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遊戯  作者: たまさ。
クライス・リフ・フレイマ
46/72

その3

――伏せられた半眼は憂いを感じさせ、ふっくらとした淡い桃色の唇は濡れて艶やかさを乗せる。

 何を考えているのか判らない躍動の少ない(おもて)はまるきり人形のようでさえある。

媚を見せない冷ややかな雰囲気の中で、少女というより女という年齢に差し掛かるコリン・クローバイエは吐息と共に意味不明なことを口にした。


「判りました。

つまり、あなたもフレイマ様の愛人なのですね」


 一拍。

見事に思考回路が拒絶を示した。

 二拍。

思い直して言われた言葉を精査する。

 三拍。

アルファレス・セイフェリングは喉元にたまった唾液を嚥下させ――必死になって考えた。


 今、自分はもしかして男の愛人として認定されていなかったか? 

立派な成人男性であるこの自分が。女性大好きなどと軽薄なことは言わないが、少なくとも数名の女性と浮名を馳せたこともあるこの自分が。何の疑いもなく――れきとした事実かのように、よりにもよって男の愛人だなどと突きつけられやしなかったであろうか。

 場合によってはあまりの侮辱に左手から白手を引き抜き叩きつけても良いような気がする。

相手が男であればまず確実に。


 相手への回答はイエスかノー。

もちろん、ノーというのが正しい。というか、誰が男の愛人などと気色の悪いことをと憤慨するのは当然だ。だが、初心に返り当初の目的を思い出せば相手の勘違いに乗っかるのも悪く――ない、訳がない。

 アルファレスはそこまで自分を貶めたい趣味は無かった。たかが遊戯ごときで自分の品位までさげてたまるか。へたな噂はこの先の人生にすら関わる重大事だ。

引きつる、というかむしろ痙攣しそうな自分を無理に笑顔にかえて、アルファレスは相手の了承も得ずにコリンの前の席に座って見せた。


――あの女、おかしいのよ。


 今なら末の妹のエイシェルの発言にも同意してやれそうだ。

少なくとも、そんな発想を言葉にできるこの女は確かにおかしい。異端だ。淑女として絶対にありえない。

 もちろん――淑女などと認めたりもしないが。


「面白いことを言うね」

 はははははと口から漏れた笑いは、自分の意思に反して見事な棒読みだった。

自分の動揺があからさまに言葉として出てしまう。それでもなんとか取り繕うように笑みを浮かべるアルファレスに、面前の相手は無表情で「面白いことを言ったつもりはありませんが」と平然と返した。


「――冗談だろう?」

「何がですか?」


 会話が成立しない。

ふふ、ふっと口から一音だけの笑いが落ち、アルファレスはぎゅっと自分の右手の拳を左手の平で包み込んだ。わずかに震える拳は動揺を示しているのか。それとも怒りなのか判別ができない。

「まさか、本気でぼくが男の愛人だとでも?」

「違うのですか?」

「――ああ、本気か。本気で言ったのか、そうか」


 自然と顎が持ち上がり、視線が天井を仰いだ。

部屋を明るく見せるガス燈が昼間だというのに煌々と輝き、更に室内を彩っている。気道を一直線にして腹にたまった憤りと何か別の感情を一緒くたにして息を吐き出し、そのまま顔を戻せばコリン・クローバイエは、口元にナプキンを軽く押し当て、席を立とうとしているところだった。


「何をしているの」

「帰宅するつもりですが」

「何故?」

「――貴方に用はございません」

 あっさりと言い切られ、忌々しさにアルファレスは片眉を跳ね上げた。

ほんの数日前までは、もしかして彼女が自分に対して何かしらの感情を抱いているのではないかと思っていたものだが、面前に座す現在、あいにくとそのような勘違いができるような甘やかな雰囲気は微塵もない。

 ただ淡々とした冷たさだけを身にまとうそのさまに、アルファレスは自身の心がザラザラとすさんでいくのすら感じる。


「キミに用はなくとも、ぼくにはある」

「あなたと共にいることで何か私に利があるとも思えませんが」

 一つの言葉に対して鋭い刃が返されるような気さえする。まるきり、お前など何の意味もないとでもいうような拒絶。

 鋭い切っ先ではなく、細かいきざきざとした刃。そんなものを的確に突きつけていながら、その心すらここにない。


「婚約者の愛人相手ならキミに利点があるのかい?」

「そのことであなたと議論する余地はございません」

 まるで彼女の中には回答が用意されているかのようだ。どうすればその眼差しに色を乗せ、無価値なものでも見るようなその心に触れることができるのか。腹の底で煮えたぎるように苛立ちが暴れ、奥歯を無意識にかみ締める自分に、アルファレスは我慢の限界を感じていた。


 こんなに腹立たしい女はいない。

自分という存在をすべて真っ向から否定してみせる――道端の雑草でも石でもない、この自分を無視し続けるのは許せない。

「コリン・クローバイエ。人の話くらい真面目に聞け」


 咄嗟に名を口にすると、途端に面前の冷ややかな女は一旦伏せた眼差しをもちあげた。

開いた瞳に移りこむ自分の姿に、アルファレスが絶句する。

――確かに自分を見ろという気持ちで名を言ったものの、その眼差しがアルファレスの中身まで見通すかのように向けられると、アルファレス・セイフェリングはたじろいだ。


「あなたはあの方の愛人ではないという。

では、何故わたくしに関わるのですか?」

 はじめて向けられたアルファレスへの問い。

「わたくしの記憶する限り、あなたは自らの意思でわたくしに三度接触なさいましたね。どのような意味がおありなのでしょうか」


一度目は仮面舞踏会。

二度目は雑貨屋で。

三度目は今、このときに。


だが違う。

アルファレスはもっと何度もコリン・クローバイエを眺めてきた。道端で、カフェで――そして、あらゆる時間にその姿を思い描いた。

 その時間は滑稽な程莫大であったというのに、彼女自身は三度の接触しか記憶していない現実。


あの時、口付けた時とはまた違う空気をまとい、今やっとコリン・クローバイエはアルファレス・セイフェリングへと興味を示した。

硝子玉のような瞳には色彩が混じり、無表情の中にもほんの少しだけ感情が混じる。


アルファレスは喉の奥がからからに乾き、言葉がひっかかるような違和感を覚えながら、相手の問いかけを無視して口にした。

「アルファレス」


誰とも知れぬ存在でもとるにたらない者でもありたくない。

まず、自分という存在を……認識して欲しい。

「ぼくの名はアルファレス・セイフェリングだ。

コリン・クローバイエ」

 本来ならばこんな風に名乗るなどありえない。

面前の女に名を覚えられて良いことなど一つもありはしない。そんなことは百も承知だというのに、その唇から名を……


「セイフェリング……侯爵家――嫡男」

 けれどその柔らかな唇から落ちた言葉は、アルファレスの名ではなく、驚愕の色を添えたアルファレスの地位だった。


そう、コリン・クローバイエは改めて認識した。


――まるまる太った美味しそうな仔豚が一匹。


***


 主人からの言葉の通り、分解された銃の部品をみがきあげていた女中の二人は、突然無遠慮に開いた扉に視線を走らせた。

「やぁっ」

 勢いを乗せて扉を開いたウイセラは、いつもコリンが定位置としている場にコリンの姿を認めることができず、途端に不機嫌そうに片眉を跳ね上げた。

「コリンはどこだい?」

「コリン様でしたらお出かけになられました」

 たとえウイセラの入室といえども気にせずに主の命令通りに部品磨きに精を出す二人の女中。それに嘆息し、ウイセラは室内を見回した。

 紅茶の香りよりむしろ薬品の香りがそこはかとなく漂う部屋は、居間という形はしていても、まるで作業場の様相だ。


「なんだ、それは残念」

ウイセラは肩をすくめ、体を壁へと向けると飾られた銃に視線を向けた。

「一つ借して欲しいんだけどな」

「それは駄目です」

「銃はすべて鎖で固定してありますから。外す為の鍵はコリンさんとリアンさんが管理なさっていて、私達では外すことはできませんので申し訳ありませんが」

 現在部品と化している銃を組み立てなおせばもちろん一丁の銃ができあがるが、銃の部品磨きまでは命じられているが組み立てまでは言われていない――何より、ソレはコリンの趣味だ。おそらく勝手に組み立てられることも、更に知らぬ間に貸し出されてしまうこともコリンにとって好ましいことではないだろう。


 ウイセラは壁際にあるチェストの上にビロードの台座をもうけ飾られている一丁の銃を取り上げ、微笑した。

 仰々しく飾られた銃は、鎖など付けられていない唯一の銃だ。

「これでいいんだ」

「でも、それはっ」

「いいんだよ。ほら、こうすれば無くなったことすらあの子には判らない」

 そういいながら、ウイセラが自らのジャケットの内側から引き抜いた銃は、まるきり同じ形をした短銃だった。

「だから少しだけ、貸しておいておくれ。あの子にはナイショでね」


***


「まったく役立たずな」

 思わずぼそりと口にしてしまったリアンに、ニッケルが苦笑を落とす。

カロウス・セアンの所有するサロンは、未だ営業をしていない。ここが動き出すのは夕刻近くと決まっていて、今の時間はサロンの従業員達ものんびりと掃除や料理の下ごしらえに精を出す程度。

 ニッケルは事務所で帳簿をつけながら、突然やってきたリアンにウイセラの不在を告げたのだ。

「先ほどふらりと出て行きましたよ」

「ニッケルさん、最近有名な会員制のカフェにコネってありますか?」

「ああ、一応カロウスは会員ですよ。あの人物見高いですし」

 言いながら席を立ち、ニッケルはごそごそとウイセラの机を漁り、一枚のカードを引き出した。金文字で書かれた会員用のカード。それをひらひらと振り、ニッケルは微笑を見せた。


「奥様をお連れしたい様子ですけど、このままだと宝の持ち腐れですね。アイリッサ様がわざわざカロウスの願いを利いてくださるとは思えませんし――リアンさんがお使いになっても大丈夫だと思いますよ」

「……それはさすがに」

「ああ、リアンさんでは駄目かもしれませんが。アンリ様ならよろしいでしょう? カロウスの義弟なのですから」

「あっちの格好は好きじゃないんですが」

 リアンは差し出されたカードを受け取り、吐息を落とした。

アンリ――ニッケルが示すそれはもちろんディーラー姿を示している訳でも、女家庭教師のような格好をしている訳でもない。

 アンリ・シェルト・ウィザー――隣国キドニカの爵位、ディナ・ハルティスを持つドミナ・シェルト・ウィザーの養い子。さすがにあちらに居るときは女装などしていてはあのご老人の杖で打たれてしまう。


久しく顔を合わせていない頑固で娘を溺愛している養い親の顔を思い浮かべ、ついで自分の心の複雑さに更に溜息が落ちた。


 男装が嫌いなのではない。

もちろん、リアンも男だ。女の格好が大好きなどということもありえない。

女装姿はリアンにとって普通なのだ。

 そして男装姿はといえば――

ただ、それを言葉で表すとすれば他人はおそらく驚愕することだろう。


――男が男の姿をするだけのことが、物凄く恥ずかしい、などと誰が信じる。





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