その6
古ぼけた安い新聞紙に踊るのは文字だけで、写真ではなくイラストが添えられている。
雇い入れた事務代行が書き記した報告書は十枚に満たず、添えられた新聞の方が分厚い程だ。
コリン・クローバイエが一度目に誘拐されたのは七つだか八つの頃合で、彼女は親の仕事について王宮へと参じていた。
そして――そこで誘拐される。
皇女シルフォニアの身代わりとして。
書き記されているのは英断だ。
誘拐犯が連れ去ろうとしたのは、皇女であったが、咄嗟にその場にいた者が皇女と偽ってコリン・クローバイエを差し出した――その行動を咎める者は誰一人いなかった。何故なら、そうしたのがコリン・クローバイエの実の母親であったから。
この母親はこの時の騒動で死亡している。
無機質な文字の羅列を視線で追いかけながら、アルファレスは皮肉に口元を緩めた。
この時の事件により、ヴィスヴァイヤは莫大な慰謝料――報奨金を得ている。なんとも商人らしい逞しさか。
それについては激しい批判が出たようだが、王宮側もヴィスヴァイヤもそのことについてコメントは残していない。
二度目の誘拐に至って、二週間近く新聞をにぎわせることになった。
ヴィスヴァイヤ自身が娘の捜索に関わることは無く、沈黙を守った為だ。誘拐されたという事実すら否定していたが、新聞記者によって面白おかしく書き立てられていた。
――だが事件は警察によって公の場へと引き出される。
貧困層が暮らすアパートで銃弾が響き、その場に警察が駆けつけると一人の女が死亡し、そして二人の子供達が発見される。
一人はコリン・クローバイエ――やはり誘拐されていたのは事実であったと新聞記者達は喜び勇んで記事に記したが、その後、コリン・クローバイエについてはその時の怪我が元で寝たきりの生活を強いられた――もしくは、死亡したと書かれている。
ヴィスヴァイヤ側は二度目の誘拐のことも、そして娘のことも以来沈黙を守り続けていた。
ヴィスヴァイヤにとってコリン・クローバイエは面倒事ばかりを起こす疫病神だと書き記す新聞記者もいた程だ。
「そして今……その娘は一人の男が欲しいと父親にねだる」
言葉にしながら更に眉間に皺がよった。
厄介ごとである娘の頼みを、ヴィスヴァイヤが親馬鹿のように諸手をあげて推し進めるかといえば、違和感が拭えない。
厄介ごとだと思っているのは間違いは無いだろう。
屋敷から近いとは言え、大事な娘をたった一人小さなコテージに追いやって、まるでそのへんの花売りでもしていそうな街娘のような生活をさせている。
護衛をつけている様子もなければ付添い人すら存在していない。
事務代理の報告によれば、コテージには確かに使用人の姿が見られるが、それも必要最低限の僅かな者だという。
普段街を歩く時のコリン・クローバイエの服装も地味なもので、良家の子女とは到底思われない。まさにうち捨てられた忘れ去られた娘のようだと事務代理は軽く首を振っていた。
その娘が恋をした。
父親にその男が欲しいとねだった時に、果たして父親はそれまで放置していた娘を引っ張り出してこの婚姻を強引に推し進めることにしたのだろうか。
「まったく無駄なことをした」
もう二度と目を通すこともないだろう報告書を、アルファレスはそのまま暖炉の中に放り込んだ。
遊戯には本気で取り組む主義だ。
そうでなければ面白くはない。
だが――余計な情報があったところで無駄でしかなかった。
何も考える必要など無い。
コリン・クローバイエと男爵令息――クライス・リフ・フレイマの縁談を破談させればいいだけだ。
それで、アリーナ・フェイバルの涙が少しでも乾くのであれば。
紙の束がぶわりと暖炉の火の中で踊るようにその姿を消していくのを眺めていたアルファレスの耳に、重厚な扉のノック音が響いた。
「アルファレス様、お呼びですか?」
おどおどとしたフレリックの声に、アルファレスはしかめていた顔をいつも通りの笑みに変え、小首をかしげるようにして応えた。
「やあ、フレリック。キミ、白衣以外の衣装を持っているかな?
まぁ、別に白衣に仮面っていうスタイルも悪くはないけど――ああ、それに白衣のほうがあちらさんには気づいてもらえるかな」
一方的な台詞にフレリックは目を白黒させ「はぁ?」と曖昧な言葉を落とした。
「遊びに行こう」
コリン・クローバイエは……あの感情の見えにくい娘は、涙を流したりするのだろうか。
***
重厚な箱から取り出されたのは、銀の刀身に木製の握りを持つ奇妙な形の剣だった。
銀造された部分には恐ろしく細かい細工が入れられ、握りには湾曲した蔓が優美に添えられている。
磨き上げられたその姿は、まさに一級品の美術品のようにビロードの台座に納められていた。
「まぁ……」
コリンはそれを見つめると感嘆の声をあげたが、その横で覗き込んでいたウイセラは馬鹿にするように鼻先で笑った。
「剣? まったくどうしたんだろうね。コリンが好きなのは銃だというのに」
その銃のコレクションを増やし続けたウイセラは「こんなものでコリンに媚を売るなんて」と肩をすくめたが、コリンはテーブルの上の白手に手を伸ばしながら、淡々とした口調で言った。
「銃です――フロントロックソードと呼ばれる銃と剣の機能を併せ持つ、れっきとした銃です。火打ち式の単発銃で、銃としては一度使ってしまえば次の装填が難しい為に剣としての機能を備えたのです」
白手に包まれた手でうやうやしく長剣を掲げ、その重さにコリンは口元を緩めた。銃剣のまさに初期型――今のように銃を主体としているのではなく、逆に剣を主体としている美しい武器だ。
「とても素晴らしい品ですわ」
「まったく! 姿が見えないというのに邪魔くさい」
ふんっと鼻を鳴らしたウイセラに、コリンは小首をかしげた。
「違います。叔父様はどうして話しを聞いておりませんの? この銃はわたくしに贈られたものではありません――とても残念なことですが、これは叔父様充てです」
「は? まさか!
あの悪魔はまさかオレ相手に媚を売ってるつもりじゃないだろうな? 気色悪い」
完全に話しを聞いていなかったらしいウイセラの言葉に、コリンは軽く半眼を伏せて言葉を続けた。
「これはわたくしの婚約者候補であるクライス・リフ・フレイマ様から叔父様への贈り物です。不審な点が多くありましたので、申し訳ありませんが先に添えられていた手紙と中身については調べさせました」
言いながら視線だけで女中に命じると、女中は心得た様子でうやうやしくウイセラに手紙を差し出した。
時節の挨拶とありがちな口上が並び、やがて記されている内容と言えば――確かにウイセラ、いや――カロウス・セアンへと向けた文面。
銃をコレクションしているという貴方様には珍しくはないものと存じますが。よろしければコレクションの末席にお加え下さい。
「つまり、オレが銃のコレクターだと知ったこの坊ちゃんが、コレをオレに?」
「叔父様が銃を集めているという誤った情報は、確かに存在いたしますから……勘違いなさったのかもしれませんね」
勿論、それは間違った情報だ。
確かにウイセラは仕事で出かける先々で珍しい銃を求めている。だがそれは、彼自身のコレクションではなく、彼の姪へと贈られているものだ。
「……気持ちが悪いな」
ウイセラはぼそりと呟いたが、その腕にフロントロックソードを抱くコリンはウイセラの眉間の皺など完全に無視していた。現在のコリンにとって興味があるのはただ一つ。
「叔父様」
「なんだい?」
「この銃はどうなさるおつもりでしょう?」
そっと指先でその刀身をなでるコリンは上目遣いにウイセラを見つめた。
「そんなに珍しい銃なのかい?」
「書物で拝見しかしておりません――しかもこれはロングソードです。ショートソードの存在しか知りませんでしたけれど……記載されている刀身よりもはるかに長い」
「じゃあ、さぞ高く売れるだろうな」
ウイセラはにんまりと口元を歪め、くつくつと肩を揺らしながらゆったりと椅子に座りなおした。
指先を自らの頬に沿わせ、小首をかしげて愛しい姪へと囁いた。
「この間の土産のドレス、アレを着てくれたら諸手をあげてその銃を贈ってあげるんだけどなぁ」
にまにまと口元を緩めたウイセラをじっと見つめ、コリンは冷ややかに答えた。
「では、叔父様のお望み通り今夜の仮面舞踏会で着てさしあげましょうか」
「嘘です。あんなドレスで外に行くなんて絶対に駄目だよ、コリン! いくら何でもありえないっ。あんなモノで人前に立つなんて、叔父さん許さないよっ」
――なら贈らないで下さい。
更に冷ややかさの増すコリンの眼差しに、ウイセラは焦りながら言葉を続けた。
「だから、ああいうのは脱がすのが楽しいんだよって、いや、違うっ」
「変態は窓から飛び降りると完治なさるかもしれませんね。
生憎と我が家は三階建てなので、少し物足りないかもしれませんが」
「いやっ、あの。だから――違うんだよー、ただ純粋にコリンに似合うかなって」
「――」
「判った。オレが着てあげてもいい。だからそういう冷ややかな目はやめさい」
一人で慌てているウイセラを無視し、コリンは腕の中のフロントロックソードをうやうやしくビロードの台座へと戻した。
「これで一つ判ったことがあります」
「え、何が?」
「――わたくしの婚約者殿は、叔父様がカロウス・セアンだともとよりご存知だということです。たいへん興味深いことですね」
決して吹聴している事柄では無いが、本格的に調べようとすれば確かに調べることができるだろう。
秘密など暴かれる為に存在する。
――だが、何故、そんなことを知るに至るのか。
コリンを娶る為にわざわざコリンの身辺を調べ上げたのか、それとも。
「鶏が卵を産むのが先か、卵が鶏になるのが先か。もしかしたら……あの方の思惟はとても面白いのかもしれませんわ」
コリンの口元が緩むのを眺め、ウイセラは眉間に皺を寄せて肩をすくめ――救い難いとでもいうように首を振った。
「どう考えても蛇の相手はして欲しくないんだが」
「ただの蛇ではなく、毒蛇のほうがいろいろと役にたちますのよ」
コリンはゆっくりとした動作で銃剣の収められた箱を閉ざした。