その2
もとより下心のないような男に興味はない。
クライス・リフ・フレイマがたかが恋愛ごときで自分をほしがる理由などまったく理解できないし、何かしらの理由があるのは理解している。
だからこそ、コリンじたい相手の価値を推し量ってきたのだ。
相手は凡庸な男に思えてその実そうではない。人のよさそうな顔の下にはまた別の顔を隠し持つ。それは構わない。
こちらにとってマイナスが多くないのであれば――そう、つまりこれは必要経費の問題で、すべての決算がすんだ時に自分の手元に利益が残ればそれが勝ちだ。
毎年の利益がわずかにでも伸びていけば更によい。
というか――毎年の利益が伸びるかといえば、クライス・リフ・フレイマとの婚姻はむしろマイナスになっていくような気がしないでもない。
あの男で利用できるところといえば、あの凡庸そうな外見はある意味戦力になりえるともいえる。もし戦略的思惟を抱えているのであれば、なおよい。
更に、あのお人形さんに関していえばすべてを振り切る。
ただし、人形の価値はよくて十年。
クライスの愛人としての利用価値と、外見的価値とをみても十年後には下落する。その間にどれだけの収益をあげることができるか――それは今度戻るアイリッサと詳しく相談したいところだ。
アイリッサであればコリンよりよほど人形の利用を心得ているだろうから。
「まだ――それでもまだこの婚姻をすすめるつもりですか?」
リアンの問いかけにふと気持ちを浮上させ、コリンは半眼を伏せたまま応えた。
「父からの挑戦です。
軽々に扱うものではありません」
「だからこそ、火のついた導火線は早めに消化してしまうに限るのでは?」
「火がついているようには見えません。確かに時間はかけていますが――」
それは相手があまりにも理解できないからだ。
考えれば考えるだけ、いつも思考はひとつの壁の前に突き当たる。
――なぜ、父はこの婚姻をすすめるのか。
それだけの理由を自分は未だに掘り当てていない。
あせっているといわれればあせっているのだろう。自分が敗北へと向かっているのか、勝利へと向かっているのか。
もし敗北なのだとしたら、いつそれを切り返すことができるのか。
父に突きつけられた戦争。
その回答に迷う自分は未だずいぶんと未熟なのだと痛感してしまう。
「たとえば……嫌がらせのようなものだとしたらどうなさいます」
「リアン?」
「――あの男がウイセラ様への復讐でもってコリン様に近づくようにクライスに命じたのであれば、どうなさいます。罠だとしたら?」
新たに届いた手紙の選別をしながらリアンが問いかける。
その視線は封書を確かめ、中の手紙へと落ちていく。コリンをいっさい見ようとせずにすすめられる事柄に、コリンはいったん銃を磨く手を止めた。
「私に罠をしかけてどうします」
「ウイセラ様への嫌がらせとしては十分だと思いますが。
ウイセラ様が愛している相手にであれば――復讐として十分です」
「私と結婚することが復讐なのですか?」
むしろ貴族の子弟が商家に落ちて何が復讐か。
それが理解できないのだ。
そう、クライス・リフ・フレイマが理解できない――理解できないからこそ、婚姻の継続を図るべきか切るべきかに躊躇がある。
父が――仕掛けた戦争だから、だ。
単純に切ることで、父からどのような評価を受けるのか。
「おまえは考えが足りない」そう示されてしまうのではないかという思いがコリンを慎重にさせる。父親の期待に応えられない、落胆させてしまうことが何より恐ろしいのだ。
コリンは自分の為に母を失ったという思いが強い。
父親に負い目があるなどと、誰にも感じさせてはいないだろうが――それでも自らの根底にはいつだってそれが引っかかる。
自分の判断力を試される今回の事柄で、父の失望だけは絶対に受け入れられない。
最後の綱を手放すべきかいなか――コリンは歯噛みした。
――クライスが自らに復讐の手ごまとして近づいたのであれば、結婚など……
思考の途中、ふいにリアンが眉を潜めて改めていた手紙をひっくり返す。
その所作にコリンは銃を磨く手を止めて問いかけた。
「リアン?」
「ご友人が増えましたか?」
リアンは首をかしげて一通の封書を示した。
ありきたりな薄い桃色の封書に赤い蝋封。
印章は家をしめすものではなく、少女達がありきたりに友人に回すような花印だ。流行のエンボスの頭文字は記されず、封書の裏には名も無い。
だが、中に一枚だけ入れられた手紙には、まるで古くからの知故のように乱暴な呼び出し。
興味を示したコリンが手を差し出し、封書や手紙におかしな仕掛けが無いことを確かめたリアンがそれをコリンへと手渡すと、コリンはじっくりとそれを検分し――その口元に小さな笑みを刻みつけた。
普段から無表情に近い主のわずかな笑みに、リアンはわが目を疑った程だ。
「コリン様?」
「――出ます」
「ちょっ、あの……どちらへ? 今からですか?」
めったに外出しないコリンが出かけると言う言葉に、リアンの心臓が驚きで早鐘すら打ちつける。
まるで恋文でも受け取ったかのような素早さだ。
その思いつきに、リアンは焦りを覚えた。
「まさか。だれか――」
知らぬ間に想い人でもできたかと思うのに、コリンはまったくリアンの心など気に掛ける様子もなく、女中に命じた。
「片付けをお願いします。
ばらばらにした部品はすべてまとめてオイルで洗って、磨いておいてください」
大好きな銃の手入れよりも大事なことがらということか。
慌てるリアンは思わず口にした「誰か――男の方との約束、ああ……クライスですか?」と。
言いながら、それにしては文面が奇妙だと思うのだが、リアンはあせっているのかその思考の接続すら遅い。
だが、コリンは大事そうに手紙を封筒に戻しいれ、あっさりと言った。
「フレイマ様の愛人です」
「……あい、じん?」
「何かお土産をもっていったほうが喜ばれるでしょうか。未使用のハンカチーフとか……かわいらしいものが良いと思いますが。さすがにドレスだとサイズの問題もありますし。帽子は……ああ、あの方に似合いそうなものを事前に用意しておくべきでした」
「あいじん……」
リアンはもう一度口の中でその言葉を転がし、ぐぐぐっと眉間に皺を更に深く刻んだ。
「リアンは連れて行きません。
警戒されてしまうのは得策ではありませんから」
「愛人?」
婚約者の愛人に嬉々として貢物を選ぶ主の姿は――リアンの理解を超えていた。
***
……あまりの出来事に、アルファレス・セイフェリングは頭を抱えたい気持ちになってしまった。
あんな傍若無人な手紙一枚で人間が釣れていいものであろうか。
詳しく書かれていた訳では無いというのに、エイシェル曰くの指定場所――会員制のカフェの庭に面した一席に、コリン・クローバイエが座っている。
何かの間違えだろうと空笑いし、二度目を閉ざして確かめ、三度目にはなんだか微妙な気持ちを抱いた。
――あれほど自らのコネクションを駆使して送り込んだ招待状のすべてをけり倒してくれた挙句のコレである。
二階席から階下を眺め、エイシェルは得意げに鼻を鳴らした。
「どう?」
「……」
どう? といわれても正直困る。
半信半疑でエイシェルに同行し、久しぶりにコリン・クローバイエを目撃しただけでもアルファレスにはある意味衝撃であったのだから。
本日のコリン・クローバイエは控えめなワンピースドレスにレース編みの肩がけを乗せている。帽子は一般的な村娘が好みそうな麦わらで、周りをぐるとリボンで包み込んでいる程度。華美ではないが、雑貨屋に赴く時よりは着飾っているというべきか。場所にあわせてのことかもしれないが。
店員に案内されて席につくと、そのテーブルの上になにやら箱をひとつ置いた。
リボンで飾った、まるで贈り物を思わせる箱だが――婚約者の愛人という設定の小娘に会う為に贈り物? それとも、何かの嫌がらせだろうか。
あの箱をあけるとカエルがぴょん。
そんなことをするのはエイシェルくらいのものだろうが。
「で、呼び出したんだから当然お小遣いは三倍よね」
と得意気なエイシェルに意味不明な敗北感を覚え、呼び出したはいいが――はたしてどうするべきかとあご先に手を添えた。
このまま放置して、どれくらいのあの娘は待ち続けるだろうか。
それはそれである意味意趣返し。
こうして上でずっと眺めているのも嫌がらせの延長線上として悪くはないが、あまりにも無意味だ。
「あの娘は、どうして愛人の呼び出しなんかに応じるかな」
やはり、別れるようにという説得に来たのだろうか。
あご先をなでるようにしながら呟けば、ケーキに二又フォークを突き刺しながらエイシェルが鼻で笑う。
「別れさせるつもりはないみたいよ。
そんな風に言っていたもの。あの女、頭おかしいのよ。言ったでしょう。あの女はね、自分の婚約者よりよっぽどあたしのほうが好きなの」
ぶるりと身震いしながら言う妹を、胡散臭い眼差しで眺めてしまったアルファレスだ。さすがにその意見には賛同できない。
「――眺めていても仕方ない。
挨拶でもしてくるよ」
軽口をたたくように言うが、やけに自分が緊張していることに唇を引き結んだ。
会って、顔を合わせて――どうしたらいいのだろう。
会いたいと思っていた。
会いたかった。
まるで、思春期の子供のように寝入ることすらままならないくらいちらついて。
顔をしかめて階段をおり、一歩一歩起毛の絨毯を進みながら心臓が萎縮していくのまで感じてしまう。
前方に彼女を認め、我知らずゆっくりと呼気を落とす。
逃げられてしまうだろうか。
どういえば逃げられずにすむのか。
瞬時に思うのは、呼び出したのが自分だときちんと示すことだと――
かつりと足音をさせて注意をひき、対面の椅子の背もたれに手をかけて、にっこりと微笑を浮かべてみせる。
「やあ」
もちあがった顔に怪訝な色が入る。
「待たせたかな」
綺麗な眼差しが、深い碧に変化する。
――その表情を仮面のように硬質にし、まっすぐに見上げてくる。
背中にぞくぞくと這い登るものと同時、冷ややかな眼差しに痛みが走る。
もっと違う感情を向けてほしいと。
「失礼ですが。その席は他の方の席です」
たんたんと向けられる音に優しさは無い。
攻撃的でもなく。ただ事実として向けられるただの音。
「違うよ。君を呼び出したのはぼくだ――人形の名でね」
すっと、その気配がかわった。
深い碧が少しだけ揺らぎ、彼女はその薄桃の唇で納得したように口にした。
「判りました。
つまり、あなたもフレイマ様の愛人なのですね」