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遊戯  作者: たまさ。
アンリ・シェルト・ウィザー
42/72

その5

「それでは、おやすみなさいませ」

 ぱたりと小さな音をさせて両開きの扉を閉めると、リアンはそれまでの穏やかな表情をがらりとかえ、唇を引き結んだ。

――ご婚約は、どうなりました。

やんわりと問えば、彼の主であるコリンはしばらくの間考えている風だったが、やがてゆるりと応えた。

「順調です」

 まるきり、他人事のように。

 順調。それはどう順調だというのだろうか。

商売の取引のように無機質に語られる言葉に、どこか寂しさを抱いた。

相手の男は評判もよろしくない男で、好ましいとは到底思われない。賛成か否かで言えば、リアンとしては勿論否だ。

 主がいつか結婚することは理解していたし、そう遠くない未来であることも納得している。コリンが望んで結婚するのであれば問題は無い。

では、コリンが望む男というのはいったいどういう男であるか。

恋しい男でも愛しい男でもなく、ただひたすらコリンにとって都合の良い男であろう。

 彼女が誰かを恋い慕う日など、おそらく来ない。恋も愛も、彼女にとって無駄でしかないのだから。

――判りやすい政略結婚が一番無難だろうが、この縁談に関して言えばそうは見えない。

だからこそ、反対なのだ。

そして何より、別の意味でも。

 嘆息を隠し、リアンは階段をおり、丁度廊下で窓の鍵を確認していた老執事に声を掛けた。

「ウイセラ様は?」

「もうお帰りになられました」

 その端的な言葉に、無作法にもチッと舌打ちがもれた。

後で話しがあると言っておいたというのに、都合が悪いとなるとすぐに逃げ出すのだ、あの男は。

 普段は傲慢にどんな事柄も正面から受け止める癖に、時々ひょいとこういうことをしでかす。

「リアンさん、今夜もお出かけになられますか?」

「ええ。鍵は閉めて頂いて構いませんよ。戸締りの確認をして犬を放ってから休んで下さい」

 馬車を出すよりも単騎で行くことを選び、リアンは一旦自室に戻って女装を解くと外套を引っ掛けるようにして小さな邸宅の地下通路を回り、本邸の馬屋へと出る。音を極力抑えて馬屋の扉を開いたものの、馬屋の二階で休んでいる下男が眠そうな声で降りてきた。

「馬車を出しますかい?」

「いや、起こしてすまない。馬だけ借りるよ」

「借りるなんておっしゃらず。そもそも、そいつはアンリ(・・・)様の馬だ」

 あふりと盛大に欠伸をこぼし、リアンが馬の背に鞍を乗せるのを手伝う。それに感謝の言葉を返し、リアンはそっと屋敷を抜け出した。

――アンリという名前は嫌いだ。

その名前は捨て去った。

犯罪者の弟の名。人殺しの名だ。

――そんなに嫌だというのなら、捨ててしまえばいい。

 そう言ってコリンが付けた名は……名前を入れ替えただけのあんまりにも安直な名だったが、それで構わなかった。

たとえそれが犬や猫につけられる名であったとしても構わなかっただろう。

 少なくとも、アンリとして姉を殺した場面を夢で見続ける日々は終わった。

いつだって、リアンはコリンによって救われるのだ。

 暗い街道を馬の首に引っ掛けたランタンで照らして走るうちに、前方――月明かりの許に馬車が二台停止していることに気付いた。

 馬の手綱を引き絞り速度を落とし、眼差しに力を込めてその状況を確認するように見つめる。薄暗い闇の中で、片方の馬車が走り出し、あわただしい気配が静寂の夜をかき回す。

「旦那様っ」という声と痛みを堪えるような声――胸騒ぎが膨れ、やがて沈静化した。

「何事ですか」

 馬に乗ったまま近づき、ソレに声を掛けると、何かを踏みにじっているウイセラが肩をすくめた。

「さぁ?」

「さぁって――まさか強盗でもしているのですか?」


 ウイセラが足蹴にしているのはネズミのようにやせ細った貧弱な男で、ウイセラは相手を踏みつけたまま銃口まで向けている。足を撃ったのか、男は口の端から泡をこぼし、挙動不審に瞳を動かし、身を縮めてひーひーと奇妙な音を発していた。

「どうして俺が強盗?

逆だよ、逆――というか、強盗か? おい?」

 言いながらウイセラは踏みつけにしていた足を一旦引き上げ、ごつりと男の脇腹を蹴り上げた。

 男はギャアっと声をあげ、ぶるぶると震えてさらに身を縮める。何か言葉をはっすることすら恐ろしいというように錯乱しているのは、リアンが来るまでの間にそうとうなぶられたのだろう。

「お前の仲間はさっさと行っちまったよ? おとなしく吐いてくれると色々と楽なんだが」

「あ、あっし、あっしはっ」

 なんとか言葉を口にしようとするも、舌がもつれて会話になりそうもない。呆れたように肩をすくめるウイセラは、ひらひらと銃を振った。

「なに? もう片方の足も撃って欲しい?」

「あっしは! 雇われただけでさぁぁぁぁっ」

 悲痛な声と銃声が響き渡り、リアンは顔をしかめてじとりとウイセラを見た。

「もっと早く言わないと駄目だよー?」

 ウイセラが肩をすくめて笑うのに対し、リアンは冷ややかにつぶやいていた。

「どちらが悪魔ですか」


***


「雇われの強盗、ね」

「よかったですね。命を狙われているよりは金品のほうがマシでしょう」

 サロンのオーナー室でキャビネットから酒瓶を引き抜きながら揶揄するようにウイセラが口火を切った。

あの後、銃声を聞きつけた警備隊が訪れてしまい、せっかく捕まえた犯人の一人は連れて行かれてしまった為それ以上の情報を得ることはできなかった。挙句、銃で撃ったことを咎められてしまったが、ウイセラは大仰に「恐ろしくて身を護るのが精一杯でした」と平気で貫いた。

「それにしたって、どうして俺が狙われるかな」

「理由なら山とありそうですが。ただし、どちらかといえば先ほど言ったようにウイセラ様の場合金品よりもむしろお命を狙われるほうが多そうですけど」

 リアンは言いながら腕を組んで背中を壁に預けた。

「俺を殺して何の得があるって?」

「そうですね。たとえば私はウイセラ様がお亡くなりあそばしましたら諸手をあげて歓迎しますが」

「お前に恨まれる覚えは無い」

「勿論、恨んでなどおりません。邪魔くさいと思っているだけですから――そうですね。一番ウイセラ様が死んで得をするのは、アイリッサ様かな」

 義理の姉の名を出し、微笑をこぼす。

「ウイセラ様の財産、屋敷、船がアイリッサ様のお手に渡りますね。

我が家が潤います。素晴らしい――ああ、でもこの場合人なんて雇わなくとも私に一言言って頂ければ済む話ですね」

「だから、命を狙われていた訳じゃないだろう!

そもそも、なんでここで突然妻に命を狙われなければならない?」

 それは勿論、ただの意地悪だ。

ウイセラと義理の姉であるアイリッサの婚姻はわかりやすい政略結婚だ。

家と家の利害が一致していた。そして、利害が一致するなかで一番無難だと思われる者同士が手を結んだだけに過ぎない。

リアンは肩をすくめてウイセラの酒を横合いからかっさらい、一口飲んだ。

「勿論、アイリッサ様がウイセラ様を亡き者にしようなどとなさる筈がありません。だったら楽しいなと思っただけです」

「――お前の楽しいはちっとも楽しくない」


 不満そうにねめつけてくるウイセラにグラスを振りながら、リアンは小首をかしげた。

「そうですね。

たとえば、奪われた金を奪回したいとか――復讐的な感じでウイセラ様を襲ったというのはどうでしょう?」

「俺は誰からも金を盗んだりしていないぞ」

「ええ。そういう直接的なことはしませんよね、ウイセラ様は。

ただしカロウス・セアンはどうです?」

 リアンは一息に酒を飲み干し、うっすらとぬれた唇を舌先で舐めた。

「商取引において相手を蹴落としてしまうことや、賭け事で相手の金品を巻き上げることはままある――挙句、結構危険な事柄にも手を出す。でしょう?」


リアンの言葉は否定できずに、ウイセラは片眉を跳ね上げた。

「お尋ねしたいのはそのことですよ。

以前ウイセラ様はギフォード子爵をご存知ないとおっしゃった。ですが、ご存知の筈です。あなたは彼から領地を奪ったのではありませんか? 賭けの対価として」

 ゆっくりと問いかけられる言葉に、ウイセラは一瞬片目を閉ざして考える風を見せたが、やがて合点がいくようにうなずいた。

「そうか。あれがギフォードか。矮小な人間なんぞ覚えてや居ないさ」

 もともとウイセラのサロンでは現金賭けしか認めていない。だというのに、ギフォードはよりにもよって自らの領地を賭けてきたのだ。

 相手の顔は覚えてすらいないが、その醜悪さだけは今でも覚えている。

「相当恨みを買っているのでは?」

「まさか。そんな筈はない――俺はこの国の領地なんぞ欲しいなんて思っちゃいない。確かにあいつは賭けの質草に領地すら持ち出したが、俺はそれをきちんと返した」

 恨みを買うなどとんでもないとウイセラは肩をすくめた。


「それに、隣国の爵位持ちのオレがこっちの領地を所有していたら宮廷に睨まれる。

少なくともその男から恨まれる理由はないな」

 その言葉にリアンは眉を潜めた。

領地を奪われたから恨んでいるのではと思っていたのだが――あてが外れただろうか。


***


「珍しい――キミがヘマをするとはね」

 暢気な口調が耳に入り込み、リアンは息を飲み込んで現在の自らの役割を思い出した。

場所はカロウス・セアンの賭けサロン。

三階にあるカードの部屋。

そして面前にいるのは、アルファレス・セイフェリング――この客が来訪したら知らせるようにとリアンは従業員に伝えてあった。

 手元にはシャッフルする時にばさりと崩れてしまったカードが数枚、そして布うちされたテーブルには無残に散ったカードの束。

 あわててすべてを纏め上げ、テーブルの下のくず入れの中に放り込み、テーブルの端にある新しいカードのパッケージを破った。

「失礼いたしました」

「むしろキミがヘマをするなんて、こちらが勝てる気がするからいいよ」

 アルファレスは言いながらゆったりと椅子に座りなおした。

本日の鴨――ではなくアルファレスは機嫌が良いらしく、胸のあたりで指を組み、口元を笑みの形にしてリアンを見上げてくる。

「そうだ。次の賭けでキミが勝ったら――話の種になりそうなものをあげよう」

 ふと思い立ったという様子の笑みは、いつもの莫迦にしたような皮肉なものではなく、奇妙な色をのせた。

「あいにくと、このサロンは現金以外の賭けは認められていませんよ」

「勿論、ただのおまけだよ」

 現金のほかに、ということらしい。

リアンは了承し、新しいカードを手の中で数度入れ替えた。とりあえずエースの場所はわかるようにしておくのは基本だ。

「ところで、ぼくと居るのに何を考えていたんだい?」

意味ありげに言われ、リアンは逆に微笑で返した。

「セイフェリング様こそ、先ほどの微笑みはいつもと違いますね。他のどなたをお考えでした?」

 途端、アルファレスはムッとした様子で顔をしかめ、横を向いた。

「あの女のことなど考えていない」

「おやおや。いい方がいらっしゃるのですね――どんな方です?」

 その可哀相な女性は。

とは言わずにリアンがからかう口調で続けると、アルファレスは心底嫌そうにリアンを見た。それから身震いするように首を振り「カードを」とせっついて見せる。


 やがて勝敗が決した時にアルファレスが肩をすくめ、笑いながらことりとテーブルに置いたのは、どこに持っていたのか手のひらに収まる程の大きさの小さな茶缶。

「話の種にはなるよ」

 見覚えのある茶缶だった。

本日、コリンがお茶の時間に自ら煎れてくれた茶だ。

この缶を見た途端にウイセラは急用ができたと部屋を辞したが、リアンはしっかりと主の茶を頂いた。


 緑色のどろっとした、独特というより毒溶く(・・・)な風味のお茶だった。

実際何かの間違いか、もしくは毒を盛られているのではないかと思った程だ。


「……結構です」

 あまりのことに引きつったまま「独特なお茶ですね」と言ったら二杯目ももてなされたが、心からまずかった。吐かなかった自分はきっと凄いとリアンは自分を褒めた程だが、まさかこんなところでまた目にするとは思わなかった。

 今更ながら吐き気がこみ上げてきそうだ。

要らないと断っているというのに、アルファレスはにやにやと口元を緩める。

「おやおや。これは賭けの対価だからね――きちんと受け取ってくれないと」

「いや、ですが」

「賭けに負けたというのに対価を返されるなんて、ぼくの自尊心が傷つく」

 どこかおかしそうに言うアルファレスの言葉に、ふとリアンは動きを止めた。


「自尊心――」

「プライドがね」

「そういうものですか?」

ゆっくりと確かめるように問えば、アルファレスは尚もおかしそうにリアンを見返してくる。

「当然だろう。賭けは紳士の遊び――ルールに反するのは紳士に反する。これはキミのものさ」

 商人とすれば、自尊心など何の得にもなるものでは無い。

損をしないのだから構わないではないかと思うのだが。

「では、貴族……紳士とは――賭けの対価に領地を賭け、負けたというのに相手からそれを返されたら……喜んだりしない訳ですか?」


「当たり前だろう? それこそ、屈辱ものだ」




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