その6
手の中でカードがくるくると回る。
リアンの考え事をしているときの癖で、手にしているものを無意識に弄ぶ。自然と指先がカードを操り手品師のように右手から左手へとカードが渡るのを繰り返す。
「自尊心、ね」
つぶやきは嘲笑に消えた。
そんなもので飯は食えない。商人と貴族とはそんなに違うものか――その声音の変化に気付いているのか、いないのか、アルファレスはゆったりと一人がけのソファに座りなおし、片眉を跳ね上げた。
「と、いったところで貴族の自尊心も最近は切り売りだけれどね。
領地を金で売り飛ばすものもいれば、可愛いわが子を持参金の為に商人に差し出すものもいる」
意味深な口調で言われるものが何を示しているのか理解できない程愚かではない。彼の友人のことを暗に示しているのだろう。
それとも、商人の娘を勝手に敵視するほどに友人想いな自分を示しているのか。
リアンはからかうように微笑した。
「おやおや、お安い自尊心ですね」
「最近の貴族はずいぶんと落ちぶれてしまったものだよ。爵位すら金でやりとりされてしまう」
「領地を金で売ってしまうなど、領地は陛下から下賜されたものですよね。爵位同様に。それを手放してしまうことは許されるのですか?」
ウイセラこと、カロウス・セアンもまた貴族だ。
ただし、隣国の爵位とこの国の爵位とではずいぶんと意味合いが違ってくる。ウイセラが持つ爵位は国に税金を納めていれば安泰で、更に上乗せすれば次代に引き継がれ、ある程度の特権は維持される。だが、簡単に返却もされてしまうようなもので、アルファレスが言うように自尊心うんぬんと考えるものは少ない。ウイセラだとて、商売上使い勝手がよいからと爵位を維持しているに過ぎないのだ。
国が違えは制度も違う。
アルファレスはもう幾代も続く爵位を受け継いでいるのであろうし、さかのぼれば陛下との血縁もあるかもしれない。そこには先祖の強い想いなども当然あるだろう。
「まぁ、たいていのものは個人の自由だよ。
大事なのは忠誠の証さえ手放さなければね」
忠誠――また、ずいぶんと象徴的なものだ。
心や言葉に何の意味がある。手放していないといえばそれまでではないか。
アルファレスは指を組みなおし、テーブルの上のグラスをすくいあげた。
「さしずめアンリはここのオーナーにでも忠誠を誓っているのかな」
ぞんがい身持ちがかたい。と揶揄するように言われ、リアンは微笑を返した。
「ご想像におまかせ致します」
忠誠ならば誓っている。
ただし、ここのオーナーであるカロウス・セアンではなく、コリン・クローバイエに。
何者からも護り、どんな時もそばにいる。
……最近、近くを離れてしまうのはあの人の為だと、調べものをしているのだと言い訳して、その実、現実を直視したくないのかもしれない。
この結婚は反対だと言うならまだいい。
結婚なんてしないで下さいなどと――愚かなことは言いたくはない。
***
一度顔を出してしまったことが敗因か。
カロウス・セアンことウイセラは幾度か届いている召喚状を無視していたが、なんだか最近封筒の色が気にかかる。
「なんだか、濃くなってないか?」
はじめのうち、王宮から届く封書は確かに白かった。紙を白くする技法は高い為、一番上質な王宮らしい封書ともいえるだろう。だが、なんだかその封筒に次第に色がつきはじめた。
今や赤。
真っ赤な封書など下品なもの、目にすることなど滅多にない。
「うちで扱っているかどうかも怪しい部類だよ」
肩をすくめてぼやいたウイセラだったが、次の瞬間にその謎がとけてしまった。
「それは重要度を示しているのですよ。ウイセラ殿」
言葉と同時、窓を蹴破られた。
両開きの窓の中央、力任せに蹴り上げられた扉は脆い鍵ごと粉砕され、硝子の割れる音が響き渡った。
幸い起毛の絨毯が割れた硝子の音を吸収し、蹴られた時の音だけを響かせそれ以上の被害は与えてない。だが、私室で赤い封筒をしげしげと眺めていたウイセラはあまりのことに呆然とした。
賭博サロンのオーナー室ではなく、私室。
三階にある寝室の窓を蹴破る不届きな男の存在に純粋に驚き、馬車で襲われた時のことを咄嗟に思い出して警戒したが、そこに立つ男の異様な風体に呆気にとられてしまった。
まさに、ぽかんと口さえあけて。
皮の手袋をわざとらしく調えなおし、肩をすくめるのは細身の男だが、幾度も言うがその風体は異質。
硝子の割れる音にウイセラの部屋になだれ込んできた用心棒すら、あんぐりと口を開いて唖然としてしまっていた。
「……一応確認するが、強盗か?」
それでもなんとか正気を取り戻したウイセラが、胡散臭いものを見る視線で一昨日と同じように問いかけると、白いシャツに黒いズボン――赤いツエードの裏地をつけたばさりとしたマント、顔の上部を隠したふざけたマスクの男は「怪盗ですよ、快盗ナルシス。女性の心を盗む伊達男。ご存知ありませんか? 今ご婦人方の間で流行の婦人雑誌の」
「じゃ、捕まえて突き出しておけ」
用心棒に命じようとすれば、相手が慌てた。
「いやだな。付き合いの悪い。一度窓から入り込むという荒業、やってみたかったのですよね。というか、実はすでに幾度かやったことはあるのですけど、身内のところだと、ものすごく冷たい反応しか返ってこなくて。うちのご主人様なんて、そのまま突き落とそうとするし」
ぶつぶつと不満を口にし、仮面をはずして笑みを浮かべて見せたのは――グリフォリーノ・バロッサ。シルフォニア皇女の側近にして近衛。
あまりのばかばかしさにウイセラは額に手を当てた。
「まあいい。その赤い召喚状は警告です。
それが届いたが最期、何があろうと召喚させる。最も重要度の高い書類ですよ――主に税金関係で届きます、ホントは」
後半の言葉はトーンが変わった。おそらく冗談のつもりなのだろうが、あいにくと笑えない。少なくとも、蹴り破られた窓は二年かけて作らせたステンドグラスだ。
「税金は払っている」
「もう本当に腹立たしいくらい微々たる金額をね。おたくの帳簿係をこちらに引っ張りたいですよ。実に優秀で素晴らしい――って、そんな話じゃありませんよ」
ウイセラはふざけた格好で他人の部屋の窓ガラスを割った男を冷ややかに眺めていた。どうにもこの男は苦手だ。
「まぁいい。
手っ取り早くいきましょう」
グリフォリーノ・バロッサは言うや、マントを跳ね上げて自らの背中に手をまわし、すばやく戻した。
その手には一丁の銃。
ざわりと警戒する護衛を片手で制し、ウイセラは鼻に皺を刻んだ。
おもむろに銃を突き出し、グリフォリーノは唇の端を引き上げる。
「ご主人様から伝言です」
「銃を突きつけて? それが、そちらのやり方か」
「そちら? 大雑把な分類ですね。
コレは私のやり方ですよ」
楽しげに用件をすませ、何故かまた窓から出て行った男がロープを使って闇に消えた後、ウイセラは割られたガラスをがしゃりと踏みつけて忌々しそうに吐き出した。
「何だ、あのふざけた男は。
ああいうのは我慢できない――一番苦手なタイプだ」
吐き捨てるウイセラの背後、いつの間にか用心棒の間から顔を出したウイセラの片腕であるニッケルは、一旦破壊された窓をしげしげと眺め回してから口にした。
「ああ、同類というのは反発しあうものですよね……」
「はぁっ?
どこが同類かっ。オレとアレがっ?」
大仰に声をあげて振り返るウイセラに、その場にいた全員が示し合わせたようにうなずいた。
「あんな、あんな阿呆な格好をした馬鹿と一緒だというのかっ」
「――明らかに」
怪盗の姿のグリフォリーノと砂漠の強盗の格好をしていたウイセラは――まさに同属嫌悪。
「王宮に請求書をまわしてやる」
ウイセラは怨嗟の言葉をこぼし、
「お前達は一割減俸っ」
グリフォリーノと同類扱いされた心の痛みに部下に当り散らした。
***
「あーら、珍しい」
末の妹の甲高い声に、首のタイを軽く緩めながらアルファレスは視線を向けた。
「日曜日のこの時間にアル兄さまがいるなんて。敬虔な兄さまは決まって教会にいるものと思っていたわ」
その言葉は明らかに嫌味だった。
アルファレスは確かに日曜日に教会を訪れるのが好きだ。
教会の静謐な空気の中、女の子達がちらちらと視線を向けてくれ、こそこそと自分のことを話題にしてくれるのが大好きだ。
そして、その趣味を隠してはいない。
「エイシーこそ、自宅にいるなんてね。
もう遊戯のことはどうでもよさそうだ」
揶揄するように肩をすくめて示すと、エイシェルは憤慨した様子でふんっと顔をそむけた。
「そういう訳ではないけどっ」
遊戯に興味がない訳ではない。勝者に与えられる褒賞はぜひとも手にいれたいが、エイシェルはコリン・クローバイエが苦手だった。
「だって、あの女ってばおかしいのよ!」
「おかしい?」
「あたしはあの女の婚約者の愛人だって言っているのに、そのあたしと仲良くしようとするのよ。気持ち悪いっ」
ぶるりと身震いし、エイシェルは顔をしかめた。
「……愛人なんか気にしないほど、あの男が好きってことかな」
ぼそりと口にしたら、何故かずしりと鉛が腹に落ちたように不愉快な気持ちになる。
もともと、コリン・クローバイエが自分の婚約者を好きだというのは知っている。二人が仲睦まじく一緒に歩いているのも目撃した。
ただし、あの男は――コリン・クローバイエを好いてはいない。
あの美しい女について、まるで汚らわしいとでもいうように吐き捨てた。
いや、それを言うのであれば自分も――
「違うわよ。
いやだ。アル兄さまってば女の気持ちもわからないの? あの女は婚約者のことなんて少しも好きじゃないわよ。興味もないんじゃないかしら」
エイシェルの言葉に、アルファレスは眉を潜めた。
「あたし思うのだけど、あの女は女の子が好きなんじゃないかしら」
真剣に言う妹をじっと見つめ――アルファレスは乾いた笑いを浮かべた。
「……さすがにそれはどうだろうか」
「信じてないのねっ!
あの女のあたしを見る目ったら涎でもたらさんばかりなんだからっ」
きぃっと声をはりあげる妹を軽くあしらったアルファレスだが――ある意味エイシェルの言っていることは事実だった。
今現在、コリン・クローバイエが一番欲しいのはおそらくエイシェル・セイフェリングに間違いはない。
「嘘じゃないってばっ」
「はいはい。じゃあ、そこまで言うなら――コリン・クローバイエの餌として使われてみるかい? 勿論、うまく釣り上げられたら褒美を考えてあげるよ」
あしらう為の軽口だったが、エイシェルは少しだけ悩むそぶりをみせたものの、すぐに得意げに顎をそらした。
「爆釣を約束するわよ」