表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

潮球

潮球 -退屈な海-

作者: カミツキ
掲載日:2026/06/17

瀬戸内の架空競技「潮球ちょうきゅう」を題材にした、読み切り番外編です。


連載作『潮球』の世界を共有していますが、本編未読でも単体でお楽しみいただけます。

勝っているのに、宮内瀬那みやうち せなの足は遅くなった。


 潮核ちょうかくは、すぐそこにあった。

 オレンジ色の球が、水面の下でゆっくり揺れている。


 相手の選手が先に手を伸ばす。

 遅い。

 泳ぎ出す角度も、潮核へ入る深さも、全部見えていた。


 宮内は一拍遅れて水を蹴った。


 それでも間に合った。


 潮核を拾う。

 胸元のゼッケンが赤く光る。


 持っている間だけ、光る。

 相手の手は、その光へ伸びてくる。


 三秒触られたら、潮核を落とす。

 その前に、相手のゴールゾーンへ沈める。


 潮核は四つある。投げることはできない。

 水に置く。

 流れた先で、誰かが拾う。


 一秒。


 宮内は潮核を横へ流した。


 深くない。

 浅くもない。


 ただ、通る場所へ置いただけだった。


 河島が受け取る。

 赤いゼッケンが水中で揺れる。

 ゴールゾーンへ沈める。


 ブザー。


 スコアがまた動いた。


 宮島高校が勝っている。


 地区大会、三戦目。

 会場は穏やかな海だった。


 序盤、宮内の足は先に沈んだ。

 潮がまだ動いていた。

 潮核も走った。

 相手の守りの隙間が、水の中に何本も開いていた。


 でも、後半になって潮が落ちた。


 水が平たくなった。

 泡が遅くなった。

 背中を押してくるものが消えた。


 宮内は水面に顔を出した。

 息は荒れていない。


 相手が一点返した。


 その次も、宮内の前で潮核が流れた。

 拾える。

 拾えた。


 けれど、体が先に沈まない。


 三秒タッチの手が近づく。

 二秒目で、宮内は潮核を手放した。


 流した先に、河島はいなかった。


 相手の手が先に触れる。

 青いゼッケンが光る。


 ブザー。


 また一点。


 岸の方が、ざわついた。


 河島が水面に上がって、宮内の方へ顔を向けた。

 ゴーグル越しでも、眉が寄っているのが分かった。


 試合終了の笛が鳴った。


 スコア:宮島 5-安佐南 4


 勝った。


 でも、最後の一点差だった。


 岸に上がると、河島が隣に来た。

 ゴーグルを額に上げて、髪から水を払っている。


「またやる気なくなったん」


 宮内はタオルを受け取った。

 耳の奥に、さっきまでの水音が残っていた。


「そうじゃない」


「じゃあ何」


 河島はタオルを首にかけた。

 髪の先から、水が落ちる。


 宮内はタオルで顔を拭いた。


 海は、まだ穏やかだった。

 ブイの間に、泡がほとんど残っていない。


「別に」


「別にって顔じゃないんよ」


 河島がタオルを肩にかける。


「勝ったんじゃけ、もっと喜んだらええのに」


 宮内はスコアボードを見た。

 勝った数字が並んでいる。


 その下で、海だけが静かだった。



翌朝の宮島は、まだ観光客の声が薄かった。


 商店街のシャッターが半分だけ上がっている。

 焼きたての匂いが、通りの奥から流れてきた。

 鹿が一頭、店先の紙袋に鼻を寄せている。


「それ食べるやつじゃないけん」


 河島が手で追い払う。

 鹿は一歩だけ下がって、すぐまた紙袋へ近づいた。


「聞かんね」


「聞いたら鹿じゃないじゃろ」


 宮内はその横を通り過ぎた。


 朝、二人は島を出る。

 夕方、島へ帰る。


 フェリーの時間は、時刻表を見なくても体が覚えていた。


 桟橋へ向かう道に、海の匂いが流れている。

 鳥居の向こうに、水面が広がっていた。


 河島のスマホが震えた。


「あ」


「何」


「通知」


 潮球運営委員会のアプリだった。


 河島が画面を宮内へ向ける。


【地区大会決勝】

 宮島高校 vs 尾道おのみち高校

 会場:厳島沖

 集合時刻:13:00


 厳島いつくしま沖。


 宮内の足が止まった。


 いつもの海とは違う。

 観光客が写真を撮る海でもない。

 鳥居の向こうで、潮が曲がる場所。

 船の跡が途中で折れる場所。

 風が島に当たって、戻ってくる場所。


 そこでは、考えるより先に、体が返事をする。


 背中の奥で、水が動いた。


「怖くないん」


 河島がスマホをしまう。


「怖くない」


「尾道よ。普通に強いとこよ」


「うん」


「うん、じゃなくて」


 フェリーの案内音が鳴った。

 改札の列が動く。


 宮内は桟橋へ足を出した。

 板が、小さく鳴った。


 海から、冷たい風が来る。

 体のどこかが、先に水へ入ろうとしていた。


「今日、ポーバ寄っていこうや」


 河島の声で、足元へ意識が戻った。


「今?」


「帰り。決勝前日じゃけ」


「関係ある?」


「ある。たぶん」


 河島がまたスマホを開く。


「今月の新作なんなん?」


「えーっとねー」


 画面をスクロールする指が止まった。


「生もみじ白あんの和風もちとろフラペ・スカッシュ」


「長」


「長いけど美味しそうじゃん」


「うち、揚げ派じゃけ。いつもの揚げもみじクラッシュにする」


「えー、美味しそうなのに」


「白あんは飲むもんじゃない」


「揚げもみじは砕いて飲むもんなん?」


「砕いたら飲める」


「強引」


 フェリーが桟橋へ入ってくる。

 白い船体が、朝の水を押した。


 フェリーの波は、まっすぐ岸へ来ない。

 途中で横へ逃げる。


 厳島沖。


 明日の海が、もう足元に来ていた。



放課後、二人は商店街のポーバへ寄った。


 店内は、観光客と制服の生徒で混んでいた。

 窓際の席から、海へ向かう道が見える。

 鹿が一頭、店の外をゆっくり歩いていた。


 河島が新作のカップを持って戻ってくる。

 白あんの色と、透明なスカッシュの層が分かれていた。

 上に、もちみたいなものが乗っている。


「見て。すごくない?」


「飲む順番分からん」


「混ぜるんよ」


「全部?」


「たぶん」


 河島がストローを挿す。

 白い層が崩れて、スカッシュの泡が上がった。


 宮内の前には、揚げもみじクラッシュが置かれていた。

 茶色い粒が氷の中に混じっている。

 カップの底に、ざくざくしたものが沈んでいた。


「それ、毎回同じじゃん」


「毎回うまいんよ」


「挑戦しようや」


「明日する」


「ポーバでやってや」


 宮内はストローで底を突いた。

 砕けた揚げもみじが、氷に当たって音を立てる。


 ざく、と鳴った。


 河島が窓の外を見る。


「明日、ほんまに楽しみなん?」


「うん」


「尾道よ」


「うん」


「向島さん、速いらしいよ」


「うん」


「全然聞いてないじゃん」


 宮内はカップを持ち上げた。

 冷たい。

 底の方だけ、重い。


「厳島沖なら、たぶん楽しい」


 河島のストローが止まった。


「楽しいかどうかなんじゃ」


「うん」


「勝つかどうかじゃなくて?」


 泡が、カップの中で消えていく。


 宮内は答えなかった。

 店の外で、観光客が鹿を避けて歩いている。

 その向こうに、海の光があった。


「まあ」


 河島はカップを置いた。


「瀬那が楽しい日は、だいたい勝つけええか」


「だいたい?」


「昨日」


 宮内はストローから口を離した。


「勝ったじゃろ」


「勝ったけど、うちがしんどかった」


 河島が笑った。

 目の下に、昨日の疲れが残っていた。


「明日は、最後まで楽しいとええね」


 宮内は、揚げもみじの沈んだカップを見た。

 明日の海は、まだ見ていないのに、足元で動いていた。



決勝当日。


 厳島沖の海は、朝から動いていた。


 風が島に当たって戻る。

 船の跡が途中で折れる。

 水面の色が、場所によって違っていた。


 審判がボードを掲げる。


【本日の潮況】

 時刻:13:00

 方向:複合

 速度:秒速0.7m(強)

 特記:厳島沖特有の複合流あり

    潮目複数・位置変動

    干満切り替わり予測あり


 河島がボードを見て、肩を回した。


「特記多すぎて全然頭に入らん。たいぎい」


 宮内は海から目を離せなかった。


 泡が走っている。

 右から来た泡が、途中で沈む。

 下から上がってきた細い泡が、別の泡を横へ押す。


 水が、何本もある。


 尾道高校の五人が対岸に並んでいた。

 中央に、向島颯むこうじま はやてがいた。

 髪を一つに結んで、ゴーグルを手に持っている。


 颯の視線が、海を切っていた。


 河島が息を吐く。


「来たね」


 宮内はゴーグルを下ろした。


 足元の水が、早く入れと鳴っていた。


 笛が鳴った。


 全員が海へ入る。


 冷たさが、首まで来た。

 次の瞬間、背中を押された。


 右。

 下。

 斜め後ろ。


 流れが体に当たる。


 宮内の足が沈む。

 沈んだ先に、別の流れがあった。


 潮核が四つ、ばらばらに動いている。


 一つは水面近く。

 一つは潮目の手前。

 一つは深い層へ落ちかけている。

 一つは尾道側へ流れている。


 尾道が動いた。


 速い。


 颯が潮核へ向かう。

 泳ぎそのものが速い。

 でも、今日は水も速い。


 宮内の体が先に入った。


 潮核を拾う。

 ゼッケンが赤く光る。


 尾道の手が伸びた。

 あと三拍で届く距離。


 一掻き。


 水が背中を押す。


 二掻き。


 宮内は斜め下へ沈んだ。


 相手の手が、さっきまで宮内のいた場所を切る。

 潮核を抱えたまま、深い層へ入る。

 流れが足を持ち上げた。


 ゴールゾーンの枠が見えた。


 沈める。


 赤い光。ブザー。


 スコア:宮島 1-尾道 0


 水面に上がった河島が、息を吸いながら笑っていた。


「今日の瀬那じゃん」


「いつもじゃろ」


 宮内はまた潜った。


 次も、宮内の体は止まらなかった。


 潮核が水面近くを走る。

 颯が来る。

 角度が鋭い。


 宮内は正面から行かなかった。

 流れの下へ潜る。

 水温が変わる。

 泡が切れる。


 その下に、颯の手があった。


 宮内の胸元に、指が触れた。


 一秒。


 水の中で、颯の目が見えた。

 追ってきた目ではなかった。

 速さで、もうそこにいた。


 二秒。


 宮内は潮核を沈めようとした。

 でも、その先に颯の足が入っていた。


 深い層への出口が消える。


 三秒。


 ゼッケンの光が消えた。


 潮核が手から離れる。

 尾道の手が拾う。


 青い光。


 河島の声が水面で跳ねた。

 届かない。

 でも、怒っているのは分かった。


 胸の奥が跳ねた。

 水が、もう一段深くなった気がした。


 颯が潮核を流す。

 尾道の選手が受け取る前に、宮内の体が横から入った。


 さっき塞がれた出口とは別の水があった。


 潮核に触れる。

 赤い光。


 颯が振り返る。


 宮内は、今度は深く沈めない。

 荒れた水の中で、一番細い場所へ置く。


 河島が受け取る。

 ゴールゾーンへ沈める。


 赤い光。

 ブザー。


 スコア:宮島 2-尾道 0


 第1ピリオド終了。



インターバル。


 河島は膝に手をついていた。


「無理。速い。楽しいけど無理」


「楽しいんじゃ」


「今のは楽しい」


 河島が顔を上げる。


「でも、向島さんやばい」


 尾道側で、颯がゴーグルを直していた。

 息は乱れていない。

 こちらを見ている。


 宮内は海を見た。

 まだ動いている。

 まだ背中を押してくる。


「次も行く」


「知っとる」


 河島が水を飲む。


「今日の瀬那じゃけえね」


 

第2ピリオド。


 尾道が変わった。


 颯が、宮内ではなく潮の端を取ってきた。

 宮内が入る前の場所。

 水が曲がる一拍前。


 潮核が青く光る。


 尾道のゼッケンだった。


 宮内は追った。

 水はまだ速い。

 体もまだ動く。


 でも颯は、その速い水の上にいた。

 流れの先に、体を置いている。


 ゴールゾーンへ青い光が沈む。


 宮内の胸が跳ねた。


 水面へ上がる前に、もう次の潮核を見ていた。


 すぐ次の潮核へ行く。


 河島が横で水面を叩いていた。

 音だけが水中へ落ちてくる。


 宮内は潮核を拾う。

 颯が来る。

 速い。


 二秒目で、宮内の手が動く。

 流す。


 河島ではない。

 別の味方の前へ。


 赤い光。

 ブザー。


 次は、深い層だった。


 颯が先に向かった。

 宮内はさらに下へ入る。


 水が冷たくなる。

 体が勝手に沈む。


 潮核を拾う。

 ゼッケンが赤く光る。


 颯が追ってくる。

 上から切ってくる。


 宮内は潮核を抱えたまま、真下へ落ちた。

 流れが下から横へ変わる。

 体が浮く。


 ゴールゾーンの手前。


 沈める。


 赤い光。

 ブザー。


 岸の宮島ベンチが揺れた。

 河島が水面に出て、両手を上げている。


 颯は水面に顔を出した。

 ゴーグルの奥の目は、まだ折れていなかった。


 第2ピリオド終了。


 スコア:宮島 4-尾道 1



インターバル。


 河島はタオルを頭からかぶった。


「リードしとる。めっちゃリードしとる」


「うん」


「うん、じゃなくて。決勝なんよ」


「うん」


「瀬那、最後までそれでおってや」


 宮内は海を見た。


 さっきより、泡が薄かった。


「瀬那」


 河島の声が、少し低くなった。

 宮内は顔を向けた。


「最後まで」


「分かっとる」


 答えた瞬間、海から風が来た。水面の泡が、一本だけ消えた。



第3ピリオド。


 海が変わった。


 入った瞬間、宮内の足が止まった。


 さっきまで背中を押していた流れが、ほどけていた。

 複合流は残っている。

 潮目もある。

 泡も動いている。


 でも、さっきの水ではなかった。


 強い線が消えている。

 体を持っていく腕がない。


 潮核が流れてくる。

 遅い。


 宮内は拾った。

 ゼッケンが光る。


 尾道の選手が来る。

 三秒タッチ。

 一秒。


 宮内は横へ逃げた。


 逃げられた。

 失点にはならない。


 でも、体が遅い。


 二秒目で流す。

 河島が受け取る。

 相手が寄る。

 河島はゴールゾーンへ行けない。


 潮核が落ちた。


 尾道が拾う。

 颯が受け取る。


 青い光が沈んだ。


 スコア:宮島 4-尾道 2


 水面が近かった。

 息が苦しいわけではない。

 腕も動く。

 足も動く。


 ただ、水が何も言わない。


 次の潮核も拾えた。

 その次も、先に触れた。


 でも、先に触れただけだった。


 宮内が流した潮核は、河島の半歩前で止まった。

 さっきなら届いていた。

 河島の手が水を切る。


 届かない。


 尾道の選手が拾う。

 颯が走る。


 青い光。


 スコア:宮島 4-尾道 3


 岸が静かになった。


 河島が水面に顔を出した。

 大きく息を吸う。

 すぐ潜る。


 宮内は、その背中を見た。

 河島の方が、動いていた。


 次の潮核は、中央で止まりかけていた。


 宮内の手が伸びる。

 颯の手も伸びる。


 触れたのは宮内だった。


 ゼッケンが赤く光る。


 三秒タッチ。

 一秒。


 宮内は深く沈めた。


 深かった。


 潮核が落ちる。

 止まる。

 浮かない。


 尾道の手が、下から拾った。


 颯へ渡る。


 河島が追う。

 宮内より先に追っていた。


 宮内は、まだ水を待っていた。


 颯がゴールゾーンへ向かう。


 河島の手が、颯のゼッケンに触れた。


 一秒。

 二秒。


 颯は流した。

 尾道の別の選手が受け取る。


 ゴールゾーンへ沈む。


 青い光。


 ブザー。


 スコア:宮島 4-尾道 4


 第3ピリオド終了の笛が鳴った。


 岸に上がると、河島が座り込んだ。

 肩で息をしている。

 膝に手を置いて、顔を上げない。


 宮内は立ったままだった。

 肩は上下している。

 でも、河島ほどではない。


 河島が顔を上げた。

 濡れた前髪が、頬に張りついている。


「瀬那」


 宮内はタオルを握った。


「次、行くよ」


 河島が立ち上がる。

 足元がふらついた。

 それでも、ゴーグルを下ろす。


 尾道側では、颯が海を見ていた。

 穏やかな水面でも、颯の目は変わっていない。


 笛が鳴った。



第4ピリオド。


 宮内は水に入った。


 潮核が一つ、中央に浮いている。

 尾道が動く。

 颯が来る。


 宮内も動いた。


 体が先に行かない。


 水を掻く。

 足を沈める。

 潮核へ手を伸ばす。


 颯の手も伸びた。


 同時。


 触れたのは、宮内だった。

 ゼッケンが赤く光る。


 颯の手が胸元へ来る。

 三秒タッチ。


 一秒。


 河島が横に入る。

 尾道の別の選手の進路を切る。


 二秒。


 宮内は潮核を沈めた。


 深くない。

 さっきの失敗が、手に残っていた。


 でも、浅すぎた。


 潮核が水面近くへ浮く。

 尾道の手が伸びる。


 河島の手が、その前に入った。


 赤いゼッケン。

 河島が受け取った。


 河島はそのまま進まなかった。

 水面へ一度顔を出す。

 息を吸う。


 宮内は、河島の手元を見た。


 潮核はまだ赤い。


 河島が、宮内へ戻した。


 浅い。

 速くない。

 でも、届く。


 宮内の手に収まった。


 颯が来る。


 宮内は逃げなかった。


 水は押してくれない。

 泡も、足の向きも、何も教えてくれない。

 その代わりに、背中へ手が来た。


 河島の手だった。


 背中に、小さな水圧が来る。

 宮内の体が、半歩だけ前に出る。


 潮核を沈める。


 赤い光。


 ブザー。


 スコア:宮島 5-尾道 4


 残り時間は、まだあった。


 尾道が最後の攻撃へ出る。


 颯が潮核を拾う。

 青い光。

 速い。


 颯は、押されていなかった。


 流れに運ばれているのではなかった。

 水が止まっても、腕の一掻きで距離を削ってくる。


 水が止まっても、颯の腕だけは落ちていない。


 河島が追う。

 宮内も追う。


 颯が流す。

 宮内の足は一拍遅れる。


 でも、河島が先に体を入れた。

 潮核の進路がずれる。


 宮内の前へ来る。

 今度は、手が遅れなかった。


 潮核を拾う。

 赤い光。


 深く沈めない。

 無理に走らない。


 抱えたまま、水面近くを横へ滑る。


 点を取りに行く動きではなかった。


 颯の手が届く。


 一秒。

 二秒。


 宮内は、ただ逃げた。


 笛が鳴った。


 試合終了。


 スコア:宮島 5-尾道 4


 岸に上がっても、宮内の耳にはブザーが残っていた。


 勝った。


 周りが騒いでいる。

 宮島高校のベンチが、タオルを振っている。

 河島が、座り込んだまま笑っている。


 尾道側では、颯がゴーグルを外していた。

 水が顎から落ちる。

 颯はスコアボードを見た。

 それから、厳島沖の海へ顔を向けた。


 言い訳のない顔だった。


 宮内はタオルを肩にかけた。

 体には、まだ最後の水の重さが残っている。


 河島が隣に来た。

 足元がふらついている。

 それでも、口元は笑っていた。


「またやる気なくなったん」


 同じ声だった。

 昨日と同じ。

 ずっと前から聞いている声。


 宮内は口を開きかけた。


「そうじゃ……」


 続きが出なかった。


 四対一から四対四になった。

 退屈な海で、河島は宮内より先に動いていた。


 最後は、点を取りに行かなかった。

 ただ、逃げた。


 宮内の足は、一拍遅れた。


 河島が首を傾ける。


「どしたん」


「なんでもない」


 宮内は先に歩き出した。


 厳島沖の海が、後ろで揺れている。

 泡は、もう走っていなかった。


 桟橋の向こうで、フェリーの汽笛が鳴った。


 河島の声が後ろから来る。


「帰り、ポーバ寄る?」


 宮内は足を止めなかった。


「揚げもみじクラッシュ」


「またそれ?」


「今日は、それ」


「勝った日なのに?」


 宮内はタオルを握った。


「勝った日じゃけ」


 後ろで、河島が笑った。


 海から風が来た。

 潮の匂いが、少しだけ苦かった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


本編では描いていない、宮内瀬那みやうち せなという選手の始まりの話でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ