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遊戯  作者: たまさ。
クロレア・セイフェリング
36/72

その7

 雑多なもので埋め尽くされた小さな店舗の中で、髭をたくわえた雑貨店の店主は苦笑と共に肩をすくめた。

「お嬢ちゃんの目利きは信用しているけどねぇ、まったく今回ばかりは勘がくるっちまったよ」

 言いつつ、自分の言葉が足らないことに慌てて付け足す。

「いや、もちろん。嬢ちゃんが悪い訳じゃあないさ。

いやいや、悪く思わないでおくれよ。ちょっとした……そうさな、ぼやきだと流しておくれ」

 注文されていた商品を手早く古新聞で包み上げ、更に油紙で丁寧にくるみこみながら向けられる言葉を、コリンはその通りに右から左に流した。

 店主の気持ちは良く判る。

つまるところ、店主は間違いを犯したのだ。


 コリンが以前この店で購入した――どろりとした挙句口当たりは粉っぽく、人生を投げ出してしまいたくなる程のまっずいお茶を、店主はコリンがわざわざ購入したという一点のみで更に追加注文したというのだ。

 まったくもって愚かしい。

あんなものが売れるものか。

コリンは内心であきれ返ったものの、今までコリンがこの店で飲み、購入した他のお茶に関しては確かに一定の利益をあげたのだろうと思えば、多少は同情に値する。

「ところで」

「はい」

「お嬢ちゃんが店に来た時、他に誰かいなかったかね」


 本来であればもっと早い段階で問いかけたかったのだが、コリンがさくさくと自分の注文を口にした為に、店主は言いそびれていた事柄をやっと口にし――それを受けたコリンは、香りのよろしい本日の紅茶の表面を見つめつつ、やんわりと応えた。


「さぁ、存じ上げませんが」


***


 がりがりと書かれていく文字は決して美しくも無く、何よりインクの質が悪いのか紙の質が悪いのか――その両方であるのか知れぬが、毛羽先立つようにペン先が引っかかり、ところどころに黒い小さな染みを作り出す。

 そんなことは毎度のこととでもいうように、手先を動かす男は鵞ペンをぐりぐりと操った。

「アリーナ・フェイバルっつうと……確か噂によると、たいそう不名誉な事柄で家を追い出されたってぇ娘さんじゃないかね」

 顎先の無精髭を親指の腹でざりざりと撫で回し、片眉を跳ね上げるようにしてイーストエンドに事務所を構える自称探偵――ボートル・フェミングは自身の前に座り、不機嫌そうにしているクロレア・セイフェリングを見返した。

「よく知っているわね」

「そりゃあ、噂話はおまんまの元ですからねぇ。こちとらそういう情報をしっかり拾い上げて生きているもんさ」

――下種な職業ね。

 クロレアは内心で相手を嘲るに冷たい眼差しを向けはしたが、さすがに言葉にはしなかった。

「で、セイフェリングのお嬢ちゃんはご親切にも、この娘さんの名誉を回復してやろうって?」

「その通りよ」

 もちろん、結果としてそうなるというだけだ。

男と関係を持った未婚の女は、それだけでその名誉が失墜する。その名誉を回復させる為には、相手の男との婚姻が絶対の条件だ。

「へーえ?」

 とんとんっと鵞ペンの先端を紙に押し付け、丸い染みを大きくしながら言うボートルの視線は面白がる色合いと同時に、胡散臭いものでもみるような色合いを秘めている。

「ご親切なことで」

「何か含みがあるいいようね」

「いやいや、とんでもない。

貴族っつうイキモノは面倒くせぇなーと思っただけですよ。ああ、これはあんたさんのことではなく、名誉だ何だって事柄についてですけどね」

 肩をすくめて鵞ペンを墨壷へと放り込み、ボートルはぎしりと音をさせて椅子の背もたれに体重をあずけた。


「それで、相手さんの――男爵の子息の縁談をぶち壊し、そのお可哀想なアリーナ嬢ちゃんと男を晴れて婚姻させたいと。なんですかね、あたしに駆け落ちの手引きでもしろっつうんですかい?」

「馬鹿ね」

 クロレアは今度こそ本当に馬鹿にした様子で眉間に皴を寄せ、呆れきった様子で不快を示した。

「相手の男は、実家に縛られて今ある縁談を断れる立場ではないし、心優しくも家を見捨てられない男なのよ? いくら駆け落ちの手はずを整えたところで、ハイソウデスカなんて単純に乗っかる筈がないでしょう」

「へぇ、すいやせんね」

 さげすむ視線を真っ向から受け止め、ボートルは肩をすくめた。

まるでナメクジにでもなったような気分になったが、おそらくナメクジより下等な生き物だと認識されているのだろう。


「あなたのすることは、その心優しい可哀想な紳士の為に相手から綺麗さっぱり断られるように仕向けるのよ」

「なんつうか、あたしゃ探偵でして……なんでも屋って訳じゃあないんですがねぇ」

 かりかりと額をかきあげつつぼやいてみせたが、クロレアは鼻先で笑った。

「何も難しいことを頼んでいる訳ではなくてよ。

相手の女に可哀想なアリーナの話を持ちかけて、自分から身を引くようにすればいいわ。それとも、アリーナの噂をもっと広めてしまってもいいの。そうすれば、アリーナへの責任を無視し続けることができない筈よ。何といっても相手の男爵家の次男は心優しい紳士ですものね」


 にっこりと微笑を浮かべてみせるクロレアの顔を見返し、ボートルは内心で嘆息を落とした。

――更に噂を広めろなどと、果たして親切心から出る言葉では到底ない。

 好き放題な言葉を並べ立てて事務所を出た女を見送り、更に溜息を深めてどうしたものかと首を振ったボートルは、出入り口とは違うもう一つの扉の窓からのぞく男の姿に、苦笑した。


「お人が悪い。何してらっしゃるんで?」

さすがに書き記した文章を読ませる気は無いのか、さっさと片付けつつ言ったものだが、飄々と事務所に入り込んだ相手は小首をかしげた。

 どこにでもいるような労働階級の衣装を身に付けてはいるが、その手は日焼けもせずに荒れてもいない。

 口元にニヤリと笑みを刻む様は下級層にさえ見えるが、薄い唇からのぞく歯はその全てを裏切り、手入れの行き届いた白さが目立つ。

「忙しそうで何よりだね。私の仕事を忘れてないといいのだけどな」

「忘れちゃあいませんよ。もちろん――どんな仕事より先にやらせてもらっとりますからね」

 

――正式な名前は伝えられていない。

だが、信頼できる相手であること。払いが良いということだけは確実な依頼主は、自身のことは「ナイショ」だと言ってはぐらかす。

 だが、もともと探偵に依頼しているのだから正体がばれていることは理解しているだろう。ただ、それをあえて言わない――そういう関係でもう数年経過している。


「そういえば、最近新聞をにぎわした覚えはありやせんかね?」

 ボートルがニヤリと口の端を歪めて言えば、相手は同じようににやにやと口元を緩めてみせる。

「さー、知らないな」

「さようですかい」

「ところで、頼んでおいた噂話の真偽はどうだったのかな?」

 とんっとテーブルの端を指先で弾いた相手に、ボートルは資料すら出さずに返答した。


「まったく貴族っていう生き物は阿呆のように噂話で埋め尽くされていますもんで、根も葉もないもんが山とありすぎていちいち精査するのは本当に骨が折れるってもんでさぁ」

「だから君に頼んでいるのだよ」

「へえへえ、こんな仕事は確かにあたしのような人間向きだ」

 ボートルは言いながら、面前の男がじれるように差し出してくる葉巻を嬉しそうに受け取り、その香りを楽しむように鼻にこすりつけた。


「噂は真実ですなぁ。

ギフォード子爵の転落ぶりときたら、下々のあたしらみたいなもんからしたら、酒の味を上質のコニャックにかえてくれるくらい面白い」

「転落なんてどうでもいいんだよ。問題は――」

「噂は真実だと言いましたでしょう? 嘘は言いませんや」

 楽しげに言うボートルに、男は嘆息した。


「まったく――実に嘆かわしい」

 心底そう思っているのだろう、懐の皮財布からすでに書き上げられていた小切手を引き出した男は、ゆるゆると首を振った。


***


 ありえない、ありえない、ありえない!

アルファレス・セイフェリングは人生で一番の失態をしでかした。

これほどの屈辱を受けたことがこれまでにあっただろうか?

いいや、無い。

ただの一度といえど、これほどに恥ずかしい思いをしたことは無い。


 吐いたのだ。

誰からも羨ましがられる美貌を持つ自分が、紳士として完璧な自分が。いったん口にしたものを無様にも吐き出したのだ。

 唯一褒められることがあるとすれば、あのコリン・クローバイエの前でその無様な姿を晒した訳ではないという――ただその一点のみ。

 

 あの埃まみれのちっぽけな雑貨屋の片隅で、樽をひっくり返しただけの椅子ともいえないような代物に座ったコリンが、それはそれはうやうやしい様子で煎れてくれたお茶は、なんとも不可思議な代物であった。

 思い返せば、彼女の手提げ袋の中から出てきたという時点で怪しむべき代物であったのだ。だが、あの時のアルファレスはそんな疑問を抱いたりしなかった。

 どちらかといえば、勝利感のようなものに胸中を支配され、面前にいるコリンを手玉にとることしか考えていなかった。


――透明な硝子玉のような瞳が、しっかりとした意思をもって自分を見上げる。

その時に抱いた奇妙な高揚感のまま、示された欠けた茶器を受け取っていた。

 埃臭い場所で飲み物を口にするなど冗談じゃないとか、欠けた茶碗など無礼だろうとか、そんなことすら脳裏になく、その茶の香りを楽しむこともなく。

「どうぞ」

 誘うような甘い声に、そのままソレを口にしていた。


 どろりと口の中を一気に侵し、同時に喉にからむ粉っぽさ。

鼻にぬける腹立たしい程イヤな香り――


 その場でぶぉっと無様に吐き出さなかったことだけは、本当に立派であったとアルファレスは自分を褒めてやれる。

 だが、限界はあった。

口の力を無意識に強めて、眦にじわりと滲む涙粒すら感じながら――みっともなくもがたがたと音をさせてその場を逃げ延びるのが精一杯だった。


そして、吐いた。


ちっぽけな店を逃げ出し、カロンっというカウベルの音すら耳に入れずに脱兎の如く逃げ出し、店の裏手――路地にすら逃げさることもできずに、店の脇で思い切り吐いた。

 あの場に、あの通りにどれだけの人間がいたことだろうか。

このアルファレス・セイフェリングが無様な姿を晒したのだ。多人数の行き交う道端で!


「うぁぁぁぁっ」


 こんな屈辱は産まれてはじめてのこと。

今頃あの女が高笑いをしているのではないかと思えば、まさに(はらわた)が煮えくり返る。

アルファレスはぐっと拳を握り締め、紳士にあるまじき怨嗟のこもった言葉を吐き捨てた。


「覚えていろよっ」


まさに、立派な負け犬の遠吠えだった。


 



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