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ミジンコから始まる異世界生き残り物語2 現代地球編  作者: 英目太郎


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第十話 竜の休息

昨夜、天の川銀河の外から飛来した重力波攻撃を「気合と論理」で叩き潰したことなど、新宿のオフィスビルに集う誰一人として知らない。 幸田博(34歳、元炎獄竜)は、今朝も完璧なノットでネクタイを締め、エレベーターの鏡で自分の顔をチェックしていた。

(ふむ。昨夜のエーテル過負荷で少し目の下に隈があるが、これが逆に「仕事のできる男の哀愁」を醸し出している。これも一種の、ビジュアル・パッチだな)

彼は、指先に微かな魔力を込め、髪の毛のハネを0.1ミリ単位で調整した。始祖竜族の権能による【自己修復】。本来、核攻撃すら耐えうる防御結界の応用だが、今は「寝癖を直す」という至高の目的のために使用されている。

「おはよう、諸君。今日もいいバグ日和だ」

幸田が第四開発チームのフロアに足を踏み入れた瞬間、空気が華やいだ。

幸田が自分のデスクに鞄を置く前に向かうのは、給湯室だ。 そこには、他部署の女子社員たちが数人、朝の雑談に興じていた。幸田が入っていくと、「あ、幸田さん!」と声が弾む。

「おはよう。今日も朝から勉強熱心だね、営業部の田中さん。その手に持っているのは、新作のキャラメルマキアートかな?」

幸田は、ちょい悪オヤジ特有の低い、それでいて耳に心地よいバリトンボイスで微笑む。 「あ、わかりますか? でもこれ、ちょっと甘すぎて……」

「なるほど。糖分の過剰積載オーバーフローか。少しだけ『デバッグ』してあげよう」

幸田は、自分のマグカップにコーヒーを淹れるふりをして、指先から微細な振動波を田中さんのカップに送り込んだ。 『ユニークスキル:【物質再構成(微細)】』 これは本来、毒物を無害化したり、硬化魔法を中和したりする高位魔法だ。だが幸田は、飲み物の中の糖分子の結合をわずかに組み替え、甘味の閾値を「上品な微糖」へと書き換えた。

「えっ……? あれ、すごく飲みやすくなりました! なんで!?」 「愛を込めたからかな」

幸田は片目を瞑ってみせ、颯爽と給湯室を去る。背後で「かっこいい……」「幸田さんって、魔法使いみたい」という黄色い声が上がるのを、【危機察知(EX)】の鋭い聴覚で拾い上げ、心の中で小さくガッツポーズをした。

(よし、女子社員のエーテル波形が『好意』の領域に固定された。これで今週の事務処理依頼もスムーズに通るはずだ)

デスクに戻ると、新人・佐藤が顔を真っ赤にして何やら格闘していた。 「あ、あの、幸田主任……」 「どうした、佐藤さん。顔が赤い。熱でもあるなら、俺の【熱量変換】で……いや、早退していいぞ?」

「違います! この、お土産でいただいた瓶が、どうやっても開かなくて……」

佐藤が抱えていたのは、地方名産の高級ジャムの瓶だった。 「なるほど。物理的なロックか。これは強力なプロテクトだな」

幸田は、瓶を受け取った。普通に開ければ容易いのだが、彼は「ちょい悪」の美学を忘れない。 (普通に力を込めれば、竜の筋力で瓶ごと粉砕してしまう。ここは、最小の力で最大の効果を出す、スマートな解決が求められる)

『ユニークスキル:【空間把握(EX)】解析開始』 幸田の視界の中で、瓶の蓋とガラスの境界線がミクロン単位で展開される。 (気圧差による真空吸着。そして、糖分による微細な固着……。座標、北北西3度。そこに局所的な熱振動サーマル・ショックを0.5秒与える)

幸田は、指先でコン、と軽く瓶の底を叩いた。 『エーテル操作:【局所膨張】』 プシュッ、という心地よい空気の音が響く。

「はい。ゲートは開かれたよ」 「えっ、今、叩いただけですよね!? すごすぎる……幸田主任の手、魔法の手ですか?」

佐藤の瞳が潤み、尊敬を通り越して「憧れ」の光が混ざる。幸田はわざとネクタイを少し緩め、椅子に深く腰掛けた。 「指先の感覚だよ。システムも、女の子の心も、力任せじゃ開かない。優しく、正しい場所を叩いてあげることだ」

「……っ!!」 佐藤は顔を真っ赤にして自席へ戻り、猛烈な勢いでタイピングを始めた。おそらく、仕事へのモチベーションがオーバークロック状態になったのだろう。

(ふふ……今日も部下の育成が捗る。俺の教育方針は『ときめき』による生産性向上だ)

平和な時間は長くは続かない。 「幸田ぁ! この仕様書は何だ! フォントが微妙に気に食わん!」 太田部長が、本日最初の「理不尽なエラー」を吐き出しながらやってきた。

幸田はゆっくりと立ち上がり、部長の前に立った。 『ユニークスキル:【鑑定(EX)】対象解析:太田部長』 (血圧:150。胃酸分泌過多。昨夜の深酒による肝機能の停滞。そして……なるほど、奥さんに内緒で購入したゴルフセットが見つかったことによる、家庭内ストレスが80%を超えているな)

幸田は、部長の肩に手を置いた。 「部長、フォントの修正など一瞬です。それよりも、少しお疲れのようですね。昨夜は、奥様と『激しいデバッグ』でもされたんですか?」

「なっ、なぜそれを……! いや、そうなんだよ幸田、あいつ、俺の新しいドライバーを……」 部長が愚痴り始めた。 幸田は頷きながら、掌から「鎮静のエーテル」を微量ずつ部長の体内へ流し込んだ。

『精神干渉:【怒りのパッチ当て】』 部長の脳内で暴走していた怒りのニューロンが、物理的に鎮められていく。

「……まあ、フォントはこれでいいか。幸田、お前はいい奴だな。今度一杯どうだ?」 「光栄です、部長」

嵐が去った。フロアの全員が、幸田の「猛獣使い」ならぬ「部長使い」の腕前に感嘆の溜息を漏らす。

昼休み、幸田は会社の近くのお洒落なイタリアンへ一人で足を運んだ。 彼のような「ちょい悪オヤジ」は、一人でワイングラスを傾けていても絵になる……はずなのだが、なぜかそこには、開発部の女子社員・美咲みさきが一人でいた。

「あれ、幸田主任? 偶然ですね」 美咲は、この部署でも一、二を争うクールビューティーだが、今は少し浮かない顔をしている。

「隣、いいかな? 一人でパスタを食べるのは、論理的に言って効率が悪い。二人のほうが、味覚のパラメーターが上がる」

「ふふ、また変なこと言って。……私、最近仕事でミスが多くて、落ち込んでたんです」

幸田は注文した赤ワイン(もちろん、エーテルでアルコールだけを分解し、午後の仕事に支障がないように調整済み)を一口飲み、美咲のパスタを見た。

「美咲さん、そのパスタのアルデンテ具合を見てごらん。シェフが秒単位で計算して茹で上げたものだ。だが、今の君は、その完璧なソースの味を半分も処理できていない。脳のCPUが『悩み』という不要な常駐ソフトに占拠されているからだ」

幸田は、彼女のグラスに水を注ぎ、こっそりと「幸福感を高めるエーテル」を混ぜた。

「いいかい。君の昨日のミスは、俺が既に『リファクタリング(再構築)』しておいた。バグのないプログラムなんて、中身のない人生と同じだ。大切なのは、バグが出た後にどう書き換えるか。……君は、そのままでも十分に『美しいコード』だよ」

幸田は、彼女の耳元で囁くように言った。 美咲の顔が林檎のように赤くなる。 「主任……私、午後からも頑張れそうです」

(よし。美咲さんのモチベーション、120%に回復。ついでに、彼女の中の『幸田博・好感度サーバー』も、おそらく最大容量を更新しただろう)

終業時刻。 幸田は、部下たちが「お疲れ様でした!」と笑顔で帰っていくのを見送り、最後の一人としてオフィスを出た。 女子社員たちからは、帰り際に「幸田さん、また明日!」「今日のネクタイ、素敵でした!」と次々に声をかけられた。

(フッ。異世界で竜として崇められていた時よりも、今の方がよっぽど信仰心が集まっている気がするな)

エレベーターに乗り、一人になった瞬間、幸田の顔から「ちょい悪」の仮面が剥がれ、一瞬だけ「始祖竜」の鋭い瞳が戻った。

『ユニークスキル:【空間把握(EX)】地球圏外・広域スキャン』 (……月基地、異常なし。外銀河からのパケット通信、沈黙継続中。だが、オーストラリアの地底で、微かなエーテルの共鳴を確認。古代遺産の『自動メンテナンス』が始まったか……)

彼は、再びネクタイを締め直し、新宿の夜の街へと歩き出した。 「さて、明日の『日常』を守るために、今夜も少しだけ、世界のソースコードを弄っておくか」

幸田博(34歳)。 彼は、人類最強の守護者であり、世界で最もスマートに「ちょい悪」を演じる、孤独で幸せなデバッガー。

今夜の夕食は、近所のコンビニの弁当だ。 だが、彼が指先でエーテルを注げば、それはたちまち五つ星レストランのフルコースの味へと書き換えられる。 「……ま、やっぱり、誰かと食べる飯の方が、旨いんだけどな」

そう呟いて、彼は自分専用の「ラブコメ仕様」の日常へと、静かに消えていった。


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