プロローグ
中央から西よりにある労働階級向けに作られた教会は、それでもリヒトーシェ国、王都カジェスタに造られているだけあってその存在を強固に示す立派な佇まいを見せていた。
はめられたステンドグラスは外からの光に数多の色を添えて静謐な館内を満たし、反響する司祭の言葉は静かに頭を垂れる信徒達の上を流れる。
幾つも並んだ長椅子に、そこだけはっきりと浮き立つように目立つのは一人の青年だった。
淡い金髪は猫毛なのか多少の癖を持ち、座っていてもその姿勢のよさと育ちの良さがにじみ出る。
今背を向けていてその顔を見ることは適わないが、その面立ちについては良く知っていた。
切れ長の瞳に、長くけぶる睫毛。薄い唇はいつなんどきでも笑みを称え、その淡い翠の瞳は柔らかく女性を見つめる。自分の容貌がどれほど女性の注目を集めるのか全て承知し、立ち居振舞うことのできる男。
近くに座っている若い娘達が、ちらちらと気にしてはその青年へと視線を送っていたが、人々の関心を集める当の本人はといえばただ静かに視線を伏せて厳粛に司祭の言葉受け入れている。
まるで一葉の絵のようだといえば大げさだろうが、娘達にはそのように見えていたことだろう。
そして、アリーナ・フェイバルもまた、その一人だった。
ただしアリーナの視線は彼女達の純朴そうな照れを含むものでは無い。
ただ静かに、自らの席の幾つか前にいる青年の頭を見つめる。
――アルファレス。
何故、今、このときに彼を見つけたのだろう。
アリーナは神様を信じてなどいない。
今日、こうして教会を訪れたのはむしろ恨み言をぶつける為だ。誰かに聴いてもらいたく、ただ腹のうちにある悲しい憤りをぶつける為だけに、訪れた。
貴族達が好んで訪れる中央の教会を外したのも、むしろ誰一人として知り合いになど会いたくないという気持ちだった。
懺悔室で粛々と、言葉を吐露してそうして全てを清算してしまうつもりであったのだから。
けれど、神はいたのだろうか?
アリーナはただじっとアルファレスを見つめた。
自分の腹部に置かれたレースの手袋に包まれた手をすっと見つめ、腹のうちにどす黒いものを吐くようにゆっくりと呼気を落とす。
司祭が最後の祈りを口にし――その場の緊張の糸のようなものが途切れた。
アルファレスは席を立ち、自分の周りにいた女性に柔らかな微笑みと共に声をかけて席を離れる。
そして、まるで冗談のようにくるりと振り返った。
ぴたりとアリーナと視線が合う。
まるきり予想していたかのように、身じろぎもせずに優雅にアルファレスは微笑んで見せた。
「やぁ、レディ・フェイバル」
「……ごきげんよう、アルファレス」
アルファレスは作り物めいた微笑を湛え、手の中の帽子をくるりと回した。
とんっと胸に帽子を当てて、小首をかしげる。
じっとその翠の眼差しがアリーナを見つめる様は、物慣れぬ女性ならばうっとりと見ほれてしまうだろう。
まるでアリーナの全てを覗き見るように。澄み渡った湖畔の色彩がアリーナの瞳を見つめる。真実恋焦がれる相手を見つめるかのように。
「外に出ようか?」
「アル……」
「ぼくに話しがあるんだろう?」
それはただの偶然でしかない。
アリーナはそこにアルファレスがいるなどと考えもしなかった。
けれど、アルファレスがそう告げれば、唇はすぐに応えをのせていた。
「ええ」
自分はきっと彼に会いにきたのだ。
もとより神など必要がなかった。
言葉にしながら胸の奥深い場所、もう忘れてしまいそうな過去にあった何かが、つきりと傷んだ。
「なら、外に出ないと」
なにせ、
「神様が憤慨するような話し、こんなところでするものじゃないよ」
まるでアリーナの心を全て見透かすように、アルファレスは肩をすくめた。
それを受けてアリーナは一瞬だけ、昔――アルファレスと子犬のようにじゃれていた無邪気であった子供の頃のように瞳を瞬いた。
それはほんの一瞬。
大気に溶けるようにして消え去り、そしてアリーナはまったく違う微笑を落とした。
過去と、そして何か別のものとの決別を示すような――それは儚い微笑みを。