

――テサは喜んでいたという部分は眉唾だなと苦笑した。


控え目に言っても、あのお茶は軽く吐き気を催せる。


さて、どうするべきかと思案に入るテサの耳にかろんっという軽快なカウベルの音が届き、新しい客の来店を告げた。


「ああ、いらっしゃい」


***


「あら……」

 コリンは瞳をまたたいて面前の相手をしげしげと見つめた。

まるでネズミが猫にでも遭遇してしまったかのようにびくんと身をすくめて自らの胸の前で荷物を抱え込んだ青年は――白衣を着用し、いつもとかわらずどこか間抜けに髪が跳ねていた。

雑貨店へと向かう石畳。それを反対側から歩いて来た青年はどこからどう見ても冴えない様相であった。

「ごきげんよう」

「ご、ごきげんですっ、コリンさんっ」

――ごきげんです?

 とりあえずその言葉の主語はどちらに掛かるのか。

自称錬金術師の弟子であるフレリックはおどおどとしながらそばかすの浮いた頬を赤く染めた。

「えっと、あのスミマセン」

「何に対しての謝罪でしょう?」

 今の言葉へのか?

コリンの言葉に、多少冷静さを取り戻したらしいフレリック・サフィアはすくめていた身をほぐし、少し考えるようにしてゆっくりと口にした。

「アルファレス様が……ご迷惑をかけて」

「ああ、そういえば。あなたとあの方はご友人同士でいらっしゃいましたか」

「友人なんてとんでもない!

ぼくとあの人が友人なんて。それこそおこがましいです」

 慌てる青年を眺めていると、先ほどまで鬱々と考え込んでいた事柄がゆるりと解けてコリンは自分の心が随分と軽くなるのを感じた。

――現在の報告では問題は無い。

だが気を引き締めなければならないし、何よりあの粉はいったい何なのであろうか。触った感覚は砂金よりも多少ざらりとしていた。ただ比較してはじめてざらりとしていると判る程度で見た目では少し濁ったような色もあるがこちらもやはり比較対象がないことには難しい。

 いちいち本物と比べれば間違えようはないが、アイリッサとの会話にも出ていたように金塊の中に入れられてしまえばそれを察知するのは難しかろう。


 事は現在ヴィスヴァイヤの総師である父のもとに届けられ会議が開かれている。アイリッサを驚かせるつもりであったのか隠れていたウイセラも引き出され、ウイセラは渋い顔をしながら「王宮はすでに気付いていると思う」と顔をしかめていた。

――問題は王宮がこの問題についてどう思っているかだ。

 金貨の中にこんなものをいれられては混じり物のある金貨の価値が下がる。だが、頭の悪い役人が単純に本来の金の含有率を変えれば金貨が二倍になるなどと阿呆なことをしでかせば事態は最悪の坂を転げ落ちていくことだろう。

――そう、王宮がそれを許すこともあるのだ。

 国の財産を増やす為に。

そんなことは無いと信じたいが、素直に「こんなことになっているようだがどうなっているのか」と問いかけるには未だ逡巡してしまう。

 

 しかしそれを考えるのは現在コリンの仕事ではなかった。

会議の場に自らも出席を求めたが、大人達は顔を見合わせることもなく異口同音に「自宅にいなさい」とコリンを締め出した。

こういう時、心が冷たい水をさらさらと流す。

――ヴィスヴァイヤの金庫番などと言うくせに、ある一定の線を越えるとあとは大人の領域だと突きつけられる。

 なんと痛い話であろうか。

自宅に居ろと言われたが、苛々がつのっておとなしく自宅にいることはできなかった。自分の片腕である筈のリアンだとて会議に出席しているというのに、何故に自分が出席を拒まれなければならないのか。

 不満を感じ取ったのか、アイリッサはコリンの頬にそっと手を添えた。

「リアンは当家の者として扱わせてもらうわ。

いいわよね、コリン?」

 アイリッサの弟として出席を求めるのだといわれればコリンに口出しする権利は更に無い。リアンは自らの片腕で自分は彼の雇用主で――そんな風に不平を口にするのはまさに子供の所業といえよう。


「コリンさん?」

 眉間に僅かに皺を刻んだコリンの様子に、フレリックは心配気にのぞきこんできた。

嘘のつけない愚かな男――

はらはらと心配していると示される態度にコリンはふっと息をついた。

「どちらに行かれるのですか?」

「いえ、貸し本屋に行ったところで……これから帰ろうかなって」

「よろしければ我が家でお茶でもいかがですか?

わたくしの家が――」

 ふと、自らの家に誰かを招きいれたことなど無かったと思い浮かんだ。

ヴィスヴァイヤの本邸であればコリンの客を受け入れたことはあるが、今自分の頭に浮かんだのは明らかに本邸ではなく、本邸の裏の裏――地下では本邸と繫がっているが、実質上小さなコテージのような我が家。

「ただちょっと……居間が散らかっておりますけれど、よろしければ」

「あのお茶って――」

 顔色を、青を通り越して白に変えた青年にコリンは苦笑をこぼした。

「美味しい紅茶の茶葉があります。

それともハーブのお茶のほうがお好きですか? 珈琲もございますよ」

「あ、じゃあっ。珈琲を頂いてよろしいですか?」

 ぱっと表情を明るくした青年の様子に、コリンはちくりと――悪いことをしたなと小さな痛みを覚えた。おそらく今彼の頭の中に浮かんだお茶は緑色をして粉っぽい感じのお茶であったに違いない。


 彼はお茶に対してなんらかのトラウマを覚えてしまったのであろう。コリンもまたその気持ちは判る。

コリンもできればあのお茶はもう二度と飲みたくはない。今までも数回他人に対してあの緑色で粉っぽくて軽く人生に絶望ができる茶を供してきたが、その全てが嫌がらせだ。今回は彼への反省も込めてとっておきの珈琲豆でもってもてなそうとおもったコリンであったが――

 

 この日、残念ながらコリンとお茶、さらに謎の壁一杯の銃、なんだか好奇心一杯の女中の眼差しに晒されたフレリックはまた新たなトラウマを植えつけられた。




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