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遊戯  作者: たまさ。
アルファレス・セイフェリング
26/72

その7

二階回廊から眺めた一階ホールはすでに人々のざわめきに満ちていた。

仮面舞踏会という如何わしさを後押しするかのように、本日はホールを満たす照明すらも蜜蝋ではなく所々に置かれた松明。

 赤々と燃える炎の光を、壁や天井に吊るされた水晶が反射させていた。

果たして――こんな場でたかが女一人を見分けることができるのか。

アルファレスはのんびりと階段の柵に両腕を預けるように人々の流れを眺めやっていた。

「アルファレス様……あの、ぼくこういうの本当に苦手なんですけど」

「仕方ないだろう? 相手は仮面までつけているし。人海戦術だよ」

 ほらほら、フレリックもしっかりコリン・クローバイエを見つけてよ。と、せっつけば、隣に立つ白衣に仮面という青年はおろおろと視線を下方へと泳がせた。

――色とりどりの女性達の華やかな夜会服は、コルセットで胸を押しつぶすようにして上に盛り上がりを作るのが最近の主流だ。

 一般的な夜会や舞踏会では、胸元を強調しつつもレースできわどさを押し消したり、肩から薄手のショールを羽織るなどして下品さを防ぐものだ。

 だが今宵の催しの女性達は違う。

顔さえ見えなければ、素性さえ判らなければと女性の装いは大胆さを増していく。

 勿論、アルファレスとしても歓迎すべき事柄だ。女性の豊かな胸元も、くびれた腰も見ていて悪いものではない。

 普段であればこんな二階になど居ないで、適当な女性に声をかけてうまくことを運べば庭先でもカーテンの物陰でも好きに振舞うことだろう。

「あ……」

 隣のフレリックの小さな呟きに、アルファレスはその視線の先を追った。

胸が今にもこぼれそうなご婦人の姿に「フレリック――悪いが今日はキミの好みの女性を探してもらいたい訳じゃないんだけれどね」と呆れた吐息が落ちた。

「あ、いやそんなつもりじゃっ」

「判ってるよ。リーファは貧乳だし」

「そんなことないですっ」


 軽口をたたきあいながら、アルファレスは瞳を細めた。

やはり相手の装いもわからずに女を一人見つけるのは困難なことだろうか。

こうして高い位置から見ても、自分の知る女性すらあまり見つけることはできない。どの女性も普段とは違う装い、髪型で挑んでいるのでそれはむしろ当然だろうが。

「ああ、アレだ」

 反対側、来客を迎える為の緩いカーヴを描く階段を仲睦まじい様子でゆっくりとおりる女性と青年の姿に、アルファレスは柵に寄りかかっていた体を引き起こした。


 仮面は猫を思わせる飾り面。

様相は紗のシフォンを重ね合わせ、手には長い絹の手袋。

胸元も、手元も――決して素肌を晒していない癖に、柔らかな布地が重なりあい、その奥に誘い込むかのように思わせる。

 胸元にも淡い飾りが散り、口元は引き結ばれた薄紅。

砂地に落ちた石のように、もう見つけることなどできないのではないかと思った相手は、孔雀のように競い合う女達の中で、恐ろしく質素で――そして、誰よりも優美に華やいだ。

 隣の男がしきりに語りかけるのを、コリン・クローバイエはただ淡い笑みだけで応えていた。


***


 踏んではいけない。

果たしてこの言葉がどれ程コリンの中に響いていたのか、コリン自身にも理解できていなかった。

 足どころか、ドレスの裾を踏むのではないかという不快な気持ちが満ちている。人の思いが他人に見えるものであれば、現在のコリンは確実に奇妙な電波を出していたことだろう。

 優雅に湾曲する階段を、婚約者候補である相手にエスコートされながらゆっくりとくだりながら、頭の中ときたら「コレも全て練習に付き合わないリアンが悪い」と決め付けていた。

 勿論、彼女の忠実な右腕であるリアンは乞われればいついかなることでも受け入れる。普段から女性としての習い事など不要であると逃げていたのはコリンであるし、今現在自らの手元から引き離しているのもコリン自身であったが、現在のコリンは果てしなく八つ当たり要員として生贄の羊を求めていた。

 高いヒールでぐりぐりと踏みにじりたい程。


「……ですか?」

 隣でクライス・リフ・フレイマがしきりに語りかけてくるが、今のコリンにはどんな轟音であろうと拾い上げることは困難であったことだろう。

 ただただ、大事なのは――裾を踏むべからず。

踏むならばリアンの足のみ。


 とんっと階段の最後の段差に足をおろし、コリンは内心でほっと息をついた。

「コリンさん?」

「――何か?」

 やっとしっかりとした地面に降り立った途端、相手が何事か問いかけていることに気づいたコリンは、下げていた視線をあげてクライスを見返した。

――テーラーでは「可愛らしい」と評判の良かった猫面が邪魔くさいが、ここではそれを取ることは禁じられている。

 貴族とはなんと阿呆らしい遊びに興じるのだろうか。

無駄なことを嫌うコリンにとって、これもまた無駄なものだ。いや……利益さえ出るのであればいくらでも考えるが、今の自分の状態が利益をもたらすとは到底考えられない。


「緊張されているのですか? 大丈夫――ここでは誰も貴女がだれかなん気づかないし、詮索もしない。少しくらい恥じをかいたところで、気にすることもありませんよ。それに、私も一緒です。どうぞ雰囲気を楽しんで」

 緊張などしていない。

ただただ、歩きづらいだけだ。

だがその為に硬くなる体に、クライスは労わる声音で囁いた。

「私も気が利かないな。叔父君もお誘いすれば、きっと貴女ももっとゆったりとした気持ちで楽しめただろうに」

 通りかかりの給仕係からシャンパンの入ったグラスを受取り、一つをコリンへと手渡しながら向けられる言葉に――コリンはすっと半眼を伏せた。


「遅れましたが、叔父に素敵な贈り物をありがとうございました」

「本来でしたら貴女に贈り物をしたいのですが……まだ話しが整っていない頃合に贈り物をするのは不調法らしいですから」

 苦笑をこぼす青年に、貴族の社会とはまた色々と面倒なしきたりがあるものだとコリンはうなずいた。

 愛人に贈り物をするぶんには構わない。

だが、結婚の確定していない女性を相手に気安く贈り物をすることは許されてはいない。相手にも自分にも不利益――憶測や噂――をもたらすのだと。

 貴族、いや……この場合は男というべきだろうか。

なんと不可解ないきものか。

「叔父君は喜んでいただけましたでしょうか」

「はい」

 まったく。全然。ちっとも。

――だが、ウイセラにとってそうであろうと、その贈り物はコリンにとっては最上。

コリンは口元にうっすらと僅かな笑みを浮かべてみせた。

まさにとってつけたような、作り物めいた笑みを。


「叔父君はたいそうな銃のコレクターだと聞いております。一度拝見させていただけるといいのですが」

「叔父が銃のコレクターだと、どちらにお聞きになられました?」

 コリンは淡々と問いかけたが、相手はさらりと応えた。

「サロンの客で知らぬ者はいませんよ」


――ですが、貴方はサロンの客ではない。

 叔父の持つサロンに出入りする為には、権利を購入する必要がある。上客の同伴があるのであれば会員証は必要とされないが、それだとて素性は調べられる。現在までにクライスがサロンに出入りした記録は残されてはいないのだ。

 おかしなもので、値段が高い程貴族達は競い合ってその権利を求めるが、この婚約者殿にはその権利を手にいれるだけのコネも財力も無い。そもそも……カロウス・セアンとウイセラとを繋げたのは誰であろう。

 コリンの父親であるセヴァランが教えたのではないかと考えていたコリンだが、相手の発言を耳にいれ、この時点でその考えはうち捨てた。


「フレイマ様は銃に造詣が?」

「女性にはあまりつまらない話しでしたね。それに……恥ずかしながら、あまり詳しい訳ではありません。お贈りした銃も、実はうちの屋根裏に放置されていたもので、こちらが持つよりもとお贈りしただけなのです」

 そう、銃に詳しいのであればフロントロックソードを手放すとは思わない。握りの銀の細工も蔦の飾りも見事な一品だ。

 その価値が判っていれば、決して屋根裏などに放置もすまい。

コリンはゆっくりとシャンパンのグラスに口をつけ、こくりと喉へと流し込むと――激しくむせた。

「コリンさん?」

「失礼致しました」

 炭酸のきつさとアルコール度数の高さとがコリンの喉を刺激し、コリンは口元を軽く押さえ、クライス・リフ・フレイマは慌ててコリンの手からグラスを受け取った。

「コリンさんでもそんな失敗をなさるんですね」

 クライスが口元に笑みを浮かべることに――コリンは口元を引き締めた。

腹立たしさがじわりと広がる。

「化粧室に参ります。こちらにいていただけますか?」

「ご一緒いたします。はぐれたら……いえ。不躾ですね。

こちらに戻られたらすぐに声をかけますから、安心してください。

後ほど、一曲お願いできますね?」

私はあちらの隅でお待ちしていますからと続け、クライスは胸にあるハンカチをコリンへと差し出し、コリンはそれを軽く手に握りこみ、するりと身を翻した。


 果たして、あの男の目当てのものがヴィスヴァイヤであるのか、カロウス・セアンであるのか、コリンであるのか――生憎と「コリン」という案にコリンは納得ができない。たかが女一人を欲しがる男など無能としか言いようが無い。

 何よりこれは結婚だ。

男だの女だのは関係が無い。

結婚に必要なのはお互いの利益のみ。


 あちらが欲しいのはヴィスヴァイヤの財産、コネクション――それとも、カロウス・セアンが持つ隣国のつながりか。

 どちらにしろ、それらを求めるのは構わない。

そう。

それに値する男であるのならば。それを使いこなせるだけの男であるならば。


 クライス・リフ・フレイマはそれに値する男だろうか。

物思いにふけっていた為か、自分の前に人がいることに気づかなかったコリンは、あやうくぶつかりそうになる程相手に近付き、その影を感じて慌てて歩調を緩めた。

「ああ、失礼しました」

 どこか面白そうな声音に視線をあげると、垂れ目の仮面という道化師姿の男が口元を緩めて大仰に一礼した。

「情熱的に腕に飛び込んでくれるかなと期待しましたが、まあいい。

一曲お付き合い願いますよ、かわいい子猫」


――かわいい子猫。

 なんと頭の悪そうな。 

コリンはすっと眼差しを細め、冷ややかな口調で「失礼致します」とその脇を抜けようとしたが、相手は手馴れた様子で行き手を塞ぎ、コリンの白手に包まれた指先をすくいあげた。

「照れている君はとてもかわいいね」

「それはようございました。ですが照れてはおりませんし、ダンスを踊る予定もございません」

 いつも通りの淡々とした口調で拒絶すると、まるきり遠慮がちな声で「あのー」と割って入る声があり、道化師は不快そうに眼差しをきつくした。


「男と女のことに割ってはいるとは、スマートじゃない」

「でも、彼女は嫌がってますから……ですよね? あの、コリンさん?」


 おどおどと気の弱そうな青年の言葉に、コリンはあきれ果てながらも応じた。

無理やり二人の間に割って入りながら、それでも行き先を間違った子供のようにたたずむ相手。


「あなたはこんな場でも白衣ですのね」


――そう冷ややかに言いながら、コリンは苦いものを感じていた。

ゴミ屑に捨ててしまった筈だというのに、なぜ……またそこにある(・・)のだろう。

 なぜ、当人から告げられた訳でもないフレリックという名前すら忘れていないのだろう。


コリンは自らに呆れて、ふわりと――微笑が漏れることに気づいていなかった。


愚かな人間は好きでは無い。

でもきっと……愚か過ぎると何かが突き抜けてしまうのだ。


***


「やぁ、少しいいかな」

 アルファレスは気安い口調で語りかけ、手にしていたグラスを友好の印とするように軽く掲げて見せた。

 コリン・クローバイエをエスコートしてきたということは、この面前の青年がクライス・リフ・フレイマ。

 淡い栗毛の青年は不快そうに一度眉間に皺を寄せはしたものの、口元に媚びるような笑みを浮かべてみせた。

「何か?」

「先ほどのご令嬢はどなたか聞いても?」

「こんな場で相手を詮索するものではないでしょう?」

 判りきったことを返され、アルファレスは肩をすくめた。

「じゃあ質問を変えよう――あとでダンスに誘っても構わないよね?」

 クライス・リフ・フレイマ。

アリーナ・フェイバルの恋人――いや、元、恋人。

 コリン・クローバイエという金のなる木をちらつかされ、自らの子を孕んだ女を捨てた男。否――そのつもりはないのかもしれない。この男は、アリーナを愛人にするつもりなのだと彼女は言っていた。

 別れたなどと思ってやいないのか。


 クライスはしばらくじっとアルファレスの仮面の奥の瞳を眺め、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「それは彼女にお尋ねになればいい」

ご自由に。


 そう告げる男の様子に、アルファレスは苦笑しグラスに口をつけた。

先ほどまで、まるで恋する男のようにコリン・クローバイエの手を引いていた男だというのに、今はまるきり気嫌いする女を語るように示す。

 イヤイヤ結婚の道を踏まされたというのは事実ということか。

「ヘタに手出しをして、夜明けの決闘などイヤだろう?」

からかうように言えば、クライスはアルファレスの軽口が気に入ったかのように苦笑した。


「あの女性の為に命などかけはしないよ」


ご苦労なことだ。

――アリーナ、キミの愛した男を、どうやらぼくは好きになれそうにない。


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