その4
――お時間です。
それを知らせたのは女中の淡々とした言葉だ。
コリンは銃の手入れに集中し、ウイセラは長椅子にゆったりと寛いで本をめくっていた。
部屋にはコリンの手元から落とされる銃を磨く音、そしてウイセラの手元の紙を繰る音だけだった。
まるで置物のように静かに控えていた女中達が動き出したことに、ウイセラは一旦意識を引かれたがお茶の時間でも見計らっているのであろうと思っていた。
「コリンさま、そろそろお時間です」
主の動きと時間との調整をしていたらしく、彼女はそう言葉にするより先に他の女中に何事かを命じつけ、自分は主の背後からそっと声を掛けた。
「ああ……早いものですね」
コリンは眉間に皺を刻み込み、持っていた銃を名残惜しいという様子でことりと銀の盆の上に置いた。
銃や骨董の手入れをしている時間というのは、何故こうも時間が早く流れてしまうものなのだろうか。コリンは伏せた瞳で銃をなぞり、そっと吐息を落とした。
ウイセラが眉をあげる。
刻限を確かめれば、午後の二時。
「叔父さま」
「なんだい?」
「出かける用がありますので、この銃はまた時間をとって仕上げさせて頂きます。もし銃が無いと心もとないというのであれば、壁にかけられている左の三番目、下から二つ目が同じタイプのものですから、どうぞお使い下さい」
本当は心からイヤですが。
と小さく付け加えるが、ウイセラには届かなかったろう。
コリンは身に付けた手袋を外し、エプロンを外す。
――手入れの途中の銃を放置するのは不本意だ。
こんな姿で置かれる銃がとてもかわいそうだ。彼等はとても素晴らしい芸術品だというのに。
ばらばらにされてしまった銃はまるで骸骨のように哀れで物悲しい。
「そろそろお茶の時刻だよ?」
不思議そうにウイセラが首をかしげる。
「お茶に誘われていますから」
「お茶会かい? それはまた優雅だね」
くすりと笑みを浮かべる。
コリンは冷めた視線を叔父へと向けた。
「ならば良かったのですが」
「……とても気乗りしないって、感じだね。難ならオレがエスコートいたしましょうか? 我が女王よ」
気取って胸元に手を当ててみせるウイセラは、しかし格好が盗賊だ。
その不思議さにコリンは他人には理解できかねる程の淡い微笑を落とした。
「気乗りはしませんが、だからといって叔父さまを連れてはいけません。
相手は婚約者ですから」
さらりと少女の口から出た言葉に、ウイセラは瞳を瞬いた。
「婚約者?」
「はい」
淡々と姪の口から吐き出された言葉は、ウイセラの心臓に打撃を与えるに十分な威力を持っていた。
信じられないと首をそろりとふり、乾いた笑みで問いかける。
「えっと……そんなのいた?」
「ご存知ありませんか?」
首をかしげ、ああっとコリンは自己完結した。
「そうですね、話が持ち上がったのは三ヶ月ほど前ですから、叔父さまはいなかったかもしれません」
それどころか叔父も叔母も、ついでに弟もいなかった。
ならば親族でもコリンの婚約話しを知るものは少ないのかもしれない。
――少し面倒くさい。
コリンは顔をしかめながら、女中が差し出してくれた湯桶で手を洗う。
ウイセラは眉間にくっきりと皺を刻み、
「コリンに好きな相手がいたなんて知らなかったよ」
と忌々しいとばかりに吐き捨てた。
ウイセラはコリンを目に入れても良いという程可愛がっていたものだから、やがては彼女の可愛らしい恋愛相談なんぞにものってやろうなどと密かに考えていたのだ。
父や弟にできない相談でも、きっと叔父であるウイセラにこっそりと話してきかせてくれるに違いないと―――謎の乙女属性な夢を抱いていたものだ。
ただし、彼の可愛い姪は決して乙女属性では無い。
「私に好きな相手がいたなんて初耳です」
コリンもいつもと変わらぬ淡々とした口調で応えた。
「叔父さまは商談にはとても目ざといのに、どうしてこういった方面でボケをかますのか判りませんが、私の結婚は当然政略結婚ですが?」
「政略結婚!
ああ!なんて酷い話だろう。どこの糞ジジイだい? 可愛い娘を道具のように扱おうという非道のやからは。いやいや、言われずとも判っているよ? あの腐ったセヴァランだろう。オレから愛しい姉様を奪った鬼畜が、今度は可愛いコリンをっ」
大げさにモーションをつけて唄うように言うウイセラは、過去の怒りすら更に燃え上がらせた。
誰より美しく聡明な、誰より尊き姉を誑かしたセヴァランは、その姉の残した姪までもその悪辣な手によって地獄へと落とそうというのか!
「叔父さまがオペラ好きだとはしりませんでした」
コリンはしらけたような調子で言いながら、纏め上げていた髪をぱさり解いた。
銃を磨く時は髪を簡単に結い上げてしまうようにしているのだ。
彼女の母親がそうであったように、コリンの髪は蜂蜜のような金髪だ。その豊かな髪は毎日の手入れを怠ると途端に鳥の巣のようになってしまう猫毛だが―――その手入れはもっぱら女中に任せきりになっている。
彼女は器用な手先を自分のために使うことはあまりないのだ。
「コリン……」
「驚くほどのことではありませんでしょう? 私は貴族ではありませんけれど、セヴァランの娘。大陸一を自認する貿易商会総領の娘に価値を見出すものは存在するのですよ」
「――で、どこのヒヒ親父の許にいこうっていうんだい、可愛いコリン」
ウイセラは冷たい眼差しで姪を見つめた。
しかしコリンはその言葉には苦いものでも飲まされたように顔をしかめ、
「ヒヒ親父ではありません。
相手はクライス・リフ・フレイマ様。弱冠二十四歳の男爵家次男です」
ウイセラは眉間に皺を刻み、ついでこめかみのあたりを揉むようにして暫く鎮痛な顔をしていたが、やがて結果を搾り出したのだろう、ゆっくりとコリンへと問いかけた。
「それは、誰が得なの?」