その4
「塩の専売権は無駄です」
コリンは淡々と自分の意見を口にしつつ、父親であるヴィスヴァイヤの総領――セブァラン・クローバイエとの食事を楽しんでいた。
広い食堂には長いテーブルが置かれ、その端と端とに別れて親子二人。
叔父も弟もいない食卓で語られる会話は極めて――愛情あふれるものであった。
「二年しか権利を所有できない挙句、他の業者との軋轢を生み出します。確かに利益は生み出しますが、だからといって特別高く値をあげられる訳でもない。それよりは胡椒やスパイスのほうがまだマシです」
「だが、塩は人間にとって必要不可欠な――」
「では競売相手と談合でもなさいますか? わずかな利益を更に薄めるだけです」
「胡椒は元値が高い上に海賊を呼ぶ」
胡椒は完全なスパイスとして人気が高い。
だが、その生産量は極わずかだ。塩を作るのとは訳が違う。
胡椒を一瓶作るのにかかる必要経費は膨大なものとなる。使用する土地、人件費。
塩のように単純でもなければ日数も必要とする。
だからこそ、その値はどんなスパイスよりも珍重されるのだ。
「護衛船を増やせばよろしいではありませんか」
「護衛船を増やせば、それだけ相手に品物の高価さを知らしめる。危険が増すことになるだろう」
「海賊も商品を海に沈めたい訳ではありませんでしょうに」
淡々と行きかう言葉はコリンにとってすばらしく食欲を増進させる。
父と共に食べる食事は滅多にないが、コリンにとって好ましい事柄のひとつだ。
それがたとえ他人にはまったく家族の団欒などと見えなくとも。
コリンは書類上の数字を見て采配することができるが、実際に現場に出ることはめったに無い。彼女が許されているのは、商品の買出しではなく、時折彼女自身の趣味である物を買い付けに行く程度の外出のみだ。
海賊の被害があることは承知しているが、それが実際にどの程度の害があるかといえば書類上マイナスをはじき出すことは無い。
何より、船の積荷には保険が掛けられる。
「金とスパイスの保険は値が上がる」
「それでも決してマイナスではありません」
「コリン――マイナスではないから人をないがしろにして良い訳ではない。社員達をあえて危険に晒すような商売ばかりをしていたら、そのうちに世間から信用が失墜するばかりか、社員達にすら顔を背けられる」
たかが机上の空論。
そう突きつけられるたびに、吐息がもれる。
それと同時に、コリンは自分の心が熱を持つことが判る。
――目先の利益ばかりにとらわれるつもりはまったく無い。それは愚かだ。
だが、こうして諭されると自分の意識の低さにうんざりとすると同時に喜びを覚えるのが不思議だ。
「ところで、婚約者候補殿とはどうだ」
ふいに話題をかえられ、コリンはデザートの生クリームをスプーンでつつきながらふっと不快な気持ちを抱いた。
楽しい話題に水をさされた。
軽い苛立ちと、その後から浮かんだひとつの想い。
――何故、お父様はあの方とわたくしの婚姻を望まれたのですか。
その真意を問いただしたい。
だが、それは敗北だ。
何故ならこれは、父からの挑戦であるのだから。
敵から塩を送られて喜ぶ趣味は無い。
「良くして頂いております」
「好ましいと思うか?」
「――今のところ、問題はありません。何か気にかかることでもございますか?」
つっと視線を向けると、セヴァランは口ひげの下の唇に小さな笑みを浮かべた。
「あくまでも候補。
よくよく考えて答えは出せばいい」
余裕のある言葉に、コリンはじっと父親の眼差しを見つめて問いかけた。
「この案件の回答期限はいつまででしょうか」
「そんなものは無い。
自らの夫だ。じっくりと自ら考え抜いて決めればいい」
――それは、本心だろうか。
時は金なり。
どのような難題も早いうちに解答を導き出すほうが利益率は高い筈だ。
そもそも、長々とこんな問題に向き合っているつもりは無い。
自らの夫候補の人格については凡庸な貴族の子弟であるという見識から外れることはない。可も無く不可も無いといったところか。
だが、その内面はよくわからない。
更に言えば、女性の趣味はもっとよくわからないが、彼のお人形さんに関しては大幅なプラス収支が見込めることだろう。
まさか自分と婚姻したからと言ってお人形さんを放置するなどと愚かしいことはしないと信じたい。いや、その場合直接契約を持ち掛けたい。
愛人契約とであればどちらが安いだろうか。
コリンは自室に戻り、必要経費を大雑把に計算していたが、やがて菓子皿を手に訪れた叔父に思い立つように問いかけた。
「叔父様」
「何だい?」
上質のチョコレート・ボンボンをいそいそと口に放り込んだウイセラに、コリンはいつもと同じように無機質な瞳で淡々と問いかけた。
「愛人には幾ら払うものなのですか?」
危うくボンボンの中のリキュールにむせかえりながら、ウイセラは胸もとのハンカチを引き出した。
「ちょっ、コリン?
オレはこれでも奥さんとコリン一筋だよ!」
「誰もそんなことは聞いていません」
というか、それは一筋ではない。
***
「ギフォート子爵でしたら、当サロンの会員権をお持ちでいらっしゃいました」
リアンの問いかけに、ウイセラの片腕である秘書のニッケルは書類棚からファイルを引き出しながら応えた。
相変わらずウイセラ――カロウス・セアンの事務所を自由に使っているリアンは、まるきり主のように執務机に向かったまま眉間に皺を寄せたものだ。
「過去形?」
「ええ。ギフォート子爵は当サロンの会員権をお売りになられましたから」
コリン・クローバイエの夫候補であるクライス・リフ・フレイマが借金をしている相手。ギフォート子爵の覚書をぱらぱらとめくりあげながら、ニッケルは続けた。
「二ヶ月程前にギフォート子爵のお持ちの会員権は、アダムス男爵の手に渡りました。その時の譲渡料金はおおむねでしか判りませんが」
「直接契約ということですか?」
「いえ。賭け種としてのやりとりのようです。残念なことですね」
指先でギフォートの記録を追いかけながら、しかしニッケルは苦笑をこぼした。
「いや、そうでもありませんね。
ギフォート子爵の現状はどうも思わしくありません。賭けの対価として金銭よりもモノに頼っている節が多く見られます。このまま行くと他人の耳はおろか目にもつくことになりそうですね」
厄介なことになる前に縁が切れたことは喜ばしいことですね。
そう続けるニッケルにいったんうなずき、しかしリアンは続けた。
「ですが、ギフォート子爵はクライスに金を貸しています」
「時期が見えないのが残念ですね。
最近のことであれば、ずいぶんと気前の良い。自らの尻に火をつけながら他人に金を貸せる器――とは思えませんね。それとも、何か理由があるのでしょうか。ま、単純に考えれば、古い借金と解釈もできる」
「いや、ギフォート子爵がクライスに金を貸したのは、そんなに古い話ではないでしょう。せいぜい二月、三月か。その頃の記録はどうなっています?」
「記録も何も、当方では把握していません。先ほど言いましたでしょう? その頃にはうちに出入りしていない」
肩をすくめてみせるニッケルに、ますますリアンは顔をしかめた。
「つまり、金に困っているのにクライスに金を貸している?
――クライスに何か弱みを握られているのでしょうか」
「ああ、そういうこともあるかもしれませんね。最終的にうちの会員権を賭け種にしていますが、実際にはその前にお持ちの領地の別荘、土地の権利書や銃や絵、宝飾品まで賭け種にした形跡が見られます」
ニッケルはやれやれとつぶやき、リアンへと視線を向けた。
「ずいぶんと無様な有様だ」
「人間堕ちる時は無様なものですよ」
リアンは言いながら、とんとんっと指先でテーブルをはじいた。
もう幾人も、堕ちていく人間など見てきた。
だれも彼も最期はもがき、あがき、そして無様に。
――リアンの実の姉も、その例に漏れることはなかった。
「どんな弱みを握っているのか、調べてみないといけませんね」
「まだコリン様のところにお戻りになられないのですか?」
おもしろそうに問いかけてくるニッケルに、リアンは顔をしかめた。
「今回の事柄に首を突っ込むと、コリン様に嫌われますからね。それでなくとももう気を害されていますから」
リアンは言いながら頬にかかる後れ毛を指先にからめて吐息を落とした。
「でも、縁談の邪魔をするおつもりなのでしょう?」
「しませんよ。
クライスがコリン様に釣り合う人間であると納得できれば――祝福いたします。当然でしょう?」
さらりと言うリアンに、ニッケルは思わず噴出した。
「リアンさんを納得させられる相手を探すほうが大変でしょうに」
「そんなにハードルは高くないですよ。
コリン様を幸せにしてくれる相手であれば、悪魔だろうとかまわない」
リアンはにっこりと微笑み、席を立った。
「どちらへ?」
「働かざる者食うべからず。サロンでディーラーの真似事でもしてきます。
宿代くらいは稼がないと、うるさいでしょう?
義兄さんが」
最後の台詞と同時に片目を瞑ってみせるリアンに、ニッケルは肩を揺らした。