その4
結婚は戦いだ。
叩きつけられた挑戦状を前に、コリンの口元は柔らかくゆるんだ。
もともと表情筋が留守を決めがちなコリンだが、目標、目的さえあればその表情は素晴らしい微笑を湛える。
それはおそらく無意識に。
――この戦いをどう処理すれば良いだろうか。
相手のことを探ろうとするのはたいして難しいことではない。コリンにはそれを調べるだけのコネクションも家人も存在する。だが、果たしてそれを父は認めてくれるだろうか?
どこまでの戦力は認められるだろう。
心強い自らの右腕は生憎と今は居ない――骨董の買い付けの為に見送ったのはすでに一月も前のことで、腹心は秀麗な面に皺を寄せて「私でなければいけない理由を」と求めていた。
理由なら当然ある。
絶大なる信頼。
その眼を、頭脳を、手腕を。
その全てを認めている。
東方の古代壷の買い付けにこれほどうってつけの相手などいない。自ら行けないのだから、リアンを向かわせるのはむしろ当然のことだが、今手元にないのは打撃だ。
そして何より、リアンはこの戦争に対して良い心象を持っていない。そういう人間は時として足手まといになるものだ。
一番使いやすいカードは手元には存在しない。では、次は?
コリンは半眼を伏せ、ただ静かに思考をめぐらせた。
一手先、二手先などまるで無意味だ。求めるべくは五手先、六手先。その果てまで。相手の反応を見極めて、自分のとるべき道を突き進む。
――この婚姻には意味がある。
つまり、その意味を求めるのだ。
相手は男爵家の次男坊。
自分は富豪の娘といえどもその権利の無いただの小娘でしかない。
男爵家の次男にとって何が魅力だと感じられたのか。
――コリンが結婚してしまえば、男爵家に渡るのはせいぜいがコリンの持参金くらいのものだ。祖父が残した信託年金もあるが、こちらはコリンが三十になるまで支払いはされないようになっている。それとも、男爵家では商いについても何か求めているのだろうか?
だがそれを容易く許すようなコリンでは無いし、ウイセラも、父も、弟でさえ一切それを認めようとはしないだろう。
もし商売に口出しを許すとすれば、それはコリンに対してのみ。たとえどんな人間が夫となったところで、商売に口出しをした次点で彼等は捻り潰しに掛かるだろう。
ならば仕事は関係が無い?
いや、逆に父にとって大きな意味があるのか?
考えながら、コリンの手は中断されていた銃磨きに戻っていた。
お茶の時間は退屈だった。
実の無い会話。
――何か収穫があるとすれば、完全予約制の貴族ばかりが利用するという喫茶室を利用できたところだろう。
あの程度の店であれば別段何の問題もない。
もっとマシなものがいくらでも作れるだろう。ヴィスバイヤ貿易が本気になればあんなものから客をぶんどれる。
高級思想など阿呆らしいが、それで財布が緩むのであればいくらでもやりようがある。
貴族という人種は特別とか会員制という言葉に弱い。紳士の入り浸るサロンなどはその最たるもので、入会の為の会員権が高ければ高いほど好まれるのだから面白いものだ。
ただし、あくまでもヴィスヴァイヤは貿易会社である。食べ物を扱うにはまた違う権利が必要で、その権利を要しているのは陸運を手がけるドバイス家だ。
こんな訳の判らない中途半端な婚姻などより、むしろドバイスの息子との婚姻のほうが好ましい。三十も半ば、禿げだの小太りだのと言われている男だが、コリンに言わせれば極上の子豚の丸焼きのように魅力的で美味しそうだ。
と、コリンにとってのみの幸せな夢想の時間を潰したのは一つのノックだった。
控えていた女中が扉を開くより先に、未だに盗賊姿の叔父――ウイセラがわざと足音をさせ部屋の中に入ってきた。
そうしてばさりとテーブルの上に置いた書類に、コリンは眉間に皺を刻んだ。
「君の婚約者殿は素行が悪いかもしれないよ?」
「調べたのですか?」
「当然だろう? それより、あの腐ったセヴァランは本気かね?
こんな男と君を結婚させるつもりなのか?」
コリンは冷たく相手を睨みつけた。
まるで遊戯の最中に後ろから切る札を引き抜かれたかのような不快感だ。
コリンはテーブルの上に置かれた書類へともう一度冷たい眼差しをむけ、控えている女中の名を呼んだ。
「ミリファ」
その言葉にミリファは一礼し書類を手にすると、無造作に暖炉へとそれをくべた。
「なにをっ」
「いいのよ。叔父さまよりもミリファのほうがずっと私の心を理解してくれている」
コリンは言いながら銃の手入れへと視線を戻した。
「調べるならば私の手で調べます。
叔父さまは黙って見ているといいわ」
「コリン」
「これは私に出された課題です。それを教師が代弁なさるおつもり? 私、落第なんて無様な真似は絶対にイヤですから」
「……」
ひたりと自分へと向けられた視線を受け止め、ウイセラは大きく溜息を吐き出して額を押さえ込んだ。
「参ったな――遊びじゃないんだよ、コリン?」
「あら、遊びだなんて思っていません」
コリンは優雅に微笑んだ。
「これは戦争ですもの」
結婚をすすめるにしろ辞めるにしろ、正しい答えを導き出して提示する。
それが今の課題であり目標だ。
相手の人となりを見極める為の時間はそろそろ終わる。もっと深く相手の内情を調べるのは良いころあい。
退屈で凡庸な、極普通の男性。貴族としての矜持は低く、愛想笑いが口元に良く似合う――そして、時々瞳にかかるのは苛立ち。
一瞬で消えるその色合いだけは、確かに興味がある。
ただの石ころであれば意味など無い。
ダイヤの原石であれば磨き上げるのみ。
――それは父であるセヴァランがコリンへと叩き付けた挑戦状だ。
退屈な日々に落とされた一滴の雫。澄み渡る泉に波紋をもたらすもの。
自然と口元が緩んでいた。
「見ていらして。必ず勝利してみせます」
普段は留守がちな表情筋がそれはそれは見事な微笑を湛え、ウイセラは一旦天井を見上げた。
目標をもって突き進む彼の女王は、ひれ伏してしまいそうな程に魅力的だった。




