3 王子と最強の護衛
「アルフィー殿下。この木はこの山を守るご神木です。この木に登れたということはこの山はアルフィー殿下を受け入れてくださった、ということです」
追手を文字通りぶっ飛ばして離宮を脱出した僕とトニーは王都の北に位置する山に逃げ込んでいた。
一本の高い木に登ったトニーは安堵の表情を浮かべて僕を背中から降ろし、枝に座らせた。
「ご神木?」
「ええ、そうです。ご神木は神々の御力を山全体に分配する、と言われており、この木の根本には魔獣も死霊系魔獣も襲ってきません。通常なら、人間も立ち入ることはできませんが、アルフィー殿下は国の護りの結界に魔力奉納をなさっていますので、王族としてご神木に認められたので立ち入ることができました。私はアルフィー殿下を背負っていたので従者として認められたのでしょう」
そういえば五歳になってからほぼ毎日、離宮と城の中庭の祠に毎日参拝していた。
祠の中の大きな水晶に手で触れるとぞわぞわした感覚になり力が抜ける気がしたが、あれが魔力奉納なのだろう。
「それなら、ここまで追手が来ることはないんだね」
ええ、と頷きながらトニーは目を細めて城の方角を見ると、首を傾げた。
「どうにもおかしいのですよ。ド派手な脱出をしたから大騒ぎになるはずなのに、大掛かりな山狩りが行なわれる準備をしている様子がないのです」
木の上から視力強化で自分が焼き払った離宮を観察するトニーを真似して目を細めたが、僕には煙さえ見えなかった。
「東方連合国会議への出席で王太子殿下の不在時にアルフィー殿下の暗殺を強行しようとしたのにしては、事前準備が甘かったのかもしれませんね」
「トニーがここまで大暴れするなんて、念頭になかったからじゃないかな?」
「あれは演習用の炎で誰も死んでいませんよ。風魔法で吹き飛ばされた衝撃の痛みはあるでしょうが、見た目はすすだらけでも誰も火傷を負っていないはずです。だから、即座に追手を編成していなくてはおかしい。それができないということは、……敵に正規軍を動かす権限がないからでしょう」
「僕を暗殺してしまえば、トニーにはもうなすすべがない、と踏んでそれ以上考えていなかったのでは?」
「……アルフィー殿下、どこかで頭を強くぶつけたりしましたか?」
トニーは僕の両目をじっと見ると、指を一本立てると僕の顔の前に寄せたり離したりした。
「うーん。トニーの背中でガクンガクン首が揺れたけれど、小さい体は柔らかいから、たぶん怪我をしていないはず。頭も大丈夫だよ」
木の枝に座った足をぶらぶらさせながら首を擦ると、申し訳ありませんでした、と言いながらトニーは僕の一挙手一投足を観察した。
本当に僕が怪我をしていないかトニーは疑っているようだ。
「興奮しているから痛みを感じないのではなく、本当に大丈夫だよ。死にそうになる痛みは何度も経験したことがあるから、今の状態が悪くない事だけはわかるよ」
「何度も死にそうな経験をしたなんて!いつですか?」
自分の知らないところで危険な目に遭っていたのか!と驚くトニーに、僕は右手を胸の前で横に振って、違う違う、と言った。
「トニーが部屋に飛び込んできた時に、僕は体がばらばらになるかと思うほどの激痛に襲われていんだ。まあ、死ぬかと思うような痛みで、今際の際に自分の記憶から何とかしようとしていろんなことを思い出す現象があるでしょう?」
僕の問いに、走馬灯ですね、とトニーが頷いた。
「そうそう。そんな感じで、僕は自分の前世らしい記憶を思い出したんだ。前世で僕は病弱だったから何回か死にかけたんだけど、医療の発達した世界だったから、二十代までなんとか生きたんだよね」
死線をかいくぐったことは何度もあったよ、としみじみというと、トニーは口をあんぐりと開けて僕を見た。
「とんでもない事態だったのに、始終落ち着いておられるばかりか、見識深い意見を出されるので、頭でも打ったのかと心配したのですが……。前世の記憶ですか!?」
なんてこった!と驚愕した表情で僕を見るトニーの脇腹を、ポンポン、と叩いた。
「落ち着くも何も、科学技術の発達した文明社会に生きていたから、魔法なんてフィンクションの世界なんだよね。だからもう、トニーの魔法に呆気にとられちゃったよ。カッコよかったなぁ」
「カガクギジュツ、とは、何でございましょう?」
トニーの疑問に適切な説明ができる利発さがない。
離宮の照明も水が湧き出る水瓶もなんとなく魔術具っぽかった。電気やコンピューターをどう説明したらいいんだ!
「……たぶん、この世界では魔法で済んでしまうから、あまり着目されない普通の自然現象を研究して魔法みたいに活用する事じゃないかな。まあ、……僕は寝てばっかりの人生だったから、上手く説明できないな」
僕がアホな子ではなく、虚弱で世間知らずだったことにしておこう。
「何度も死にそうになるほど病弱だったのに成人できるほどの医療技術があったのですね!」
トニーは自分の納得できる解釈をした。
「うん。そうだね。この世界は僕の前世では何百年も前の科学技術が発達する前の封建時代のように見えるよ」
「ホウケンジダイ、とは何でございましょう?」
またやってしまった。
面倒くさい説明をしなければいけない言葉を使ってしまった自分を恨めしく思っても仕方ない。
「うーん。常識の擦り合わせも必要だねぇ。いろいろ説明するからトニーはこの世界の常識を僕に教えてね」
常識ですか、と首を傾げたトニーは離宮の動きを時折確認しながらも、丁寧に僕に説明してくれた。
「……なるほどね。母上の出身国では国王から領地を賜る領主が地方を納める、という点では封建社会だけど、この国、シャオ王国は小さい国だから国全体が王家の直轄地なのか」
「シャオ王国は中央大陸の東端にありながら、東海の小島の国家の集合体である東方連合国に属している本当に小さな独立国家です。大陸諸国から見ると地方領主のような国土ですね。国の規模としてはラウンドール王国の方が大国です。両殿下は大陸中央の魔法学校に留学中に恋仲になられたため、大陸の東西、端と端の国で、国としても規模が大きく違いましたが、なんとかご縁談がまとまったのです」
「もしかして父上は大国から姫君を迎えたことで第二王子だったのに王太子の座を手にしてしまい、政敵が多かったりするのかな」
僕の推測にトニーは否定しなかったが、頷きもせず、遠い目で離宮を観察していた。
「婚姻の翌年に側室を持たざるを得なかったですから、それなりの事情があったのでしょう」
トニーは腹に一物思うところがあっても、自分の見解を述べるのは最小限に抑えた言い方をした。
「今晩はご神木の根元で野営をしましょう。テントと簡易の寝具が収納ポーチに納まっているはずです」
僕の寝室から脱出する前に収納ポーチにいろいろな物が収まっていた。
「事前に逃走準備ができていたようだけど、トニーとアデルは僕が害されると母上の声が聞こえてくる魔法が発動することを知っていたの?」
目を細めて僕を見ていたトニーは小さく頷いた。
「私もアデルも知っていました」
母の死後、お腹を壊すようになってから僕が口にするものはすべてトニーが毒見をしていたし、皮膚が爛れた時に衣類や寝具を徹底的に調べたのはアデルだった。
緊急時に逃走する計画があったから、二人は犯人捜しより経過観察を選んでいたのか。
「おそらく主犯は王太子殿下の側室です。アルフィー殿下が死なない程度に痛めつけていたのに、このところ被害が少なくなっていたので警戒していました……」
痛ましい表情で僕を見るトニーは一旦言いよどんだ。
「妃殿下は王太子殿下が側室とのお子さんよりアルフィー殿下への面会の機会が少なくすることで、側室の実家への顔を立てていました。当時はアルフィー殿下とメラニー殿下の部屋のそばに側室の関係者が近寄らないように徹底されていましたが……完全に排除するのは難しいのです」
遠い外国から嫁いできた妃殿下を快く受け入れられない人たちは父の側室の関係者以外にも多いのだろう。
「妃殿下は万が一の時の対策を、ご健康だったころから立てておられました。アルフィー殿下もメラニー殿下も暗殺されるような危機的状況に陥った時に、シャオ王国を捨ててラウンドール王国に亡命する手筈を整えておられました。アルフィー殿下の寝室で使用した魔法は、国が破れても子孫を逃走させる手段として妃殿下の一族に伝わる秘伝の魔術具を使用しました。アルフィー殿下の状態異常回復と離宮から脱出するための魔法陣を起動させる物です」
痛みから開放されたあの魔法陣は母が用意してくれていた物だったのか!
母の愛を感じて胸が熱くなった。
「ベッドの下に魔法陣を敷設した際、王太子殿下へ許可を取っていたので、転移先がバレてしまっていたようで、私達は待ち伏せされていました。それで、国外脱出に転移魔法の魔法陣の使用を断念しました。ですが、陸路で移動する作戦に切り替えるだけです。万事抜かりなく手配してありますから、このトニーを信頼してください」
木の上なのに胸に手を当てたトニーは僕に向かって頭を下げた。
「お任せするよ。だけど、ここから先、ラウンドール王国に行くまでは、市中に紛れることになるのだから僕に敬語を使ったり傅くような仕草をしたりしない方がいいよ。僕のことは親戚の子どもだと思ってアルと呼んだ方がいい」
目を見開いて僕を見たトニーは、何か言いかけた言葉を飲み込むように噛みしめると、顎を引いてゴクンと息を飲み込み、わかりました、と頷いた。
「アルフィー殿下をラウンドール王国に送り届けるまで、私は殿下をアルとお呼びします。必ずや、御身にかすり傷一つけることなくラウンドール国王陛下の元にお連れいたします」
「もう、堅苦しいな!人目のあるところに行く前から練習しないと不自然な振る舞いになっちゃうから、今から敬語はなしね。あと、自分で下りれないから、また魔法の抱っこ紐で背負ってね」
僕が両手を広げておんぶをねだると、僕の子どもらしい仕草にトニーの頬が緩んだ。
「承知いたしました」
「わかったよ、でいいの!」
トニーの返答に僕が言葉を被せると、トニーは苦笑した。
「……わかったよ。……アル」
僕が睨みつけると、トニーは申し訳なさそうな表情をしつつも、たった決めた愛称で僕を呼んだ。
「前世の記憶があるから精神年齢は大人だけど、この世界と常識が全く違うんだ。まだ六歳の幼児の僕はトニーだけが頼りなんだから、しっかりしてね」
おんぶ紐を取り出したトニーは頬を膨らませたぼくを見て笑顔で頷いた。
「そうですね、いや、そうだな。アルも普通の幼児のように振舞ってもらわないと、賢すぎて面を食らうよ」
トニーの忠告に僕は笑った。
「ご指南よろしくお願いします!」
おんぶ紐に包まれトニーの背中に引き上げられながらそう言うと、なぜか笑いのツボに入ったのかトニーの背中が小さく揺れた。
ご神木の根元にテントを張ったトニーに、一緒に寝よう、と誘ったのは、まだ六歳で幼い体が人恋しかっただけ、ということにしておいてほしい。
甘えッ子じゃないよ。
トニーの温かな体温を横に感じると、僕はすぐさま深い眠りに落ちた。




