15.雨上がりの放課後(佑樹)
放課後、雨は何とか上がり、雲の切れ間から青空が僅かに顔を覗かせていた。この様子だと、帰りは合羽を着なくてすみそうだ。バイク通学は好きだが、雨の日は雨具の用意とか、なにかと手間がかかる。
「雨の日とか通学どうしとるん?」
玄関でまた一緒になった大倉さんが、傘立てから自分の傘を引き抜きながら訊いてくる。
「合羽着て普通にバイクで来るで。路面滑りやすいし、視界も悪なるから、普段より早めに家は出るけどな」
「ふうん。……なぁなぁ、宮本君のバイク見せてもらってもええかな?」
「ええで。でも電車の時間は大丈夫なん?」
「うん。今の時間やと乗り換えのタイミング的にちょっと時間つぶさないかんのよね」
「あーそっか。この時間はそうやったな」
バイク通学に切り換える前は僕もそうだったことを思い出しながら上履きのスリッパから靴に履き替える。朝の雨に打たれた靴はびしょぬれで冷たく、正直かなり気持ち悪い。
うへぇ、靴ぐちょぐちょでイヤやなぁ。長靴で登校はさすがにないけど、防水性の高いレインシューズぐらいは買った方がええかな。
「…………ねぇ、迷惑なんやったらそう言ってさ! ……あたし、久しぶりにやりたいことが見つかって、はしゃいじゃっててたぶん空気とか読めてへんと思うけど、嫌ならちゃんと言ってくれんと分からんやん」
いきなり強めの口調でそんなことを言い出した大倉さんは、何故かざっくり傷ついたような顔で今にも泣き出しそうになっていて、僕は何がどうなってこうなったのか分からずにうろたえた。
「え? ええっ? なんで?」
「……だって、宮本君、今めっちゃ厭そうな顔したやん」
…………あー、はいはい。把握把握。これは口で言い訳するより見てもらった方が早いな。
黙って履いたばかりのスニーカーをもう一度脱いで思いっきり絞ってみせる。ぽたぽたぽたっと水が滴り、玄関の床タイルを濡らす。
「…………あ」
「こんな靴を履いて嬉しそうな顔なんてしやんやん? 顔に出とったんはあれや、脊髄反射や」
「あー。……え、えーと、あたし、迷惑やない?」
「そんなわけないやん」
「よかったぁ!」
安心したように柔らかく笑う大倉さんにドギマギしてしまって思わず目をそらす。
「なっとしたん? そっちになんかあるん?」
……なっとしたんちゃうわ。ずっと無表情のダウナー系やったくせに、急に表情豊かになって普通に笑顔を見せるようになるなんて反則やろ。
中学時代の彼女があんなに人気が高かったのは決して陸上の才能だけが理由じゃない。明るくて性格が良くて人懐っこい親しみやすい美少女だったからこそ学校のアイドルだったのだと今さらながらに思い出す。
「なんでもない。……バイク、見るんやろ?」
「あ、うん。待って!」
歩き出した僕を、慌ててひょこひょこと追いかけてくる大倉さんが追いついてくるのをちょっと立ち止まって待つ。
体育館裏のバイク小屋には原付がずらっと並んでいる。ほとんどが燃費が良くて運転しやすい50ccのスクーターとスーパーカブだが、ナンバーの色が違う小型二輪も若干混じっている。大倉さんは物珍しそうにきょろきょろしている。
「はー、バイク置き場は初めて来たけど、こうして見るとけっこう多いんやねぇ、バイク通学」
「そやな。けど今日は雨やったからこれでもかなり少ない方やで。普段はもっとぎゅうぎゅうに詰まっとるし」
「そうなんや。それで、宮本君のバイクはどれなん?」
「これ」
僕の[しるばー]には、僕が朝着てきた合羽が干してあり、ちょうどシートを被せたような状態になっているのでこのままでは中身が分からない。僕が車体を覆っていた合羽を引きはがすと、大倉さんが歓声を上げた。
「わぁ! やっぱり宮本君もモンキーなんやね!」
「おう」
「うんうん。やっぱ旧タイプのモンキーは可愛ええなぁ。けど、サイズと形は同じでもカラーリングでけっこう印象変わるんやねぇ。サラさんのはいかにも女の子って感じやけど宮本君のはちょっと男の子っぽいワイルド感あるなぁ」
「そやな。モンキーはカラーバリエーション豊富やから色の好みで選ぶ人も多いな。ちなみに俺のは2002年モデルな」
「へぇ。……なぁ宮本君、お願いっ! ちょっとだけ、跨がってみたらいかんかな?」
可愛い女の子の「お願いっ」を無下に出来る16歳男子が世の中にどれほどいるだろうか? しかもそれに必殺技【上目遣い】まで加わってくるとなると。だが、僕は姉貴と妹から常々そのような攻撃に曝されているので耐性はできている。
「ええよ」
「わーい! やったぁ」
耐性があっても抵抗しなければ効果はない。そもそも母、姉、妹と女ばかりの家庭内で唯一の男である僕が円満にやっていくコツは、女たちの要望に「ハイ、喜んで!」の精神で全力でお応えすることである、という悟りの境地に至っているのが現在の僕である。
僕が合羽を畳んで通学用のリュックに押し込んでいる間に、大倉さんは[しるばー]にまたがってライディングポーズをとっていた。
「どうかな?」
お、おぅ……。
足を揃えて乗ることができるスクーターと違って、小さいながらもオートバイタイプであるモンキーは当然、両足でタンクを挟み込むようにして乗らなければならない。まじめな大倉さんのスカートは校則の規定どおりの膝上10㌢だが、それでもスカートでバイクにまたがればどうなるかは自明の理で……。
スカートが大胆にめくれ上がり、大倉さんの太ももがかなり際どいところまでむき出しになっていて、僕はかなり目のやり場に困ってしまった。この見えそうで見えないギリギリな状態はちょっと刺激が強すぎる。
「……どう? って?」
無意識に声が上ずる。
「似合う?」
「似合うというか、スカートでその体勢は目のやり場に困るんやけど」
「あ、これキュロットやで大丈夫やに。ほら」
大倉さんがこともなげにぺろんとスカートの裾の前部分を捲るとその下は二股になったキュロットパンツ。
ああ、これが男子たちの夢と希望を打ち砕いてきたと噂されるキュロットタイプの制服スカートか。外見は普通のスカートだが中が二股になっていうタイプ。ただまぁ、僕からすれば下着までは見えずとも太ももがかなり上の方まで捲れてるだけでもけっこう目の毒ではあるのだがそれは口に出さないでおく。
「……あー、キュロットスカートか。ならえっか」
「さすがにスカートではこんなことせんて。……あ、なぁなぁ、さっきも言ったけど、あたしまだシミュレーション教習やっただけで本物のバイクは乗ってへんのやけど、こうして実際にモンキーに乗ってみたらなんかぺダルとかレバーとか色々あるやん? バイクって普通こうなん?」
「そやな。スクーターとかはオートマチック・トランスミッション、いわゆるAT車やからもっとシンプルやけど、モンキーはマニュアル・トランスミッション──MT車で、普通バイクって言ったら基本的にこのタイプやな」
「はー、なんとなくスクーターの方が簡単そうってぐらいでATとMTの違いっていまいちまだ分かってへんのよね」
「そうやなぁ、ATは速度に合わせて自動的にギアが切り替わるから、右ハンドルのアクセルを捻れば勝手に走るし、停まるときも自転車と同じで両手のハンドルのブレーキレバーを握れば簡単に停まるから楽やな」
「ふむふむ」
「で、MTやけどな、速度に合わせて自分でギアを切り替えないかんから、アクセルとブレーキに加え、クラッチとチェンジペダルの操作もせなかんでちょっとややっこいな」
「うっ、なんか難しそう」
「まぁ慣れればどうってことないんやけどな。モンキーもそうやけどMT車のバイクの場合、右のハンドルのレバーが前輪ブレーキ。左のハンドルのレバーがクラッチ。右足のペダルが後輪ブレーキ。左足のペダルが変速用のチェンジペダルって決まっとるな」
「難しいよ。ちゃんと覚えられるかなぁ……でもこれちゃんとできんとモンキーどころか教習所のバイクも運転できんもんなぁ」
「まあそのための教習所やし、ちゃんと一から乗り方は教えてもらえるから大丈夫やって。大倉さんがよく知っとるパン屋の沙羅も元々運動音痴やったけど今は普通に四速モンキーに乗りこなしとるんやから、元々運動神経のええ大倉さんやったらすぐマニュアル車でも乗れるようになるに。俺でええんやったら免許取った後で練習ぐらい付き合うし」
「ほんまにっ!?」
大倉さんがガバッと上半身を起こす。
「おう。いくら基本操作が同じやいうても、教習で使う400ccの大きいバイクと小型バイクの中でも特に小さいモンキーとじゃ乗った時の感覚からして全然違うからな。同じ旧車モンキー好き同士として放っとけやんし」
僕がそう言うと、大倉さんは顔をくしゃっとして泣きそうな顔で笑った。
「なんかさ、宮本君ってええ奴やんな」
「そう、なんかなぁ?」
「……宮本君だけやに。中学時代のあたしのことを知ってて今でもあたしに普通に接してくれるんはさ。今までやって、宮本君がちょいちょい話しかけてくれてけっこう嬉しかったんやよ。サラさんから紹介されたんが宮本君やなかったら、今日やってたぶんよう話しかけれんかったと思う」
「…………」
えー、マジか。
僕はてっきり大倉さんは陸上を止めた後に親しくしていた友人たちが離れていったことで人間関係に嫌気が差してあえて独りでいることを選んでいるのだと思っていた。わざわざ伊勢から離れた高校に進学したのもそうだし、今もクラスの誰とも親しくしようとしてないことからもそうだと思っていて、だから僕もあまり頻繁に話しかけたらウザがられるかも、とあえて引いた立ち位置にいたのだが……どうやら間違っていたらしい。
大倉さんは陸上という秀でたものがあったから以前は自然と彼女の周りには人が集まって来てたけど、それをなくした時、自分から人の輪に入っていかなくちゃいけなくなって、でもその方法が分からなくて、そのまま孤立していったというのがどうやら真相っぽい。
今では、ダウナーで無口で近寄り難い孤高キャラがすっかり板についてしまっていて、僕も含め、周囲の人間は彼女自身がそうありたいと望んでいるのだと思っていたけど、大倉さんは独りを好む孤高の人ではなく、人との接し方がよく分かっていない不器用で寂しがりの女の子だった。
大倉さんが上目がちにおずおずと口を開く。
「なぁ、宮本君。……あたしと、その……友だちになってくれん? 宮本君と……友だちになりたいんさ」
彼女がその言葉を口に出すのにすごく勇気を振り絞ったんだってことが痛いほど伝わってきた。
かつて、別の世界の住人だった学校のアイドル、天才スプリンターはそこにはいなかった。そこにいるのは、普通の少女としての一歩を怖々と踏み出そうとしている内気な一人の女の子、大倉香奈だった。
僕は、そっと右手を差し出した。
「ちょっと照れくさいけど、こういうのって形が大事やと思うから。これからよろしくな! 香奈ちゃん」
気恥ずかしそうに笑いながら、香奈が僕の手を握り返してくる。
「えへへ。こっちこそよろしくなぁ。ゆ、佑樹君!」
【作者コメント】
今はどうか知りませんが、作者が高校生の頃は校則でバイク免許の取得は禁止されていたので、度会町の実家から毎日片道20km峠道を自転車漕いで通ってましたね。原付で通えればいいのにとなど願ったことか。
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