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遊戯  作者: たまさ。
クライス・リフ・フレイマ
47/72

その4

 明るい色のステンドグラスをいくつも用いた店舗内は太陽の光をふんだんに取り入れ、更に白を基調とした内装がそれをはじいて明るさを際立たせていた。

 壁のそこかしこには贅沢にオイルランプを使い、決して薄暗さなど寄せ付けない健全な空気。一階のフロアは中庭へと続くように大きめに造られた窓が開かれ、天気の良い日は店内よりもむしろ庭に置かれたテーブルセットのほうが盛況さを見せている。


 コリン・クローバイエと、そしてアルファレス・セイフェリングが座る席はどこを切り取っても明るい店内でも一番目立たない辺り――庭に続く窓辺近くではあるが、その斜めには壁があり、店のいたるところに飾られている観葉植物の角度によっては随分と見えづらい場所で、おそらく――席に席料というものが存在するとすれば一番高い場所だと思わせる。

 何故なら、貴族とは他人の視線を浴びたいという欲求と共に、誰にも知られたくないとこそこそと蠢くものであるから。


 コリンはじっくりと面前の青年を眺め、冷静に思考をめぐらせた。

侯爵家嫡男――もちろん、それをオイシイと感じないとは言わないが、基本の部分でコリンは貴族とあえて関わりたいという気持ちを持ってはいない。

 そんなものを持っているのであれば、もっと率先して世に出て行くことであろうし、最近自宅に届けられる夜会だのお茶会だのという招待状にも興味を持つ筈だ。


 貴族は商いを行うものにとって良き客であり、また悪しき客だ。

商売上で大事なのは金を落としてくれるものであって、その逆とはあまり親しくはなりたくはない。いつもにこにこ現金商売。商品を渡せば現金が入り、現金を渡せば商品が入るという判りやすい商売が大好きだが、貴族との取引はそう単純なものではない。


 矜持ばかり高い癖に払いが悪い。

何が掛売りだ。

サイン一つでツケ払いを当然と考え、月末の支払いに渋い顔をしてみせる。挙句踏み倒されたことも一度や二度ではない。だからといって商人が貴族相手に陥れる程に叩き潰すことは滅多なことではできはしない。

 ヴィスヴァイヤが現在の場を確保しているのには危うい綱渡りがいくつも存在し、今も拮抗を保つように並々ならぬ努力をしているのだ。


威張り腐った貴族など滅びてしまえ。


 そんな考えをもつコリンの目の前に――侯爵家嫡男だ。

利用できるものであれば良いが、果たしてこの面前の子豚さんはいったいどのようなモノなのか。

 たっぷりとクリスコを塗りあげ、ぱりぱりこんがりと焼けてくれるのか。

それとも、墨になった挙句に厨房を閉鎖に追い込むのか。

じっと見つめ続けるコリンの眼差しに、相手はしばらくの間は平然とした様子を見せ、ついでどこか自信のある様子で口元に笑みを浮かべていたものだが、やがて居心地が悪い様子で身じろぎしてみせた。


「……何だい?」

「手を離していただけますか?」


 席を離れようと立ち上がりかけたコリンの手首を掴んだままの状態であることにはじめて気付いた様子でアルファレスは多少動揺してみせたが、すぐに唇を引き結ぶようにして笑みを浮かべてみせた。


「離したら、逃げるだろう?」


 意味深な言い方に、コリンは感情が平坦になるのを感じた。

逃げる――誰が逃げるというのであろうか。

コリン・クローバイエが逃げる?

逃げ出すようなことなど断じてありはしないというのに。

コリンは自身の中に冷ややかな炎のようなものがたちのぼるのを感じ、ゆっくりと口元に相手と同じような作り物の微笑を浮かべてみせた。


 挑戦ならば受けてたつ――表情はあまり変わらないというのに、コリン・クローバイエの内情は激しく負けず嫌いだった。


「逃げたり致しません。あなたのご用向きお聞かせくださいませ」

 コリンは相変わらず掴まれた手首を見つめ、口元に淡い微笑を作ってみせた。

たとえこの時間が無駄であろうとも、尻尾を巻いて逃げただなどと思われる訳にはいかない。


 負けず嫌い――もしこの場をリアンが見ていたのであれば「それは子供っぽいというのです」と冷静に指摘したことであろうが。


***


 その姿見は一際大きな一枚鏡で、値段をはじき出すのであれば安い十二フィート帆船の一つも購入できるような品だろう。外枠に施された彫刻は名士の手によるもので、二年間掛かったという話があるし、歪みの極めて少ない巨大な鏡面はどの工房でもなかなかできるものでは無い。

 それをコリンの屋敷に設置したのはウイセラで、ウイセラは「没落貴族から巻き上げて」来たという。

もともとはどこぞの国の王族のものであったというが、その国も今はなく、流れ流れてきたものだ。そんな御伽噺のような付加価値もつければ果たして現在ではこの鏡にどれほどの値がつくことだろう。


 こんなものを贈られてもコリンは喜ばないと思ったものだが、リアンの主は意外に喜んだ挙句に活用した。

「使うことで値段が落ちるものではありませんでしょうし、何かあれば売りますから」というあっさりとした返答が戻ってきた時はウイセラに対して「ざまをみろ」というすがすがしい気持ちになったものだが。


 その姿見の中にいる自分に辟易としながら、リアンは襟首のタイをもてあましていた。

「ゆったりとしたクラバットはいかがですか?」

「琥珀を通した紐タイというのもありますよ」

 という突然の声に、びくりと身をすくませて扉を見返せば、興味津々という様子の女中が二人顔だけを出している。

「何をしてるんですかっ」

 我知らず顔が赤面してしまうのを怒鳴ることで誤魔化すリアン――というのは実に珍しく、二人の女中は実に楽しげに眺め回す。


一旦出かけていた相手が戻ったと思えば、今度は自室に引きこもり、ついでコリンの為の衣裳部屋の鏡の前で陣取ればそれはそれは気になるだろう。

「見ないで下さい。すっぴんなんですから」

口元に開いた指を押し当てて眉間に皺を寄せるリアンを眺め回し、女中は小さく呟いた。

「……すっぴんがイヤなんですね」


 そう、すっぴんがいやなのだ。

化粧をしていないというのは何故こんなに心元ないのか。

リアンの心情はあいにくとこの場の誰にも理解できそうには無い。


「本邸の執事さんがいらしております」

 このこじんまりとしたコリンの邸宅は、地下通路で後ろの後ろ手にあるクローバイエ本邸でつながっている為、何か用があると地下通路を通って執事や下男がやってくる。

「今ですか?」

 動揺しまくっているリアンはびくりと更に身をすくませた。

普通に考えてこんなにびくびくしていては外出など無理なのではないだろうか――女中の一人はそんな風に思ったが、さすがに憐憫の情により口にはしないでおいた。

「本邸にお客様がいらっしゃっているとか」

「コリンさんの婚約者の方でいらっしゃいます」


 交互に向けられる言葉に、すっぴんを見られているという事柄におののいている青年はすっと真顔を取り戻した。

「婚約者ではありません。候補です」

 聞き捨てなら無いという様子でしっかりと訂正するリアンの言葉に、女中は生暖かな眼差しで応えた。

「そのコーホの方です。どう致しましょうかと執事さんがおっしゃっておりますが、どういたしましょう」

「何をしに来たんです」

 冷ややかにぼそりとリアンがこぼしたのは、自問であったかもしれないが、女中の耳にはしっかりと届いていた。


「何をしにって」

「そりゃあもちろん」

「恋しいコリン様のご機嫌伺いですよねぇ?」

 目を見合わせて、きゃっきゃと楽しそうにはやし立てる二人を冷ややかに見返し、


「死ぬまで待たせておいて下さい」


リアンはシュルリと音をさせてクラバットを首に巻いた。


***


ご用向きをお聞かせ下さい。


淡い微笑を称えて向けられた言葉に、アルファレスはぞくりと背中の産毛が総毛立つ気持ちを味わった。

手を離せといわれたところで、自らの意思とは反対にコリンの手首を掴んだ自分の指はその勢いを緩めて彼女を自由にしようとはしない。


細い手首だ。

強く握れば簡単にぽきりと折れてしまうのではないかという程に細く、その血脈のトクリトクリという振動すら感知できてしまいそうだった。


ご用向き――実際はそんなものを向けられたところで何を告げれば良いだろう。

婚約を破談させて欲しい。

率直に言えば、これではまるで自分が彼女を振る男のようだ。いや――他の誰かに見咎められる訳ではないこの場で遠慮しても意味は無い。

何より、彼女にはきちんとその意味が理解できることだろう。


男爵家次男との婚約の破棄と。


「……キミはあの男のどこが好きなんだい?」

 するりと口をついた言葉に、今度は途端に羞恥が立ち上った。

これではまるきり……そう、まるきり自分が彼女を口説いてでもいるかのようだ。コリンの恋愛をどうこう思っている訳ではなく、ただ率直にあの男との結婚が壊れればいいとだけ思っているというのに。

 まるきり勘違いを誘いそうな台詞に動揺しているアルファレスに、コリンはそのままの表情で「好きとは何ですか?」と問いかけた。


「あなた様がおっしゃられている方はフレイマ様とお見受けいたしますが。

結婚に好きだの嫌いだのという感情論が必要でしょうか?」

「……キミがあの男を好きで結婚したいと思っているのではないのかい?」

「私のようなものより、むしろ貴族の方のほうが結婚についてはご理解されていると思いますが、結婚とは家の結びつきではありませんか」


 そこまで言葉を繰りながら、コリンの眼差しは途端に「興味が無い」という様相をありありと示し始めた。

 先ほどまで向けていた眼差しには確かな感情が見えていたのに、今向けられているものは明らかに「落胆」である。


 アルファレスは動揺していた。


落胆!

まさか、この自分が女性に落胆の眼差しを向けられているというのか。

しかも、明らかに「馬鹿だこいつ」という眼差しだ。相手はあまり表情を動かさない人形のような女だが、その眼差しの力はあまりにも雄弁であった。


「馬鹿」もしくは「阿呆だろうこいつ」だ。


「ではっ、あくまでも家同士の取り決めだと言うのかい?」

「父が嫁げというのであればわたくしは嫁ぎます」

「つまり、父上に嫁に行けといわれたからあの男と結婚するわけだ」

 何故か――アルファレスは自分が逆上していることに気付いていた。

親の言葉一つで結婚するのだという。

自分の意志などというものを持ち合わせない人間など反吐がでる。何より、父親の言葉一つで嫁に行くというこの面前の女は、相手が誰であろうと構わないというのであろうか。

 それこそ――誰もが忌み嫌うような女好きのヒヒジジイとでも?


何故かそんな想像をして腹をたてた。

無機質なその感情が腹立たしく、その心に傷を――痛みを与えてやりたいような衝動。

その感情がいったいどこから起因するものか、物凄く腹立たしい思いを受けて、アルファレスは片眉を跳ね上げた。


何故、そんなに感情が揺さぶられてしまうのか。

それは――嫌いだからだ。


そう、大嫌いな女が面前にいる。

物凄く傷つけてやりたいという感情が高まることに問題は無い。嫌いなのだから。今自分の内にくすぶる感情は苛立ち、憎しみ、いや……憎んでいる訳ではなく、嫌いだという感情のみ。


何故嫌いなのだろうか。

もちろん、この女がアリーナを泣かせたからだ。

アリーナが本来手にすることができた普通の幸せを握りつぶしたからだ。


何の不自由もなく貴族の娘として婚姻して子を成す事で誰からも祝福されるべきであるアリーナ・フェイバルが――恋しい男と引き離され、腹に芽生えた命を失い、親許すら勘当され泣いている。

ぐっと奥歯をかみ締めるように力が入り、何をどう口にするべきか判らぬままにアルファレスは更にコリンの手首を掴む自らの五指に力を込めた。


ああ、そうだ。

誰が悪いというのであればそれは、あの男が悪いのだ。

更に言えば、婚姻する前に体を許したアリーナだとて軽率だった。

 一般的に貴族の男達は恋愛を遊戯のように楽しむ。

そう、遊戯。そこにはきちんとしたルールが存在し、決して未婚の女性を相手になどしない。もしそのようなことがあればそれは遊戯ではなく、真剣でなければいけないのだ。


――あの男がすることは、他の女性との婚姻など無視して駆け落ちの一つでもして居ればよかったのだ。


決して、コリン・クローバイエが悪いのではなく。


「あの男の愛人を知っているだろう」

 と低く漏れた言葉はかすれていた。


「彼女は……あの男を真実愛しているんだ」


コリンを憎むとか、嫌うとか、そんなことはどうでもいい。

不幸になれだとか――そういうのは本当にどうでも良かった。

ただ知って欲しい。

 アリーナ・フェイバルという女が、泣いているのだということを。


 底意地の悪さなど無視して、ただ懇願するようにアルファレスが告げた言葉に、コリン・クローバイエの心が何かを感じてくれればいい。

 家の婚姻だというのであれば。理解して欲しい。

同情して欲しいとまでは思わない。ただ、ただひたすらにアリーナ・フェイバルの気持ちを――愚かでか弱い、自分の幼馴染の……


「愛人手当ての上乗せの話ですか?」


コリン・クローバイエが感じたこと――それはつまり、そんなものだった。




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