2 健康だけど不健全な環境の王子
イタイイタイイタイイタイ……。
全身の筋肉が硬直して僕の小さな体をあらぬ方向へと反り返らせる。
なんだよ!
せっかく人間に転生したのに、このまま死んでしまうのか!
……いや、諦めるな!
僕、アルフレッド、ことアルフィーは年の割に体が小さいが、そこそこ健康体だ。
今度こそ、そう簡単に死んでたまるか!
就寝の支度を手伝っていた僕付きの従者が寝間着を放り投げて、殿下!と叫びながら、医者を呼べ!とわめいている。
僕の部屋に飛び込んできたのは医者ではなく筆頭護衛のトニーだった。
トニーが両掌を僕に向かって広げると魔法陣のような幾何学模様が空中に浮かび上がった。
あり得ないほど胸椎を伸展させて呻いている僕に向かってトニーの掌から放たれた魔法陣が広がりながら近づいてきた。
全身がばらばらになるのではないか、と思えるほどの苦痛に襲われていたが、前世の記憶を思い出した僕は、これは異世界転生だ!とこの状況なのにちょっとワクワク観察できた。
トニーを目にすると、何とかしてくれる、という安堵感が湧いてきた。
トニーはいつだって僕を守ってくれる、と絶対的な信頼感をアルフィーは持っている。
光る魔法陣が僕に触れると僕自身が発光した。
全身の痛みが消え去り、体のこわばりも取れて自由に体を動かすことができるようになった。
“……逃げなさい!アルフィー!この城にいては危険です。貴方を害することをこの国の人々は誰も止められなかった。もはやこの国に忠義を尽くす必要はありません”
頭の中に直接聞こえてくる亡き母の声に、懐かしさや喜びで心が打ち震えると同時に、離宮を去らなくては生きていけない絶望に体の震えが同時に起こった。
「アルフィー殿下!メラニー姫はご無事です!私が責任もってお世話いたしますから、先をお急ぎください!」
トニーに続いて僕の部屋に飛び込んできた妹メラニーの護衛兼乳母のアデルがメラニーをおんぶ紐で背負いながら叫んだ。
アデルを追って部屋になだれ込んで来ようとする使用人たちをアデルは両腕を振り回して魔法を発動しドア付近で氷漬けにしていた。
逃げろ、と言われても、出入り口が塞がれている。
困惑していた僕の両脇にトニーが手を入れると、いきなり僕を放り投げた。
宙に浮いた体は天井にぶつかる前にくるんと一回転し、僕もメラニーの様におんぶ紐にくくられ、あっという間にトニーの背中に張り付いていた。
背中にずしんと僕の体重が乗ったのにもかかわらずトニーの体はびくともせず、天蓋付きベッドをひっくり返し、床にうっすらと浮かび上がった魔法陣の上に乗った。
魔法陣から円柱状に光が立ち上がり、眩さのあまり目を閉じた。
なんだかわけがわからなかったが、ぼくの腰についていたウエストポーチのような小さな鞄に寝間着やブラシなどの日用品が吸い込まれているような気配がする。
収納の魔術具を装備しているなんて、さすが王子様だ!
“……この国に富みをもたらす魔力を有する私の子を無碍に扱ってはならぬ、という契約を破ったのはシャオ王国国民です。アルフィーはこれよりシャオ王国への責任を放棄し自由の身となります……”
亡き母の声が脳内に響くと、切ない感情に胸が痛む。
前世での僕の死後の家族を思いを想像してしまい僕は動揺した。
感情が大混乱している最中に、体が浮くような感覚がした。
「光が収まり次第、全力疾走します。舌を噛まないようにしっかりと口を閉じていてください!」
トニーの警告に無言で頷くとほどなくして光が収まった。
目を開けるとそこは僕の寝室ではなく、夕日に照らされた離宮の中庭だった。
予告通り走り出す、と思いきや、トニーは突き出した両手からオレンジ色の炎を噴射しながらその場で360度素早く右回転した。
トニーの背中に張り付いている僕は回転の中心軸だったので遠心力に振り回される感覚はなく、庭が炎の海に包まれる様をただ茫然と見ていた。
魔法陣の周りに待ち構えていた警備兵たちに圧倒的な火力の火炎魔法を食らわせたトニーに尊敬の眼差しを向けると、トニーがいきなり走り出したのでガクンと首が後方に引っ張られた。
火だるまになっている警備兵たちがトニーに劣らぬ速度で追ってくる。
見なければ恐怖心も湧かないだろう、と首を引っ込め、トニーにしがみついた。
「王太子殿下が鍵を持つ転移魔法の魔法陣の仕込み場所は警戒されていたか!」
悔しさが滲むトニーの声は、この件に父が関わっているか黙認していることを悟ったかのようだった。
うん。
胸の奥に、仕方ない、という気持ちが湧いてくる。
母の死後、父との面会回数が減っていた僕は、父は僕に関心がないのだ、と常々疑っていた。
「逃走に転移魔法を使用しません!このまま走り続けますので、辛抱してください!」
トニーは走り続けながら振り返りもせずに腕を後ろに下げると、右手で火炎砲を放ち、左手で風を吹きつけ追手を焼きながら後方に吹っ飛ばしたのか、遠ざかる熱風の後、追手が庭木に当たるような音を聞いた。
母がいつも言っていた言葉を思い出した。
“……トニーは世界最強の護衛騎士です。安心して任せなさい”
火炎砲をぶっぱなしながら城壁を軽々と飛び越える際、恐る恐る背後の様子を窺った。
十数人いた追手の全員が生け垣や建物の壁に黒焦げになってめり込んでいた。
確かに最強の護衛騎士だ。
やっと人間に転生したと思ったら生きるか死ぬかの状況だった。
こんな危機的状況でも、この離宮を脱出する事への安堵感の方が生まれ育った離宮を離れる不安感に勝ったのはトニー背負われているからだ。
母亡き後の離宮での使用人たちの冷ややかな態度に僕はずっと心を痛めていた。
今ならわかる。母亡き後、僕が体調を崩しがちだったのは、食事に下剤を仕込まれて腹を下したり、寝具に針を仕込まれて皮膚が爛れたり、と死なない程度のささやかな嫌がらせを受けていた。
今度は命を狙われたのだ。
たぶん大丈夫。
トニーと一緒なら僕はどこまででも逃げることができるだろう。




