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遊戯  作者: たまさ。
アンリ・シェルト・ウィザー
41/72

その4

「あれ、リアンさんご自宅に戻られたんじゃなかったですか?」

夜の入り、カロウス・セアンのサロンに顔を出したリアンに向けられた言葉に、リアンはにっこりと微笑を浮かべ、通りざま相手の足を踏みつけた。


 なんといっても、減俸されてしまった訳ですしね。

しかも四十パーセント――確かに多少はコリンから何かしら言われるだろうと思っていたが、それ以上に「身の無事」を気にかけてくれるのではないかと思っていたのが間違いだった。

 二ヶ月以上も手元を離れていたというのに、主が心配することといえばその間の給金とは――実に素晴らしい商人魂だと喜ぶべきか、あまりにも心無いと嘆くべきか。

 主の許に戻ろうと決意したのは、義姉からの手紙を読み終えた為だ。いいや、違う。あとの指示は部下に任せて、もう戻ろうと思ったのは……結局は、主の許を離れていることに自らが我慢できなくなっていた為だ。


 ほんの少し、自分がいないことで少しは不便を味わうといいと思ってさえいたのに。コリンは少しも自分を気にかけている様子は無かった。

 泣いて抱きついて来て欲しいなどとは思っていないが、ただもう少し再開の場面として何かあっても良いではないか。

おかえりの一言でも。

いや、それすら贅沢かもしれないが……そう、せめて、もう少し――うれしそうな顔をしてくれてもいい。

 基本的に無表情なコリン相手にそれを求めるのは間違っているのは承知しているが。

心の中で夢を見てしまいすぎた。


――あなたがいなくて寂しかった。

そんなかわいらしい台詞のひとつ……ないな。

まず、ない。

リアンは自慢ではないが主の性格をきちんと把握している。


では正解は、といえば――やはりアレなのだろう「減俸」

なんとっても相手はヴィスヴァイヤの金庫番。クローバイエの守銭奴、コリン・クローバイエだ。

 自らの部下の遅延に対して、きっちりと給料を差っぴく。それでこそリアンの敬愛するコリン様だ。

――悲しいことに。


「今夜、アルファレス・セイフェリングは?」

「いらしておりませんよ」

 ロッカーから衣装を引き出しながら問いかけると、そんな台詞が返る。

それを残念だと思いながら、リアンは小さく息をついた。

「ああ、そういえば。リアンさんは確かどこだかの子爵のことも気にかけていましたね」

 ふいに聞こえた世間話にリアンは動きを止めた。

「ギフォード?」

「ええ。以前は良く出入りしていましたよね」

「今は会員権を手放されたとか」

 話をあわせて言えば、からからとした笑いが返った。

指先を上にして肩をすくめ、

「そりゃ、手放したくもなりますよ。あれだけカロウスにこてんぱんにされれば」


「は?」


***


 うさぎは巣穴に篭り、狐はその臭いだけを嗅いでいる。


ふいに浮かんだ比喩に、アルファレス・セイフェリングは眉間に皺を刻み込んだ。

――どうすればコリン・クローバイエと接触が図れるだろうか。

 それを考えているときに、思い浮かんだ言葉だ。


 純白のふわふわとしたうさぎは屋敷に篭りきりで滅多なことでは顔を出さない。おそらく夜会などにも顔を出していない。

 ではいつなら外に出てくるかといえば、今のところわかっていることといえば雑貨店に足を運ぶ時だけだ。


「まったく、あんたさんも物好きな」

 かび臭い臭いとモノの臭い。それと混じる茶の臭いにも少しは慣れた。

アルファレスが通うようになってから店主も少しは気を使うのか、置かれている樽――椅子用――も毎日磨かれているようだ。

 アルファレスは自ら茶をいれたりしない為、店の主は苦笑をこぼしつつカウンターから抜け出して自ら茶葉をポットに放り込んだ。


「毎日違うお茶が飲めるのは楽しいですよ」

 アルファレスは心にも無いことを口にし、店内で見かけた雑貨の一つを手の中でまわして見せた。

「先日飲んだ緑色の茶には驚いたけれど」

「緑色?」

「粉っぽい。ああ、あれは――あの子が持参したものだからここのお茶とは訳が違うけれど」


 コリン・クローバイエの手荷物から出されたことを思い出して顔をしかめてみせると、店主はやっと合点がいったという様子で髭の下の唇を笑みにした。

「ああっ。あのお茶か。西域の珍しいお茶でね。うちの大得意のお嬢ちゃんが気にいったみたいで買ってくれてね。あの子の目利きがいいものだから、こちらとしてはほいほいと仕入れてしまったけれど――正直あれは失敗だった。評判が悪くてね」

 ハハハと笑う店主に、アルファレスは瞳を瞬いた。


「コリンは……彼女は、あのお茶を気に入っているのかい?」

 あの恐ろしく後味が悪い茶を?

「出した時にも二杯も飲んでね。そのまますぐに買ってくれたんでさぁ。どうやらいつも持ち歩いているようだし。相当好きなんだろうねぇ」

 さも面白いというように言う店主の言葉に、アルファレスは張り付かせていた笑みを更にこわばらせた。


――どうぞ。

綺麗な微笑で差し出された悪魔的にマズイ茶。

あんなものを勧めてくるなんて、嫌がらせに違いないと思っていたというのに、実際はそうではないのだろうか。


彼女は、まさか自分の好きなお茶をアルファレスに勧めてくれたのか?

犯罪的に不味いとアルファレスは認識したというのに、彼女にとっては美味しいものだと?

 ならばあの笑顔も合点がいく。

あれが彼女の好意だと?

 そう思った途端、自分の中の血液が温度をあげ、腹の中が何か奇妙にぐるぐるとゆれる。


自らのあご先に手を当ててじっくりと考え込んでいるところに、来店を知らせるカウ・ベルの音が鳴り響き、店主はそれに応え――アルファレスはハッと息を飲み込んだ。

コリン・クローバイエが訪れたのかと期待がちらりとよぎったが、その期待はあっけなく裏切られた。

「また……来ていたのですか、アルファレス様」

 入り口のすりガラスに手を掛けた状態で眉間に皺を寄せたフレリック・サフィアの言葉に、アルファレスは乾いたような笑いを浮かべてみせた。


――もう数日、コリン・クローバイエを見ていない。

 何か仕掛けようにも相手がいないのであればどうにもならない。

仕掛ける……自分は何がしたいのだろう。

あの子は、もしかして自分に対して好意を抱いているのだろうか? ならば、そう、ならば、その想いを踏みにじってやれば――

 そう思った途端、口の中一杯に苦いようなものが広がった。


自分はコリン・クローバイエの不幸を望んでいる。

何故なら、あの娘は幼馴染のアリーナ・フェイバルの幸せを握りつぶしたから。同じようにあの娘も不幸になるといい。

 そう、コリン・クローバイエはアリーナから男を奪い去った狐のような娘だ。

――先ほどまで狐に狩られるうさぎのように見ていたことなど忘れ、なんとか相手を貶めるかのように思考をめぐらせるが、焦りのようなものがすべてをかき回す。


 婚約者がいるというのに、アルファレスに媚を売った。

お茶を勧めてきたのは、そういうシタタカな気持ちからではないのか?

彼女が自分を好き?

 コリン・クローバイエが自分に好意を抱いている?

その考えにアルファレスの頭の中、血管の中を血が流れていく音さえ研ぎ澄まされた。


「なんですか?」

 フレリックに「いらっしゃい」と声をかけ、いったんはカウンター奥に戻った店主だったが、新たな茶缶を手に舞い戻り、ぽんっといい音をさせて茶缶の封を切った。

 それを覗き込むようにして見たフレリックは首をかしげ、店主は笑いながら茶葉を見やすいようにと傾けてやった。

「今話題に出てたんでね。飲むかい? 西域の珍しい茶だよ。まったく困ったことに二ダースも在庫があってね。買わないかい?」

「って! うわっ、それってばコリンさんの好きなお茶じゃないですかっ」

 心底嫌そうな声を上げたフレリックに、アルファレスは息を飲み込んで相手を見返した。


「フレリック」

「何ですか?」

「……彼女はそのお茶、そんなに好きなのかい?」

「かわった嗜好ですよね。以前水筒に入れてまで持ち歩いてまでいたから相当好きなんだと思いますよ」


 ぼくはあまり好みじゃないですけど、と続くフレリックの言葉にアルファレスは自身が激しく動揺するのを感じた。


「コリンさんが勧めてくれたけど、ぼく一口飲んでびっくりして噴出してしまったし」


 更に続いたフレリックの言葉に、アルファレスは自身の中で一気に何かが吹き上がるような感覚を覚え、そしてアルファレスは乾いたような口調で問いかけていた。

「勧めて、くれた?」

「ええ。コリンさんが」

「――へぇぇぇ」


 コリン・クローバイエにではなく、フレリックに対して激しい憤りを感じたアルファレスは、自らの感情に気づかずに、苛立ちのまま口にした。

「店主、そのお茶――あるだけすべて買おう」


 コリン・クローバイエが次にお茶を買いに来た時、品切れでさぞかしがっかりとするだろう!


などと明後日な方向の嫌がらせに出たアルファレスだが――コリン・クローバイエにそのお茶を買う予定はまったく無い。


***


商売敵の船が沈んで喜ぶ程浅はかでは無い。

コリンは朝一番に届いた報告に、ざっと視線を走らせてから指示を出した。

「積荷と、あと――保険金の額面を」

純粋に事故であったのか、それともわざと沈めたのか。場合によっては相場が変わる。その変動を見極めないとこちらにも損失が発生するかもしれない。うまくすれば利益が産まれるかもしれないが、相手の商業状態を考えるとこちらに火の粉が飛ぶ恐れのほうが大きいだろう。

 数年前には馬鹿な男がわざわざ海賊と手を組んでいたという話もある。船が台風でもないというのに沈んだなどという話は、本当に神経が磨り減る。


「積荷は酒だそうだよ。今頃海神がお喜びのことだろうね」

 ウイセラの楽しげな声に、コリンは報告書から視線をあげずに応えた。

「お早いですね」

「オレだって色々と考えるんだよ。酒が沈んだっていう話しで、酒を買い占めるべきか、それとも静観するべきか。本当に酒なのか。商売人は騙し騙されだからね。

まぁ、そんなことは後でいい。可愛いコリン――朝の挨拶にその愛らしい口付けを所望したいね」

 軽口を叩きながら、ウイセラはひたりとコリンの背後に立つ女装魔――リアンを眺めた。最近はディーラー姿ばかり見てきたが、やはりこの屋敷に戻るとリアンは厳格な女家庭教師のような姿に変わる。

 何故女装しているのかと言えば、当初はコリンの意地悪な台詞であった筈だ。


リアンは元々コリンの世話係の妹としてこの屋敷に入り込んだ。当初誰も少女としか思っていなかったというのに、コリンの誘拐騒ぎのおりに警察につかまり、男だとばれた。

 嘘に嘘を塗り固めたような話に、コリンが「女ですよね?」と意地悪く押し付けたのだ。

そして、ヴィスヴァイヤの総領であるセヴァランがそれを面白がった。


――コリンと共に居るなら、そりゃ女の子でなくてはね。


 未だ可愛げのある年齢であったから許されていたものを、四年たった今もやっているのだから恐れ入るというべきか、ただのおかしな趣味なのか。

「やぁ、悪魔(ベリアム)久しぶり(・・・・)?」

 わざとらしく友好的に手を差し出すと、リアンは冷ややかな眼差しでウイセラを見つめ返し、口元にだけ笑みを浮かべて見せた。

「ご健勝そうで何よりです。ウイセラ様」

「相変わらず化けるのがうまいな。わざわざハイネックのドレスなのは喉仏を隠す為? いい加減その場から退けばいいものを」


 リアンはおそらく、女装していないとコリンの前にいられないという思いがあるのだろう。年頃の娘の隣に立つのに男では外聞が悪い。コリンはもともと屋敷に詰めているタイプなのだから、そんなことはどうでもいいだろうに。それとも、本来の男装に戻るタイミングをすでに逸しているのかもしれない。

「叔父様、リアンを悪魔(ベリアム)というのはお止め下さいと申し上げていた筈ですが」

 コリンが書類をたたみながら冷ややかに言うと、ウイセラは機嫌良く応えてみせた。


「おや。そうだったかな――ごめんよ、コリン。ベリアムとリアンって似ているものだから、純粋に間違えてしまうのだよ。

リアン、気に障ったのであれば謝るよ?」

 肩をすくめるウイセラに、リアンは微笑んだ。


「ありがとうございます。ではどうぞ謝ってください」

「うっ」

「それと、後ほど話があります。実は私に嘘をついていましたよね?

まぁそれは後でいいですから、とりあえず先に悪魔の件について謝りましょうか」


 二人の楽しげなやり取りを尻目に、コリンは本日の予定としておかれている書類に視線を落とした。


――今日もまたクライス・リフ・フレイマからの訪問予定。


わざわざ本邸に足を運ばなくてはいけないのだから大変面倒臭い。いっそこちらの別邸に呼びつけてやりたいが、この小さな別邸にはこの壁一面に銃が飾られた居間しかないし、何よりこの別邸をわざわざ他人に教えるつもりはない。

何よりクライスは毎日のように訪れるようになったが、毎日苛立ちを募らせているような気がする。

 結婚の話が頓挫したから?

いや。別に頓挫させたつもりはない。進めるものなら、婚約でも結婚でもすぐにすればいい。

 愛人がいようと子供がいようと結婚に問題はない。

むしろ問題だと言っているのはクライス側だ。


「ご存知の通り、謝るよというのは宣言でしかありません。

それではきちんと実直に謝ってください。

ああ、土下座でかまいませんよ」


 考え事をしているコリンの横で、いまだにおかしなやり取りを続けている二人の声が耳に入り込み、コリンはふいに腹立たしさを覚え始めた。

自分は色々と考えなければいけないというのに、何故この二人は楽しく遊んでいるのだろうか。 


 リアンときたら相変わらずの微笑でウイセラに毒を吐き続けている。

「……」

「気に障っていますし、コリン様も不愉快で不快な思いをしていらっしゃいますようですので。

もちろん土下座程度でこの不快感がぬぐえるとは到底思いませんが、気持ちをこめてどうぞ存分におやり下さい」


 いつまでもとまる様子もない二人のやり取りに、コリンは視線をあげて仲裁にでることにした。


「二人ともそのへんにして、お茶を入れてさしあげましょうか」


――イライラする時はお茶に限る。


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