その1
「楽しそうだね」
ウイセラは銃を手にうっとりと口元を緩める姪の姿に苦笑し、ゆったりとした足取りで室内へと入り込んだ。
「楽しいですわ」
――もう三つ目の銃を磨いた。
腹部に沈殿する物悲しいような気持ちは、もうどこかにいってしまった筈だ。
「そんな顔をされると、また新しい銃を貢ぎたくなる」
「歓迎いたします」
淡々と返される言葉に熱は無い。
――子供の頃には確かに無邪気な表情をすることもあったこの娘から、心からの笑顔が消えたのは、二度の誘拐という忌まわしいものが残した爪あとだった。
一度目は母親を失い、そして二度目には笑顔を失った愛しい娘。
「……可愛いね、君は」
そっと頬を指先でなぞり苦笑すると、ウイセラは多少乱暴に椅子に座った。
「彼はうちには出入りしてないね」
「さようですか」
突然の言葉だがすぐに理解した。彼とはクライス・フレイマに違いない。そしてうち、というのはウイセラがカロウス・セアンという別名を名乗って経営しているいる高級サロンのことである。
「だが彼はオレを知っていた。まったく不可解だ」
「キドニカの叔父様をご存知なのかもしれません。その確立は随分と低いですが――サロンの名簿を見せていただいて構いませんか?」
「コリン」
ウイセラは喉を鳴らし、
「それはオレの隠し玉だ。さすがに開示したくないな。君はオレにどんな見返りをくれる?」
「見返りが必要ですか?」
ひたりとコリンがウイセラへと視線を当てる。
翡翠の眼差しをただ静かに向けられ、ウイセラは言葉を詰まらせた。
「私は命じるだけです。ウイセラ――」
「……まったく、女王様には適わないよ」
やれやれと肩をすくめ、ウイセラは軽く指を打ち鳴らした。それを合図に室内に入室したのは彼の片腕のニッケル――ウイセラの腹心の部下は、コリンの前で淡い微笑をたたえてから視線を自分の上司へと向けた。
持っていた冊子をうやうやしく一礼して差出し、それを受け取ったウイセラはコリンの前へと差し向けた。
「どうぞ」
「……」
「君が言いたいことくらいは理解しているよ。我が女王よ」
片方の瞳をつむってみせる叔父を一瞥し、コリンは微笑んだ。ほんの少しだけ口角をあげるだけの笑み。ウイセラにはそれだけで十分だった。
「今のところ、この結婚についての見解は?」
「そうですね」
コリンはぱらぱらと名簿を流し見しながら口にした。
「この婚姻は問題なく進むでしょう」
「……君の勝利を願っているよ」
「もちろんです」
轟然と言い放つ愛しい姪に肩をすくめると、丁度部屋の扉がノックされ――家人が一人頭をぺこりと下げて銀のトレーを示した。
「コリンさん、お手紙が届いてございます」
「そう、ありがとう」
幾つか重ねられた封書の一番上のものをウイセラは取り上げ、鼻を鳴らした。
「馬鹿犬からの定期連絡か」
「くどいです。リアンのことを悪し様に言うつもりでしたらどうぞ出て行って下さいませ」
相手の手から封書を引き抜き、中身を確認してコリンは眉を顰めた。
「どうしたね」
「……帰還が遅れるかもしれないと」
「そうか。喜ばしい限りだね」
言いながら、ウイセラは他の封書に手を止め、眉を顰めた。
「何か?」
「キミの婚約者殿はまったく訳がわからないね。
よりにもよって仮面舞踏会の招待状だってさ」
***
「男を誘惑しては駄目なの?」
姉の言葉にアルファレスは吐息を落とした。
「それは駄目」
「つまらないわ」
「言ったでしょう? 男爵家の次男に手は出さないで――あくまでも強欲娘がこの婚姻を取りやめるように誘導してくれないと」
肩をすくめて苦笑するアルファレスに、フレリックは軽く手をあげた。
「コリンさんは、そんなに悪い人じゃ、なさそうだよ」
「おや、君はもしかしてあちらに陥落された? 容易いなぁ」
「そんなことはないけど」
クッと喉を鳴らし、アルファレスは意地悪く唇を引き結んだ。
「この間のデートはなかなか見ものだったよ? まるで彼女は君に夢中って感じに笑っていたじゃないか」
公園で待ち合わせしていることは、当然アルファレスに告げていた。その場を見ていたと言うアルファレスに、フレリックは視線を剃らした。
「そんなことはないよ」
「それとも、彼女は誰に対してもあんな感じなのかな。男好き?」
「アルファレス様。ぼくは……断られてますから」
苦い気持ちで言う言葉と同時、突然あの時――噴水の淵に座って飲まされた茶の味を思い出し、フレリックは更に顔を顰めた。
あれはいったい何だったのだろうか。
一口飲み込むことすらできずに、思い切り吐き出してしまった。あの後で貰ったサンドウィッチは見た目美しく実に美味しそうだったが、結局自分で食べるのを躊躇している間にエイシェルとアルファレスに食べられてしまった。
フレリックの躊躇に反し、とても美味しかったようだったのがまた悲しい。
「なんだい、なさけないね。やれやれ、フレリックは脱落かな? けど、ぼくはまだこの遊戯からおりてないよ」
「でもっ、あのっ、ぼくだって、まだ何か手があるかもしれませんし」
咄嗟に、コリンの為に声を張り上げると、一同の視線が面白そうに向けられた。
フレリックの師でありリファリアなども興味深そうに瞳を細める。
「がんばるじゃないか。いいんだよ? 本気で落として。相手はヴィスバイヤの令嬢だ。婿入りは無理でも嫁にもらえば相当額の持参金が手に入るだろうね」
「そういうんじゃなくて。あの、アルファレス様、どうして熱心なんです?」
熱心、というか――何故、そんなに相手を毛嫌いしているのかフレリックには理解できなかった。
おそるおそる尋ねる言葉に、アルファレスは小さく笑う。
「金で爵位が買えると思っている下賎な商人など腹立たしい限りだね。
怒ってもいいと思わない?」
その言葉に、クロレアがにんまりと笑った。
「あら、もしかしてその下賎な商人の娘に、私達のアルファレスはこっぴどく振られてしまったのではない? 女なんてよりどりみどりのハンサムさんは自尊心が傷つけられた?」
自分の言葉に、さも可笑しそうに笑いを高める姉を一瞥し、アルファレスは肩をすくめた。
「どのようにとってもらってもいいよ。仮にそうでもいい――どちらにしろ、ぼくが望むのはその女の破滅さ」
「あらこわい」
長女は手入れのされた赤い爪を唇に押し当て、にんまりと微笑んだ。
「では、その可愛そうな娘の醜聞でもさぐってみようかしら。綺麗な顔をして幾人も男をくわえんでいるなんてよくある話でしょ? 男爵家に嫁ぐには下劣な女なんてありがち」
長女の言葉に、末の妹であるエイシェルが笑いを堪えた。
醜聞が激しいのはその長女こそだと言い掛けたのだが、肩をすくめるようにして言葉は収めた。
「さぁ、誰でもいい。
ぼくは短気なほうではないけれど、早いにこしたことはない。遊戯に時間をかけて楽しいのは女性を落とす時だけさ。さっさとこの縁談を破談させてくれ」
アルファレスは軽く手を打ち鳴らし、遊戯の主催らしく一同の顔を見回した。
「ああ、醜聞と言えば――ねぇ、アルファレス。
あんたってば実はヘマしてないわよね?」
ふいに、クロレアは意地の悪い微笑を浮かべて小首をかしげてみせた。
「ヘマ?」
片眉を跳ね上げて先を促すアルファレスに、クロレアは愉快そうに笑った。
「アリーナよ。アリーナ・フェイバル。以前はお隣に住んでいた。
あの子ってば未婚の癖して誰かの子供を身ごもったそうよ? 果てにはその誰かに捨てられて川に身を投げようとしたんですって。
まさか、その父親ってあんたじゃないわよね? まぁ、あんたがそんなヘマをする筈ないわね。まったくアリーナってば昔から馬鹿よね」
賛同を得ようとしたであろうクロレアの言葉に、アルファレスはすっとその眼差しを細めた。
一人笑うクロレアを辛辣に眺め、口元に笑みを浮かべる。
リファリアとエイシェルはお互い肩をすくめて救い難いというように視線をあわせた。
「ああ、アリーナは昔から愚かだ。でも姉さん程ではないよ」
淡々と言うと、アルファレスは冷たく言い放った。
「クロレア、あなたの部屋は片付けさせる。好きな場所に行けばいい。なんならいい男を紹介するよ。持参金をたっぷりつけて差し出してあげるよ。すでに奥方を2人も死なせた好色ジジイが世の中にはいる」
「ちょっ、アルファレス? 何よそれっ」
「アリーナは私の友人だ。貴女が男であれば兄弟といえども決闘を申し込む。
そうしないだけありがたくおもいなよ」
――噴水でフレリックの隣に座り、彼女はふわりと微笑んでいた。
幾度か観察していたが、他人を見下すような微笑しか浮かべていなかった冷ややかな女が、口元をほころばせたのだ。
綺麗な綺麗な、まるで無垢なその微笑に、アルファレスは自分の中で疼く憎しみに拳を握り締めた。
その笑顔を引き裂いて、絶望にゆがませてやりたい。
アリーナから幸せな未来を奪った罪は、決して軽いものではないのだから。




