その1
ウイセラが帰還したのは砂漠のサディラ国を巡り、二度の満月を体験したあとのこと。
決して豪華とは言えない貿易船と、それを守る為の護衛船二隻という小船団を従えてのことだ。
巨大な錨を一息に海底に沈め、船の甲板から幾つものロープがおろされる。それを水夫があわただしくあやつり、主船は緩い振動と共に接岸した。
それと同時に俄かに港は活気付く。船の積荷を一息におろしていく。
本来であればそれと同時に積荷を載せる作業があるのだが、船の主はここで休暇を楽しむ予定を組んでいた為、積荷の代わりに船に乗り込んだのは船の点検の為の船大工達だった。
「お帰りなさいませ」
港に停泊した船を出迎えたのは、ヴィスバイヤ貿易の顔役であるドゥマーニだった。
ドゥマーニは桟橋を歩いてくるウイセラの姿に一瞬微妙な顔をしたが、さすがに一瞬だけのこと、すぐに丁寧に頭を垂れて上役でありヴィスバイヤの副長を迎え入れた。
半年の間この地を離れていた男との対面だが、相手は少しも変わっていないことにドゥマーニは瞬時に気付いていた。
いや、おそらくドゥマーニ以外の全てのものが否が応にも。
ウイセラはやけににこやかな笑みを浮かべ、ドゥマーニから差し出された手をがしりと掴んで引き寄せ、その肩を陽気に二回叩いて友好を示す。
相手にとって随分とはた迷惑な程の友好だが。
「やぁ、ドゥマーニ!
相変わらずてかてかと健康そうで美味しそうだね! 君を見るとスパイスの利かせた鳥の丸焼きにかぶりつきたくなるよ!」
――それは褒め言葉だろうか?
ドゥマーニの背後で控えていた部下達が引きつるが、ウイセラは少しも頓着する様子はない。
「絞めたての鳥をあとで館にお届けいたしましょう」
ドゥマーニが口元を引きつらせて声を絞り出せば、相手は実に嬉しそうにうなずいてみせる。
「うんうん。どうせ我が奥方殿は自宅にいないだろう? 是非とも鳥はクローバイエの屋敷に届けてくれたまえ。あ、でも絞めたてよりはきっちり血抜きの済んだものにしてくれたまえよ。羽根もむしってあるなら腕によりを掛けてオレがクリスコをたっぷりと塗りたくってあげよう」
「……」
「ふふふ、ふにふにのあの鳥皮にクリスコを塗りたくるあの微妙な感触はなんともいえないエロスを感じるね。そう思わないかい? 愛だよ、愛。
なんといっても今日はオレの愛しい女王様と一緒に夕食をとるつもりだからね! 愛情たっぷりのオレの手料理に、女王様もきっと極上の笑みを浮かべてくれるだろう」
ウイセラはやけに陽気に言う。
この男がその陽気さをかなぐり捨てるのは親族の前だけと決まっていた。
たとえ自らに敵意を向けるものがいたとしても、その口元に張り付いた微笑をとることはないだろう。
ウイセラの一種独特のユーモアを無視し、ドゥマーニは必要な報告を口にした。
「奥方様は一月程前に一度おもどりになられましたが、その後は」
「ああ、いいよ。ハニーのすることに口出しはしないことにしているんだ」
――貿易商人であるウイセラは半年以上本土を離れていたし、また彼の妻であるアイリッサも仕事の為に自らの邸宅を離れているのは常だった。
ウイセラが最後にアイリッサを見たのは、西南にあるクロイセムという島で必然の再会を果たした頃のことだから、もう四ヶ月以上もその姿を見ていないことになるだろう。
ウイセラは簡単に挨拶を済ませると、自らの部下にあとの仕事を言いつけ、幾つかの荷物を馬車に詰め込み、ドゥマーニへと告げたクローバイエ邸へと急がせた。
それを見送ったドゥマーニが、やがてゆっくりと嘆息する。
「まったく、なんだアレは?」
ぼやいた言葉に、仕事の内容の確認の為にいたウイセラの部下であるニッケルは苦笑で応えた。
アレ、というのが何を示しているのか、ニッケルは良く判っていた。
「砂漠の盗賊が着ていた衣装です」
「盗賊!」
「砂漠の民は体にぴったりとした衣装よりもゆったりとした衣装を好みます。太陽や照り返しの大地が暑いので体と衣服との間に空気を孕む自然とああいった形のものになるようです。
頭には一枚布で作られた帽子。あれは巻いてあるだけなんですよ。面白いでしょ?」
説明しながら、ニッケルはくつくつと喉の奥を鳴らした。
まるきり自分の主がさも面白いとでも言うように。
しかしドゥマーニはぶるりと身震いした。
「そんなものを仕入れてきたわけじゃないだろうね?」
砂漠ではともかく、この地では到底売れるとは思えない。
確かに金のバイピングに細かい縁取りがあったり、鮮やかな蒼の染めであったりと目新しくて人の気は引くだろうが、大衆受けはしないだろうし、矜持の高い貴族だって――
しかし、とドゥマーニが眉を潜めたところで、ニッケルは軽快に笑った。
「いやだな、あれは買ったんじゃありませんよ」
「作ったとかいうオチかね」
ふんと鼻を鳴らしてドゥマーニが呆れ果てて眉をひそめると、ニッケルは意味ありげに殊更ゆっくりとした口調で応えた。
「いえいえ、はいだんですよ」