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遊戯  作者: たまさ。
クロレア・セイフェリング
30/72

その1

 イノシシの毛で作られているハブラシは使い心地があまりよろしくない。


帰宅後、そして朝とに熱心に――というよりも一心不乱に黙々と歯を磨くコリンの姿に、彼女の使用人である二人の女中は、顔を見合わせた。

「まるでウイセラ様に口付けされた時のような反応ですね」

「まぁ、それってつまり」

 二人が色めきたってぼそぼそと――実際には主に聞こえるようにわざと口にすれば、コリンは口の中をすすぎ、鏡越しに二人の女中を冷ややかに見返した。

 しかし、相変わらず二人は主の冷たい視線になどひるむことなく話し続けている。コリンの冷たい眼差しなど、彼女達にとってものともしないのだ。


「婚約者様とっ」

「なんて素敵」

 顔を見合わせて、キャーなどという二人の姿に、コリンの視線はますます冷たくなった。


「――違います」


 コリンは口元を柔らかなタオルで拭い、洗顔の時に多少ぬれてしまった髪を払った。

「そんなことよりも、リアンは未だ戻らないのですか」

「お仕事に手間取っていらっしゃるのでは無いでしょうか」

「きっとコリンさんの為にすばらしい壷を探してらっしゃるんですよ。珍しい持ち手が四つも五つもあるものとか。変わった柄のものとか」

 あわててリアンをフォローするように二人は同時に口にしたが、取ってつけたように続けた。


「コリンさんに苛められて拗ねてしまったのかもしれませんけど……」

「今頃泣いてらっしゃるかも」


 拗ねる?

泣く?

違う――アレは根に持つのだ。

にっこりと綺麗な笑みを浮かべて、ねちねちと。

以前コリンがほんの少しの嘘をついてリアンを困らせた時のことは忘れがたい思い出となっている。

 その後、忘れた頃にちくちくと「そういえば、あれは何年の何月何日のことでしたね」と――場合によってはその日の夕餉のメニューまで沿え、相変わらずにこやかにコリンへと向けてくる。

 当人曰く「やられたことは忘れない。倍返しよりは三倍返し――十倍返しは致しません。そんなことでは人波など泳げません。適度な報復が一番ですよ」というのだが、明らかに三倍以上になっている。

 この様子では、もしかしたら一月どころか三ヶ月程戻らないかもしれない。


眉間に小さく皺を寄せて、コリンはふるりと小さく首を振った。

「昨夜の仮面舞踏会で一番の話題をさらったのは、仮面舞踏会で仮面を外した不埒な男性のことでした。その方の素性を調べるように」

 不埒な……人々は扇の影でひそひそと噂していたが、それをはっきりと聞き入れられる程コリンは人に馴染めはしない。

 ダンスホールへと戻ったコリンに、婚約者候補であるクライス・リフ・フレイマはほっとしたように息をつき「探しましたよ」と微笑んだ。

 ほんの少しだけ、周りの視線が気にかかったコリンだが、あの男性の言葉の通り――この場の話題の中心は、ダンスの場で口付けされた娘ではなく、仮面を自ら剥ぎ取った男のことばかりであった。


 不思議なざわめきは、相手の男がどこに行ってしまったのかを探し、女達はその相手と近づきたいという思惑に瞳をきらめかせていた。

――コリン自身、近づきたいなどとは思わないが、他人に借りを作ったままというのはどうにも落ち着かない。

 ものすごく不本意な状況で受けた借りだが、できればさっさと清算してしまいたい。利息とはどんなものでも膨れ上がるのだ。


「まぁ、コリンさんが男性に興味をもたれるなんて!」

「これは由々しい事態ですね。さっそく調べるように命じますが、どの辺りまで調べたらよろしいでしょう? 妻帯者であった場合は打ち切りでよろしいでしょうか」

 完全に遊んでいる二人の女中にうんざりとしながら、コリンは「やはりリアンがいないと面倒くさい」と半眼を伏せた。

「妻帯者であろうとなかろうと構いません。どこの誰であるか、どういった人物であるのか――早目に」

「まぁっ、略奪はいけませんっ」

「でも素敵っ」

「味見程度にしておいてくださいませ」


――時々、何故自分はこの二人を解雇しないのかと考えることがある。

 主をからかって遊ぶことは日常だし、仕事も完璧とは言いがたい。これはどう考えても彼女達に支払う報酬をかんがみても損失ではあるまいか。


「さぁ、今朝はコリンさんのお好きなカフェ・オレに致しましょう。イヤなこともすべて吹き飛んでしまいますよ」

「パンケーキには生クリームと野いちごのジャムをたっぷりと。午後にはとっておきのグラッセで焼き菓子を作るように厨房には言っておきましょうね」


 さぁっとうながす二人の女中を見返し、コリンは冷たかった眼差しを普段通りのものに変えた。

 この二人のことを考えても仕方が無い。

おそらく、彼女達はこれからも変わらずこの状態なのだろうから……


***


 何がいけなかったというの?

たかが、そう――たかが些細な噂ではないの。

共通の知り合いについての些細な噂。

それをちょっと面白おかしく吹聴しただけ。

 嘘を言ったのではないじゃない。

誰だって……そう、ひそやかに噂は絹のハンカチを一瞬のうちに染め上げるように女達の間に染み渡っていたのよ。

 だから、嘘を言った訳では無いのに!

みな、みーんな知っているのだから。


 クロレアは無意識に親指の爪を嚙み――その自らの悪い癖に顔をしかめた。

狭いアパートは我慢ができない。自分はクロレア・セイフェリング――セイフェリングの長女だというのに、まるでこれでは落ちぶれた家庭教師か何かではないの。

 前の夫から渡されたエメラルドの腕輪に、翡翠の耳飾!

売り払うことに躊躇は無かったが、あまりにも安く買い叩かれてしまったのも口惜しい。

「クロレア様、あの……お茶を、おいれいたしましょうか?」

 おどおどとした侍女は、無理やり同行させたアルファレスの屋敷の使用人だったが、これにも我慢ができそうにない。

 愚図で、到底気が利かない。


 もう幾度もアルファレスに頭を下げようかと思ったものだけれど、そもそも何故自分がアルファレスに頭を下げなければいけないのか。

 アリーナ・フェイバルが落ちぶれたのは、アリーナの責任であってクロレアにはまったく関係が無い。


 自らの口が災いを呼んだのだと認めたくないクロレアは、苛々とまた無意識に親指の爪に歯をたてた。

 そうして気づけば、また思考は同じことを繰り返した。


――アリーナがどこの誰とも知らない男の子供を身ごもった挙句、流産して家から追い出されたのが悪い。

 クロレアはその噂を、ただアルファレスに告げただけではないか。

アルファレスはアリーナと幼馴染だった。それだって、並んでも不似合いな二人だった。アリーナは子豚のように太った娘だったし、下賎な子供のように良く大きな声をあげて笑い転げて、庭先でうるさい程だった。

 好きか嫌いかといわれれば、嫌いだった。

だから、アルファレスだって迷惑していたに違いないと思っていたのだ。そんな相手が落ちぶれたなんて噂話し、どんな話しよりも楽しめると思っただけなのに。


 昔から迷惑な娘だった。

それが、どうしてあの娘に自分が陥れられなければならないのだ。


 考えれば考える程、自分は悪くない。

悪いのはアリーナに違いないし、こんなことで怒るアルファレスは侯爵家の嫡男として度量が狭い。


 アリーナに報復する気持ちを膨らませたクロレアは、ぱきりと自分の口元で爪に亀裂が入る音を耳にいれ、顔をしかめたがすぐに気持ちを改めた。


――どこの誰とも知らぬ男の子。


いいえ、知っているわ。

あの時告げたことは事実だったに違いない。

ただし、アリーナの腹の子は冗談事として告げたアルファレスではなく――男爵家の次男。男爵家の次男は、コリン・クローバイエという美味しい餌をちらつかされ、そしてアリーナ・フェイバルを捨てたのだ。


いい気味……

クロレアはにんまりと自分の唇が笑みの形を作るのを感じた。

「アリーナの為に、腐った男を返してあげれば……アルファレスだって満足でしょうね」

そうすれば、アルファレスはきっと頭を下げて両手を広げて見せるはずだ。

それになにより、これはもともとあった遊戯。

――やっぱり姉さんにはかなわないな。

 その褒章としてアルファレスには山荘のひとつも差し出させて、頭を下げさせてやる。


そして、アリーナ。

あんたは惨めに生きればいい。

そんな性根の腐った男、戻ったところでろくでもない結末しかまってなどいないのよ。


さげすむように鼻を鳴らし、クロレアは自分の爪の形が悪くなったことで侍女をにらみつけた。


「爪を整えてっ」


***


 リアンは報告書の中の一枚に視線を落とし、顔をしかめてウイセラを呼んだ。

「これは偶然でしょうか?」

「偶然? だとしたらずいぶんと底意地の悪い偶然だな」


 本来であれば、こっそりと仮面舞踏会に潜り込みたかったリアンだが、そこはぐっと我慢した。だが、しっかりと部下を潜り込ませ、きちんと報告はさせたのだ。

――ただし、報告者はコリンのキスの場面は意図的に抹消し、ただひとつの事柄をその日の天候のように付け足した。


――グリフォリーノ・バロッサと接触あり。


「コリンのことに気づいていたら、今頃は……コリンが病気で臥せっているという戯言など払拭されてしまっている訳だ」

 苦いものを噛む様に片眉を跳ね上げた。

「少し様子をみよう。

過ぎてしまったことは仕方ない――接触した時の様子をもう少し詳しく調べて……そうだな、ああ、もう面倒くさい」


 ウイセラは前髪をかきあげて肩をすくめた。


グリフォリーノ・バロッサとコリンの接点など本来ならばひとつもない。だが、二人には共通する知り合いが存在する。

 片方はシルフォニア皇女の側近。

そして片方は――シルフォニア皇女の身代わりとして誘拐された。

顔を合わせたことの無い二人だ。

接点として皇女がいるというだけの。


「皇女のご機嫌伺いに行ってくる」

「むしろ無視していた方がいいのでは?」

「お菓子を届けるだけだよ。そもそも、グリフォリーノじたいはコリンに会ったことはないし、仮面越しだろうし。気づいていない確立のほうが高い」


 それでも気が乗らない様子のウイセラに、リアンは珍しく同情するように声音をやわらかくした。


「御武運を」

「うわっ、絶対今、何か運気が逃げた!」



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